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2005年つづき 触ることから始めよう * 佐藤忠良 * 講談社 2005/04/16 著者は1912年生まれの彫刻家である。幼い頃に父を亡くし、母の手一つで自分と弟は育てられてきた。しかも少年期にキリスト教を信じる青年と知り合い、彼を父親代わりに多感な時期を過ごしたという。 彫刻家は、実は「彫る」のではなく、粘土を持って「こねる」のである。したがって指先の感覚がいちばんものをいう。大量生産の時代、人々は触るというような「原初的」なことを次第にしなくなってしまった。手先を使う労働はもちろんのこと、ドロンコをいじったりする体験すら子供たちは奪われてしまっている。 著者はそのような傾向を嘆き、まずは指先を使った感覚をとぎすますことを提唱する。彫刻家にもいろいろいるが、佐藤氏の場合には抽象ではなく具象的な作品を目指す。だからまずは粘土での原形と汗まみれで格闘するのだ。この本の主張もすべてこの体験から生まれているといってよい。 考えてみれば現代社会は、ますます人間を自己家畜化し、便利で快適な生活を目指すあまり自ら持っている鋭い感性や生命力を代償に失ってしまった。著者の主張はある人から見ると原始的で古くさいのかもしれないが、現代文明の衰退を目の前にすればこの警鐘にも十分耳を傾ける価値がある。 著者の作品はロダンなどに影響を受けているという。生まれ故郷である宮城県には宮城県美術館がありそこに「佐藤忠良記念館」が設置されている。作品の多くは人間の顔であり、そこにはその人間が生きてきた年輪が深く刻み込まれているという。彫刻家の仕事はそれをブロンズに残すことだ。 逆(さかさ)・日本史 * 樋口清之 * 祥伝社 * 2005/04/21 「梅干しと日本刀」で一躍有名になった樋口先生の新しい試み。すなわち歴史を現代から逆にさかのぼる方式(倒叙法)でその流れを論じようというのである。この野心的な試みは4巻の書物となった。この本はそのうちの「昭和→大正→明治」を扱った部分である。 やじるしの方向でわかるとおり、まさに現代の状態がどうしてそうなったのか、昔はどうだったのかということを追求している。そうなるとテーマはかなり断片的にならざるを得ないが、これまでに気づかなかったユニークな視点と原因が見えてくる。 例えば太平洋戦争の敗北をさかのぼると、日露戦争に勝利したときの「慢心」と「軍隊の保守化」が指摘できる。さらにさかのぼると、八甲田山の雪中行軍による大量遭難にぶつかり、「無計画性」「甘い判断」のもとにであう。 逆にさかのぼることによってどうしてこういうことになったかという原因究明に目がいく。それは大昔から存在していたのであって、それが現在でも息づいているという場合が非常に多い。例えば政治的な変革は誰でも教科書で習い、まるで大きな変動が社会に起きたように思うが、庶民の生活などは江戸時代も現代も大して変わっているわけでなく、政治中心的な視点は人々に思い違いを起こしやすい。 だから日本庶民に特有な傾向、例えば教育熱心、たいていが読み書きができる、学校でのいじめ、農民にとって土地がいかに大切か、大金持ちや成金を嫌う風潮などを考えると昔とほとんど変わっていないのだということがわかる。「忠臣蔵」も現代の熾烈なビジネス社会の前触れだというわけだ。 @ル・コルビュジェエ Le Corbusier の勇気ある住宅 * 安藤忠雄 * 新潮社とんぼの本 * 2005/04/27 建築とは、普通の絵画や彫刻と違って「実用」の匂いがぷんぷんする。たしかに機能性一点張りの建物も数多くあるけれども、おかげで人間が暮らしにくい環境も生まれてしまったのも事実だ。プラスやはり「芸術性」も欲しい。そこでユニークな絵画的才能を建築に生かした人間の作品を見てみることにした。 スイス生まれのフランスの建築家、ル・コルビュジェエの伝記と共に、彼の残したユニークな住宅の写真集。同じく建築家で、大阪を忠信に活躍する安藤忠雄氏が、ヨーロッパに行って彼の残した数多くの住宅を子細に観察している。 1887年生まれだからその活躍の場は、第1次、2次大戦から現代に渡っている。1965年に海岸で溺死するまでの77年間を住宅の設計、そして都市計画に捧げた。何しろ最初の作品はわずか17歳の時だ。しかも正式な建築の教育を受けているわけでない。それまでは彫金の勉強をしており、あとは各地の建築設計事務所での実習によって自らの感性を成長させたのである。 この同時代における画家は、キュビズムなどをはじめとして抽象画を様々な方向に押し進めた。当然建築の世界にもその動きがあってもいいはずだ。ル・コルビュジェエはその代表者だといえる。だが一つだけ問題があった。ヨーロッパはすでに古典的な建物で埋め尽くされている。例えばパリやベネチアだが、そこにとびきりモダンな建物が入り込むことはその地域の反発も激しかった。 おかげできわめて独創的な建物を設計したにもかかわらず、又都市計画に多く参画したにもかかわらず、それらが採用されることは少なかった。ニューヨークの国連本部の設計にもあと一息だったのだが。それでも田園地帯や海浜に白い壁や横に長い窓が特徴的な建物が数多く造られたのである。 それでも「ドミノ・システム Domino System 」については構成に記憶されるべき貢献であろう。壁がなくとも家はできる!コンクリートを主体とする建物で、床と柱をまず作り、壁や窓は強度のことを考えずに自由に構成することができるアイディアである。おかげでデザインの自由度が多いに増した。 又、独特の人間の影絵(腕が太く股も太い身長180数センチ)による、人体の大きさの9建築の中におけるめやすとしてのモデュロール Modulor は、建築に関心のない人でもどこかで見た覚えがあるだろう。 彼はいわゆるピロティ pilotis を世界に広めた。今マンションなどでは一階が柱だけで人々が自由に通行できる構造のものがある。