Contact us

わたしの本箱

小室直樹・著作

日本人のための宗教原論

日本の希有なる才能を持つ政治学者。この国では、福岡正信らのようにあまりに優秀で個性が強すぎると、国内の「本流」からのけ者にされる。このため日本で優秀な思想家は、必ず冷や飯を食わされる。ソ連の崩壊をはじめとして、「予言」の通りに起こったことを考えれば、小室氏の真価は、いちいち並べ立てなくてもわかるだろう。青字ー既読

 

  1. 大国日本の崩壊
  2. 日本人のための宗教原論
  3. 小室直樹の資本主義原論
  4. 日本人のためのイスラム原論
  5. 小室直樹の中国原論
  6. 国民のための経済原論Ⅰ
  7. 国民のための経済原論Ⅱ
  8. 日本国民に告ぐ

HOME > 体験編 > 私の本箱 > 小室直樹

大国・日本の崩壊 * 小室直樹 * カッパビジネス・光文社

大国・日本の崩壊21世紀前半の日本の衰退を、いったい誰が昭和62年に予想したろうか。そしてその原因も。この本が昭和の最後から2番目の年に出てから、15年間、ある人は失われた・・・年と言うだろうが、自分の住む社会にきちんとした分析を加えていれば、その多くは正しく予想できたことである。

まあ、今となってみれば、もうどうしようもないことだろうが、小室氏がどのような点に目を付けたかを知っておくことは無駄ではないだろう。まず、日本がすっかりアメリカの従属国になってしまっていることだ。相も変わらず続く米兵の横暴。ひっきりなしに離着陸する基地の周辺では、「従順」な日本人が文句も言わず黙々と暮らしている。

そしてなんと言っても吉田茂以来の自民党の経済優先政策により、アメリカに軍事肩代わりをさせることによって自分たちの経済繁栄を得てきたこの五十数年間。今日本はすっかりアメリカに頼り切り、怒らせないようにおそるおそる行動しなければならない。アメリカがイラクに不法な侵略をしても、拍手喝采で支持しなければならない独立国としての無念さ。

この本が書かれた頃には国鉄が分割され、JRが生まれた。今でこそ優秀な経営者のおかげで何とかJR東日本だけは順調にいっているが、分割民営化の際にいかに多くの資産が食い物にされ、国民の税金が浪費されたか。これが今、高速道路をはじめとする法人や公団などの準国営企業によってむさぼり食われている。

そして一向になくならない汚職や談合。徳川幕府には「民はよらしむべし、知らしむるべからざるなり」と、情報の公開や透明性を絶対に拒否する姿勢があったが、これがしっかりと現代にも受け継がれているのである。見事と言うほかない。

そして最後日本人の外交音痴が取り上げられる。これは、イラク戦争の時に見せたフランスやドイツのアメリカに抵抗する態度でもわかるように、ほかの国々は日本とは桁違いに経験と外向的才覚に恵まれている。日本の場合には北朝鮮という、直接拉致問題や核武装の問題が関わっているにもかかわらず、韓国、中国、アメリカより相談の埒外におかれている。

この本が書かれた当時の首相は中曽根だった。今彼の業績を思い出す人はどこにいるだろう。せいぜい憲法改正の話を最初に持ち出したと言うくらいだ。彼も年をとり、形だけ国会議員のいすに座っているだけだが、もしこの活躍できる時期にやるべきことをやっていれば、今の日本もだいぶ違っていたことだろう。いや、歴史には仮定法は禁物だった・・・

上へ

日本人のための宗教原論日本人のための宗教原論 * 小室直樹 * 徳間書店

日本人にとって、宗教音痴と呼ばれることはあまりうれしくないだろうが、この本を読むと、それまでの宗教への認識がいかに甘いか、というよりは人生についてまじめな思索をおこなってこなかったかを痛感させられる。そもそも宗教とは「死後」のためのものではなく、「生存中」のためのものなのだ。葬式は本来宗教の扱う部門ではないはずなのに。

