わたしの本箱

コメント集(18)

  1. 前ページ
  2. フランス残酷物語
  3. 日本食長寿健康法
  4. 動物農場
  5. 清貧の思想
  6. 1984年
  7. フランス恋愛小説論
  8. パリ・ロンドン放浪記
  9. ウィガン波止場への道
  10. カタロニア賛歌
  11. ハリウッドとマッカーシズム
  12. デブの帝国
  13. フランス三昧
  14. ペット化する現代人
  15. 禁酒法
  16. 日本人とユダヤ人
  17. パリ2000年
  18. 心の習慣
  19. 人力地球縦断(上)
  20. 人力地球縦断(下)
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2008年

フランス残酷物語 * 桐生操 * 光文社・知恵の森文庫 * 2008/01/16

人間の考えること、それも殺しなどの残酷行為は、今に始まったことではない。歴史のページをひも解くと、現代では考えられないような残虐さを持って実行された数々の血なまぐさい事件が浮かび上がってくる。われわれは新聞で残虐な事件に大騒ぎをしているが、しっかり管理されている現代社会では昔に比べてはるかに減っているのだ。。

フランスの国も、中世においてはそのような事件が引きも切らないが、そのダイナミックな歴史の中に織り込まれているものも少なくなく、その記録が現代人の興味をえらくそそるのである。実際、この本のジャンヌ・ダルクの処刑の話からドイツからの反ナチの人々を大量の殺したプティオに至るまで、一気に読んでしまいたくなる面白さだ。

特に国王の寵愛を受けるために競争しあう美女たちの手段を選ばない行動は、人間の本性というものを実によく表しているではないか。毒殺、絞殺、のろい、その他考えられるあらゆる方法で持ってライバルを蹴落とすやり方は、人間がこの地球に現れて以来変わることのない基本的な性質を実によく表しているのである。

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日本食長寿健康法 * 川島四郎 * 新潮文庫 * 2008/01/19

日本食が世界的に注目されるようになってからだいぶたつが、この本は平成3年に出版され、その魁(さきがけ)ともなるような本だ。米、野菜、海藻、お袋の味として親しまれてきた家庭料理、大豆、魚、漬物、旬のもの、そしてそば、すし、うなぎ、てんぷら、こんにゃくに見られる日本人の知恵を拝見する。

ここでの日本食の紹介は、ますます食事の肉食化、西欧化が進み、不健康になってゆく日本人の体を心配してのことである。これまでの伝統的な食事のよさは日本の風土に根ざしているものであること、日本人の体質にもっとも合っていることを強調している。カルシュームのすくない火山国日本でどうやってカルシューム不足を補うべきかも考えておくべき問題である。

また、昨今のサラダブームで野菜を生で食べさえすればそれでいいという”迷信”のせいで顔色の悪い人が増えたが、実は葉緑素に富む「青野菜」の摂取が決定的に欠けていることを強調している。著者は大量の青野菜は、煮たりゆでたりすることによって体積を大幅に減らせば誰でも必要な量(1回400グラム)をとることができるといっている。

それにしても日本人というのは、西欧の文物をありがたがるのは昔からの癖だが、食生活まで無批判に西欧風を取り入れてしまったために次々と悪い結果を生んでしまう、相当なおっちょこちょいなのだろうか。幸いこれまでは国の医療制度のおかげで多くの人が事前に異常を発見され、治療しているおかげで世界一の長寿を保っているが、ほとんどの人々はいつも薬を服用しているのである。人々は適切な運動と食生活を続けることが最大の健康法だということを忘れ、病院と薬によってかろうじて生きているのである。

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Animal Farm 動物農場 * George Orwell * 高畠文夫・訳 * 角川文庫 * 2008/01/24

イギリスの田舎の農場で、農場主のやり方に不満を持った動物たちが反乱を起こして人間たちを追い出し、自分たちで経営する農場を建設しようとする。もっともリーダーシップに富んでいたのは豚たちで、子犬を訓練して強力なボディーガードに仕立てた後、絶大な権力を握る。「二本足はわるい、四本足はよい」がスローガンだった。

ほかの動物たちは頭があまりよくないし、自分でものを考える能力もほとんどないので、豚たちのなすがままである。最初にみんなで守る憲法を作ったのだが、その内容はみんなの知らない間に少しずつ改ざんされてゆく。ロバや馬の中には豚の支配を懐疑的に思うものもいたのだが、正面きって反対することはなかった。