すでに日本ではいわゆる「縁の下」でもわかるように、高温多湿な気候のため高床式の住宅形式があったためかこのタイプが好まれるのかもしれない。 今見てもその外観や内部構造はモダンすぎて、抵抗を覚えるひとも少なくない。しかも都市での建築はまわりとの調和も大切だ。(日本のようにごちゃ混ぜのところならかえってよかったかもしれない。)たしかにル・コルビュジェ以降の現代建築には装飾がなさ過ぎるが。 彼の建築が「実現」した作品は今でも世界かうちに数多く残っている。日本では上野公園にある、国立西洋美術館の建物である。しかし一方では自分の休息用や、両親の隠遁用として造った山小屋や別荘風の建物にも実に魅力があふれているのである。 アダムとイブの日記 Extracts from Adam's Diary / Eve's Diary * Mark Train * 大久保博・訳 * 旺文社文庫 * 2005/04/30 「トム・ソーヤーの冒険」や「ハックルベリー・フィンの冒険」で知られるマーク・トウェインは、こんな作品も残していた。聖書の「創世記」の最も最初の部分勝つ最も有名な部分をアダムとイブの日記風に書いたものた。版画風の挿し絵がついている。 神に創造されたアダムl(アダムの日記には神という言葉はどこにも出てこないが)と、アダムの肋骨を一本とって作られた女のイブがエデンの楽園に暮らし、禁じられたリンゴのみを食べたために外の世界に追い出され、カインやアベルのような息子たちを生んで育てるまでの日記が書かれている。 アダムから見ると、イブという新しい女は日がなおしゃべりを続け、見るもの聞くものに片っ端から名前をつけ、それまでのんびりと優雅な一人暮らしをしていたときと比べると、彼女の存在は迷惑きわまりない。 だが、少しずつなじんでゆくにつれ、イブに親近感を持ち始める。特に蛇にかどわかされて禁断のリンゴを食べ、死と暴力の世界が始まったとき、アダムにとってイブはどうしても必要な伴侶となった。 イブは子供たちを産み始める。アダムははじめのうちそれらがイブから生まれたことに気づかず、新種の動物ではないかと思っていた。しかし実は人間の子であることを知り育てることになる。その後は二人静かに余生を送る。イブが先に死に、アダムは孤独のうちに女の大切さをかみしめるのだった。 イブの日記は、アダムの存在に気づき始めることから始まる。自分のおしゃべりやものに名前をつけることがアダムに迷惑がられているにもかかわらず、またアダムがそれほど聡明でもなく、自分とはまったく違った感性の生き物だと気づいても不思議にアダムに惹かれてゆく。 やがて自分がどうしてもアダムなしには生きていけないことに気づく。もっとも自分が蛇に騙されて禁断のリンゴを食べてしまった経緯については一切説明がない。聖書ではアダムはリンゴを食べたことをイブのせいにし、イブは蛇のせいにしているが。 天平の甍 * 井上靖 * 新潮文庫 * 2005/05/12 第9次遣唐使の一行が出発した。4艘の船に、数百人の人々が乗り込み、九州の港から出発した。船には普照をはじめとして4人の若い僧侶が乗り込んでいた。当時の玄宗皇帝は、長安からに移っていたため、この4人も・・・でそれぞれの寺に送られて研鑽を積むことになった。 そのうちの一人は中国全土を行脚して歩くという。また入れ替わりにこれから日本に帰国する留学生たちもいた。なかには20年近くも中国に住みたくさんの知識を身につけたものもいれば、何もこれといった業績を上げず身一つで故国の地を踏むつもりの者もいた。又ひたすらお経を写すことに専念した者もおり、膨大な写本を作り上げていた。 4隻の船は再び日本に向けて出港したが、嵐で行方不明になったり、乗組員の大部分が原住民に殺されるという運命をたどったものもあった。普照は仲間と共に、鑑真を日本に招待する運動を起こし、本人は行く気になってくれた。このために出獄を役人の目から逃れるための方策に走ったり、資金を集めたり積み荷の手配などに普照たちは多くの時間とエネルギーをさいた。 だが渡航は五回も失敗し、鑑真は失明することになった。だが、それにもめげず高齢にも関わらず、いつの日か日本に渡る決心でいたのだ。第9次から20年もたって第10次の遣唐使が到着した。鑑真はこれに便乗していくことになった。一緒に協力しあった仲間が目的を果たす前に死に、唐人の妻子を持つ仲間は大陸にとどまり、普照だけがただ一人第9次の留学生として日本に帰り着いた。 普照は鑑真に協力して通訳を務めたり、日本における新たな仏教の布教に大いに力があった。当時の遣唐使に乗り込んだ数多くの留学生、政治家、船員などが運命にもてあそばれ、さまざまな人生を辿ったのだ。 @なぜその子供は腕のない絵を描いたのか * 藤原智美 * 祥伝社 * 2005/05/30 恐怖に背筋が凍るような話である。21世紀になってもまもないこの時代に、日本の幼児に異変が起きているのだ。少子化よりもっと深刻なことが。それは幼児教育の関係者が気づいた。腕のない絵、数を数えられない子供、言葉が出てこない・・・。だがまだこれは表立ってきていない。 たしかに終戦後、日本人の生活が裕福になるにつれ、これまでとは違ったタイプの子供たちが生まれて世間の人々はいぶかった。また学校では学力低下のことが盛んに議論されている。だが今回はさらに深刻な事態である。つまり幼児の精神に取り返しのつかない異常というか、変化が生まれ、それが彼らが大人になる時代にかけて社会が混乱を引き起こすようなことになるとまで警告している。 心配な事件は、その調査や解明にひとりのノンフィクション・ライターの手に余るかもしれない。だからこの本はまだ調査が始まったばかりであることを示している。しかも専門的な研究もまだないのだ。手探りの状態で筆者は各地の幼稚園や保育園、幼児教育の塾を巡って実態を調べ、関係者の意見を聞いた。 さらに30年前の(のどかな)時代の子供たちの描いた絵と現代の子供達との絵を比較もしてみた。