わたしの本箱

コメント集(12)

  1. 前ページ
  2. 般若心経入門
  3. 誰がジョン・レノンを殺したか?
  4. 1号線を北上せよ
  5. ビートルズ
  6. 初めに行動があった
  7. 身体にやさしいインド
  8. 脳が考える脳
  9. ムツゴロウの博物志
  10. 歴史人口学で見た日本
  11. 羊の歌
  12. 翻訳語成立事情
  13. ドリトル先生の郵便局
  14. 続・ムツゴロウの博物志
  15. フランス語事始め
  16. はだか風土記
  17. 次ページ

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ここより2004年

般若心経入門 * 大城立裕(おおしろたつひろ) * カッパブックス・光文社 2004年1月10日

般若心経入門仏教の経典の中で最もよく名前を知られている「般若心経」。この教えについては、さまざまな人々が実に多くの本を書き、自分の考えを述べてきた。だが、その文章が他のどんな経典よりも短く、簡潔に書かれているために、道を求める人々にとってはすぐにピンとくるのだが、そうでなく何でも物事を分析しようという人は、ああでもないこうでもないと思い悩むことになる。

著者の大城氏は、沖縄出身の劇作家。戦後のアメリカによる占領時代から、本土復帰を経て様々な体験をしてきた。その中でのこの般若心経との出会いが、自分の人生の流れと対照させて述べられている。この人の世間に知られている作品と比べれば、この本は目立たないだろうが、しかし重要著作の一つとして記憶されるべきものだろう。

本書の前半は実際の原典を7つの部分に分け、仏陀の生涯や、仏陀を取り巻く人々などを引き合いに出しながら、解説を加えている。これを読み進むうち、「空」、「大乗と小乗」についてある程度の理解を得られるかもしれない。もちろんこれらは仏教の根本にふれるものである。

また、人生の真実についてたとえば、護国寺の山門で運慶が仁王を彫っているとき、単にノミで木を刻んでいるのではなく、「あれは掘り出しているのだ」と感じる人もいることは、大きな示唆を与えてくれる。「百尺竿頭の死漢」の仏教的解釈もこの世の実体にふれることの大切さについて考えさせてくれる。

また、小説という形式にはこの「空」というものがどのようにして表現されているかを紹介している。菊池寛の「藤十郎の恋」「忠直卿行状記」「入れ札」、ベルグソンの「笑」、岡本かの子「愚人とその妻」、チェホフ「三人姉妹」「ワーニャ伯父さん」などはみな作家が業をみて空に達することを目指しているのだとする。

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@誰がジョン・レノンを殺したか? * 島田三蔵訳 * 音楽之友社 * Fenton Bresler; The Murder of John Lennon * 2004年1月21日

誰がジョン・レノンを殺したか?1980年の12月に、ビートルズのメンバーであるジョン・レノンが射殺された事件は、世界中にショックを与えた。これで解散後のビートルズの再結成は不可能になり、彼の音楽的業績も中断されてしまった。

ジョンレノンがチャップマンにニューヨークにあるアパート、ダコタハウスの入り口で殺されたとき、警察は犯人が彼であることは明白であるため、それ以上背後関係についての詳しい捜査は行わなかった。ニューヨークは当時世界でも最も殺人事件の多い都市の一つだった。

裁判は、本人が有罪であることをはっきりと述べたために、長引くことなくほとんど終身刑と言っていいほどの刑期に決まり、今でも刑務所でチャップマンは服役している。このため法律上は、彼本人の犯行であることになっている。徹底的な精神鑑定の結果、彼が狂人でないことになり、自分の行ったことに対して責任が持てるということで、精神病院ではなく刑務所行きとなったのだ。

だが、あまりにスムーズな裁判と判決は、多くのレノン・ファンのみならずおかしいと思う人も多かった。アメリカで過去に起こった暗殺事件のうち、本当に納得のいく原因究明がなされた例はほとんどない。いわゆる「陰謀説」を唱える人が必ず出てきたものだ。

著者のブレスター氏はイギリスの弁護士である。多くの著作や調査を行ってきたが、アメリカの警察や法曹界の習慣がイギリスとまったく違うことにまず驚き、捜査の過程で警察はきちんとポイントをつかんだかに対して多くの疑念を持っている。