日本の文化では、外国の宗教に対する理解も不十分なのはもちろん、自国内での新興宗教に対しても何が正しく何が間違っているかを真摯に考える機会を持ってこなかった。この本では、世界史を振り返りながら、非常に有効な勉強をすることができる。日本人が宗教に対していかに関心が薄かったかを考えると、この本は格好の入門書である。この点では「世界がわかる宗教社会学入門」より遙かに考察が鋭い。

宗教とは、人々の行動様式である。ただそれでは意味が広すぎるから、永遠、絶対者といったものを想定して行動パターンを決めてゆく。ユダヤ教は、絶対唯一の神を掲げた最も典型的な宗教で、しっかりした戒律に従って安定した宗教生活が送れる。まさに民族の団結と安定の中心である。

そこから生まれたキリスト教では、イエスの語ったことばは、パウロによって大きく変質し、ニケアの宗教会議で決まった三位一体説は、非常に理解納得が困難である。また基本的に「予定説」に基づき、人間は神の思いのままである。しかもユダヤ教のような戒律がなく、内面と行動が切り離されているために、資本主義に代表される現代文明をいち早く取り入れた。

これに対し、イスラム教はもっとも宗教らしい宗教である。イエスと違いマホメットは歴然とした人間だし、内面と行動が完全に一致している。このためキリスト教のような大きな分派は現れなかったが、宗教生活がすっかり身にしみこんでいるので、現代文明に乗り遅れた(もっともその方が物質文明に溺れずに済み、結果的にはよかったかも・・・)。

仏教は上のいかなる宗教とも異なる。一見唯物論に見えるが、仏教で唱えているのは「無」ではなく、「空」の概念である。草は、まとめて束ねれば庵になるが、それをばらせば元の草に戻る。庵は存在しているようでもあり存在していないようでもある。因果律に基づき、輪廻の思想と結びついている。ただ、聖典が決まっていないから、仏陀の最初の思想は、驚くほどの多様化を許してしまった。

日本は、そのすっかり変質してしまった仏教や、キリスト教が生きている。原始宗教からの流れをつぐ神道の伝統が、外から入ってきたこれらの宗教を独特に「日本教」化し、最初の形とは似ても似つかない独自の文化を創り上げてしまった。天皇信仰もごく最近に、国家をまとめる必要によって、神道からでっち上げられたものだ。

上へ

小室直樹の資本主義原論 * 小室直樹 * 東洋経済新聞社

小室直樹の資本主義原論どこの大学でも、経済学の原論の講義が用意されているが、それを受講した大学生たちの意見を聞くと、今まで飲んだどんな睡眠薬よりも強力だったと口をそろえて言う。

そこまでこき下ろすのはかわいそうだが、資本主義のポイントをこれほど的確についた本を他に知らない。経済学の根幹であり、現代社会を動かしている資本主義について、その最小限のモデルを知らなかったら話にならないはずだ。これまでいい加減な知識で間に合わせてきた人は赤面するだろう。

資本主義は、人間が人工的に作ったものではない。自然発生的に生まれたものだ。そしてその自立性が自らの「法則」を生み出し、それに従って動く。だから権力者がいくら力任せに動かそうとしてもいうことを聞かないし、下手するとひどいしっぺ返しを受けてきた。

資本主義の活躍する場は「自由市場」である。これについての経済理論は決して抽象的なものではなく、コンピューターネットワークのおかげで、取引時間の短縮、情報公開、独占への目配りが実現し、急速にその理想とする姿に近づいている。

資本主義での「所有」は絶対であり、権力者があとでそれを覆すなどということはあってはならないことになっている。昔は、所有が絶対的なものでなかったために、効率的な商業活動が生まれなかった。今では「所有」さえしていれば、それをどうにでもできる。