そこに浮き上がってきたのは、母子のいきすぎたスキンシップから生まれた「圧迫」育児、つまり始終一緒にいて、母親がストレスになってしまうほどの密着状態だ。 そして遊び仲間の消滅。これにより子供たちは人間関係も、野原での様々な経験をすることもなく、小学校に入学してくる。そのくせ母親たちは字が読めることや計算ができることだけを心配し、子供の自然な発育過程を無視して学習プログラムを押しつけるものだから、逆らえない子供たちは深刻な葛藤に陥り、それを解決することができないままある日爆発したり、引きこもって出てこなくなってしまうということだ。 日本特有の子供に甘い風土に加えて、最近の異常なほどの「早期教育」はこのように子供の健やかな成長を阻害し、一生取り戻すことができないような損傷をその子供に与えてしまうのだという。著者のこの考えはまだ仮説に過ぎないし、それが実証されるためには多くの人々の協力が必要だが、この不気味な現象をわれわれも見て見ぬ振りをし続けることはできないようだ。 狐狸庵 vs マンボウ 2005/06/01 今は亡き(~平成8年)遠藤周作と北杜夫との対談を記録した本である。二人の共通点は、一方で純文学に属すると言えるまじめな作品を多数出しながらも、一方では軽い肩の凝らない読み物も数多く出しているという点であろう。 その点もあって二人は親しい間柄となり、ふだんの生活での行き来はもちろん、このようにユニークな対談集までできてしまった。北杜夫は斉藤茂吉という大歌人の父親がおり、その重荷が大変であろうと思われながら育った。マンボウシリーズは、大評判となった。そして中年以降はひどい躁鬱病の症状に苦しんでいる。 一方遠藤周作は、ぐうたらシリーズで名をあげたが、「沈黙」や「海と毒薬」「深い河」のような深く社会の側面を切り込んだ作品を出しており、その使い分けが見事である。対談の流れは、特別企画したわけでもないから、かなり陳腐な内容も含まれているが、時々お互いのうち明け話も混じっていて興味深い。また、人前に出版する文章については細心の注意を払うのが作家であるが、いざおしゃべりとなると普通の人と何ら変わらないことがわかる(当然だろう)。 対談の中で、マンボウは、鬱病のせいでこんな不安定が生活を送っているからたぶん早死にするだろうから、狐狸庵先生に葬儀委員長を頼もうと言っているくだりがあったが、残念ながら、マンボウの方が長生きすることになってしまった。 @アメリカ依存経済からの脱却 * 相沢幸悦 * NHKbooks 日本放送出版協会 * 2005/06/07 戦後60年。この間に戦われた詰め将棋は、完全にアメリカ側の思いのままとなり、日本は自分でも訳のわからないまま、詰まれることになった。愚かな政府の担当したあわれな国家の末路である。 最初は米ソの冷戦体制に組み込まれ、朝鮮戦争やベトナム戦争は、その流された血に比例して、巨万の富と高度成長を日本にもたらした。おかげで自民党政府は国民の信頼を得て、長期単独政権の位置についた。だがアメリカの意図は別にあったのだ。軍需産業や先端技術は自分たちがコントロールしながら、消費財の生産を日本に分業させる意図だった。 やがて日本のこの分野における工業生産力はほぼ世界一となったが、それはすべてアメリカ経済にリンクして初めて維持されている。アメリカ国内の過剰な、地球を破壊するほどの消費は、日本の高度な技術による生産によって維持されている。 アメリカがドルを世界の基幹紙幣としているために、彼らの貿易赤字は無限に膨張し、際限ない輸入を可能としている。日本はアメリカに輸出することによって膨大な黒字を計上しているが、ある限度を超えると、とたんに円高になる。また少しでも輸入させるため日本の農業をつぶした。 かくしてそれまでの日本の血のにじむような合理化や効率化は、数円の円高によってすべて水の泡となり、ジシフォスの神話のごとく、またはじめからやり直しの企業努力を続けるのである。 これ以上の為替差損をふせぐため、日本政府は愚かにも天文学的数字のアメリカ国債を買い込むという結果を伴って円高を止めている。日本は過労死やサービス残業の犠牲を払って一生懸命働き、その富の大部分は円高によってアメリカによってさらわれてしまう。 これまで買い込んだアメリカ国債を一気に日本政府が売り出せば、一夜のうちにアメリカの経済は崩壊する。これを防止するために、アメリカは日本に何十発の原爆を投下する事すらいとわないだろう。 アメリカの市場至上主義はEUのように防壁を築いて守っているところを除き世界を席巻した。日本は自国の事情のことなどあまり考えもせずにアメリカの「規制緩和」を取り入れたものだからあらゆる点で問題が噴出している。 例えば会社乗っ取り。アメリカの金融業界は最新の理論と経験でとぎすまされ、彼らの行くところ世界中から富を吸血鬼のように吸い尽くして行く。彼らにとっては雇用や環境問題は全く眼中にない。目的はただ一つ、利益を上げることだけだ。民営化される郵便局もいずれは外資の餌食となる。 この本は現在の日米の経済関係について実に明快に解説を行っている。同時にこのがんじがらめの状態はアメリカの経済崩壊が起こらない限り(例えばドルの暴落)おそらくいつまでも続くであろう。 筆者はEUの例に倣い、地域内での経済共同体の可能性を探る。つまりアジアでの単一通貨体制の確立と、地球規模での多極体制を目指す。だが一国主義のうまみを知った合衆国がそれを許すか?それともいずれはドルの暴落は起こるのか? @まったくアメリカってお国は・・・ 自由の国の、不自由な暮らし日記 * 福山喜久美 * 河出書房新社 * 2005/06/11 アメリカ合衆国に滞在し長年暮らしている人から見たアメリカの生活の側面は、新聞やテレビの報道とは違った部分を見せてくれる。例えば経済欄で、「消費が盛ん」と書いてあっても実際にそれを想像することは難しいが、毎日現地で暮らしている人から見れば、モールでの冷房の冷やしすぎ、途方もない量の使い捨てのゴミ、それまで人のいなかった原野に広がる宅地、そしてゆっさゆっさとあるく超肥満体の人たちなどに現れているのだ。 