指導者として有望だった豚が追放され、代わりにナポレオンが最高権力を握る。いつの間にか最初のころの事実は捻じ曲げられ、豚たちに都合のいいように歴史が作り変えられていく。農場の真ん中に壮大な風車を作る計画が立てられ、豚は監督になり、ほかの動物たちはつらい建設に励む。

風車は人間たちの妨害によって2度もつぶされるが、苦労の果てにようやく完成をみた。そのころ豚たちの行動がますますほかの動物たちにとって不可解なものになっていった。酒を飲んで酔っ払っているようなのだ。そしてある日彼らは人間と同じように2本足で立ち始めたのだ。人間たちを招いて宴会を開く彼らの顔は普通の人間と何の見分けもつかなかった。

その他の所蔵作品;象を射つ イギリスの植民地となっていたビルマで警官として働く「私」は、逃げ出した象を撃ち殺す羽目になる。植民地のもとでは白人は原住民の期待通りに行動しなければ馬鹿にされてしまうのだ。そのためだけに生活にとって重要な動物を一頭無駄に殺すことになった。絞首刑;今朝も大勢の死刑囚の中から一人選ばれて死刑が執行される。だが手を下す側から見ても、今元気に生きている人間をどうして殺さなければならないのか、その理不尽さに心が乱れる。とはいえ上からの命令なので執行しなければならない。貧しい者たちの最期;筆者が入院したパリの貧民区にある病院は想像を絶する状態だった。不潔で、いつだってほったらかしにされるというだけではない。医者は、学生たちに”実物教育”を施す場所なのだ。患者は完全に実験動物の扱いであり、まさに19世紀のやり方そのままなのであった。

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清貧の思想 * 中野孝次 * 草思社 * 2008/03/24

著者は、日本人が「エコノミック・アニマル」と呼ばれ続け、それがますますひどくなるのを憂えてこの本を書いたのであろう。確かに戦後の復興と高度成長は人々の生活を豊かにしたが、さらに”限界点”を超えてもっと裕福な生活を求めようとしたところが、こんな評判を世界中に広めるもになってしまった。

なるほど貧乏はよくない。だが、他人の貧乏を尻目に途方もなく富を追いかけるのはもっとひどい結果を生む。世界中の人々が、日本人のことを物質主義者と呼ぶようになったのはそのせいである。しかも彼らは日本の歴史のことなんか何も知らないから、現在の日本人だけを見て、ただただ軽蔑の眼を向けるだけなのである。

著者は「徒然草」、「方丈記」、そして芭蕉や良寛、西行、池大雅らの作品と生き様を示しながら、日本にも世界のほかの地域と同じく、「所有」というものがいかにばかげているかを悟った人々の一団と、彼らの作り出した文化が立派に存在したことを示してくれる。

人々は地位、名誉、富、などこの世のくだらないこまごましたことに気をとられ、スケジュール表に従って忙しさに明け暮れる生活が人間の本当に生き方ではないことはにじゅんじゅん気づいているはずである。それでもやめられない。それどころか、日本人はアメリカの生活様式を盲目的に受け入れたから、ますますひどいことになってしまった。

このままでは日本の歴史に足跡を残した”清貧の思想”は、すっかりまもなく姿を消すかもしれない。この本が書かれたのが1992年。そして21世紀に入って、ますます富を追い求めることが流行になり生きがいになり、結局のところ地球が資源枯渇と大気汚染で滅びるまで暴走するしかほかになくなってしまったのだ。

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Nineteen Eighty-Four 1984年 * ジョージ・オーウェル George Orwell * 新庄哲夫・訳 * 早川書房

ウィンストンは1984年にあって、オセアニア国の首都(”かつての”ロンドンらしい)で、文書の改変業務に従事していた。しかし彼は数年前からこの国の体制に疑問を持っており、それを無用心にも日記に書き表したり、現在のビデオ監視装置にあたる、テレスクリーンの前で不遜な態度を見せたりしていた。