ブレスター氏は、この殺人が、ロバート・ケネディを殺した犯人と場合にささやかれているのと同じくマインドコントロールによるのではないかと疑っている。つまりある種の薬剤を飲ませ、本人がまだ若いときから飼い慣らし、一種の催眠術によって、誰かを殺さざるを得ない状態にもっていったのではないかと。

しかもこの事件には、サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」という60年代の若者の心を捕らえた小説が絡んでくる。チャップマンが愛読していたという。彼がこの本の主人公になったつもりなのか、今となってはなにもわからないのだが。

しかし陰謀説を唱える世の多くの人々と違って著者は慎重である。最後までこれは CIA の陰謀だ、と言い切ったりはしない。読者にさまざまな資料や情報について紹介してくれるが、結局判断を下すのは読者に任されているのだ。

ナポレオンも暗殺されたのだという説が絶えない。だが結局のところ世界を動かす力を持っている人はそれを望まない人々によって常に狙われている。レノンの場合には、左翼的政治運動に本格的に飛び込もうとしていた。

彼の持つ音楽的メッセージの力は強大である。当時のレーガン大統領以下の政府や保守派は、自分たちの計画がじゃまされると腹立たしく思っていたことはまちがいがない。

自分たちの収入源である戦争に反対を唱えアメリカ国民がテレビ漬けで、広告によって洗脳され、浪費に駆り立てられている実態を自覚させるような人物が現れるのは国全体の経済の行く末にとって困ったことなのだろう。

もしチャップマンを背後で操った人物(達)が本当にいて、彼らが刑務所に入らずぬくぬくとこの世で暮らしているとすれば、これほど腹立たしいことがあろうか?

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@1号線を北上せよ * 沢木耕太郎 * 講談社 2004年1月28日

1号線を北上せよ深夜特急」以来、久しぶりの旅の本である。しかも前作では若さにまかせたバス旅行の中での自分探しのような魅力を持っていたのに対し、中年になった作者が、(体力が衰えて?)旅をもっと違った角度から見ようとしているのが特徴的である。その点ではずっとふつうの紀行文らしくなった。

いくつかの雑誌に載った文章をまとめてあるが、大きく分けると、ベトナムのホーチミンシティ(旧名;サイゴン)から南のメコン川流域のツアーに参加したこと、さらにバスに乗って国道1号線をハノイまで北上した文が中心である。

ここには林芙美子の「浮雲」のストーリー展開と重ね合わせて旅が進む。その分だけ旅は内省的になり、かつて小説の主人公達がたたずんだであろう場所に自分も立ち、物思いに耽るのだ。

ほかに、ポルトガルの町、サンタクルスでは自分が自伝的な文を書いた「火宅の人」で有名な檀一雄が滞在した場所ということで、彼の行動を思い出しながら旅が進み、もう一つの町、マラガではかつて長旅の最後にたどり着いたこの町で味わった樽に入ったワインを飲ませる酒場を再び訪れる。

残りの作品には、写真家キャバのいたころのパリを忍んだもの、アメリカアトランティックシティーでのヘビー級タイトルマッチ観戦記、そしてオーストリアでのアルペン滑降競技大会の観戦記が加えられている。

それにしても、「深夜特急」となんと違うことであろう。この間に、おそらく100ヶ国ぐらいを訪れた筆者はもはや新しいものに驚くことが少なくなった。確かに若い頃の旅のやり方を続けようとはしているが、途中で見かけた日本人ツアーのはしゃぎぶりをうらやましいとさえ思っている。

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ビートルズ * きたやまおさむ * 講談社現代新書 * 2004年2月22日

ビートルズ作者は、かつてフォークグループに属していた。普通の伝記作者と違い、自らがその音楽にビートルズの影響を直接受けた。そのような視点から書かれたビートルズ論である。

ビートルズは時代の子だった。20世紀60年代から急激に高まった政治、思想、文化、芸術あらゆる面の高まりは、彼らを生み出したのだ。だから彼らと共に成長し、新曲を心待ちにした世代は、最も幸運である。

もちろん現代でもビートルズの曲は好まれているし、その偉大さには異論はないが、それらはスタンダードになってしまい、彼らの才能や気まぐれが生み出した不安定だが新鮮なインパクトは想像するしか手がない。