品物が故障したときの面倒見の悪さ、値段の高さ、美容院でのサービスの悪さ、いざ救急病院に行ったときにも痛感される金儲け主義、など決して世界中に広まらないで欲しい習慣が次々と紹介される。 そして宣伝や洗脳に踊らされる人々。民主主義の国といいながら、小さい頃からディベートの技術に長けているといわれながら、自らの消費生活管理もろくにできないいかにも「民度」の低い人々の集まり。これがアメリカ合衆国だ。 そのくせ、訴訟については徹底的にあらそう。テレビゲームのしすぎで足がしびれ、その結果足を捻挫したことさえも訴訟の材料となる国。そしてそのような訴訟に備えて「有能」名弁護士が山のようにそろっている国。 そして同時に世界最強の軍事力を持っているから始末が悪い。だが同時テロ後は、異常にびくついた生活を送っており、空港での身体検査は厳重をきわめる。自分たちではろくな生活消費財が作れないので、その点は日本やドイツなどに依存して、そして価格の安いものに関しては中国に依存して自分たちの生活を成り立たせている。 さらに始末に悪いことには、世界中の「投資」という名の借金を背負い込んで、浪費に浪費を重ねているのだ。その浪費はアメリカ経済が破綻するまでとどまることを知らない。あるいは世界中の資源が枯渇するか、二酸化炭素の労が限度を超えるときまで続く。 これでは人類の未来は真っ暗だ。この本の著者は脳天気で合衆国の将来に楽観的な見方をしているようだが、困ったものだ。星条旗よ、永遠に半旗であれ! 腹鼓記 * 井上ひさし * 新潮文庫 * 2005/06/23 腹鼓記は、人間の「古事記」にあたる。江戸時代、四国の吉野川流域の阿波の国は狸が多い。地元特産の藍染め屋、大和屋右衛門は、道すがら狸にバカされるが、地元の百姓の捕まえた豆狸を逃がしてやったために、その兄弟から恩返しを受けることになった。 それというのも娘の美代が、地元の悪役人、浜島に気に入られて妾にならぬかと言ってきたからだ。大切な娘を取られまいと悩むが、狸が彼女の中に入って浜島の家で大暴れ、めでたく美代は無事帰宅できた。 だが復讐をたくらむ浜島が、無理難題を引っかけてくる。今度はくめども尽きない茶釜を庭から掘り出した大和屋は新しく経理担当として就職してきた長助の助けを借りて無事これも撃退する。浜島はこれにてお上の怒りを買い、仕事をクビになって京都に浪人となって流れてゆく。 仕事は見事にこなすし、店の経営を任せてもいいほどの力量を持った長助に大和屋はすっかり惚れ込みぜひ自分の娘と一緒にさせたいと願う。若い二人も相思相愛の中になったのだが、実は長助は犬神中将狸であったのだ。狸が人間と交わると、人間はまもなく命を失うという。 そこで犬神中将は人間に転換するべく、屋島にある狸大学法学部に入学してその資格を得ようとする。学業はすすみ、京都伏見の狐軍と球技大会で投手を務めた長助は見事勝利する。ところが狐側の投手は何と人間から狐に化けていた浜島だったのだ。 浜島の計略と、加賀の国に住む狐たちが薬の原料にと肝を取るために多数殺されるために故郷を捨てて四国に定住をしようとしたところから、狐軍との戦いが行われる。犬上中将は今度もめざましい働きをしてついに狐たちを撃退して、人間になる資格を得て、しかも狸大学の学長の地位を提示されいちばんの美人まで嫁にと言われる。 だが、その時浜島は狸に化けて大学理事長と共に美代のもとに向かっていた。長助に化けて美代と枕を交わして彼女を殺してしまおうという算段なのだ。そこへ、さらに二人の長助が現れた。いったいどこの誰が本物なのか??? おんりい・いえすたでい60s * 山崎正和 * 文春文庫 * 2005/06/29 哲学者の目から見た1960年代の世相。20世紀の半ばの時期は世界的に見ても第2のルネサンスと言ってもいいほど、文化のさまざまな分野での想像活動が活発に行われた。 一つには第2次世界大戦というとてつもない破壊の跡の再興という動きにのったものであろうが、日本もその例外ではなかった。しかも朝鮮戦争とベトナム戦争が、経済的に復興を加速させる働きをしたために、いつの間にか世界の経済大国への道を進むことになってしまった。 そして日本でも例外なく芸術や芸能の分野でめざましい活動が行われたが、一般の人々の様子はどうかというと、これがあまり自慢できるようなものではないのである。それは一つに戦後における戦争に対する総括がきちんと行われることなく、いい加減な姿勢のまま経済発展の道を歩んだからに他ならない。 アジアに対して行ったまったく理不尽な残虐行為への反省の欠如、かつての敵国であったアメリカに対する依存とへつらい、経済を優先させるあまりそれを支える国民的バックボーンやプライドを無視してきたこと、などのすべてがこの60年代に始まった。 人々は戦争の苦しみや欠乏からは解放されたが、どこへ行くのか、どのような国家を作ろうというのか、どのような社会を目指すのか何らビジョンを描くことを怠り、その頃休息に生活に浸透してきた物質主義をただ鵜呑みにするだけであった。 おかげで世相は節操を欠き、喪うーれつに働く生活に邁進するかと思ったら、一方ではのんびり行こうという動きが出たり、だからといってそれが国民生活の中で定着することもなく、何もかもが一時的なブームに終わり、後世に残るような変革は何も起こらなかった。 安保闘争や、炭鉱での労働紛争がよい例である。一部の人々が戦闘的な態度に出たが、ただマスコミに派手に取り上げられただけで、自民党の長期政権はそのために少しもその安定した基盤を失うこともなかった。 「つい昨日の60年代」は結局何ら日本の進路に大きな影響を及ぼすことなく、ただ単に商業主義に振り回され、宣伝に乗せられて消費する今日の(21世紀初頭の)大衆の基盤を作っただけであった。 沈黙 * 遠藤周作 * 新潮文庫 * 2005/08/02 江戸時代、切支丹を徹底的に取り締まる中、一人の司祭が棄教したという報告がポルトガルのカトリック教会布教本部に入った。