暴論
かつてスペインの僧侶ブルーノは、当時の教会に対して「暴論」をはいたために、火あぶりの刑になった。いつの世でも異端は迫害される。だがその中で少なからず先見の明があった例には事欠かないのだ。

学童のファミコンを禁止しよう

Giordano Bruno

HOME > Think for yourself > 暴論 > ファミコン

今やファミコンは子供大人を問わず、世界中に蔓延しつつある。このゲームが今までになかった特徴といえば、それが「仕組まれた」ゲームであるということだ。つまり、今までの碁や将棋と違って、対戦相手の知能程度によってゲームの展開が大きく変わってくるのと違い、すでにファミコンゲームの作者が考えに考え抜いて微に入り細に入り作り上げられたプログラムにもとづいているということであり、遊ぶ人たちは、その優れたゲーム構造により、「遊ばせてもらっている」という現実である。

成長期にある子供が、このようにすでに隅々までお膳立てされたプログラムによって遊ぶということは、一つには予想できない事態の対処には何ら役に立たないし、それどころか、こぎれいに作られた小さな庭園の中にいることに満足し、その外の世界に何らふれることなく閉じこもってしまうことを意味する。大人の場合にはもうすでに手遅れで、忙しい毎日の気分転換に、現実で実現できなかったことの補償に、毎晩おこなわえるわけであるから、ファミコンゲームの及ぼす影響について云々しても無駄である。

これに対し、子供はいわば柔らかい粘土であり、将来どのような形を生み出すか予想もつかない。その時期にかような「定食」を与えられては、将来の展開に重大な影響を及ぼす心配がある。子供の成長環境は、常に最大の選択肢が用意されていなければならないし、「遊び」は自らの独創力で発生するするべきものだ。たとえば、道路に落ちている棒きれが、「かわいいお人形」になるようでなければならないのだ。

ファミコンはその能力を奪う危険性があり、しかも習慣性、そして多大な時間を子供から奪う。この最後の理由だけでも、責任ある親は子供からファミコン装置を取り上げるべきだ。極言すれば、ファミコンを子供に与えるような親は、子供に麻薬を与えるのに似ている。だが、「子供を仲間外れにしたくない」とか、「自分もやっているので止められない」とか、自分の考えを持たない親たちが、さまざまな理由を付けたがる。

ここで法的規制をかけ、たとえば16歳未満へのゲーム機器の販売を制限する方策をとれば、日本の将来にとって大いに有益な結果をもたらすであろう。ファミコンソフトを作るメーカーは当然のことながら、自らの利益が危険にさらされるわけだから、猛反対をするであろう。しかし一国の将来のことを考え、貴重な、短い人間の人生を、狭い空間で送るようなことがないようにするためにも、協力のこの運動は押し進めて行くべきではないのか?

だが、これを実行に移すのは大変な勇気が必要だろう。もうこれだけ普及してしまうと無理かもしれない。ファミコンはすっかり日常的で、快適なものとして定着しているから、これを止めさせようとする人間はおそらく魔女狩りに会うだろう。タバコや、いや中国の阿片の禁止においても、歴史はいかにこのような例が多かったかを示している。「人形の家」で有名なイプセンには「民衆の敵」という戯曲があるが、これも参考になるだろう。

1999年11月初稿

Think for yourself > 暴論 > ファミコン

© Champong

inserted by FC2 system