現代は巨大なディズニーランドと化し、しっかりと管理され出現したばかりのラジオやテレビの持つワクワクさせるような面はすっかり姿を消している。ビートルズの活躍した時代は、素朴な時代だった。ちょうどサンタクロースの実在を信じている子供のようだったのだ。

サンタクロースを信じなくなったとき、ビートルズの解散が重なった。そして商業主義が当たり前になり、コンサートはイベント会社がしっかりと管理し、アマチュアが突如ステージに現れて単純な曲を歌って観客を熱狂させる時代は終わったのである。

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初めに行動があった * アンドレ・モロワ * 大塚幸男・訳 * 岩波新書 * 2004年3月14日

単に哲学者や思想家であるだけではなく、自説を持ち政治の世界に実際に身を投じた人はそう多くない。アンドレ・モロワはその代表である。自らは独創的な理論を構築したわけではないが、フランス哲学や思想の全体の流れをよく整理して、「行動」をテーマにわかりやすい小冊子を作り上げた。

その具体的な内容は第2部の「行動の諸形態」にあらわれている。つまり軍事、政治、経済、芸術、科学のそれぞれの分野における行動の特質を示したものである。普段我々があまり意識せずにいる指導者の特質とか、ある目的をいかに迅速に実行に移すかにについて論じているが、分野の違いを越えて共通の部分があることに気づかされる。

さかのぼって第1部では、行動の性質についてのもっと抽象的な説明が展開される。特に宿命論と決定論の相違についての話が興味深い。西洋文明では宿命論はたいてい避けられているが、この本でも行動によって自分たちの未来を決めるという決定論的立場が強く打ち出されている。

指導的立場にある人が一つの集団を見事に率いる例としてナポレオンが出されている。単に緻密な計画を立てたりするばかりでなく、時には部下の徹底的査察を行って指導者が常に関心を持って行動していることを部下にわからせることが大切である。指導者がぼんやりしていると部下はそれをすぐに見抜き、自分たちの行動もだらけてしまうものなのだ。

中国の科挙の試験についても触れられている。このむずかしい試験に合格するようなひとは確かに机上の知識には長けているかもしれないが、だからといって集団を率いて行動を起こすのにも向いているとはとても言えないからである。

そのほか有用なコメントが至る所にちりばめられている。社会のあらゆる分野でこれから活躍しようという人にとっての、全体像を的確に得るための非常に優れた世界地図だといえよう。

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身体にやさしいインド * 伊藤武 * 講談社 * 2004/04/21

身体にやさしいインドインドの魅力にひかれてインドへ旅立った筆者が、ベナレスの東、ラージギルを中心に、約1年間山岳地帯や南インドを旅した物語である。タイトルにあるように、食物を生の源と考えて、インドでの食文化を中心に見聞した紀行文だ。

生命の科学と言われる書物、「アーユルーヴェーダ」には、数多くの身体によい食物や薬の作り方が書かれている。ヨガの方法も交えて、太古の昔から蓄積された知識の集大成である。それらが実際に作られるさまを各地を旅して見聞して、試食し、また自らも作ってみたのである。

しかも筆者は、絵がうまい。ある街の食堂の壁画を描くように頼まれるくらいだ。この本にも、各地のスケッチが至る所にちりばめられている。また、主要な料理の作り方も挿し絵入りで説明されている。また、インド人の排泄の場所まで観察されて描かれている。

タイの若者がホームシックを起こしたために、彼を連れて魚料理の味わえるアラビア海に面する港町に出かけたり、インド相撲部屋に入門して稽古をつけてもらったり、行者の家に居候して弟子にしてもらったりもしている。山岳地帯の部族の住む村にも出かけて暮らしもした。

しかしなんといっても著者にとって最も大きな利点は、著者がヒンディー語を話せることだろう。英語はもちろん通じるが、サラリーマン以上の人々以外では、やはり地元の人々との交流を考えれば、ヒンディー語が生活の言葉だ。挿し絵のタイトルには、必ずインドの文字(デーブナーグリー文字)が添えられている。しかもサンスクリット語も少し心得があるときている。おかげで下宿屋のおばさんのような人々から僧侶に至るまで話し合うことができた。

世界中の国々を放浪してさまざまな体験を得るのもよいが、どこか一つの外国語をしっかり習得して、その地域に深く接するのも旅の一つの形として大いに実りある結果が期待できそうだ。