その司祭の後輩に当たるロドリゴら3人は、無謀だという周囲の止めも聞かず、長崎の周辺に潜入する。 一人は病気のために日本の土を踏むことができなかったが、ロドリゴとガルペは何とかある島に上陸した。それというのも難破してマカオにいたキチジローという男が案内してくれたからだ。切支丹たちは指導者を必要としていた。 地元では隠れていた切支丹たちが、司祭の到着を待ち望んでいた。彼らはロドリゴたちの前に現れた。だがどうしてもその情報は奉行所に漏れてしまい、大勢の百姓たちが殺されることになった。ロドリゴはガルペと別れ五島列島に移ったものの、そこではキチジローの裏切りにあい、布教も信徒たちとの交わりもほとんどできないまま牢に入れられてしまった。 ロゴリゴは拷問を覚悟した。だが、井上という男を頂点とする取り締まりの役人たちは彼に肉体的な苦しみを与えなかった。そのかわりもっと大きな、精神的苦痛を与え始めたのだった。どんなに信徒たちがひどい目にあっても神は沈黙しているのか?日本という国は本当にキリスト教の育たない底なし沼のような土地なのか? ロドリゴはやつれ精神的に追いつめられる。目の前で信徒が海に投げ込まれる。そこへ助けに向かい、そのまま海に沈むガルペの姿も見た。だが自分は何とすることもできなかった。長崎に連れてこられ、棄教した司祭に会う。そして目の前で信徒たちが「穴吊り」されるのを見て、ロドリゴもついに踏み絵を踏んでしまうのだった。 これはキリスト教会全体から見れば裏切り行為かもしれない。だがキリストはそのために、つまり裏切られそれを赦すために存在するのではないか?ロドリゴはそう思うのだった。 直観でわかる数学 * 畑村洋太郎 * 岩波書店 * 2005/08/04 実にユニークな本だ。中に用いられている活字そのものが、強調したいところでは2倍以上の大きさになっていたりする。著者は機械工学の専門家だったが、定年後、それまでいつも気になっていたこと実行に移すことにした。それは高校で教えている数学での諸概念の導入についてである。 数学嫌いはなぜ増えているのか?その理由は、解くための技術や公式の暗記、単に「やり方」を忠実にまねるだけの勉強法が中心であるからだという。どうしてそのようなユニークな考え方が生じたのか、その本質に迫ってくれるような説明をだれもしてくれない。高校の先生は昔から変わらない教授法を続けているだけだし、大学の先生は高校でよろしくやっているだろうと思いこんでいる。 学生は本当の意味を知らぬまま授業を聞き流し、やり方についてある程度の技術を得たものは理系に進むが、あきらめたものはみんな文系に進むといったことになってしまっているのだ。 本書では、サイン、行列、対数・指数、複素数、微積分、確率にしぼって話を進めている。いずれも公式や計算を駆使して説明しているのではない。どうしてこういう考え方が出たのか、その実態は何なのかについて歴史的に説明されている。その話の展開の仕方が実にユニークで誰でもついていけそうである。 18,9世紀のヨーロッパの数学者は実にオリジナルな発想を行っていたのだ。彼らがいなかったら現在の物理学を中心とする大発展はなかったことだろう。彼らはさまざまな計算をするための道具を用意して置いてくれたのだ。 もし実際の数学の授業でもまずこのような導入が行われていたならば、そのあとの計算や応用発展も容易だったろうと思われるものばかりだ。どんな勉強でも最初の理解が最も肝心である。最初に本質的なことを教われば、つまり全体を漠然とでも知れば、部分は自然について来るものなのだ。 例えば、行列にしてもいきなりかけ算の仕方や足し算の仕方を教わりさっそく計算して見ろ、というのではなく実際の生活で生じた必要性から計算を行ってそれが行列に当てはめてみるといかに便利かを知る、といったようなもっていきかたは学生の興味をそそるのではないだろうか。 微分方程式はほとんど解けない、というのもおもしろい。学校の教科書では解けるものばかりをわざわざ選んでいるのだ。だが、一方で自然現象を説明するのに、「部分から全体を推定しようとする」微分の発想は非常に役立っているのだという。何か昔の教科書を引っぱり出して問題を解きたいような気になってきた! 人間とサル Man and Apes * Romana and Desmond Moris * 小原秀雄・訳 * 角川文庫 * 2005/08/23 「裸のサル」で知られるモリスがこの本以前に出したサル百科。サルに関してあらゆる面から紹介をしているので、読んだあとではサル博士になれるのではないだろうか。 民俗的観点から見たサルと人間との関係。ヨーロッパの人間はアフリカやインド地域と違い、生活の中で直接サルとふれあう機会があまりなかったので、実に滑稽な思いこみが生じた。例えばサルはとんでもない強姦魔であるとか色情狂であるとか。あのおとなしいゴリラもキングコングのモデルとされたくらいだ。 しかし一方では、人間に類似していることから、犬や猫とは違った意味で愛玩動物になり、また道化役者にさせられた。人間との近縁関係は彼らを笑いやあざけりの対象にしてしまったようだ。 しかし、医学や生物学の発展はサルの存在を今までになく重要なものにかえ、改めて人間との近縁性から興味深い実験が行われている。例えば絵を描くサル。そこにはマルを書いてその中に目鼻を描こうとする芽生えが見られる。だが人間と違ってその先へは進まずストップしたままだ。 またもリスの専門分野ともいえる比較行動学からも、その行動の多様さ、種ごとに違う生活パターンが次々と明らかになっている。日本の京都大学の研究グループの成果も欠かすことができない。 ヒットラーとナチス Das Dritte Reich * ヘルマン・グラーザー Hermann Glaser * 関楠生・訳 * 現代教養文庫419・社会思想社 *2005/09/07 副題に<第三帝国の思想と行動>とあるように、ナチスがドイツに生まれ、成長し、政治の世界に登場し、国民を巻き込み、戦争へ突入してゆくまでの彼らの考え方や、社会のさまざまな面にどのように働きかけたかを簡潔にまとめている、ナチスドイツの入門書。 