オセアニア国は年中、地球上にある他の二つの国、ユーラシア国かイースタニア国のどちらかと絶えず戦争をしている。国の支配者は”偉大な兄弟 Big Brothers ”と呼ばれ、党による独裁体制がずっと続いている。党員の下には無数のプロレ(=プロレタリア)がいるが、彼らは貧困のもとに苦しみながらも、自分で考える能力を奪われているために政治的脅威にはなっていない。

問題なのは、”生半可な”知識を持った党員がいつ政府に対して反抗の意を示すかだ。ウィンストンはずっと前からマークされていた。彼の仕事は、過去の事実を改変することである。あの「動物農場」であったように、人々は記憶力があいまいで、強く言われれば、証拠を追求することはなくそんなものかと思い込んでしまう。

たとえば、「南京虐殺が起こった」というのが歴史的事実であるが、「南京虐殺は存在しなかった」と何度も繰り返して言うと、いつの間にか存在しないことになり、かつての証拠を見つけようにもすべて何者かによって隠滅されており、手の施しようがなくなっている。「沖縄の虐殺は日本軍が命令した」という事実も危うくこんな運命になるところだった。

言語もかつての英語をやめ、ニュースピークという新しい言語を作り出し、いずれはこれを古い言語に取って代わらせようとしている。ニュースピークでは語彙は極端に減らし、「自由」などということばは存在しない。ことばの制限を強力に行うことによって人々がものを考えないようにすることが狙いなのだ。

党の政治はなかなかうまくいかないときは、次々と施策を変更するが、そのたびに過去に出版された新聞、書物、その他あらゆる記録を変更しなければならない。人々が図書館に行って調べても、過去の事実はあらかた変わってしまうようにしておかなければならないのだ。彼の仕事はそんなものだった。

彼はある日、仕事場の食堂で自分を見つめる女に気づく。彼女はそれから何度も姿を現したが、ウィンストンはどうせ彼女が思想警察のスパイか何かだろうと思っていた。彼女はあるとき「あなたを愛しています」という紙切れをよこす。二人は密会を繰り返し、このセックスすら禁じられた世界でつかの間の喜びを味わう。

だが、アパートを借りて頻繁に会っている二人には当然の運命が待っていた。ある日突然警察が踏み込んできて二人は逮捕され、ウィンストンは反政府の一員だと信じていたオブライエンが実は洗脳の陣頭指揮をとっていることを知る。

途方もない拷問と洗脳の繰り返しの末、ウィンストンは根負けして釈放される。党に反抗した者は、逆に依存するようになるまで洗脳を繰り返され、それまで決して殺されることはない。”偉大な兄弟”を愛するようになって初めて、処刑を行うのである。そこが中世におけるキリスト教の異端者の処刑とは違うところだ。

このとおり、豚が主人公だった「動物農場」の舞台が、(書かれたときから見れば未来である)1984年に移っているが、「権力の本質」は同じままだ。現代の、アメリカ、中国、ロシアをみると、この本に書かれていることが実際に起こっていることがよくわかる。現代の人間にとっての必読書である。この本もいつ「焚書」にされるかわからない。

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フランス恋愛小説論 * 工藤庸子 * 岩波新書573 2008/04/19

5つの恋愛小説を取り上げて、それぞれのもつ個性を論じる。これらは特別に小説の歴史上傑作というわけではないが、それぞれに時代背景とともに、恋愛というものはこんなに違った形をとるものかと感心させられるのである。実にフランスの文学は多様である。

「クレーヴの奥方」では革命以前の宮廷生活の中にいるブルジョワ女の生きかたが描かれているし、「危険な関係」ではつぎつぎと相手を変え、それを競うように行う男と女の姿を描く。「カルメン」はオペラの題材になるほどのほとばしる情熱の物語である。そこには死に至るほどの男と女の非常に古典的な関係が描かれている。

「感情教育」では、”人類を要約する”とか”芸術は第2の自然”と主張する作者、フローベールが言っているように、ひとつの時代史を描く中にあるので、その登場人物はみな英雄でもなければすぐれた人間でもなく、感情や環境に押し流される人間の姿のひとつとして描かれている。最後の「シェリ」は、最も現代に近く、男と女の区別がむずかしくなった時代の産物である。ヒロインは若い男の前で自分の”老い”を痛感している。

恋愛は人生のたくさんの面のうちのひとつと考えて、ワンパターン化した無数の小説ではなく、これらのようにそれぞれの面に特徴を持った作品を自然体で、まるで自分で体験するかのように読んでみたいものだ。

