わたしの本箱

コメント集(10)

  1. 前ページ
  2. 私の西域紀行・下
  3. 言語学とは何か
  4. ことばと国家
  5. くだもの栄養学
  6. 地球の歴史
  7. 日本ふーど記
  8. 大国・日本の崩壊
  9. 続・まちがい栄養学
  10. アメリカの夢は終わった
  11. 国民のための経済原論Ⅰ
  12. 国民のための経済原論Ⅱ
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2003年・つづき

私の西域紀行・下 * 井上靖 * 文春文庫 * 2003年6月3日

私の西域紀行・下まだ、上巻は読んでいない。地図にあるように、北京から一路西へ2000キロも進むと、中国西部の玄関口である蘭州に着く。ここから先の道路網は、最近になって整備されてはきているだろうが、スウェン・ヘディンが探検した時と比べて特別よくなっているわけではない。

「楼蘭」の小説で有名な井上靖は、実は自分自身の取材やNHKの「シルクロード」シリーズの撮影隊にも同行して何度もこの地域に足を踏み入れている。日本人で、これほどこの地域に精通している人はいないだろう。

この下巻が書かれたのは、著者の最後の西域旅行となった73歳(昭和55年)の時である。昼間は摂氏50度近くに上昇し、夜は真冬並の寒さに下がるこの厳しい気候の中をこの高齢でただ移動するだけでも驚嘆に値する。

西域地図蘭州から西に広がる西域は、ちょうど「投げ縄」のような形をしている。縄の目の真ん中がタリム盆地、そしてその大部分がタクラマカン砂漠だ。砂漠地帯は人間の生活を拒否するから、ちょうどこれは周りの山々に囲まれた湖みたいなものだ。

撮影隊のルートは、ちょうどこの湖の縁を周回するように進む。滞在地は、所々にあるオアシスだ。中には、どこかの川が伏流水となって砂漠に流れ込み、そこだけちょうど半島のように突き出たオアシスを形成する場合もある。

大部分の道は、普通の車両ではとても耐えることができない。川は水が流れている場合もあれば、まったく枯れ川になっている場合もあり、いずれにしても橋がかかっているのは実にまれだから、車高の高い車でなければならない。

この周辺はまた遺跡の宝庫である。川が流れ、オアシスの育つところに都市が繁栄する。あの有名な楼蘭のように。だが、川は気まぐれで、ある日から水はこなくなり、その町は廃墟となる。

このようにしてこの地域にはおそらく無数の廃墟が埋もれており、砂の移動は、そのほとんどを永久に人間の目に触れさせることはないだろう。

この地域に生きる植物もごく限られたものとなる。タマリスク、芦、駱駝草などだ。蘭州より北方のゴビ砂漠なら、その植生も多様性に富んでいるが、タクラマカン砂漠周辺では、その乾燥度は植物の生育を厳しく阻んでいるのだ。

かつて隊商が、中近東やヨーロッパへ向かって、この地域を通過していった。ただでさえ気の遠くなるような距離である。ヒマラヤ山脈や天山山脈を中心とする大山脈、大山地に阻まれて、草木一本はえないが、ラクダなら何とか通過できる、この細いルートを何度も往復したのである。

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言語学とは何か * 田中克彦 * 岩波新書303・岩波書店 2003年6月9日

言語学とは何かキリスト、仏陀、そしてソシュールの間の共通点は何でしょう。それは、大変革新的なことを述べたのに、自ら本を書くことはなく、生涯の発言をみな弟子たちが書き留めたことだ。

おもしろいのは、ソシュールがその言語に関する考え方を講義で発表するときにメモは、広告のチラシの裏に汚い字で書きなぐったという。「真理」とは、立派な装丁の本や、もったいぶったカードの書かれるものではなく、散らかったメモにふさわしいという点が気に入った。

ソシュールの革新的な点は、それまでの大言語中心主義、文法偏重の考えをうち破ったことにあろう。実は、言語とは、近代社会以後国家が勝手に作り上げたものであり、文字が整備され、その言語ができないと進学や就職に差し支えるという状況が、やむを得ず人々を学習に駆り立てたのだ。