人間はもともと残忍なもので、大量虐殺や拷問は、世界の歴史をひもとけばほとんどどんな国でもいつの時代でも行われているから、このような行動は人間の普遍的性質の一つだと考えていい。 ただ問題なのは、それは比較的まわりから隔絶された(戦場や開拓地)などで起こったものが大部分であることだ。ところがナチスの場合は、その思想から強制収容所での「絶滅計画」に至るまで、「国民レベル」で行われたことにある。 不思議なことに、1930年代、ドイツという場所でヒットラーとその団体の思想があっというまに国中に浸透し、その精神の中にすっかりと定着してしまった。これは歴史的にもまれにみる事態である。しかもその初期においてヒットラーは大規模な暴力革命によって権力を掌握したわけではない。 国会議事堂爆破事件などの小規模なテロはあったけれども、いわゆる全国規模でのクーデターを起こしたわけではない。ドイツ国民としてふさわしくないものを逮捕状なしで取り締まる法律などは、ちゃんと議会で可決された。 ドイツでは、宣伝、教化、教育という手段によってナチスの思想が広まったのである。一つには反ユダヤ主義や、第1次世界大戦で負けて世界恐慌に巻き込まれたということで、ドイツ国民のもつ、アメリカやほかのヨーロッパ諸国への恨みが下地にあったことは確かだろう。 だが、本当に偶然にだが、ドイツ国民の不満とナチスの唱える思想は一致してしまった。そしてその間の摩擦は、実に巧妙な宣伝で消滅させられてしまったのである。宣伝は新聞やラジオにとどまらない。興味深いことに、文学の面でもナチスは作家たちの書くものに指示を与え、従わないものは国内か国外に亡命するしかなかった。 これは日本の場合と比べてみるとよい。プロレタリア文学のように明らかに共産主義の影響を受けたものは別にして、日本の作家たちの作品はきわめて非政治的である。だから軍部の介入を受けることは少なかった。これに対しドイツでは、人種的な優越が強調されたから、彼らの作風を見ればナチスに賛成かそうでないかがすぐにわかるのである。 抽象度の高いはずの音楽までナチスの考えが浸透した。芸術のあらゆる分野にわたって彼らの影響力が及んだのである。このようにナチスドイツの誕生は政治思想と国民がすっかり一致してしまったという、歴史上まれにみる現象だったのではないか。 教育工場の子どもたち * 鎌田慧 * 岩波書店 * 2005/09/14 この本が出版されたのは、1984年だが、これ以降日本の教育はどうなったか?その答えは、ますます状況が悪化したというほかはない。学校という世間から隔離された密室では、何が起ころうと鋭い勘を持ったライターがいない限りいつまでも外にばれることはない。 日本の各県に存在する教育委員会とは、出世街道をひたすら上り詰めた保守的な人間のたまり場である(そうでない人もたまにいるが)。そして彼らは教育の理念について常に考えている人々ではもちろんない。彼らはそれぞれの学校で校長になるまでひたすら保身の術を身につけた人だ。 彼らにとって子供というものは、自動車工場における部品のようなものである。学校は、ひたすら「管理」の場であって秩序が保たれることが第一の使命である。問題が起こること、それが世間に知られることが何よりも恐ろしい。そのような事態を引き起こさないためにありとあらゆる締めつけを生徒に対して行う。 牧歌的な時代の学校では想像もできなかったことが行われている。スカートの丈の長さを測ったり、長髪を切らせるというような些末なことに最大限のエネルギーをさく。彼らにとって軍隊方式が理想であり、戦前の教育方式に常に戻ろうと考えている。それこそが彼らにとっての唯一の「治安維持」だからだ。 このような人間たちに汚染された地域は、「教育先進県」と呼ばれる。愛知県と千葉県がその代表であるが、すでに有名になっているように東京都での君が代の強制は記憶に新しい。自らの見識を持たない教育委員たちはたちまち日本全国にその悪弊をまきちらし、この国の未来を奪っているのだ。 しかも悪いことに、教育の現場では教師の労働組合への加入率は年々低下し、いわゆる連帯が失われ、上からの指示に従いひたすら保身と出世を願う教師によって、情熱的先生は置き換えられている。私立の学校は財政的基盤が弱く学費が高いので、経済力のない父兄は公立に行かざるを得ない。だが、それは中学3年間、高校3年間の人質になることを意味する。 日本全体が、経済効率至上主義一色となり、財界の要求は教育界にも及んでいる。彼らにとって必要としているのは文句を言わず黙々と働く従業員である。校長たちもそのような要請を暗黙のうちに受け取って自分の学校の経営方針としている。トヨタの本社がある愛知県が「教育先進県」となったのは偶然ではない。 著者がかつて出した「自動車絶望工場」のルポで言っているように、動作を細かくわけて熟練した人間をなくして誰でもが単純な工程を素早くこなせるようにする思想が、学校でも大手を振って歩くようになった。受験とスポーツが「未来の奴隷」を養成するのに最も適しているというわけだ。 管理される生徒たちは、毎日が重圧の連続である。ストレスがたまりそれは心身を深いところからむしばむ。この十数年の間に不登校、肌の汚さ、アレルギーやアトピー症状は激増した。表だって学校側と対決できないから、生徒たちの抗議の意思は、病気というかたちで現れるのだ。 残念ながら、21世紀の日本における教育の現場はこの本を読む限りますます悪化していくとしか予想のしようがない。これは今の政治を変えればよい方向に向かうのだろうか。それとも日本の風土に深く根付いた「お上の支配」がある限り永遠に続くのだろうか? あめりか物語 * 永井荷風 * 岩波文庫 * 2005/10/17 「墨東綺譚」の映画や原作を知った人は、さらにこの変わった作家の若い頃の作品を読んでみたいと思わないだろうか。