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Down and out in Paris and London パリ・ロンドン放浪記 * George Orwell * Penguin Books * 2008/05/17

「1984年」「動物農場」の著者、ジョージ・オーウェルは若いとき、ビルマでの警察の仕事から帰ったあと、このヨーロッパの2大都市で貧困の経験をしている。パリに来て最初のうちは、英語の教師をしたりしていたから、何とか食いつないでいくことができた。ところがその仕事がなくなり、いよいよ食べていけなくなると、家賃だけは先払いしておいて、新たな仕事を探しに出かける。

知り合いになっていたもとウェイターのロシア人のもとに駆け込むと、二人でパリ中のレストランやホテルで雇ってもらえるところを探す。だがなかなか思うようにいかず、衣類を質入したり、3日ぐらいも何も食べないこともあったりしたが、ようやくあるホテルの皿洗いに雇われることになる。

ホテル地下の猛烈に暑い一室で、皿洗いはもちろんのこと、客の注文に応じてコックが作る以外のもの、たとえば飲み物とかトーストなどを用意するのも仕事だった。連日の立ちっぱなしで12から14時間の仕事、安い給料、コックたちによるいじめ、などのひどい労働環境を体験する。それでも彼が雇われていたホテルはパリでも良心的なほうだった。

パリにはもっと安くてひどい仕事があるにしても、皿洗いは何の技量も身につくことなく、給料が安いから結婚などの人生への展望はなんら持つことができない。それでもほかに仕事がないから、食べていくためには若いときからこのような仕事についてひたすら耐え抜くしかないのである。

友人の知らせでパリの仕事をやめ、イギリスに渡った。だが、その友人が約束してくれた仕事は数ヶ月先になるとのことで、それまで彼は借りたわずかな金で生活を支えることになった。仕事につくこともなく節約生活を続けたために、泊まるホテルはどんどん格が下がり、ついには救世軍の施設やドヤに泊まることになった。

イギリスでは物乞いをすることは禁じられている。野宿をしてもいけない。また、最下級の施設は1ヶ月に1回以上泊まってはいけないことになっている。かくして浮浪者たちは、イギリス国内の収容施設を渡り歩くことになる。この浮浪者による大移動は途方もない無駄をうみだしている。

浮浪者たちは、もちろん未来への展望は何もない。それどころか宿泊所では、何もないところに夜間閉じ込められ、恐るべき退屈を耐え忍ぶことになる。昼間は次の宿泊施設への行進と、モク拾いに費やされる。宗教団体による慈善事業で、食べ物が配られることがあるが、浮浪者たちはその後に来る説教が大嫌いで、その間ひたすら我慢してほかの事を考えているか、なんとか脱出をはかる。オーウェルはその後仕事を得ることができたが、浮浪者たちはその生活から抜け出すことはまず不可能で、病気で死ぬまでその生活は続くのである。

これらはいずれも1930年代前半に体験したことの記録だ。貧困とはどういうものか?浮浪者やこじきの考えていることは?いずれもオーウェル自身が身をもって体験し、その真相を解き明かそうとしている。そしてこれは21世紀の格差社会にも同じく通用する現象なのだ。

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The Road to Wigan Pier ウィガン波止場への道 * George Orwell * Penguin Books / Social History * 2008/06/03

なぜ”波止場”なのかわからない。というのはこのはなしの舞台は炭鉱だからである。オーウェルは「パリ・ロンドン放浪記」の後に、今度は炭鉱夫の生活に入り込み、その状況を報告する。そこには労働者階級の厳しい生活があった。

イギリスが、貴族、中産、労働の3階級にはっきりと分けられていることは、有名である。彼らの間には、文化、言語、教育の深い亀裂があって、それを越えて階級間を移動することがほとんど不可能に近い。しかし、国民はそれでいてフランス人のように革命を起こすこともなく、今日に至っている。

ここに重要な単語がある。自分は自分より低い階級の人間よりすぐれていると固く思い込んでいる人々、つまり「俗物 snob 」の存在である。これはイギリス以外にもあるだろうが、この国がその元祖であることは間違いないだろう。植民地においても自国内においてもこのことばが常に思い起こされる状況が続いているのだ。これが階級差の維持に大いに貢献しているらしい。