資本主義が生まれたのは、マックス・ウェーバーが言っていたとおり、プロテスタントの倫理である。そしてその元になっているキリスト教には、人はあらかじめ救われるか救われないか決まっているという「予定説」が根底にある。ここから「所有権」や「主権」の概念が生まれた。

資本主義が誕生する以前の人間社会では、金をもうけるために手段を選ばなかった。別に公正な競争を経なくても、一財産築くことができればそれでよかった。そのため海賊や山賊が横行したりしてきちんとしたシステムが整備されることはなく、資本主義形態とははっきり区別される。

そして現代日本の経済状況は資本主義の形からほど遠く、江戸時代から持ち越された封建的社会制度がいまだに幅を利かせ、戦後の官僚統制が経済をがんじがらめにしている。

今までは世界の経済環境が日本に味方していたために高度経済成長を遂げることができたが、それも頂点に達した今、腐りきった官僚制度が足を引っ張り、これからの日本をにっちもさっちもいかなくしている。

資本主義の本山と言えばアメリカだといわれているが、これも他の要素が混じった「混合経済」であり、貧富の差をはじめとして様々な問題を抱えている。純粋な意味での資本主義はこの地球上に存在しない。

そもそも資本主義は、それ以前の無法状態から、秩序と公正を目指して作られたものである。理想型であるから、実際に運営していく場合には、浪費、環境破壊、独占や過当競争を避けるため、政府の規制や、情報公開の徹底、それぞれの国の持つ文化に応じた多様性が生じるのは当然である。

上へ

日本人のためのイスラム原論 * 小室直樹 * 集英社インターナショナル

日本人のためのイスラム原論日本人にとってあまりに疎遠だったために、ほとんど内容を知らないイスラム文化についての入門編。危険なのは欧米人の考え方の受け売りである。世界史を正しく眺めて、現在のイスラムと西欧との対立の図式を正確に読みとる必要がある。

世界の主要な宗教を展望したあとで、経典の点で多くの共通点がある、キリスト教とイスラム教とを比較する。キリスト教は、特にカトリック教会では本来イエスやパウロの言っていたこととは全く関係ないもの(宗教とはいえない呪術・カルト的なもの)が次々と追加され、驚くべき変貌を遂げてしまった。

だが、キリスト教において、近代社会の最も大きな変革のもとになったのは、神が救う人間をすでに決めてしまっているという「予定説」である。これにより自分の救いに不安を持つ人々が救済を求めて「行動的禁欲」に走り、ひたすら勤勉になることによって近代資本主義が誕生した。

キリスト教の場合には本来信仰がすべてであり、「内面」を重視するのであるから、金儲けに「どん欲」を含むことは許されないが、一生懸命働くこと自体には問題はなく、これが資本主義発達や近代科学の進歩のきっかけとなったのだ。つまり「宗教の合理化」が起こりえたのである。

これに対し、イスラム教は、宗教としてはキリスト教よりあとに生まれ宗教としての性格はより一層人々の考えにしっくり合うようにできている。商売を奨励し、人間の平等を主張し、信徒としてやるべきことを明確化しているので、急速に大勢の人々に受け入れられた。従って次々と大帝国が生まれた。

だが、一方ではアラーによる宿命的な予定説に基づくイスラム教では、毎日の生活で信徒のつとめをきちんと果たすことにより救済の見込みがあることから、勤勉になる必要はなく、もちろん行動的禁欲も生まれなかった。つまり、より宗教的に完成された形である故に、そこからの脱却が起こらなかったのである。

このようにして現在では、西欧の近代化にも「乗り遅れ」、たとえば「契約の履行」という考え方も徹底しないため、投資の進展もなかなか実現しないでいる。トルコなどはいち早く世俗的な政府を作ろうとしたが、近代化をするためにはイスラム教を捨てねばならず、それはとうていできないことであるから、今重大な岐路に立っているのだ。