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脳が考える脳 * 柳澤桂子 * 講談社ブルーバックス 2004/04/26 

脳が考える脳なぜ人は心にイメージを抱くことができるのか。その謎に迫るためには、現代の知識ではまだまだ足りない。だが、その基礎となる、脳の中の生化学的な研究は急速に進んでいる。

発生から神経が成長してゆくさま、それがネットワークとして脳の内部に張り巡らされる。刺激がシナプスを経て次の神経へと伝達される。脳の構造はといえば、最も原始的な部分に、進化の過程で獲得された部分が覆い被さり、さらにその上にもっと高度な働きをする部分が覆い被さり、人間の場合にはさらに新皮質と呼ばれる部分が一番上側を覆っている。

これらが外界からの刺激を取り入れるだけでなく、それらの保持、つまり記憶の働きも行う。そしてさまざまな情報を取り入れた上で、適切な判断を行う。これは人間に限られたことではなく、アメフラシのような単純な動物でも同様である。

ものを見るにしても、目に入った光刺激が網様体に入り、そこから電気信号として視神経へと伝えられるわけだが、単なるテレビカメラと違って、最後にそれを認識するシステムがある。黄色い花を見て、ただそれが画面に映るのとは訳が違うのである。

これらの出来事を知るのに数多くの動物実験が行われた。画像を眺めたばかりのサルがすぐ殺されその脳を薄くスライスされたこともあった。人間の中には、たとえば物が見えてもそれが何なのか認識できないような病気に悩まされている者もいる。彼らも綿密に調べられた。

このようにしてさまざまな知識が集積されつつあるが、著者が考えているのは、それらが総体となって統合され頭の中にどのようにしてイメージができあがるのかということだ。俳句を聞いてたちどころに目の前にその情景が思い浮かぶのはどうしてなのか。

今研究中の問題に比較して、その究極の謎解きは遙か遠いところにあるが、これがさらに発展して、言語、芸術、宗教というように人間活動のもっと大きな次元に触れる可能性を秘めているのである。

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ムツゴロウの博物志 * 畑正憲 * 文春文庫 2004/04/28 

ムツゴロウの博物志身の回りにいる動物たち、犬、ネコ、ミミズ、をテーマに動物学を学んだ著者が軽妙洒脱な話を展開する。おかげで動物好きになってしまった若い人も多いことだろう。それまで知らなかった動物たちの隠れた世界が新しく紹介されたことでこの本は大ベストセラーになった。

そして大学時代の研究生活にまつわる思い出もまたユニークな人々の登場で一層興味をかき立てる。日本には、歴史、紀行、社会問題の分野でのすぐれたエッセーは数多くあげることができるが、生物関係ではそれまで目立ったものがなかったのだ。

動物好きは、「シートン動物記」を読んでいた。だが、これはすぐれた作品だが、かなりの長さがあって非常にストーリー性が強い。もっとくだけて4,5ページの長さしかなく、そして著者の奇人とも言える行動が前面に出たこの本は電車の中で読むには大変適している。

ところで、これは「博物誌」ではなく、「博物志」である。つまり几帳面に観察記録を書き留めたものではなく、自然界への「こころざし」があふれる本だというわけだ。カエルたちの集団結婚を観察するためにがたがた震えながら池の中に半分漬かって産卵を待つなどという部分はまさにその代表だ。

氏がテレビなどに出なければよかったと思う。その代わり、こんなエッセーをもっとたくさん書いてくれた方が良かった。そんなに遠くない将来、人間とペット以外はみんな滅んでしまった世界では、この本によって生き物のおもしろさが懐かしく思い出されることだろうから。

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歴史人口学で見た日本 * 速水融 * 文春新書200 2004/05/10

歴史人口学で見た日本いったい歴史人口学とは何か。この耳新しい学問について、長年研究に携わってきた著者が自分のヨーロッパ留学から始まっておもしろく解説してくれる。かつて江戸時代には、キリシタンたちを普通の庶民と区別する目的で、「宗門改帳」と呼ばれるものが存在し、仏教の僧侶がこれに記入する役割を負っていた。

自分の寺が管轄する地域でそれぞれの家族がいつ結婚し、何人の子供を産み、何歳まで生きたかを克明に記したものである。日本全国それが行き渡っていたわけではないが、中には何十年も何百年もの長期にわたって記録が残っているところもある。