そもそも言語はオトであり、オトである限りは自由に多の言語と混じり合い、さまざまな混交状態を作り出すのが自然だったのだ。すべての現存する言語は、純血種に見えるが、実は雑種なのである。ところが国家の統制と経済向上の欲求が、方言や少数民族の言葉を圧迫し、将来的には絶滅させる方向に向いている。こうやって「自然語」だったものが国家の成立とともに「人工語」となり果てた。

そういえば、昭和30年代に、東北の田舎から出てきた少年が、東京に出てその方言を笑われ、閉じこもるようになったというニュースが数多く聞かれたが、まさにこの典型的な例であろう。このような半ば強制的な力が働き、地方から方言が急速に姿を消していった。方言は「かっこわるい」という風潮がいったん広まれば、それが止まることはない。

文字は、さらにその言語をがんじがらめに縛り上げる。日本人が外国語が下手なのは、自国の文字システムがあまりに複雑で文字に頼りすぎる体質を作り上げ、どんな音を聞いてもそれを文字で確かめないと気が済まないためではないだろうかという。

20世紀の巨人、チョムスキーも言語学の世界に大きなインパクトを与えたことは確かだが、「深層構造」の追求よりも、世界のさまざまなパロールの多様性にもっと目を向けるべきだろう。国家管理のないところでは、ピジン語やクレオール語が次々と新しい言語を生み出したりしているのだ。

結局のところ、いくら言語のシステム(ラング)が偉大なものであっても、言語とは、それをしゃべる個人個人(パロール)がなければまさに砂上の楼閣だからだ。ここが言語学のおもしろいところで、文法学者が口角泡をとばして議論しても、その正しさを決めるのは、市場で、路上で実際にしゃべる人々だからだ。

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@ことばと国家 * 田中克彦 * 岩波新書黄版175・岩波書店 * 2003年6月12日

ことばと国家いったい国語と方言はどう違うのか。これを真剣に考えている人は、あまりいない。本来言語とは、人々が生活するうちに自然に生まれてきたものであって、これが交通が閉ざされるなどして孤立した地域で独自の変化を遂げたのである。

方言も国語も、国家が正式に成立して他の国との違いを強調する際に生まれたものである。 A国は A語を話すということによって、たとえ文法的にも語彙的に B語と酷似していても、独立した言語として扱おうとする。

そのため、はじめは似ていた A語と B語は、次第に互いに遠ざかり、はっきり違った言語として自他共に認められるようになる。一方、方言は国家が決めた正式の言語(標準語)からは少し崩れているとか正確ではないとみなされて迫害される。田舎から出てきた少年は、都会の仲間によってその訛りをあざ笑われ、一刻も早く仲間たちのしゃべり方になろうと懸命の努力をする。

このように、国語と方言との違いは,恣意的な区別がまかり通り、科学としての言語学としてはまったく受け入れがたい区分である。ここに政治の力学が働いているのである。言語は文明人の言語、土人の言語、優れた言語、未開な言語などといくらでもさまざまなレッテルが貼られるようになる。

さらに母国語と母語との違いも同様である。人間なら誰でも母から教わった言葉、12歳を過ぎると一生離れることのできない言葉である「母語」があるのだが、「母国語」とは、たまたま編入されてしまった地域を支配している国家の支配者たちによって勝手に決められた言葉であって、公用語とも違う。言語学的には、母国語などどうでもよい話で、たとえば日本国内でいえば、「日本語」「アイヌ語」「朝鮮語」「琉球方言」などが母語として使われていることこそが研究対象として興味を引くのである。

さらに文字使用の問題がある。本来言語とは「オト」であり、人々が必要に応じて変化させそれぞれの時代にあった表現を発明してきた。ところがいったんこれが文字として固定されるようになると、言語の発達が鎖で結ばれ、自由な表現が著しく制限される。それでもオトの方は次々と新しい発音などを作り出していくから、英語やフランス語のように、現代の発音と相当のずれのある綴り方がしっかりと残ることになる。

さらに文法による言語の規則性を明らかにする努力が、いわゆる現代語と呼ばれる言語で盛んに行われるようになった。確かに文法知識は外国人学習者にとってはありがたい道具ではあるが、ネィティブにとってはむしろ迷惑な存在である。これまで自由な発想でしゃべり新しい表現を次々と作り出してきたのに、今度はそれが「誤り」だの「乱れ」だと呼ばれるようになってしまったからだ。