しかも、イスラム教徒の中には、近代化による腐敗や貧富の差の増大を見て、マホメットの唱えた原点に復帰すべきだという人が増えている。この考えは西欧人には気に入らず、1000年来のイスラム教との持つ「十字軍コンプレックス」も加わってイスラム排斥の流れを作り出してもいるのだ。

そして今日にいたり、ひたすら石油の利権を得たいのに、イスラム諸国にじゃまされた西欧人の無理解が、今までの対立に一層拍車をかけ、これが中東問題を解決することをさらに困難にしているのだ。ここで「同時テロ」が起こり、イスラムと西欧の対立は決定的なものとなった。

上へ

小室直樹の中国原論 * 小室直樹 * 徳間書店

小室直樹の中国原論急速に経済成長を遂げる中国だが、依然として進出失敗に終わる海外企業は少なくない。なぜかと言えば中国の経済・社会体制に対する理解が不足しており、文化的ギャップを克服できていないからである。

中国では契約をしてもそれは絶対ではなく、向こうが「事情が変わったため」というような理由で急にその変更を要求してしきたりする。このため巨額の投資がフイになったりして、頭を抱える海外からの経営者が後を絶たないのだ。

中国に投資しようというのなら、まず「三国志」を中心とした物語を熟読し、中国人の間には、人間関係のレベルがいくつかに歴然と別れているということを知らねばならない。最も親密で水も漏らさぬ関係が「帮ほう」である。そのあと順次関係は薄いものとなり、単なる「知り合い」になる。

外国からの投資者は、単なる知り合いであるから中国人から見れば、きちんとしたつきあいをする必要がないのである。もし関係のレベルを引き上げたければ、じっくり時間をかけて人間関係を育てていかなければならない。

横のつながりが「帮ほう」だとすれば、縦の関係が「宗族」である。それぞれの苗字を名乗る集団の内部では、それこそ実の兄弟関係よりも密接なつながりがあり、そこでは金の貸し借りにしても証文すらいらない。ここはもちろん外国人が入っていけない世界である。

さらに中国の各王朝は道徳を重視する儒教の教えの裏に法による支配を重視する「韓非子」の思想が根を張っている。法家の思想は西洋の法律思想とまるで違う。主権の概念、国民を守る、汚職というような考え方はまるでない。海外投資家が中国国内でトラブルを起こしても法律が自分に味方してくれる保証はないのだ。

また、中国人は「歴史」を最大のよりどころにしてきた。彼らにとっての最大の宗教は歴史による救済である。どんな犠牲を払おうと自分の命が踏みにじられようと、自分の名が歴史に載ることだけを目的に暗殺、政府の転覆などを行う。ユダヤ人のように歴史は神との契約次第でどうにでもなると考えるのと違い、中国人は歴史に法則があると信じており、歴史の書物に載った事柄は後世の人々の行動指針となるのである。

だから人々は行動の指針になるためなら何でもする。中国は「持続の帝国」であり、何回も王朝が変わりながら本質は何も変わってこなかった。共産革命すら根本の変化はなかったのだ。これが中国人の行動様式にも深く根付いている。

三国志の時代から続くこのような中国の人間関係は、現在でもその生活の中に連綿として息づいており、結局これは彼らのつきあいかたがダブル、いやトリプル・スタンダードに基づくものになる。これを無視してはとうてい商売などできないのである。

だが、もう一つ重大な問題がある。それは共産中国がまだ、市場経済に変わってからほんのわずかしか時間がたっていないことだ。政治家たちが大慌てで政策変換をしたところで、中国の一般大衆はこれまでの社会体制にがっちりと組み込まれていた。そう簡単には変わらない。

このため、世界の他の多くの途上国と同様、資本主義の基本的なルールが認識されていない。完全競争の意味、所有の絶対、契約の絶対、複式簿記、定価の概念などは、やっと人々の間に定着しかけたところなのだ。それは著作権の問題についての中国政府の対応を見てもよくわかる。