このような記録は、フランスなどのカトリック教会でも行われていたのだが、日本の記録の方が役に立つ点は住民の移動がていねいに記録されていることである。たとえば都会にいつ出稼ぎに行ったのか、いつ帰ってきたのか、都会で結婚したのかそれとも故郷に戻って結婚したのか、などである。

このような資料を、古文書を読み解きながらデータベースを作るのは並大抵の忍耐力では間に合わない、地味でつらい仕事である。だが、一応それがまとまってみると、そこから普通の「政治」「経済」の歴史からはわからないさまざまな事実が引き出せるのである。

現代は国勢調査というものがあるからすぐにわかることでも、江戸以前の人口移動や構成については、あちこちに埋もれている資料を掘り出さなければならないのである。

たとえば江戸には、伊勢地方のように非常に遠くからやってきて住み着いたものもいた。大阪や京都には広島や岡山からやってくるものが多かった。そのようなこともこれらの記録から知ることができるのである。

当時の人々は何歳ぐらいまで生きたのか。10人の子供を産んだら、40年後には何人が生き残っているのか。そして飢饉や伝染病の影響はその地域にどんな影響を与えたのか、などについても統計的な知識を駆使しながらさまざまな疑問を明らかにすることができたのである。

古文書に隠された数字は、多くのことを語りそれは社会学、宗教学、法律学、経済学いかなる社会科学の部門にとっても貴重な資料を提供してくれるのである。

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羊の歌 * 加藤周一 * 岩波新書 * 2004/05/19

羊の歌68年に出版されて大ベストセラーになった本を今になって読む。サブタイトルにあるように、これまで評論で活躍してきた著者が自分の生い立ちから太平洋戦争終結に至る期間の回想である。

現代に生きる若い人は自分たちとはあまりに違う家庭環境と青春の送り方に、著者を別世界に住む人間のように感じることであろう。タイトル名は自分が穏やかな性格であることと、羊年生まれであることからつけたという。

ヨーロッパ文明に造詣が深くそれを東京でもまさに実践していた祖父を持ち、その息子は渋谷ではやらない開業医をしていた家庭に育った。中産階級の家庭は当時大きな家を構え、病気がちだった著者は本と親しみながら成長する。

戦前に進んだ中学校は、その先の高等学校(今でいう大学の教養課程)への受験予備校に過ぎなかった。成績の良かった著者は無事高校に進むが、そのときになってやっと社会や文学や、いろいろなタイプの人間がいることを知り、次第に自分の進む方向を決めてゆく。

家族については父親と妹については詳しく述べられているが、不思議と母親の話が出てこない。駒場に学んだ著者はそこですぐれた文学の研究者たちと知り合う。また、長野県の追分にあった別荘に夏の間過ごすうち、ここでもさまざまな出会いを体験する。

やがて父親の職にならって自分も医学部での勉強にはいるが、急速に狂信的な雰囲気を高めてゆく日本社会の中で、文学、社会哲学などへの好奇心はやみがたく、フランス文学などの多くの講座も同時に聴講する。

やがて戦争が始まった。一刻も早い戦争の終結を願い、また東京の街がおそらく焼け野原になるであろうことを予想する。仲間や先輩が戦争にとられてある者は帰らぬ人となった。著者の働いていた病院もやがては長野県に疎開することになった。

日本社会の時ならぬ流れに翻弄され、自分たちの生活もめちゃくちゃにされてしまったところで終戦を迎える。東京は予想通り焼け野原だったが、著者にはこれでこれまでの狂った主義が一掃されて新しい時代が始まることに胸を膨らませるのだった。そのときはまだ日本が再び昔の権力者によって牛耳られていくことを知らなかったのだ。

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翻訳語成立事情 * 柳父(やなふ)章 * 岩波新書 2004/05/26

翻訳語成立事情現代のように、何でもかんでも外国から入った新語はカタカナに変えてしまう安易な傾向とは違い、明治初期の日本人は自分たちと異質な西洋の思考を何とか日本語独特の言葉に変えようと必死だった。

誰でも福沢諭吉の名前が思い浮かぶが、彼らの新語創造の苦労は並大抵ではなかっただろう。まず日本語に存在しない概念を作り出すのであるから、従来の考えから切り離して新語造りに取り組まなければならない。しかも日本には抽象概念を作り出すという伝統がなかった。