明治30年頃といえば、すでに日本からアメリカへと多くの人々が移民として、出稼ぎとして出ていた。しかしアメリカの事情を独自の目で見つめてそれを日本にもたらした人はほとんどいなかった。 「何でも見てやろう」「太平洋ひとりぼっち」「ハーレムの熱い日」などは、若い人々が書いた新鮮さをそのまま発散しているようないわゆる「青春文学」であるが、短編を集めたこの「あめりか物語」も間違いなくそのひとつに入る。 船で横浜からシアトルへ、そして中西部のイリノイ州へ、そして最後には東海岸のニューヨークと、足かけ4年の滞在は、当時だけでなく、現代でもそう頻繁にあることではない。そして何よりも英語(もフランス語も)現地の人々と会話を交わし新聞を読み、詩を読むほどに通じていたということだ。 これは今はやりの「国際人」どころの話ではない。最初のうちの登場人物は日本から流れてきたいわゆる在留邦人の物語が多い。異国の地で悩む日本人の姿は、まるで日本での場合と何も違わない。むしろ逃げ場がないだけにますます苦悩は高まり、追いつめられる。 大金持ちの家に生まれながら、アメリカに遊学してきたばかりに、生活の中に落ち込んでゆき、底辺での生活に甘んじるようになった人々。彼らの場合多くは日本にいては「うだつが上がらない」から新天地を求めてきたということだ。 すでに当時から、アメリカは「商業主義」の国であり、儲けるものは際限なく儲けているが、そうでないものは一生下積みの生活が続く。ただし国全体が豊かだから、最低の生活でも食べてゆけるし、少々の贅沢も許されている。 また、まだモータリゼーションが花開いていないから、鉄道全盛時代である。どこに行くにも長距離、路面電車、郊外電車に乗って移動していることが各所に見いだされる。 後半になると、直接アメリカ人の知り合いなどから見聞きしたらしい物語が増え始める。オペラ「タンホイザー」を聞いて感動し、自分の若い頃の放蕩を妻に告白してしまったために離婚した男の話、売春婦たちが待ちかまえている大きな館の話、郊外の別荘地帯で知り合った美少女ロザリンの話、ニューヨーク・チャイナタウンの夜の世界など今読んでも少しも古びていない。 荷風の旅のスタイルがおもしろい。「私は夜が来ると云(い)えば、其(そ)の夜も星なく月なき真の闇夜を希(こがね)い、死人や、乞食や、行き倒れや、何でもよい、そういう醜いもの、悲しいもの、恐ろしいもののあるらしく思われるところをば、止みがたい熱情に駆られて夜を徹してでも彷徨(さまよい)い歩く。」(ちゃいなたうんの記」 フランス語もできる荷風は、ロザリンの想い出を胸に抱きつつ、このあとニューヨークの港から、フランスに向けて旅立つことになる。これはその後の「ふらんす物語」となって発表される。 上へふらんす物語 * 永井荷風 * 岩波文庫 * 2005/10/31 「あめりか物語」の続編である。アメリカで4年間を過ごし、興味深い短編や随筆を書いた荷風だったが、アメリカに惚れ込んだわけではない。むしろ、アメリカを文化の不毛で金だけのある国と見ており、ひたすらフランスへ渡るチャンスを狙っていた。もちろんフランス語の勉強も一生懸命やっていた。 そのレベルはその後フランスの詩の翻訳を試みるほどになっている。日本の銀行の社員となった荷風は、リヨンの町に住み、仕事の傍ら裏町を歩き回り、人々の生活、特に「醜業婦」の生活を中心に多くの作品を作り出した。異国の地で情婦との生活に入り浸った男の話をはじめとして、当時としては当然発禁になりそうな内容ばかりである。 だが、このころから荷風の終生のテーマらしきものが見えてきた。それは、乱暴な言い方をすれれば、「心優しき」娼婦と「心冷たく外見だけを気にしする」普通の女との対比の構図であろうか。フランス映画でもそうだが、娼婦はまるで大きく抱きすくめてくれるような優しさを持って描かれていることが多く、これが男の慰めとなっている。これに対し、家に帰っても妻には冷たくあしらわれるというか無視されるということになる。 この作品に入っている女はフランス人でありながら、東京の下町言葉でしゃべるから何となくおかしい。それでも男女の感情は世界共通だから、そのような書き方でも十分に伝わってくるのである。男と女には必ず別れがある。いや、別れがなければ出会いもないのだ。荷風の作品はその事がよく分かっている。だから同じパターンでも飽きさせることがない。 フランスの街は、散歩に向いている。だから道にゴミが捨ててあることが少ないのだ。ゴミが少ないから散歩に出る人が多いのではなく、散歩に出る人が多いから独りでにゴミが捨てられることがなくなるのだと思う。冬枯れの光景にしても、憂鬱な雨降りにしても、荷風の文章には、フランスの詩人のイメージがそのまま伝わってくるのだ。 これほどフランスを愛した荷風だが、どうしても去らなければならないときがやってきた。レストランのボーイをしてでも居たかったのだろうが。パリを去るときの痛恨の文章は、今のようにその気になれば何度でもフランスに行ける時代と違って、永遠の別れをどうしても思い出させてしまう。それでも帰国後、その体験が大いに生きて荷風の文章を最大にまで盛り上げてくれたのだから読者としては有り難い話ではあるが。 この本の付録として、フランスの音楽、特にオペラを中心とした報告がある。これは現代に持ってきても少しも遜色のない文章だ。オペラについてイタリア、ドイツ、フランスのそれぞれの流れを的確に説明してくれるから、この分野の入門書としては最適である。 上へスペイン読本 * 日本ペンクラブ・編逢坂剛・選 * 福武文庫 * 2005/11/16 日本人の中には、世界のある国にすっかり惚れ込んで、そこに住み着き日本に戻ってこようとしない人々もいる。スペインも例外でない。ヨーロッパの中では、闘牛、ジプシー、南地中海の雰囲気、アングロサクソンやフランス、ドイツとはまるで違った風土が多くの人々を引きつけてきた。 