第1部(1)自分も住んだ炭鉱夫の部屋の悲惨な内部(2)炭鉱内部の様子(3)塵にまみれた炭鉱夫の生活(4)炭鉱夫とその家族のの住む家(5)炭鉱での消えることのない失業の実態(6)炭鉱夫の家庭の家計(7)イギリス北部のいくつかの炭鉱町について 第2部(8)自分の生い立ちも入れた、イギリスの低所得階級について(9)自分がそのような階級の人々の生活を調べることになったいきさつ(10)ブルジョワとプロレタリアの区別が厳然と存在すること(11)ここで正式に「社会主義」のことばが登場する。(12)どうして社会主義が多くの人々によろこんで取り入れられないのか、ならびにファシズムの問題を考察する(13)こういったことを振り返って、われわれは何をするべきなのかを考える。

という具合に、実際の悲惨な取材から帰ったオーウェルは、社会主義の問題点、それをもたらすに至った機械文明の実態、当時急に広まってきたファシズムへと話を広げてゆく。これらはいずれは、「動物農場」や「1984年」の形で結実するのだ。

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Homage to Catalonia カタロニア賛歌 * George Orwell * Penguin Books / Social History * 2008/06/23

Homage to Catalonia筆者のジョージ・オーウェルはスペイン戦争が始まると、イギリスから志願して、反フランコ闘争(反ファシズム)にとびこんだ。当時は共産党をはじめ、さまざまな社会主義傾向の団体が乱立しており、彼はその中で P.O.U.M. というグループに属してバルセロナから前線に赴いた。

カタロニア地方はスペイン南東部に位置し、その中心都市バルセロナは革命的雰囲気の真っ只中にあった。労働者はみな団結してこれから平等な社会を作ろうという気分に満たされ、金持ちや支配階級は突然この町から姿を消したように見えた。

彼は数多くの外国人義勇兵とともに,、前線に派遣された。前線といっても激しい撃ち合いがあったわけではなく、広大で平らなスペインの丘陵地帯に塹壕を掘り、相手方の塹壕を狙ってときおり狙撃するぐらいであって、ほとんど膠着状態に陥っていた。それでも冬の寒さ、じめじめした中での睡眠、経験のない年端のいかない兵隊たちなど、苦労は絶えなかった。。

久しぶりにバルセロナに休暇をとって戻ると、すっかり革命的雰囲気は消え、その代わり寄り合い所帯の間で激しい内部抗争が展開されていた。一度は市街戦にまでいたり、P.O.U.M.がその張本人だといううわさが流れ、事件のスケープゴートにされた。

前線に戻ると、彼はうっかり敵の狙撃兵の銃弾を受けてしまい、のどを撃ち抜かれてしまう。幸運にも血管をそれたので、声はしばらくでなくなったものの、一命を取り留め、しばらく病院で静養することになった。

だが回復するまもなく、カタロニア地方での内部抗争は激しさを増し、P.O.U.M.はついに警察によって検挙され始める。スペインでいったん牢獄に入れられたら、解放される見込みはまったくわからない。彼と妻は大急ぎで荷物をまとめ、国外に脱出する。

その後も内部抗争が続き、せっかくカタロニアに集結した反ファシズム戦線も、効果的な打撃をフランコ政権に与えることができずに敗北への道を歩むのである。だが、オーウェルはひどい目にあいながらも、スペインにおける短かったがめまぐるしい経験を懐かしく思い出すのである。

ペンギン・ブックスでは「パリ・ロンドン放浪記」「ウィガン波止場への道」「カタロニア賛歌」は三部作として一つの本にまとめられている。オーウェルの有名な小説とは別に、若き頃のルポルタージュである。この本を買ったのが、1985年ごろ。そしてこれを読んだのが、2008年。それまで本棚の中で眠っていたわけで、へたすると一度も目を通されない運命になったかもしれない。紙は黄色くなり、ぼろぼろである。

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ハリウッドとマッカーシズム * 陸井三郎(くがいさぶろう) * 現代教養文庫 * 2008/06/30

この本はすでに紹介した、「アメリカ・インディアン悲史」とならび、アメリカ合衆国の文明の本質やいわゆる”民主主義””自由””公正”というものの正体を知るために大変有用な情報源となっている。