材料は漢字であった。その豊富な文字の中から、「自由」「社会」「権利」「自然」というような、今ではだれも生粋の日本語だと少しも疑わない単語ができあがっていったのだ。だが、たとえば「自然」に関しては、従来の「じねん」という言葉とは決別しなければならなかったし、「権利」では「権」という言葉が本来パワーを意味していただけに、権力に反抗する人々の心意気を伝えるのには無理があった。

だが不思議なことに、先覚者が作った言葉もいったん社会に出ると一人歩きするのだ。そして外国から来た目新しい言葉、何か魅力があって立派な意味が含まれているのではないかと期待する、いわゆる「カセット効果」を発揮して次第に人々の生活の中に浸透していったのであった。今これらの言葉はすっかり根付いている。だがこれで言葉の進化が終わったわけではない。人々が使い続ける限り、その意味と用いられる状況はこれからも無限に変化していく。

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Doctor Dolittle's Post Office ドリトル先生の郵便局 * Hugh Lofting * Pelican Books * 2004/06/9

ドリトル先生の郵便局この物語は順番からいくと、「サーカス」「キャラバン」の後にくることになっている。家族のみんながイギリス国内の巡業に疲れて、気分転換にアフリカに出かけた帰り道に起こったのである。ところが「サーカス」「キャラバン」の物語の中に、この郵便局での想い出が語られる部分があるのだ。これはドリトル・ファンにとっては気になるところである。作者が思い違いをしたのであろうか。

ドリトル先生がアフリカ旅行の帰り、西海岸を航行していると、黒人女が海の真ん中で悲嘆にくれて陸に戻ろうとしない。これを発見した先生は、彼女の夫が奴隷商人にさらわれ、その身代金の支払いも郵便制度がきちんと機能していないために届けられなかったいきさつを知る。

ちょうどこの近辺で奴隷商人の取り締まりにあたっていたイギリスの軍艦に乗り込み、ドリトル先生はツバメのリーダー、スピーディの助けを借りて見事に賊を取り押さえる。そして何事にも徹底しなければ気がおさまらない先生は、郵便制度の完備していない黒人の国、ファンティッポに上陸し、ココ国王の頼みでこの国の郵便事業を改革ことにする。

だが、ちょっと立ち寄るつもりでいたのが、次々とアイディアが浮かんで結局1年あまりもこの国に滞在することになってしまった。先生の郵便制度の根幹は鳥たちである。名もない小国であるファンティッポには外国の商船が立ち寄ることはまれだ。そこで渡り鳥を使った郵便を始めることにした。人間のみならず動物たちも郵便を利用できることを目指したのである。

ドリトル先生の郵便局世界中の渡り鳥たちをファンティポに集め、動物文字を制定した。また人間のだす手紙のうち海外向けを鳥たちが運ぶというシステムを作り上げたのだ。かつては火を吐く怪獣が住むと地元の人に恐れられていた、首都の沖合に浮かぶ無人島を基地に、そして国王から作ってもらった屋形船を本局と定めて先生の郵便事業がいよいよ本格的に始動した。このためツバメたちはその夏、ヨーロッパに行かずアフリカに滞在することにした。

町の中での人間向けの郵便配達については、ロンドンからスズメのチープサイドを呼んで、担当してもらい都会暮らしに慣れた鳥たちによる円滑な配達が始まった。また、世界中からさまざまな種類の渡り鳥が飛来するようになったため、天気の予測が重要となりここから新たに動物たちによる気象通報の事業も始まった。

ブタのガブガブがイギリスの野菜を懐かしがったことから、小包便も開始された。先生には世界中の動物たちからありとあらゆる問題に関して質問が殺到したため、動物向けの雑誌が刊行されることになった。これは動物文字の普及とともに動物たちの教育に大きな貢献をしたのである。

雑誌の刊行と同時に、そこに載せる物語が先生の家族によって順番に語られた。先生は、自分の若い頃に友人と共同経営したサナトリウムの患者たちのストライキの話、犬のジップは、絵の下手な大道画家のために有名な画家に絵を描かせた話、ブタのガブガブは森の中で妖精たちに出会い、魔法のキュウリをもらって敵に攻められた自分の国を救った話、白ネズミは白い毛を持って生まれたために天敵から狙われたつらい青春時代の話、アヒルのダブダブは人間語を理解できたおかげで親友のネコの子供たちを救った話、フクロウのトートーは森の中で迷っていた幼い人間の兄妹を家まで導いた話を披露した。

