暴論

かつてスペインの僧侶ブルーノは、当時の教会に対して「暴論」をはいたために、火あぶりの刑になった。いつの世でも異端は迫害される。だがその中で少なからず先見の明があった例には事欠かないのだ。

少子化を進めよう

Giordano Bruno

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日本が、世界でもっとも子供の出生数が少なくなって久しい。これによって、総人口が減少に移る時期は2050年よりもずっと早くやってきそうだ(おそらく2006年)。幾たびの戦争で多大な人命を失ってきたために、戦死、病死、事故死以外の理由で人口が減ってゆくことは、多くの人々にとっては先の見えない不安の種になっている。

その最大の理由は労働力の減少であろうか。総人口が減ることによって実質的な労働力不足になり、消費者の数が減り、国全体の経済はいやがおうにも縮小するのだと。第2次世界大戦後の、世界を驚かすような日本の高度経済成長は確かにこの人口の多さに支えられてきた。1億数千万人というと、インドネシアもこれに相当するが、国全体の活力が成長の原動力になるにはこの程度の数が必要だと言われている。

だが、果たして日本の総面積、しかも山岳が多くて平地の少ないこの国土で、1億2千万人とは適正な数といえるだろうか?江戸時代の2,3千万から、明治維新、日露戦争を経て、人口は4倍に膨れ上がってきたことになる。

しかも、1所帯あたり1台という自家用車の所有を見てわかるとおり、日本人が現代生活を続けてゆくことによる環境への圧迫は、アメリカに次ぐものである。日本の道路は、世界最大の産業廃棄物置き場、つまりアスファルトが敷き詰められている。日本の家屋は実にチャチで、特に個人用は、わずか10年あまりの寿命しかなく、膨大な量の廃材が日々たまっている。自治体のゴミ処理施設はパンク寸前だ。

飽食時代を反映して、食べ残しの量は、貧しいアジア・アフリカ諸国の総量を軽くしのぐことは統計でわかっているし、世界の水産物の40パーセント以上を、まだ日本には余った現金があるせいなのか、開発途上国の漁民を空腹にしたまま、いまだに買いまくっている。

日本の土地生産能力から、適正な人口を割り出さなければならない。たまたま日本が工業生産力があり、外貨を獲得できる間は、よけいな食料を輸入できるものの、これは他の土地の生産物をそこから収奪して持ってくることに等しい。しかも高値で買い付けるということは、貧しい人々から横取りしていることに他ならない。(大多数の経済学者は、こういう場合、一時的な「現金収入」のもたらす恩恵しか目がいかない)

環境へのインパクトを最小限にとどめ、しかも現在の生活水準を大幅に下げないためには、イギリスと同じく3千万人ぐらいがもっとも適正である。これで大都市のスプロール現象も止まり、余ったゴルフ場や郊外団地は、植林を経て自然に戻すことができる。

極端な話、ニュージーランドのように300万人(ほぼ横浜市の人口に相当する)でもいいくらいなのだ。高速道路や巨大建築物、膨大な赤字にあえぐ健康保険、いずれも人口過剰が改まれば、いずれも不要なものとなり、国民のよけいな負担は大幅に減る。

そして、経済がその規模に縮小すれば、その範囲内で雇用が確保され、それなりの経済体制が維持できる。21世紀も後半になれば、高度成長とか、拡大再生産、利潤の飽くなき追求などは死語になっているはずだから。経済活性化には「内需を盛んに」などといっている連中は一体どんな将来への展望を持っているのだろうか。

この傾向を後押ししている現象がすでに社会には現れている。それは、女性の社会進出による、晩婚化、独身者の増加、子供のいない夫婦が当たり前になっている風潮である。

これは、ほかの種が異常発生したときにはふつうに見られる現象で、戦争による悲惨な虐殺や流行病による大量病死などがない分だけ、幸運な成り行きだといえよう。

そもそも今までは、子供が好きでない人々も、家を絶やさないためだとか、お国のためだとか、近所の手前とかで、無理して子供を持つ傾向があった。これからは本当に子供が好きで、多少の犠牲をいとわない人だけが子供をもうけるので、子供にとってはより幸福な時代が訪れることだろう。