1960年代に入るまで、アメリカを襲ったマッカーシズムのさまざまな影響のうち、ハリウッドにおける映画監督、俳優たちに絞ってこの本は書かれている。「下院非米活動委員会」と呼ばれるものが作られ、次々と有名無名を問わず多くの人々を召喚し、不満な答えをするものに対しては「議会侮辱罪」という罪名をつけて社会的に葬るか、実際に投獄を行った。

なぜ彼らのような連中が出てきたかといえば、当時のソ連との対立によって冷戦が起こり、世界中が共産主義によって占領されてしまうという恐怖にとりつかれていたからである。またかつてのルーズベルト大統領のニューディール政策を実行に移した者たちが、「社会主義者」としていまや報復攻撃の対象とされたことである。

「ハリウッド・テン」とよばれる映画界の代表的な10人を中心にその運命が描かれているが、エリア・カザンのように”転向”して仲間の名を売ったものもいれば、アーサー・ミラーのように頑として説を曲げなかっただけでなく、その後のベトナム戦争や天安門事件についても常に一貫した立場をとり続けたものもいた。

個人的な境遇や人間的強さが、このような事件で出てしまうのは当然であるにしても、大きな問題は、「自由の国」と呼ばれるアメリカが、実はまったく自由を理解しない人間たちによって大多数を占められているというショッキングな事実であろう。

実際に階級闘争で多くの犠牲を払ったイギリスやフランスと違い、アメリカ合衆国の歴史は常に強者、征服者としての位置を享受してきた。このため打ち立てられた物質的繁栄は、そこに住む人間たちを傲慢に、そしてきわめて保守的に変えてしまった。これは建国の父たちにも予想できなかったことなのだ。

マッカーシー旋風は明らかに太平洋のこちら側のナチ体制であった。反ユダヤ主義といい、人種差別といい、強権的政治運営といい、まるでそっくりの体制が生まれたのだ。しかしなんといっても憂慮すべきなのは、この国の中で彼らが15年間も勢力を保ちえた,そしてそれをとめることができなかったということであろう。

下院非米活動委員会の提案はどれも、議会ですんなり受け入れられたのだ。三権分立の原則により、これは当時のアイゼンハワー大統領にしても手を出すことや干渉することはできない。そしてその議会の議員たちは国民によって選ばれている。国民は「共産主義の脅威」についての宣伝で途方もなく臆病者になっていた。

皮肉なことに”民主的な選挙制度”が機能しているはずのこの国で、赤狩り議員が次々と選出されていたのだ。国民がそのような考えを持てば、民主主義というものはある特定思想を強化する道具にすぎないことの現れであり、歴史の教訓は生かされることなく赤狩りの悲劇がこれからも何度も繰り返されるであろうことを意味している。

現に、その後のベトナム戦争ではその初期に、「ベトナムにいるコミーたちを殺せ!」という宣伝文句で次々と戦場に若者が赴いていったし、同時多発テロでは「テロリスト」ということばが何も吟味されることなくイラクやアフガニスタンに兵を向けることがなった。いずれの状況でも国民の間に問答無用の雰囲気があふれ、それらに少しでも冷静に反対するものがあれば、同じく「非米国民」と呼ばれて社会的に葬られるだけであった。

アメリカ合衆国が存続する限り、このような過ちは繰り返されるであろう。徹底的に議論を重ねてさまざまな考えを飲み込むというのではなく、ある勢力が一方的に突っ走るというこのやり方がベトナム戦争でもイラク戦争でも行われ、多大な損失と犠牲者を出して初めて反省が行われるというパターンはこの国民が少しも賢くなっていないことのあらわれなのだ。

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Fat Land デブの帝国 * Greg Critser * 竹迫仁子 * バジリコ * 2008/07/03

アメリカ合衆国の国民に異常な勢いで肥満者が増えたのは、単に食生活が豊かになったからではない。背後に利益第一の食品業界の作戦が渦巻いていたのだ。つまり彼らにしてみれば頭打ちになった売り上げを何とかして増やしたいと考えていたわけだが、その解決策として「ジャンボ化」を採用したのだ。