変わった例を挙げれば「賄賂」が有効かということ。賄賂はいけないものとして世間一般で言われているが、それでも普通の資本主義国では賄賂を払えば必ず見返りがあるということになっている。たとえ違法でも金とサービスのやりとりはきちんと成立しているのである。もし賄賂を払っても効果がないとすれば、賄賂すらその社会では成立しなくなってしまう。中国では相手を間違えると賄賂は全く効き目はなくどぶに捨てたのと同じになる。

「殺し屋」もそうだ。相応の金を払って望む相手を殺してくれるのならビジネスが成立するが、これも相手を間違えるとどんなに金を積んでもやってくれない。アメリカなどではやっていけるはずの殺し屋の商売が成立しないことになる。

中国で商売を屋って行くには、もう少し時間をかけて、じっくり見守って行くしかないのか。最近の中国経済は過熱しきっているから、もしかして大恐慌が巻き起こるかもしれない。そんなことが起これば、経済は出直しになるが、かつてのアメリカの大恐慌のように資本主義の体制が大きく変わることになるかもしれない。

上へ

国民のための経済原論Ⅰバブル大復活編 * 小室直樹 * 光文社・カッパビジネス 

国民のための経済原論Ⅰおそらくこんなにわかりやすい経済入門の教科書はないだろう。経済活動の根本から説き起こしてくれる。小室氏の文章は短く、修飾語句が少ないから誰にでも読めるのだ。しかもぜひ知っておきたい漢語が豊富ときている。

まずは国民総生産(GNP)=有効需要は、消費と投資の和によって出来ている話。だから消費と投資を増やせば景気がよくなり、生産活動は盛んになる。さらにストックとフローの違いについて。固定された資産であるストックに対し、給料のように1ヶ月あたり、あるいは1年あたりの収入額のような表し方をフローという。

実はストックとフローの関係は他の分野でもいろいろな応用ができる、非常に便利な概念である。というのもたとえば距離に対する速度というのはある一定時間あたりに進んだ距離を示すものだが、このように「次元」の違う考え方を随時切り替えることの出来る頭が、現実を正確に把握するにはとても必要なのだ。

ところで、景気は、消費が高まる→生産が増す→給料が上がる→消費が高まる、というように「循環」するものだからニワトリが先か卵が先かを論じても無駄であり、これが経済を論じる場合のもっとも難しい点だといえよう。

しかも景気はいったん良くなると、加速度的にどんどん良くなっていく。ところが逆の循環、つまりたとえば消費が下がってしまうと、加速度的にどんどん悪くなっていく。だとすると90年代に始まった日本の不景気は、もう10年を越えても悪い方にばかり向かっていたことになる。

日本の企業の体質もすっかり変わってしまった。戦後間もない頃は作れば儲かるという単純な図式が通用したが、技術力や生産力が上がると、生産コストがどんどん上がってしまい、いわゆる「損益分岐点」がやたら高くなってしまったのだ。

これは何を意味するかと言えば、結構客が入っている店でも十分とはいえず、ほんの少しでも客の入りが悪いとたちまち赤字に転落してしまうということだ。昔なら閑古鳥が鳴いてもよっぽど客の入りが悪くない限り何とかしのいできたが、今では常に自転車操業が求められる、非常に厳しい環境におかれている。

だからどんどん会社がつぶれる。ある程度の倒産は過去の共産国の場合と違って、資本主義が健全に動いていることを示すものだが、これも行き過ぎると実に脆弱な構造となって、「テナント募集」の張り紙がやたら目につく暗い街の風景が出現してしまう。

では政策的にどうすれば景気が回復するのか。小室氏の話を聞いていると、おそらくこれは年老いた日本国では無理なのではないかと思う。たとえばどんどんみんなが消費すれば景気はよくなるのだろうが、公共投資にしても効果が上がらなかったし、消費意欲は沈んだままだ。