この本は、一人の著者が書いたのではなく、作家、ジャーナリスト、外交官、フラメンコダンサー、詩人とありとあらゆる分野に生きる人々、時代は明治から現代に至る、それでいてスペインに魅せられたという点では共通している人々によって書かれた話を15話集めたものだ。 単に名所旧跡の説明に終わるガイドブックと違い、この国の奥深い部分をかいま見せてくれるので、この地に行ってすぐに役立つわけではないが、街を歩くたび、人々の表情を見るたびに思い出させるような歴史、文化、国民感情を知らせてくれる。 今の海外旅行は、添乗員による、あわただしくできるだけ多くの場所を見て回るという、旅の本来の目的からはいささか離れたやり方が主流になっている。だから帰国してまもなくその印象はことごとく雲散霧消してしまう。これでは何のために高い金を払ったのかわからない。おみやげを買いに行っただけということもある。 これに対して出発前からすでに出かける先の国について深く知っていると、その地に行ったときにずっと住んでいたようなたとえようもない懐かしさを感じるはずである。そのためにはまずその国で話されている言語をしゃべることができることが第一だが、その次に必要なのは、その国で起こり、人々に大きな影響を及ぼした出来事を知っていることである。 第2次世界大戦の前に起こったフランコ将軍の反乱、彼らの要請で行われたドイツ空軍による、国境の町ゲルニカへの空爆、そしてそれを描いたピカソの大作、というのはスペインを訪れる人にとっては落とすことのできないエピソードになろう。 上へつゆのあとさき * 永井荷風 * 岩波文庫 * 2005/11/30 娼婦は真の女性像を表していると言ったら、物議を醸すことだろう。だが、永井荷風の手にかかると、その姿は最も人間的に生き生きした形で立ち現れてくる。偽善的な人々は、この世から娼婦をなくそうということをしきりに言う。日本では売春防止法という法律が成立している。 だが、売春は女性の二番目に古い職業である。この話の主人公、君江も戦前の東京のカフェの女給になって以来、さまざまな男と出会い、その「冒険」とはとどまることを知らない。つまらない三文作家と長い間つきあったために、自分の行状を知られて怒りを買い、嫌がらせを受けるはめになる。 だが、君江はそんなことでへたこれるような弱い女性ではない。彼女の魔性に惹かれて近づいてくる男性は山のようにいるし、その中には、なかなか魅力的なのもいるのだ。東京の真ん中、市ヶ谷の狭い路地を入ったところに住む君江は、「理解?」ある貸家の老婆のもとに暮らしているが、いくら男性遍歴が多くても、その暮らしは物欲に迷うことなく実にさっぱりしたものだ。 あのギリシャ映画、メリナ・メルクーリ主演の「日曜はダメよ」を見てみるとよい。君江とこの映画のヒロインが雰囲気的にいかによく似ているかびっくりするだろう。女性の魅力の本質とは何かを考えさせられる作品ではある。 かつての芸者とは違い、西洋風な気質を持ちながら、新しいタイプで物事にとらわれない女性を荷風は描き出すのに成功した。この作品をもっと時代をさかのぼって、明治やそれ以前の女たちと比較してみるとよい。 上へ腕くらべ * 永井荷風 * 岩波文庫 * 2005/12/21 新橋に住む、駒代は、そろそろ若いとはいえないが、芸上手で、男たちに人気のある芸者だった。若い頃に親兄弟を亡くし、秋田に嫁いだ先で夫にも死なれ、こうやって身一つでがんばっているのだが、最近では、年を取ったあとのことが気になっている。 まだ駆け出しの頃に知り合った男と再会したり、一世を風靡している女形に気に入られたりもするが、いずれも話は立ち消えになったり、ほかの女に取られてしまったり。自分を女房にしてくれるような男には出会えないのだった。 駒代を注進して、芸者の女たちのつきあいや生活、そして彼女らを取り巻く男たちの生き様が描かれる。好景気によって成金になり、金の力で女たちを押さえつけようという者もあれば、その日の生活費に困るような貧乏文士もいる。 芸能界の人気者は、女遍歴に終わりはない。ある時徹底的に一人の女に入れ込むことはあっても次の瞬間には別の女に目が向いているのだ。江戸時代からの芸者の世界を、明治になって現れたさまざまな男や女たちの登場を背景に懐かしさをこめて描く。 複雑な世界、単純な法則 NEXUS; Small Worlds and the Groundbreaking Science of Newtworks * Mark Buchanan * 阪本芳久・訳 * 草思社 * 2005/12/28 「ともだちのともだちはみなともだちさ」などという歌があった。こうやって友だちをたどっていくと、わずか6人を介しただけで、この地球上の60億人以上の人間との関連を見つけることができるのだという。 信じられないようなことだが、いわゆる「複雑さの科学」の研究は、この世のありとあらゆる集団に目をつけ、そこに何かネットワークの法則らしきものを見つけたようなのだ。これは複雑な計算式やスーパーコンピュータの必要な扱い方ではない。 或る地方の人々は一所に固まっているが(クラスター)、誰か非常に社交的な人間がいたとして(コネクターと長距離リンク)、その人が海外の人々とつきあいがあることによって、たちどころに外国にそのつながりはのびて行く。かくして地球の裏側まで人間のきずなが広がっていくのだ。、 この原理は、人間関係だけにとどまるのではない。脳内のニューロンの結合状態や、経済の動き、生態系、などおよそ余りに複雑で全体像をとらえることは不可能だとあきらめられていた分野に適用できそうなのだ。 経済における突然の不況が何故起こるのか?それまでは順調にいっていた変化が、ある値を超えたとたんまったく別種のものに変換する瞬間(ティッピング・ポイント)が存在すること、雪の結晶のように、最もよく発達した部分が、ますますこれからもよく発達する現象なども観察される。 これまでの複雑さの科学の成果(フラクタルなど)に加えて、新たに自然界において、単純な現象分離と実験という枠を越えた森羅万象をとらえる一つの方法への道ができたのかもしれない。 2005年ここまで |