このことは、その国家内に「言語アカデミー」を設置し言語の乱れに目を光らせている国ほど始末が悪い。フランス語がいい例だが、その「純粋性」や「論理性」に至上の価値がおかれ、その言語は悪い方向にはもちろん、よい方向にもダイナミックな発展を妨げられてしまう。

これに対して、言葉の通じない奴隷たち同士が、使用者とのコミュニケーション用語から発達したピジン語、植民地における支配国と被支配民族との間に生じることの多かったクレオール語、ゲットーの中で中世ドイツ語をもとに発達したユダヤ人たちの共通語であるイーディッシュ語こそが、言語学での真に興味をそそる対象になりうるのだ。

このようにしてみると、言語学とはその研究を科学としてまじめに押し進めようとすればするほど、国家の管理者にとっては目の上のタンコブとなり、場合によっては国家体制を揺るがすほどの力をうちに秘めているのかもしれない。

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くだもの栄養学 * 川島四郎 * 新潮文庫 * 2003年6月18日

くだもの栄養学果物は、菓子と並んで、人々の食事に彩りを添えてきたが、これを本格的に取り上げたのは本書が初めてだろう。太古の昔から、王侯貴族は珍しい果物を所望し、その望みが叶えられることが権力の象徴とされてきた。楊貴妃が、レイシをほしがったのがそのいい例だ。

果物が菓子に勝る点と言えば、そのミネラル、ビタミンの豊富さと、酸っぱさであろう。極限まで甘さを追求した菓子と異なり、カロリー面では、一歩譲るものの、果物では、果糖、蔗糖、ブドウ糖など、砂糖の種類まで実にいろいろ取りそろえてある。自然の多様性がここにも現れているのだ。

肉や魚を中心にした食生活を送っている場合、どうしてもビタミンCをはじめとする微量だが体を快調に保つためには欠かすことのできない物質があるが、これを補うのが果物なのだ。野菜は、料理法が難しいために誰でもが気軽に食べられるわけではない。これに対し果物はたいてい生で食べられる。

幸い日本は南北に長いので、量は少ないものの、その種類の多さは世界の中では実に恵まれている。ミカン(柑橘類)とリンゴが同時に食べることのできる国はそう多くはない。

しかも、梅の特性を最高に生かした梅干しがある。中国が原産だが、これをシソの葉とともに漬け、魔法の携帯食料を思いついたのはいったい誰なのだろう。

そもそも果物は、自分では動き回れない植物が、動物たちに種を運んでもらうために、鮮やかな色とおいしい味を用意してできあがった、自然界の贈り物だ。動物たちを引きつけるくらいだから欲張りな人間たちがほしがるのは当然だ。

著者の川島先生は、91歳でマラリアで亡くなられたが、このあとに出した「食べ物さんありがとう」(上・中・下)には、自然に逆らわない食生活が、サトウ・サンペイの漫画とともに実にわかりやすく紹介されている。

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地球の歴史 * 井尻正二・湊正雄 * 岩波新書 * 2003年6月24日

地球の歴史この本が1965年に改訂版として新たに出てから、すでに半世紀近くが立っているので、新情報や、訂正事実も多かろうが、全体の通史は、どうしても知っておく必要がある。

地球が宇宙の中でどのようにして生成したのか、また冷却後地球はどのような状態を経て陸地と海に分かれ、生命を育てる準備が整ったのか。

最初の頃の地球の大気はほとんど酸素がなかったらしい。大部分が二酸化炭素だったようだ。ということは現在このように豊富に酸素があるということは、営々と植物が二酸化炭素を分解して大気中に酸素を放出したということか。

だから最初の頃の生命は酸素を必要としない、嫌気性の菌が主だったのだろう。また、あちこちに泥の海が出現し、水の循環が悪いのと、酸素そのものが少ないために、生物の遺体の分解が進まず、どろどろした固まり、つまり現在の石油に相当するものができあがったのであろう。

