暴論

かつてスペインの僧侶ブルーノは、当時の教会に対して「暴論」をはいたために、火あぶりの刑になった。いつの世でも異端は迫害される。だがその中で少なからず先見の明があった例には事欠かないのだ。

外国人移入を完全自由化せよ

Giordano Bruno

=新帰化人大募集=

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日本の少子化は急激に進んでいる。結婚するカップルは依然として多いが、彼らの大部分は子供をもうけることを考えていない。経済的な問題よりも、社会的な行き詰まりや閉塞感と、未来への目的意識の喪失がこの現象の最大の原因を思われる。

このままでは、2050年頃にはひょっとすると5000万人を割るかもしれないし、その間に大きな戦争か重大な病気の蔓延があれば、もっと少なくなっていることも予想される。このままでは22世紀には(もし22世紀が存在すればの話だがその可能性は少ない)、日本列島の人口は数百万になることもあながち思い違いではなくなるかもしれない。

せっかくのすぐれた気候帯にあり、人間活動の場としては、少々蒸し暑いものの、日本列島は人間が暮らしてゆくには地球上でも最も適している場所のひとつといえる。農作業の大部分が雑草駆除に追われているのはその現れなのだ。海外旅行をするとわかるように、草木一本生えていない場所がいかに世界中には多いことか。

日本人の数が減っただけ、ある程度の人口は維持しないと、社会を運営してゆくのに差し支える。日本人が古来からの風俗習慣や伝統の多くを捨て去り、国の保護のもとにある伝統だけが細々と残るようになってしまった今、将来の新しい文化の創造はこれまでの「部品交換文明(鈴木孝夫氏による)」のままではとても無理だろう。

どうしても必要なのは新しい血の導入である。これまで生物は多様化を極限まで進め、その幅広さのおかげで多くの難局を克服してきた。極度の低温も高温も湿気も乾燥も、それぞれに適した生物を生じていたから、それぞれれが自分の適した環境にすんなりおさまることができた。

人間の場合も同様である。このままだと、日本人が生み出す文化と生活様式だけでは、この国際社会の中でたちゆかなくなるかもしれない。そこで求められるのが、異文化からからの新しい人間の導入である。

それも遣唐使や遣隋使、帰化人のような小規模な導入では、複雑化した社会にはとても太刀打ちできないから、大集団を伴っての移住が計画されてもいい頃だ。日本はイギリスやフランスのような植民地がなかったから、自国内に旧植民地からの人々が流入することがなかった。そのため、今までかなり鎖国的な状況が保たれてきたわけだが、すでにシンガポールのように積極的に他民族を取り入れて、それを活力の源にしている都市国家が存在するのだから、国土のうち居住に適した場所がかなり狭い日本でも、同じような実験場にすることができそうだ。

問題は、これまでの日本人の「外人」に対する感情をいかに変えていくかだ。南ヨーロッパでは、外国人と隣り合わせの生活はそれほど抵抗がなかった。だが中央、北ヨーロッパ、特にドイツ、フランスなどでは、外国人との暮らしは、彼らが自国に経済的恩恵を与えている間はいいものの、いったんじゃまになり出すと、とたんに右翼が台頭する。

日本の場合には、かつてのような外国人に対する暴力沙汰はあまりおこらないにしても、社会的な差別と敵視はこれらの国々以上に生じることが予想される。今のように社会の中のごくわずかしか外国人が占めていない状況ならば、大した問題は起こらないが、どうしても避けられないのは全体としてわずかでも、彼らによる犯罪の増加が、排斥の理由にされることである。

「外国人は犯罪を犯す者が多い。だから今度の事件も起きたのだ。それ見たことか。すぐに彼らを追い出せ」とくるのが一般日本人の反応である。もちろんこれはすでに多数の移民を受け入れている国々でも同じことである。

だが、これを乗り越えて統合社会を作る努力を続けないと、日本の将来が危ない。移住してくる外国人には、政府が率先してこの地での新しい生活を始めることができるようなプラットホームを用意することが必要だし、すでにほかの国々が体験しているように、無理な「同化政策」は避けて、それぞれの文化と暮らしかたを尊重した、安定した地域社会を作り上げることにまず主眼を置くべきだ。たとえば外国人に積極的に町内会長になってもらうとか。

移民の日本社会への貢献はそのあとである。人々の生活が安定してしてはじめて異人種間のネットワークが自然発生し、そこから何か新しい組織やグループが生まれるかもしれない。これに対して移民を受け入れるだけで放置しておくと必ず、ちょっとした摩擦が大々的な事件を呼び、愚かな右翼が生まれてきて排斥を叫び、普段から生活上のストレスにさらされている人々がこれにすぐ同調するというのが、これまでの歴史パターンだった。我々は歴史の愚は繰り返すべきではない。

そして本格的な日本語教育が新たに必要とされる。朝鮮語やモンゴル語を話す、アルタイ語族系の人々は文法構造が日本語と似ているから、文の構成に関しては比較的容易に習得できるだろう。これに対してインド・ヨーロッパ語族に属する言語圏の人々は、まったく別の教育アプローチを考えねばなるまい。言語教育体制の整備は、一刻も猶予を許さない問題である。日本に入ってきた以上は、日本語とのバイリンガルになってもらうことがまず第1条件である。

外国からの移民を今よりもずっと自由に受け入れるようにするという主張は暴論だろうか?少なくとも「環日本海言語研究室」においては、ごく当たり前の主張である。だが一般の人々は、ごく少数の例外を除いて「とんでもない」と思っている。それは日本の歴史上そんな例が存在したことがないせいだ。だが、ユーラシア大陸の東端に位置し、地理的にも文化的にも恵まれた日本は他のどんな東アジアの地域よりも受け入れる条件がそろっているのである。

しかも、東アジアでは、日本、中国、朝鮮などの間での文化、経済あらゆる面での相互交流はますます盛んになり、十数年後には、人々の移住も今では想像もできないくらいに自由に行われるようになるだろう。今のEUほどではないにしても、国境というものが実質的に県境や州境のような感覚になっていくことは間違いない。

我々は、普段から「国際化」を叫び、この名前を冠した会社や大学が雨のあとのタケノコのように生まれているが、まったく実質が伴っていないことにならないためにも、さっそく役所の「外国人登録」の煩雑さや外国人にとっての暮らしにくい環境を整備する作業に取りかからなければならない。

2002年6月初稿

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