銀行をどんどんつぶして不良債権を一刻も早くなくすことが大切なのだろうが、実際には銀行倒産を怖がって殆ど行われることが無く、これが抜本的な改革を不可能にしている。しかも倒産に伴う「痛み」をだれも味わいたくない。

日本の不景気の処方箋はともかく、経済は気象の場合と同じようにあらゆる要素が絡み合っていてとらえどころがない怪物のようだ。しかも企業の体質が依然と異なってしまっているためにまた新しいモデルを考え直さなければならないときが来ているのだ。

上へ

国民のための経済原論Ⅱアメリカ併合論 * 小室直樹 * 光文社・カッパビジネス 

国民のための経済原論Ⅱ第1巻の国内経済編に続き、第2巻では国際経済について述べる。日本の経済学が世界最低レベルであることを述べたあと、基本的な用語を解説する。貿易収支に対する、貿易外収支、経常収支、経済人の定義、複式簿記の重要性と基本的な記入の仕方について述べる。

そして、サムエルソンの経済学理論をもとに考察を続ける。国際経済の根幹といえば貿易であるが、アメリカが自由貿易やグローバリズムを叫びだしてから世界の人々は貿易によって自分たちの生活が良くなるだろうと思いこんでいる。

さらに、ヘクシャー・オリーン・サムエルソンの定理によって、世界中の物価、時価、給料は最終的には同じ線に落ち着くことになっている。確かにあれほど安かった中国人の給料はどんどん上がり、日本人の給料に近づいている。労賃の安さのうまみが享受できるのは今のうちだ。

ところがどうだろう、自由貿易が伸展しWTOが威張りだしてからというものの、アメリカだけがもうけにもうけ、貧困国はますます貧しくなった。弱小国の産業はつぶされ、従属化し、世界の貧富の格差はかえって大きくなっている。

これもさかのぼればイギリスの理論経済学における、「比較優位」の考え方から発する。小学校の社会科で習ったように、工業製品を作ることのできる国(先進国)と原料を輸出できる国(発展途上国)がおたがいに持てるものを交換すればうまくいく(絶対優位)という素朴な考え方からさらに一歩出て、自由貿易によって、関わる国がみんな恩恵を受けるという考え方である。

19世紀の超大国イギリスがこの理論によって世界中に自由貿易を押しつけた。だが、結果はイギリスだけが儲かり、相手国の大部分はひどい目にあってむしろ経済は衰退させられた。イギリスだけが「売れるもの」をたくさん持っていたからだ。

そして20世紀になって、この自由貿易をイギリスの代わりに世界中に押しつけたのがアメリカである。かつては徹底的な保護貿易によって自国内の産業を育成してきたアメリカが、今度はもっともらしい顔をして自由貿易を押し進めている。自国の利益になるからである。

「比較優位」の考え方は、互いに経済的な実力が接近している場合には成立するが、途上国にように自国内に十分な競争力が発達していない場合には、国内産業が致命的に破壊され、経済的に強力な国に「経済的植民地化」を受ける。

結果はごらんの通り。世界中で貧しい国が、一時的な現金収入の増加に幻惑されて自由貿易に引き込まれ、ひどい目にあっている。アメリカの陰謀は実に首尾よく進んでいるわけだ。

自由貿易が成立する前に、まず世界の各国が「保護貿易」によって、十分な国内産業の育成を計らなければならないのだ。マレーシアのマハティール首相は、このことがよくわかっているようだ。

さて日本だが、高度な技術に基づく国内産業が十分に発達したため、自由貿易がなければ生きていけない。そして自由貿易の恩恵を大部分アメリカに依存している。アメリカに政治的にも経済的に追従しなければならないのはそのためだ。

アメリカを敵に回すのなら、むしろアメリカを経済的に「併合」するくらいでなければならない。ロシアを取り込み、アジアの国々と関税同盟を結び、アメリカに十分対抗できる力を蓄えたあとで、逆にアメリカを経済的に飲み込んでしまうのだ。もっともバブル崩壊後不況に苦しむ日本がいつそれを実行に移せるかわからないが・・・