大陸が移動するとか、海進、海退が繰り返し起こったことは生物にとって、環境が自分たちの種の存続に関わるような大激変を経験させたし、そのおかげで種の多様化が促進されたのだ。もしのんびりして変化の少ない環境がずっと現在に至るまで続いていたらこんなに多種類の生物が地球上にあふれかえることはなかっただろう。

哺乳動物の出現も、地球の大激変のたまものである。被子植物の生み出す高カロリーの食物によって、軽やかに動き回り、体温を高く維持できる動物は、たちまちのうちに地球上を支配できるようになったのだ。

そして氷河期が繰り返し5回ほども襲ったことが、人類の出現に関与し、さらに寒さを生き延びるための生活の知恵をしぼっていくことがより思考力を可能にするような大きな脳を持ったホモ・サピエンスを生み出したのだ。

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日本ふーど記 * 玉村豊男 * 中公文庫・中央公論社 2003年6月27日

日本ふーど記もちろんふーど記は風土記をもじったものだ。日本各地の「郷土」料理を求めて著者はそれぞれの地域でしこたま食べる。それによれば日本の郷土料理は、大昔から庶民の知恵が凝縮した、実に多様性に満ちたものだということだ。

たとえば讃岐うどん、三陸のホヤ、秋田のキリタンポ、長崎のチャンポンなどは誰でもそれぞれの土地でぜひ試してみたいもの。それにしてもそれぞれの料理には昔の人々の知恵が働き、保存するために様々な工夫をしたところが、かえって原材料よりうまくなってしまった、などという例が実に多い。

若狭湾で捕れた鯖を、当時の首都である京都に運ぶのに、70キロの道のりを一晩かけて走り抜く。その間に魚体にふった塩がほどよくなじんで、今日の町に着く頃にはすこぶる美味になっているなど。

江戸前のすしはインスタント食品だそうだ。本来は何日も何週間もかけてご飯と魚を発酵させるところを、江戸の庶民たちは待ちきれず、ご飯に酢を混ぜるだけで鮨とした。まさにファスト・フードのはしりなのだ。

それにしても、日本は世界の先進国の例にもれず、至る所均質化し、食べ歩きの楽しみも減ってきた。もう手のかかる郷土料理は家庭では作られなくなった。これを引き受けるのは郷土料理「専門店」だ。観光のためにこれらの店が「保存」され、現地の生活からは完全に切り離される。

我々も急ごう。完全に地方色が消えてしまうまではまだ少々間がある。まだ各地のお年寄りがかつての料理を作れる間に、早いところ回ってしまうのだ。これらの料理が「博物館」に入ってしまわないうちに。

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大国・日本の崩壊 * 小室直樹 * カッパビジネス・光文社 2003年7月9日

大国・日本の崩壊21世紀前半の日本の衰退を、いったい誰が昭和62年に予想したろうか。そしてその原因も。この本が昭和の最後から2番目の年に出てから、15年間、ある人は失われた・・・年と言うだろうが、自分の住む社会にきちんとした分析を加えていれば、その多くは正しく予想できたことである。

まあ、今となってみれば、もうどうしようもないことだろうが、小室氏がどのような点に目を付けたかを知っておくことは無駄ではないだろう。まず、日本がすっかりアメリカの従属国になってしまっていることだ。相も変わらず続く米兵の横暴。ひっきりなしに離着陸する基地の周辺では、「従順」な日本人が文句も言わず黙々と暮らしている。

そしてなんと言っても吉田茂以来の自民党の経済優先政策により、アメリカに軍事肩代わりをさせることによって自分たちの経済繁栄を得てきたこの五十数年間。今日本はすっかりアメリカに頼り切り、怒らせないようにおそるおそる行動しなければならない。アメリカがイラクに不法な侵略をしても、拍手喝采で支持しなければならない独立国としての無念さ。

この本が書かれた頃には国鉄が分割され、JRが生まれた。今でこそ優秀な経営者のおかげで何とかJR東日本だけは順調にいっているが、分割民営化の際にいかに多くの資産が食い物にされ、国民の税金が浪費されたか。これが今、高速道路をはじめとする法人や公団などの準国営企業によってむさぼり食われている。

そして一向になくならない汚職や談合。徳川幕府には「民はよらしむべし、知らしむるべからざるなり」と、情報の公開や透明性を絶対に拒否する姿勢があったが、これがしっかりと現代にも受け継がれているのである。見事と言うほかない。

