わたしの本箱

福岡正信・著作

わら一本の革命

「自然農法」の提唱者として知られる。愛媛県に住み、自然に逆らわない無の哲学のもとに農業を営む。国内の農業関係者はあまり注目していないが、「わら一本の革命」の各国語に翻訳されたあと、海外での信頼度は絶大である。2008年逝去。

  1. わら一本の革命
  2. <自然>を生きる
  3. 福岡正信の世界(DVD付属)

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わら一本の革命

わら一本の革命この本が出版され、各国語に翻訳されるようになったのは、福岡氏が、数少ない「ユニーク」な日本人だからにほかならない。そしてその哲学の発想は禅の思想に似たところがあり、雨が多く、草深い日本の風土が生み出した、いかにも日本的な人物であるとも言えるのだ。しかもその人気は日本国内より、海外で大きい。日本の集団主義では大きすぎてはまらないのだ。小沢征爾、オノヨーコ、中松義郎、みなそうだ。

著者は自然農法を提唱する人だ。土を耕さないとか、肥料を使わないとか、種を粘土団子にしてばらまくとか、剪定をしないで自然に枝を伸ばさせるとか、技術面ではいろいろおもしろいことが書いてあるが、もっとも感銘深いのはとれた作物は人間だけで独占せず、鳥に喰わせる分も残しておこうという、この農法の精神なのだ。この考えでは、除草剤とか農薬の発想がでるわけがないではないか!

タイトルの「わら」とは米を作ったあとにできたわらを次の年の生育のために、収穫後にばらまいて、再び土に戻すことを示す。まさに「循環」プラス「太陽の恵み」を象徴したのがこのわらなのだ。

」の精神については釈迦もキリストも同じことを言っている。欲を持たず、短い人生を流れるままに豊かに生きて行けばいい、というごく簡単な原理なのだ。福岡氏はそれを実に悠々とやってのけている。この点ではインドの「聖者」と共通するところがあり、自然の中で逆らわずに生きてゆくというのは何も努力がいらないことなのだ。

「なるべく何もしないでも作物が育つようにと心がけていたら、自然農法が生まれたという。もっともこれを編み出すために、本人は実験のために何でもしたらしいが。西洋人は彼のことを Do Nothing の男と呼んでいる。それでふと思い出したのは、ドリトル先生( Dr.Dolittle )のことだった。どちらも何もしない。自然になすがままだ。実によく似ている。

粘土団子の旅自然農法が生まれたのは著者の優れた感性だけではない。日本という、植物が育つには理想的な環境があったこともいえよう。高温多雨、常に草取りをしなければ、一面雑草だらけになるほど緑に恵まれた自然は世界中探してもそうざらにあるものではない。

熱帯林の土壌は以外にやせているが、我がニッポンの広葉樹林では、年がたてばたつほど、山が肥えてゆく。何もしなくても、植物同士の競争を適当に配慮すれば実に豊かな生産が見込める環境なのだ。

無Ⅰでも、その考えは、アラビアやアフリカの砂漠地帯でも受け入れられるようになった。本書のアメリカの旅にもあるけれども、巨大化したアメリカの農業を救う道は自然農法以外にないことに気づいた人々もいるのだ。少数派ではあるが。

この21世紀を導くのはグローバルな経済や消費主義や生産開発至上主義では決してない。それらはすでに滅びの道をまっしぐらに進んでいるだけだ。どういう発想が人類を救うのかは自明のことである。ただ、福岡氏はかなり悲観的であるが。

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<自然>を生きる * 福島正信 * 春秋社 

「わら一本の革命」の中で語られた内容が、NHKの宗教番組担当者、金光寿郎との対談によって再び展開する。何度かに分けて行われたインタヴユーがそのまま収録されている。

特に自然の農法の希望の星である、「粘土団子」の作り方が詳しく載っていて、挿し絵まで付け加えてある。これを使って自分の住む山を緑化したわけだが、それがついに国連にまで引っぱり出されて世界の砂漠化防止のために役に立つことになった経緯が語られる。

人間がこれまで文明化の過程で行ってきたことは、自然の破壊と自然への支配強化の一本道だった。自然農法はまず、破壊されてしまった自然の復旧から始めなければならない。現代農法は”画一化””多収量”しか目にないが、自然農法はまったくその逆である。

自然農法は「なにもしない」というわけだが、もともと原生林は人間が何もしなくても毎日すくすくと育ち、膨大な食料を生み出している。アマゾンがいい例だ。自然農法は「原生林の状態に」戻すことだと思っていい。それが困難になっているのは、人間が最初の”開発”の段階で、欲によって大地を不毛にしてしまったからである。

今、漁業は、これまでの取り過ぎを反省し、”管理漁業”へ向かおうとする流れがある。あれほど減った秋田のハタハタがどんどん増えている。原発事故で漁業が3,4年できなくなった海域では、たっぷり成長した大型の魚が現われている。ちょっと欲を抑えて、ほどほどにすれば自然は人間にたっぷりな恵みを与えてくれるのだ。

だが、語り口の中には、現代文明の中にどっぷり浸かって、抜け出すことのできない人間たち(特に日本人)への深い絶望感が感じ取られる。どんなに自然農法に賛意を示してくれても、所詮、その考えを徹底できず、中途半端なまま行われることによって、現代の環境破壊が、根本的解決にはほど遠いことを思い知らされるのだ。「人間は地球の終末の幕引きをするために現れた」のである。

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福岡正信の世界 * 春秋社DVDブック * 2015/07/15

自然農法で知られる福岡正信氏を2004年6月、愛媛県福岡自然農園にて撮影した。インタヴュー形式ではなく、独白の形をとり、これまでの農業、哲学、人生について語る。付属のブックレットでは4つのテーマについて簡潔な説明が本人によってくわえられている。

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わら一本の革命総括編ー粘土団子の旅 春秋社 

無Ⅰ神の革命(宗教編) 春秋社

無Ⅱ無の哲学(哲学編) 春秋社

無Ⅲ自然農法(実践編) 春秋社

自然に還る 春秋社

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© 西田茂博 NISHIDA shigehiro

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