上へ

日本国民に告ぐ * 小室直樹 * クレスト社

日本国民に告ぐ朝鮮における「従軍慰安婦」問題からはじめて、日本国民の現在におけるアノミー状態のひどさを警告した書。これまでの歴史を振り返り、なにが日本国の進路に深刻な害を与えているかを今までにない角度から説明している。

挙証(きょしょう)責任あるところに敗訴ありという。もし慰安婦が本当に強制連行されたかどうかに関して、韓国に謝罪して教科書にまで載せた日本政府はその事実が「なかったこと」を全面的に立証する義務を負う。しかし今から半世紀も前のことを立証するなんてとても無理だ。にもかかわらず日本は平身低頭の姿を世界にさらしてしまった。これほどまでのプライドと一貫した方針の欠如は何故なのか。

 日本の(初等)教育の進展は、明治維新後の不平等条約から解放されて一日も早く世界の列強に加わりたいという願いから生まれた。おかげで文盲率は世界最低水準となった。ところが、江戸時代以来の封建的要素が変わらぬまま続いていた。世界を驚かせた急速な資本主義化の過程で「伝統主義」から離れることができなかった。これは今にして変革を避け、しきたり通りに物事を進める諸官庁の中に根強く残り、変化の中に生き延びる体制がまるでできていない。

かくしてこれまでの封建的な精神構造とあたらしい資本主義的な流れとの間の分裂は深刻となり、フェティシズムの兆候としての戦争の自己目的化など、手段そのものを目的とする偏った行動が目につくようになったのだ。変革を恐れる政府の過保護が銀行にモラルハザードを引き起こし、業界再編成を著しく遅らせてしまったのもその現れの一端である。

明治維新で方向を見失った民衆をまとめ上げるため、大日本帝国体制を日清、日露以後に確立してそれまでバラバラだった日本人のアイデンティティを再確立することができた。これは、強力な宗教がなかったためにそれに代わる物として天皇がキリスト教的な神としてまつりあげ、教育勅語と共に立憲政治のバックボーンとなった。天皇はその非倫理性が追求されるとますます、神としての高い位置に登ってゆく。こうやって天皇は現人神(あらひとがみ)となった。

戦後、これまでの体制は一挙に崩れ、占領したアメリカが日本人が復讐戦争を企てることがないように徹底した洗脳計画をたてた。これは見事に成功し、現在の日本人は自分たちの起こした過去の戦争を完全に否定し、健全な愛国精神すら否定する至った。GHQによる検閲以前に自己検閲という形をとる日本のジャーナリズム。恥ずべき行為も経済的必要性の前には仕方がないという空気が、大新聞社すら事を荒立てないようにするという雰囲気に飲み込まれ現在に至っている。

戦後すぐに流されたNHKラジオによる、「真相はこうだ」などはGHQの宣伝がいかに巧妙であるかを物語る。南京虐殺や中国などへの侵略という歴史的事実はきちんと検証されないまま、歴史の中に葬られようとしている。そしてGHQによって戦後の日本人の精神構造は形作られそれが現在に至るまで続いている。

天皇を失い、GHQに洗脳された日本人は今は完全にアノミー状態(人々との連帯がない状態)に陥ってしまった。家庭内暴力からカルト教団まで進む方向も分からぬまま、暴走することになってしまったのだ。

上へ

ソビエト帝国の崩壊* カッパブックス・光文社

アメリカの逆襲* カッパブックス・光文社

新戦争論* カッパブックス・光文社

資本主義中国の挑戦* カッパブックス・光文社

ソビエト帝国の最期* カッパブックス・光文社

韓国の悲劇* カッパブックス・光文社

韓国の呪い* カッパブックス・光文社

上へ

HOME > 体験編 > 私の本箱 > 小室直樹

© 西田茂博 NISHIDA shigehiro

inserted by FC2 system