そして最後日本人の外交音痴が取り上げられる。これは、イラク戦争の時に見せたフランスやドイツのアメリカに抵抗する態度でもわかるように、ほかの国々は日本とは桁違いに経験と外向的才覚に恵まれている。日本の場合には北朝鮮という、直接拉致問題や核武装の問題が関わっているにもかかわらず、韓国、中国、アメリカより相談の埒外におかれている。

この本が書かれた当時の首相は中曽根だった。今彼の業績を思い出す人はどこにいるだろう。せいぜい憲法改正の話を最初に持ち出したと言うくらいだ。彼も年をとり、形だけ国会議員のいすに座っているだけだが、もしこの活躍できる時期にやるべきことをやっていれば、今の日本もだいぶ違っていたことだろう。いや、歴史には仮定法は禁物だった・・・

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続・まちがい栄養学 * 川島四郎 * 新潮社 2003年7月12日

続・まちがい栄養学昭和47年という大昔に初版が出ているのに、その予告した国民の食生活は、川島先生の言ったとおりの憂慮すべきものとなった。つまり、食生活が豊かになったということは、洋風化への道をたどり、日本人の体質に合わない肉食、脂肪食、へと向かったのだ。

しかも、予想に反し、肉や酪農品が安くなってしまったために(川島先生は経済学者ではないから、これははずれた)ますます日本人は、米を食べなくなり、それと同時に和食志向から離れていった。

全部で44編の食物エッセイになっているが、「生のキュウリに田舎みそ」のように、思いもかけぬ野性的な、しかも飾らない料理を見直す機会にもなる。

中に「人肉」の話もあれば、テレビでの「料理番組」を批判したものもある。「蛋」の漢字が普段使わないものだけに、蛋白質の名称をを「卵白質」に変えるように提唱してもいる。果物を食後ではなく食前に食べてその効果を100%発揮させようという提案もある。

日本の風土が畜産にあわないから、日本での肉の生産はごく限られたものになるが、今のように無批判に肉を輸入できる時代が去ったら、日本でできる産物だけで生きていけるような態勢を今から準備しておくべきだろう。

川島先生は明治生まれであり、その気骨が栄養学者としての隅々にまで出ているようだ。なおこの本は、本編、続編共に、後に出た「食べ物さんありがとう」の底本となった。

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アメリカの夢は終わった * 小原敬士・訳 * 岩波新書 The American Dream is Ended; David W.W.Conde 2003年7月29日

アメリカの夢は終わったふとした偶然で古本屋で見つけたこの本は、実は1960年代当時、原書の出版はなされていなかったそうだ。だが、岩波新書で紹介され、今日我々の目に触れるとき、イラク戦争というこれほど「歴史の平行」が身近に感じられる例はほとんどないだろう。

それほどまでに、50年代から60年代にかけてのアメリカの政治の動きは現在のブッシュ政権と類似点が多いのである。しいて違いがあるとすれば、今日の経済がかなり好調であるということだ(もっともこれもいつ破綻するかわからないが)。

当時の大統領は、ケネディが暗殺され、ジョンソン大統領に受け継がれた頃。対外的にはベトナム戦争の泥沼にいよいよ入っていこうとしていたところだ。

では、当時の政治の原動力になっていたこととは何か。それは「反共」である。ありもしない共産主義の脅威を大々的に騒ぎ立て、これを利用して政府から巨額の防衛予算を勝ち取り、軍需産業を大いにもり立てた。

労働組合はその本来の機能を忘れ、経営者とともに労働者を圧迫する側に回った。そして最大の悪は、「非米活動委員会」に象徴される、「赤狩り」である。

マッカーシー議員の音頭によるこの、中世の魔女狩りに似た恐るべき圧迫が、何千という個人と家庭を破壊した。ワシントンやジェファーソンが心に持っていたと言われるアメリカの「夢」はここに終わりを告げ、以後現在に至るまで、一般の国民は豊かな消費社会の実現にうまくごまかされながら、大企業の利潤第一の社会がアメリカを支配している。