そもそも少子化の起こりは、高度成長を信奉する経済の観点からすると子育てそのものがきわめて非効率だからなのだ。人々はインスタント食品に、コンビニに、きわめて機能的な電気製品に飛びつく。生活用品すべてが徹底的な効率化を追求しているのだから、若い人に非効率な行動を期待できるはずはない。

さらに、人類の種としての衰退現象も見逃すこともできない。これほどの物質的反映を誇った場合、種としての地球上での位置も異常に強大となり、他の種を圧迫しないためにも、種全体の多様性を保つためにも、そろそろ人類の幕引きの時代が近づいていると言っても間違いであるまい。アンモナイトも、三葉虫も、過去に爆発的な繁栄を誇ったが、いずれも滅亡して目立たない近種だけが、今でもひっそりと生きている。

最近産まれる子供の体重が少しずつ減っているというのも、その現れかもしれない。その他、精液が薄くなったこと、セックスに関心のない若者が増えていること、アレルギーや免疫体質の弱体化など、テクノロジーに頼って環境の快適化を一方的に進めたことによる、種としての活力が下がっていることを示す兆候が数多く発見されてきている。

かつて冷戦華やかなりし頃、人々は誰もが人類は核爆弾の破裂によって最後の時を迎えるだろうと予想したし、今でもそれは決して妄想ではないが、やはりそれよりもむしろ、人類内部の矛盾の表面化が、長期にわたって生物としての衰退を表すものと思われる。

アメリカのように次々と移民が流入する国は別として、日本をはじめ、ヨーロッパの多くの国での出生率の低下はこのような共通の原因を持っているようだ。中国やインドもいずれはそのような時期を迎えるだろうが、ただ心配なのはそれまでにこれらの国のすでに抱えている膨大な人口が、地球環境を回復の余地がないほどに痛めつけてしまわないかということだ。

それはこれからの開発を控えている、アフリカ、南アメリカ、ロシアなどにもいえることである。たとえ日本をはじめとする国々が少ない人口での安定期に入っても、地球全体としての環境からの簒奪が続く限り、我々も決して無関心ではいられないのだ。この際、人類の知恵を総動員して、一刻も早く世界全体の人口を減らす努力をしなければならない。

いずれは減らなければならないことはわかっているが、平穏な減らし方ができないとなると、すでに述べたように急激で悲惨な事態を招くことによってしか、人口減少を実行に移すことができないことになりかねないのだ。

そもそも現代日本の若い女性たちにはもはや子育ては実質的に不可能だ。世界でももっとも家庭生活が合理化され、飢えることもなく、暑ければ寒ければボタン一つで快適な環境が得られ、すべての辛い労働は機械が代わりにやってくれる。そこに不合理の固まりである赤ん坊が生まれたらどうなるか?

いったん世の中が自分の思い通りに進む、つまり合理的にできていると認識してしまった以上、夜中に泣き出す、訳の分からないことで騒ぎ出す子供のことが我慢できるわけがない。不合理な行動に対する反応は?言うまでもなく育児放棄、暴行の激増ということになる。

しかも閉ざされた家庭の中では誰もそれを止めることもできない。昔のように長屋に住むおせっかいばあさんでもいれば救われるが、現在ではコミュニティーは復元することが不可能なほど崩壊してしまった。若い母親は相談相手もなく孤軍奮闘するしかない。こんなつらい苦行があろうか。

ここのところは、子育てのプロに任せよう。といっても子育て専門会社を作ろうと言っているのではない。子供への虐待増加が激増しているのは、ほんらい子育てに向かない夫婦が無理に子供を産んでいることもおおきな原因だ。そのような人は子供の声を聞くだけでストレスになっている。

たとえば、パチンコ屋で遊ぶのに忙しくて子供を自家用車の中に入れたまま熱死させて平気な人間がどうして子供を産むのだろうか。なぜ産んだのか理解に苦しむ。大戦争によって多くの死者が出た時代ではない。結婚した夫婦は自分たちの育児適性ぐらいわからないのか。それともペットと同じで金さえ出せばそれでいいのか。

