sitemap

暴論

かつてスペインの僧侶ブルーノは、当時の教会に対して「暴論」をはいたために、火あぶりの刑になった。いつの世でも異端は迫害される。だがその中で少なからず先見の明があった例には事欠かないのだ。

西暦2025年の世界

Giordano Bruno

HOME > Think for yourself > 暴論 > 西暦2025年

home

日本の21世紀はどんな姿になっているか?100年後を予想することは不可能だが、4分の1世紀後なら、現在の状況から、ある程度判断ができそうだ。

政府はそれを選んだ人々のレベルに比例すると言われる。2000年の政府が愚かなら、それを選んだ日本国民は先見の明がなかったということになろう。

国の盛衰は、昔からの積み重ねだからもう取り返しがつかない。もちろん個人の力で押し戻したり改革を進めることができるものでもない。

特に一国家の借金というものは、よほどまわりの国々が寛大でない限り帳消しになるものではない。2000年の時に650兆円を超えていた負債は、そののち利子が雪だるま式に大きくなり、国債の長期金利もついに耐え難いほど上昇して、25年には完全な財政破綻と猛烈なインフレが国中を襲っていた。

20世紀の後半に企てられた公共事業のほとんどは資金不足のため中止に追い込まれ、国中至る所にコンクリートむき出しの廃墟をさらけ出している。もちろん維持さえもできず、ほとんど通る車もない高速道路は長い間補修ができないでいるために穴凹だらけだ。

中小都市で計画された地下鉄のような、作るに従って建設費がうなぎ登りになる事業は早々にうち切られ、多くの穴あきトンネルがあちこちに醜態をさらしている。

あまりに負債が膨大なために、世界各国は日本に輸出することを止めてしまった。もはや代金を回収する見込みがないし、すでに20世紀末から症状が現れていた、ものづくり技術の衰退はここに来て末期症状を示し、輸出産業もすっかり消滅してしまった。

このため、食料の輸入がほとんど不可能になった。しかも世界的な食糧不足が拍車をかけていて、なお悪いことに日本の農業は、10年頃にほとんど消滅してしまって原野が広がり、後継者はほとんどゼロになっていたのだ。このため各地で飢餓者が続出している。

高齢化社会は終わりを告げた。消費税率のとてつもない上昇のおかげで、15年ぐらいまでは生き残った老人たちの面倒をかろうじて見ることができたが、その後に生まれた世代の平均寿命が、それまでの食生活のツケが主な原因となって短くなり始めたので急速に若者社会に変化しているのだ。

但し出生率が上がったわけではない。20世紀の最後の10年で加速した、未婚者の増加と少子化はとまらず、すでに人口は7千万を割るところまで来たが、回復の兆しはない。

水産業はほとんど壊滅した。魚の獲り過ぎと沿岸部の汚染、蓄積したダイオキシン等の毒素があまりに高濃度なので、食卓からほとんどの水産物は姿を消したのである。また日本にかつて住んでいたほとんどの動植物も絶滅した。残っているのは街路樹とか、犬猫の類ぐらいである。

しかし最大の悲劇は原子力発電所のチェルノブイリを上回る大事故であろう。このため実際日本の国土の大部分は、強烈な放射能が覆っているのだが、ほかに行くところがないために、多くの人々が慢性的な白血病などの生涯に苦しみつつ、半健康人の生活を送っている。

さらに大きな問題は、20世紀末で50基もの原子炉を稼働していたために、そこから生じる死の灰がとてつもなく膨大なものになり、関係者はそれを原子力発電所の裏庭に野積みしていたことが発覚し、大問題となった。だが青森県の六ヶ所村も満杯となり、これからどこに保管するか全く見通しが立っていない。

労働人口の95パーセントがパート体制である。正社員制度はほとんど姿を消し、男女いずれも臨時雇いの体制となった。しかも政府の財政が破綻しているので、失業保険や健康保険の類は全く存在しない。

人々の貧富の差は極限にまで達し、多くの富裕層は海外へ逃れており、日本国土に残っている人々の生活は、中国やロシアやインドの大企業の日本における生産工場で働いている。財政破綻は円の驚くべき価値の低下を招き、各国が従業員の質は比較的高いと言われる日本に投資したからである。

今やアジアでの経済はほとんどが中国に握られ、もちろんこの国も途方もない汚染と貧富の格差の拡大で揺れ動いているが、日本はそれらの大国の出張所と化した。

最大の問題は、もはや町の道路の穴埋め工事をする財政力もこの国の政府には残っていないということである。この現象は世界でもユニークな例とされ、ここまで来るのにだれもチェック機能を働かせなかったことが世界の人々を驚かせている。

日本人はおとなしすぎた。お上のいうことだけを聞いて黙々と働いて過労死し、たてついたり批判したりすることがあまりに少なかった。政府と大企業はそのため一時期は繁栄したが、結局国民の衰退の前には、自らも倒れるしかなかったのである。

こんな暗い25年後の予想はもちろん現実であって欲しくない。これこそ本物の「暴論」であって欲しいものだ。

2000年11月初稿

Think for yourself > 暴論 > 西暦2025年

© Champong

inserted by FC2 system