ドリトル先生の郵便局また、仕事の間にさまざまな事件も起きた。岬に住む灯台守が、階段から足を踏み外しその晩のランプがつかなかったことが海鳥によって通報され、大急ぎで駆けつけた先生が危うく海岸に激突しそうになった船を救ったこともあった。

ある日送られてきた小包には本物の真珠が入っており、これは正直な酋長の治める貧しい小さな国に領地である小さな岩場にいる鳥たちが食べている牡蠣の中に入っていたものだった。さっそく先生が現場に行ってみると、この海底には大変な財産になる真珠がいっぱいあることがわかった。強欲な隣国が攻めてきたが先生は白ネズミの食料供給のおかげで敵の兵糧責めにうち勝ち、酋長に本来の財産を取り戻してやる。

最大の事件は、ジャングルの奥地にあるジャンガニーカ湖に住む亀、ドロンコからの手紙だった。彼は大変な年寄りでのあのノアの大洪水と当時存在した王国に暮らしていたのだという。博物学者である先生は、直ちに湖に向かう。そこは蛇が道案内をしてくれたとはいえ、難行苦行であった。

ドロンコの語る話は1日に及んだ。(その子細は「秘密の湖」に記載されている)先生は湿っぽい湖に暮らしているドロンコのリューマチがこれ以上悪化しないように、大変な計画を実行した。無数の鳥たちを呼び集め、鳥の大きさに応じて石、小石、砂利、砂を湖の真ん中に順番に落とさせたのだ。

おかげで乾燥した地面を持つ島が湖の真ん中に出現し、ドロンコはこれからの余生をリューマチに煩わされずに過ごせることになった。そして先生もこれを郵便事業を締めくくるよい潮時と考え、円滑に動くようになったファンティッポの郵便局を地元の人間たちに引き継いでもらって、やっと懐かしのパドルビーに戻ることができたのだった。

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続・ムツゴロウの博物志 * 畑正憲 * 文春文庫 *2004/07/03

続・ムツゴロウの博物志続編は海に関する話が多い。学生時代の頃、海に棲む動物の卵からの発生を観察するのに何回も徹夜をした話が含まれている。海底温泉や、ウミヘビ、東京湾、目玉の旅行(カレイ)、ムラサキガイなどの話題が盛られている。

それにしてもこの本が書かれた70年代においてもすでにまわりにいる生物の数が減りつつあり、ムツゴロウも採集に苦労している。高度成長前であればとりきれないほどいたものが、いまでは秘密の場所に行かなければ見つからない事態になっている。

博物誌は楽しいが、ここに述べられている動物たちが早晩この地球から姿を消すことになるとすれば、かつてはこんな珍しい生き物がいましたよと言う昔物語、いや伝説になってしまうのだろうか。

それにしても、どこの家庭でも野良猫を飼うか買わないかでもめることは一度ならずあることだろう。ムツゴロウ家でもやはり子猫が迷い込んできた。瀕死の猫のうち、手の施しようもないものは死に、一匹だけ生き残った。それだけにひとしおその猫に愛情が移る。

猫でも人間でも小さい頃はかわいい。目が大きく見え、体の中で手足が小さく見えるなどのアンバランスが、「かわいい」という気持ちを引き起こさせるのだ。「かわいい」という気持ちが正常に親に感じ取られれば、もちろん虐待のような陰惨なことが起こることはない。どこが狂ってしまうのだろうか。

ムツゴロウの新理論。男性の女性化の原因は風通しの悪ブリーフ型のパンツにあった。これによって本来低温を好む制止の生産が妨げられ、男性的な性質の発現が押さえられるということ。風通しのよい、隙間の多いパンツをはくことが大切だそうだ。。

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フランス語事始め * 富田仁 * NHKブックス * 2004/07/09

フランス語事始め「蘭学事始め」といえば、すぐに杉田玄白を思いだしてしまうが、幕末から明治にかけての人々は、今日我々が享受している西洋的なほとんどすべてのものに「事始め」があったという、きわめて幸せな時代だったのだ。