2リットルものコカコーラ、超特大のハンバーガー、これらは「もっと安く、もっと大量に」が最大の願いである人々には願ったりかなったりの製品であった。同時に高カロリーで価格の安い、「コーンスターチ」と「パーム油」が一般に使えるようになる。これに農業・食品関係の政治家たちの暗躍があって、大量に安く供給できる体制が整った。

一方大衆は、何をどれくらい食べれば健康といえるのか、肥満とはどの程度のレベルを超えたらそう定義できるのか、糖尿病や動脈硬化はどれほど恐ろしいのか、などについて1980年代ぐらいまではまったく無知だった。それどころか医者や政治家でさえ、さまざまな意見があり議論がまとまることがなかった。

公的地域保健ネットワークをつくり、”育児学”などと称して公衆衛生の普及に努めている”食育大国”フランスなどと違い、アメリカではそのような考えはほとんどはやらず、家庭内では「寛容さ」、つまり食べたいだけ食べるという風潮が助長され、自制心の放棄がとめどない暴飲暴食を許容するようになってしまったのだ。

現在、アメリカ合衆国を訪れた人は、用意された椅子に入りきらない巨大な尻を持った人々の多さにショックを受けるだろう。特に南米出身の人やインディアンが途方もなく太りだしたのは、小さい頃に栄養不足の中で暮らし、体が低カロリーでも生き延びることができるように適応していたものが、突然アメリカの豊かな食生活に投げ入れられてしまったことによる。

これでわかるように、肥満は階級差ときわめて緊密に結びついている。貧困者がなすすべもなく太る。一方富裕層はダイエットをして運動のためジムに通うゆとりがあり、健康についての適切なアドバイスを受けることもできる。アメリカの格差社会をそのまま反映しているのだ。

将来の解決策は、地味であってもひたすら啓蒙と教育によるしかない。特に子供のときからの習慣作りが大切で、学校での体育を充実させ、大人になったときに自分にとって適切な量の運動とそれに見合った食生活を続けていけるようにしなければならない。これは大変遠い道のりでもある。

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フランス三昧 * 篠沢秀夫 * 中公新書1624 * 2008/07/09

フランスの歴史をたどると、カエサルのガリア征服以前にはその地にケルト人と呼ばれる人々が住んでいたのだという。これは現在のアイルランドやスコットランドに暮らす人々と共通の祖先である。彼らは日本の縄文人のように土俗信仰を持ち、地元に密着した暮らしをしていた。

彼らはローマ人の支配を受けても、ゲルマン人の中のフランク族の征服を受けてもその中心はこのケルト人であった。そしてその言語だが、いつの間にかローマの言語であるラテン語の影響を受けたが、上層階級の書き言葉ではなく、一般庶民の俗語の中から現代のフランス語のもとができたのだった。

古代のフランス語はノルマン人たちによりイギリスに渡って英語のもととなる。またフランスの北東にあるブルターニュ半島には、昔からのケルト人の生活を色濃く残す人々が今でも住んでいるが、これがイギリス(グランド・ブルターニュ)とつながりを持っているのである。

ローマ支配終了直後にはイタリア半島に近かった南仏(プロヴァンス地方)ではオック語が優勢だったが、異端とされたアルビジョア派の敗北により、北部にあったオイル語の優勢が決定的になった。これがパリを中心とする言語が全国に広がった始まりだといえる。また17世紀に栄えた文芸運動はルネッサンスの流れのひとつでもあり、このおかげでフランス語(ボン・フランセ)は大いに磨きをかけられた。

フランスはドイツなどと違い、早くから国家が国王を中心にしてまとまった。そしてフランス革命は中央集権的な体制をいっそう強化させ、その言語も地方で日常に話されている言語(パトワ)をおさえこんで、全国的に統一した言語となった。その点フランス語は人工語的な色彩が非常に強いという。

フランスが軍事的に敗北したのは「普仏戦争」が最初である。このとき以来フランスは軍事力ではなく文化でもなく、文明としての優位を持って世界に影響力を及ぼしたといえよう。現在英語の優勢や、アメリカナイズの影響、カトリックに象徴される宗教の衰退、アフリカ移民の増加にあって、新たな方向を模索している。

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ペット化する現代人 * 小原秀雄・羽仁進 * NHK books 日本放送出版協会 * 2008/07/17