その最大の震源は、危うく大統領候補になりかけたバーリー・ゴールドウォーター議員である。人種差別主義、キリスト教を隠れ蓑にすること、大企業の資金をもとに動くことなど、この国の極左の代表として活躍し、ヒットラーも影が薄くなるとんでもないネオナチであった(もちろんアメリカ人は彼のことをナチとは言わない)。

それにしても、国民にも、大統領にもそのようなバランスの崩れた状態を止めることはできなかった。このあとアメリカは独りでに元に戻ったのではない。ベトナム戦争での屈辱、CIAに代表される他国への露骨な陰謀などが次々とばれて、アメリカの国際的評判が大いに落ちたからである。

アメリカが、民主主義の老舗だとか、もっとひどいのは「自由の国」だとかいう神話は一刻も早くかなぐり捨てて現実を知る必要がある。銃がおおっぴらに持ち歩けるように、アメリカ合衆国は世界でももっとも品位の低い国の一つであり、なおも悪いことに最大の軍事力を持ってしまっている。

70年代から80年代へとこのあとアメリカはベトナム戦争での教訓と、共産国が次々と政変を起こしたために、しばらくおとなしくしていたように見えるが、今度は「自由貿易/グローバリズム」という名の新しい搾取に乗り出し、さらにあの同時テロによって、共産主義に代わる新しい「敵」を見いだした。

この時代にゴールドウォーターとそっくりの人間がこの国の最大権力者になるというのは何かの偶然だろうか。最近の人気映画の名前にあやかって、ブッシュ大統領のことを「ゴールドウォーター・リローディッド Goldwater Reloaded 」と呼びたい。

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国民のための経済原論Ⅰバブル大復活編 * 小室直樹 * 光文社・カッパビジネス 2003年8月3日

国民のための経済原論Ⅰおそらくこんなにわかりやすい経済入門の教科書はないだろう。経済活動の根本から説き起こしてくれる。小室氏の文章は短く、修飾語句が少ないから誰にでも読めるのだ。しかもぜひ知っておきたい漢語が豊富ときている。

まずは国民総生産(GNP)=有効需要は、消費と投資の和によって出来ている話。だから消費と投資を増やせば景気がよくなり、生産活動は盛んになる。さらにストックとフローの違いについて。固定された資産であるストックに対し、給料のように1ヶ月あたり、あるいは1年あたりの収入額のような表し方をフローという。

実はストックとフローの関係は他の分野でもいろいろな応用ができる、非常に便利な概念である。というのもたとえば距離に対する速度というのはある一定時間あたりに進んだ距離を示すものだが、このように「次元」の違う考え方を随時切り替えることの出来る頭が、現実を正確に把握するにはとても必要なのだ。

ところで、景気は、消費が高まる→生産が増す→給料が上がる→消費が高まる、というように「循環」するものだからニワトリが先か卵が先かを論じても無駄であり、これが経済を論じる場合のもっとも難しい点だといえよう。

しかも景気はいったん良くなると、加速度的にどんどん良くなっていく。ところが逆の循環、つまりたとえば消費が下がってしまうと、加速度的にどんどん悪くなっていく。だとすると90年代に始まった日本の不景気は、もう10年を越えても悪い方にばかり向かっていたことになる。

日本の企業の体質もすっかり変わってしまった。戦後間もない頃は作れば儲かるという単純な図式が通用したが、技術力や生産力が上がると、生産コストがどんどん上がってしまい、いわゆる「損益分岐点」がやたら高くなってしまったのだ。

これは何を意味するかと言えば、結構客が入っている店でも十分とはいえず、ほんの少しでも客の入りが悪いとたちまち赤字に転落してしまうということだ。昔なら閑古鳥が鳴いてもよっぽど客の入りが悪くない限り何とかしのいできたが、今では常に自転車操業が求められる、非常に厳しい環境におかれている。

だからどんどん会社がつぶれる。ある程度の倒産は過去の共産国の場合と違って、資本主義が健全に動いていることを示すものだが、これも行き過ぎると実に脆弱な構造となって、「テナント募集」の張り紙がやたら目につく暗い街の風景が出現してしまう。

では政策的にどうすれば景気が回復するのか。小室氏の話を聞いていると、おそらくこれは年老いた日本国では無理なのではないかと思う。たとえばどんどんみんなが消費すれば景気はよくなるのだろうが、公共投資にしても効果が上がらなかったし、消費意欲は沈んだままだ。