フランス語に関しては、1811年だから明治維新の57年も前に群馬県に生まれた村上英俊という人が名実ともにフランス語を実質的に日本に紹介したのである。それまではオランダ語通訳を通じてしか入ってこなかったヨーロッパ国内のほかの国の事情がそれぞれの言語を通じてどん欲に求められていた時代だった。

もちろん村上氏自身がフランスへ留学できたわけではない。だから終生その発音には誤りが多くフランス人には通じないと言われていた。しかし「蘭仏辞書」を使いながら化学の教科書を翻訳してからは、教育者として日本人のフランス語普及に大きな貢献をしたのである。

それはまず、英語、オランダ語、フランス語の語彙を集めた単語帳のようなものを作ったことから始まる。それには多くの誤りや思い違いはあったにせよ、これからこの言語を始めようとする人々にとっては画期的なものだった。

この後彼は達理堂という私塾を始める。入門者は隆盛を極め、村上氏自身が老齢で塾を閉鎖するまで幾多の外交官、法律家、画商など、フランス文化の輸入をするのに大きな役割を果たした。この塾を出た者はその後現在の外国語大学や東大の前進になった学校に通いそれぞれの専門分野に進んだ。

日本の教育は官学が中心になって進められたと言われているが、江戸時代以来の私塾の支えがなかったらこのような民間教育のレベルの高さを保つことはできなかったであろう。

晩年は時代の流れに取り残され、忘れられて貧困をかこったが、昔の門下生はその恩を忘れず彼は学士会会員になり、フランスからはレジオン・ド・ヌール勲章までもらった。

今では正確な参考書、文法書、発音の手引きと教材が何でもそろっている時代だ。最初の暗号解読のような言語分析に挑んだ人々は英語であれ、ヒンディー語であれ、ビルマ語であれ、大変な苦労があったであろう。

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はだか風土記 * 池田弥三郎 * ミリオン・ブックス 2004/07/25

はだか風土記小野小町は大変な美人だったということが知られている。だが、幾多の男たちが言い寄ったにもかかわらずその恋はどれも成就しなかった。ところで裁縫に使うまち針は、この「小町」から来たのだという。つまり糸を通す穴がない針ののことだ。

このように、民間では人々があることないこと、想像力の広がるままにさまざまな話を作ってきた。その卑猥ともいえる会話を忠実に記録してくださった方もいる。おかげで現代の我々は当時、「この部分」をなんと呼んでいたかを知ることさえできる。

研究者の「リーダース英和辞典」は、実に24万語もの語彙を収録している。もちろんふつうの辞書にないあらゆる分野の専門語を載せているからであるが、それ以外に性器や性交のの名前を実に忠実に記録しているのだ。アメリカ、イギリス、オーストラリア、とこれでもかこれでもかとさまざまな語彙が飛び出す。もしこの類の語を載せなかったらリーダースはずっと薄い本になっていたことだろう。

「はだか風土記」は昭和32年が第1刷の発行となっている。この本も現代では中古店以外では存在しないだろう。(ミリオンブックスは講談社が吸収したらしい)この本は、図書館の「リサイクル図書」として手に入ったものだ。おそらくこの本の持ち主が亡くなったかして遺族が持ち込んだものだと思える。こういうときに「掘り出し物」を探すのは楽しい。

著者は民俗学者として、柳田国男先生のほかに、折口信夫(おりくちしのぶ)先生の名をしょっちゅう引き合いに出す。この二人の先駆者たちは、日本の民俗を幅広く調査しその後のこの分野の発展の礎を築いたが、性に関する限り文献はともかく直接人々に聞き出そうとしても非常に困難なところから、ほかになかなかこの問題に手を着けることがなかった。

著者の池田氏は、その困難を乗り越え実にまめに日本国中から様々な言葉や風習を集めている。今ではすっかり有名になった「夜這い」にしても、地域によって実に変わった習慣が存在し、女の夜這いもある。男性諸君の中には若い頃地方を旅し、名家の親父に招待され、その屋敷に住む女性とその夜を楽しく過ごした経験をお持ちの方もあろう。

現代のように一見性の自由化がされているように見えるが実は単に無秩序なだけで、むしろ個人に対する種々さまざまなストレスがかかる時代と比べると、かつては、それもほんの戦前までは各地で人々がいろいろと工夫して性の秩序を作り上げていたのである。

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