それにしても、盛り場をうろつく子供たちの状況はどうだ。かわいそうに彼らの親たちは家庭教育というものをすっかり放棄している。親たちは家の中で騒がれるよりも、子供たちが家に近づかない方がうれしいのだ。

そこのところを子供たちは敏感に察して、友だちと夜の渋谷や新宿をさまよう。教育というものは、家庭では放棄され、すべて社会に任せるのだと考える親が増加している。

最近家庭内暴力について大いに言われているが、家庭内無視の方がよほど末恐ろしい結果を招くことになる。このようにして不幸な子供が量産されるくらいなら、少子化は大いに勧められることなのだ。

また、先進諸国ではニート(人生の目的が分からず就職しようとしない若者)の増加が著しい。彼らに生活保護を与えることになれば、少子高齢化の圧力とともに、国家の福祉体制を完全に崩壊させてしまうだろう。

一方、世の中には子育てが楽しくて仕方がない人々がいる。そのような人々は少々収入が足りなくても、子沢山の家庭に生き甲斐を感じる人々だし、子供を育てるのがうまくいかなくなったからといって、ストレスやヒステリーや不安にさいなまされることも少ない。むずかる子供を相手に悠々と生活をエンジョイできる人々である。

とうてい子育てに向かない精神構造の人が、無理矢理に成長に問題の多い一人っ子家庭をを多数作るより、このような子供の好きな人が、5人や6人といった多兄弟姉妹家庭を作ってもらった方が、子供はよほど幸せである。「小さな皇帝」(一人っ子政策によって生まれた、中国でも呼び名)が姿を消し、能力もないのに有名幼稚園に入れるような愚行も減る。

そうでない人々は DINKS (double income no kids 夫婦共稼ぎ子供なし)に徹し、社会分業を進めるべきである。そのためには行政にも特に住宅面で応援してもらわなければならない。社会もただ単に従業員の数を調達することしか考えないような19世紀的な生き方を改め、自由に海外からも人々にきてもらうような柔軟な姿勢をもって対処すべきなのだ。

また、高齢化社会を心配する人々がいる。なるほど子供が少なくなれば、当然のことながら、面倒を見る若者が減るから、将来の社会において重大な問題を引き起こすことになろう。だが、これはいつまでも続く問題ではない。50年を経ると、高年者の数も減ってくる。確かにその間老人を支えてゆくのは並大抵ではないが、これを過ぎれば再び人口の安定期に入り、そのときの資源や地球環境を考えて新たな人口をデザインしていけばいいのだ。

個人的なことを述べれば、たとえ私が今20代であって結婚したばかりだとしても、子供を産み育てたいとはまったく思わない。その理由は自然環境の破壊である。こんな汚染物質だらけの世界になってしまい、刻々と世界中の生物種が絶滅していくときに、どうして人間の子供を産もうという気になるだろうか。もし(絶対に不可能だろうが)川や海にかつてのように魚があふれて泡が立ち、空に雁の大群が飛来するようになったら、子供を作ってもいいなと思う。ヒトも地球の一員にすぎないのだから。

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最近、悪いニュースを聞いた。皇族の中のある夫婦が、第三子を妊娠したというのだ。おそらく皇位継承の競争からこんな事になったのだと思うが、ブタの子ではあるまいし、もう子供を産むのはやめてほしいものだ。なぜかというと日本の若い女性には皇族の振る舞いを模倣する層があり、せっかく少子化が定着したのにそれが台無しになる恐れがあるからだ。

というのもその前の日のニュースで、佐賀県の知事が原子力発電所でのプルサーマル化に初めて賛成を示したと聞いたからだ。これは将来の電力需要がまだ伸びそうだからだ。石油資源の見通しは暗く、世界の大国が猛烈なスピードで二酸化炭素を吐き出しはじめている今、現在の日本の人口の多さは一刻も早く何とかしなければならないのだから。

2001年12月初稿・2006年2月追加

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