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暴論

かつてスペインの僧侶ブルーノは、当時の教会に対して「暴論」をはいたために、火あぶりの刑になった。いつの世でも異端は迫害される。だがその中で少なからず先見の明があった例には事欠かないのだ。

中古住宅を取り壊して新築するな

Giordano Bruno

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日本人は、一戸建てが大好きだ。たとえ大都市圏に住んでべらぼうに土地価格が高くても、無理をして男一代の事業と思いこまされ家を建てようとする。かつて「家を建てたなら」というコマーシャルならぬフォークソングが流行したこともあった。

だが、そのために男が身を粉にして働き、そのために健康を害して奥さんや子供より早死にしたとて、それは自分で望んだことなのだから結構なことだとしても、問題は住宅寿命の驚くべき短さである。

日本の家はかつては完全木造であり、安普請である限り、30年も持てばいい方であった。ところが現在ではいわゆる新建材と称して、これまでの木よりも価格は安く押さえられているものの、実に耐久性が乏しく、それでも見栄えがいいものが売られている。

土地に膨大な資金を取られてしまうので、いきおい家本体の方は切りつめなければならない。この結果、せっかく新築してもたちまち住むに耐えないような状態になってしまう建築物が後を絶たない。

さらに悪いことには「シックハウス症候群」の蔓延である。これは新建材を接着したり強度を増すために混入されているホルマリンをはじめとする有害な化学物質が原因であることはわかっているが、作る方としては見て見ぬ振りをしているし、年月がたてばいずれは空中に飛散するだろうとタカをくくっている。

猫の額のようなせまい土地、つまり20から30坪程度ではあるが、上ものがそのように寿命が短いのなら、子供の成長にもあわせて取り壊し、また立て直すことが行われている。ところが、こんなことは石や煉瓦が中心であるヨーロッパでは考えられないような問題を引き起こしているのだ。それは取り壊しによって生じる膨大な産業廃棄物のことなのだ。

日本中の新興住宅地で次々と取り壊される住宅から生じた板、柱、鉄骨その他のゴミは一体どこへ行くのか?板や柱は燃やせばいいというが、すでに述べた化学物質やダイオキシン発生の危険性があるので、屋外でただ火をつけて焼く、つまり野焼きをすることはもはやできない。それはすさまじい煙を生じ、悪臭と有毒物質で周りの環境を覆い尽くす。

鉄製品は他の部分から切り離しが楽ならば、スクラップになる可能性があるが、問題なのはコンクリートのかけらだ。これらは重い上に、強力な機械がないと粉砕できない。かくして取り壊された家屋はダンプ数台分になって積まれ、どこかへんぴな田舎の谷間に埋められる。

へんぴとは言ったが、そこはれっきとした生態系が営まれている大自然のはずなのだが、都会人にとっては単なるゴミ捨て場としか見えない。国内がだめなら、安い金を払って海外へ運び出す。だが埋められてゆく谷間もいずれは満杯となる。かくして日本中に、いや世界中に埋められた谷間が誕生してゆく。

家を新築する人はその現実をご存じない。と言うよりは関心がない。なにがしかの「処理料」を払って、かたがつくと思っている。「処理」とは何か。実はまったく別のものに分解されこの地球上から姿を消すということではないのだ。形は厳然として残ったままで、他の場所に移動するだけなのである。

かつては木材は焼け、腐り、確かに消滅した。しかし今日では木材に薬剤を注入して腐らないようにする技術のおかげでそのようなことも望めなくなっている。

家を造った人はそのまま住め。取り壊して新築するな。100年も200年も持たないような家を造るな。暴論である。だがこれをどうしても真剣に実行しなければならないときに来ている。

現在、住宅(新築)着工率は、景気を示すもっとも有力な指標の一つである。だが景気を浮上させるために、谷間が埋まってゆく。今のところは都会人の目の届かないところで毎日ダンプカーが行き交い、次々とゴミの山が増えている。だがそのうち人々の目に触れるところにしか捨てるところがない事態がやってくる。すぐ目前だ。

現実に東京から150キロしか離れていない那須高原に迷い込んでみるとよい。林道をあてもなく進んでゆくと、大きな崖に出くわす。上を見上げると、斜面に産業廃棄物が今にも崖崩れを起こしそうにへばりついている。国道沿いに「不要土、安く引き受けます」などという看板を掲げている業者は、深夜このような山の中へ次々と捨ててゆく。犯罪行為なのだが誰も取り締まらない。取り締まる気がない。

もちろん一戸建てだけが問題なのではない。大都市では巨大ビルの取り壊しもある。ただ一般住宅と違って寿命が長いし、取り壊しの費用が莫大なので、むしろリフォームの繰り返しで生きながらえようとする場合が多い。

いわゆるマンションも巨大な鉄筋コンクリートであれば、取り壊すより補修して100年以上は持たせることができる。少なくと現代の技術では可能なはずだ。建築材料をケチってはいけない。

ニューヨークのエンパイヤ・ステイト・ビルを見よ。これは1930年代に最高の材料で作られ、デザインはあの通り魅力的だし、200年は楽に持つ。時代が変わっても人々が住み続けることのできる優れた設計を見習うべきだ。

車とか、家庭電化製品は、今リサイクルへの動きが始まっている。これらの製品は設計の段階から、寿命が来たときの分解方法の手順がしっかり決まっておれば、そしてその費用は作った会社が持つようになれば、大きく解決するはずである。

かつて「スクラップ・アンド・ビルド」という言葉がもてはやされたことがあった。だが産業を栄えさせるためにこんなことを続けられたのではわれわれは込みの中に埋もれてしまう。決定的な分解・消滅方法が確立するまで、ストップをかけなければならない。

2001年2月初稿

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