銀行をどんどんつぶして不良債権を一刻も早くなくすことが大切なのだろうが、実際には銀行倒産を怖がって殆ど行われることが無く、これが抜本的な改革を不可能にしている。しかも倒産に伴う「痛み」をだれも味わいたくない。

日本の不景気の処方箋はともかく、経済は気象の場合と同じようにあらゆる要素が絡み合っていてとらえどころがない怪物のようだ。しかも企業の体質が依然と異なってしまっているためにまた新しいモデルを考え直さなければならないときが来ているのだ。

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国民のための経済原論Ⅱアメリカ併合論 * 小室直樹 * 光文社・カッパビジネス 2003年8月10日

国民のための経済原論Ⅱ第1巻の国内経済編に続き、第2巻では国際経済について述べる。日本の経済学が世界最低レベルであることを述べたあと、基本的な用語を解説する。貿易収支に対する、貿易外収支、経常収支、経済人の定義、複式簿記の重要性と基本的な記入の仕方について述べる。

そして、サムエルソンの経済学理論をもとに考察を続ける。国際経済の根幹といえば貿易であるが、アメリカが自由貿易やグローバリズムを叫びだしてから世界の人々は貿易によって自分たちの生活が良くなるだろうと思いこんでいる。

さらに、ヘクシャー・オリーン・サムエルソンの定理によって、世界中の物価、時価、給料は最終的には同じ線に落ち着くことになっている。確かにあれほど安かった中国人の給料はどんどん上がり、日本人の給料に近づいている。労賃の安さのうまみが享受できるのは今のうちだ。

ところがどうだろう、自由貿易が伸展しWTOが威張りだしてからというものの、アメリカだけがもうけにもうけ、貧困国はますます貧しくなった。弱小国の産業はつぶされ、従属化し、世界の貧富の格差はかえって大きくなっている。

これもさかのぼればイギリスの理論経済学における、「比較優位」の考え方から発する。小学校の社会科で習ったように、工業製品を作ることのできる国(先進国)と原料を輸出できる国(発展途上国)がおたがいに持てるものを交換すればうまくいく(絶対優位)という素朴な考え方からさらに一歩出て、自由貿易によって、関わる国がみんな恩恵を受けるという考え方である。

19世紀の超大国イギリスがこの理論によって世界中に自由貿易を押しつけた。だが、結果はイギリスだけが儲かり、相手国の大部分はひどい目にあってむしろ経済は衰退させられた。イギリスだけが「売れるもの」をたくさん持っていたからだ。

そして20世紀になって、この自由貿易をイギリスの代わりに世界中に押しつけたのがアメリカである。かつては徹底的な保護貿易によって自国内の産業を育成してきたアメリカが、今度はもっともらしい顔をして自由貿易を押し進めている。自国の利益になるからである。

「比較優位」の考え方は、互いに経済的な実力が接近している場合には成立するが、途上国にように自国内に十分な競争力が発達していない場合には、国内産業が致命的に破壊され、経済的に強力な国に「経済的植民地化」を受ける。

結果はごらんの通り。世界中で貧しい国が、一時的な現金収入の増加に幻惑されて自由貿易に引き込まれ、ひどい目にあっている。アメリカの陰謀は実に首尾よく進んでいるわけだ。

自由貿易が成立する前に、まず世界の各国が「保護貿易」によって、十分な国内産業の育成を計らなければならないのだ。マレーシアのマハティール首相は、このことがよくわかっているようだ。

さて日本だが、高度な技術に基づく国内産業が十分に発達したため、自由貿易がなければ生きていけない。そして自由貿易の恩恵を大部分アメリカに依存している。アメリカに政治的にも経済的に追従しなければならないのはそのためだ。

アメリカを敵に回すのなら、むしろアメリカを経済的に「併合」するくらいでなければならない。ロシアを取り込み、アジアの国々と関税同盟を結び、アメリカに十分対抗できる力を蓄えたあとで、逆にアメリカを経済的に飲み込んでしまうのだ。もっともバブル崩壊後不況に苦しむ日本がいつそれを実行に移せるかわからないが・・・

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