人類の歴史を自己家畜化論からみたのが本書であり、動物学者・小原と映画監督・羽仁の二人の対談とそれぞれの主張をまとめている。「人間はその進化の過程で自分を家畜化した」という表現は「人類は万物の霊長である」とか「人間は動物の中で最もすぐれた生物である」というような人類礼賛論が主流を占めている中ではこれまでマイナーな見方であった。

しかし途方もない人類の地球に対する破壊行為は、そんなことを言っている暇を与えなくなった。人類は地球生物の中では「悪性腫瘍」であって、この先の行き詰まりはどうしようもないということがますます明らかにつれ、人間がどのようにして自分を家畜にしていったかを詳しく観察する価値があるようだ。

道具の使用、さまざまな生活の知恵は人類創生の時代にはほかの動物との生存競争を勝ち抜く上で欠かせないものであった。しかしそれが採集の生活から定着して農業を営むことによって余剰生産が生まれ、都市の発達につながったとき、人々のは生活は本格的に自然とのかかわりから切り離されたのである。

本書には、「サンゴの中にもぐって暮らすサンゴ虫」のたとえがある。狭苦しいがそれなりに快適で外敵から守られ、安楽な暮らしが保障されていることを示すわけだが、これがいったん定着すると、「サンゴの外」に出ることなど思いもよらないことになってしまった。こうして最初の頃は持っていたはずの適応力を捨てて完備した環境に依存することが自己家畜化の実態である。

そしてこの本では、いまはやりの「お座敷犬」生活が人間にもすっかり浸透するようになり、若い世代が「寝たきり青年」を生み出すようになったことを示している。ここまでくれば、もう人類の発展とか進化は終点に達したことがはっきりわかるし、滅亡か新たな出直ししか道がないことがわかる。

これは人類の歴史が単なる技術の発展だけ一方的に進み、現状認識や未来を見通す力が少しも伴わなかったために起こった悲劇ともいえよう。もしそのような”賢さ”がもともと人間にあれば、自らの家畜化を見てほどほどにしておくとか、機を見て自然状態に一時的に逆戻りするとか、自然と人口の間を自由自在に行き来できるように自分を変えるという工夫もできただろう。

だが、何人かの哲学者や宗教家の警告にもかかわらず、それができたのはほんの少数派であり、大部分は自分でものを考えることもなく、大勢に流され、気がつけばアレルギーやら抵抗力の低下などの現実的な問題に直面してしまっている。それでもまだ別の道を探すことがあれば救われるが、残念ながら多くの場合はもう遅すぎる事態になっているのである。

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禁酒法;「酒のない社会」の実験 * 岡本勝 * 講談社現代新書1284 * 2008/07/22

禁酒の法律のもとである、憲法修正案(ヴォルステッド法)が制定されたのは1919年であり、それから大恐慌の時期を経て約10年間が歴史的に禁酒法がアメリカ社会に多大な影響を及ぼした時期であった。

南欧、ラテンアメリカ、アフリカ諸国のうちイスラム教の影響がない地域では想像もできないこんな法律が”民主主義国”とみんなが思っているアメリカで実現してしまったのは実にふしぎなことである。別に独裁者がいて押し付けたわけではない。大統領自身は別に乗り気ではなかった。だが人々の選んだ議会が可決してしまったのだ。そしてその背景には世論というものが存在する。

個人の自由を制限する法律をこんなに簡単に制定してしまうということは、アメリカ人自身の気質の中に全体主義を受け入れる素地があるのかもしれない。多くの労働者や農民は政治的な議論をあまり経験しておらず、なによりも他人志向的な風潮の中で、流れに乗ってしまうという、いわば”衆愚政治”が現れた典型的な例だともいえる。

衆愚政治の伝統は、アメリカ原住民の虐殺、マッカーシズム、病的な”赤”恐怖症、ベトナム戦争、そして同時テロ以後のイラク、アフガニスタン侵略へとつながる系譜の一部なのである。そしてさらには小説「緋文字」にみられるような宗教的偽善の伝統があったこともあげられよう。

そして著者が指摘するように、20世紀以後の大量生産、大量消費への時代に生きるための「しらふ」なライフスタイルを求める動きがあったのだろう。のんだくれでは乗用車や便利な電化製品をそろえることはできない。きちんと同じ時間に起きて同じ時間を職場で過ごし、ローンをきちんと返す、しっかり管理された生活が望まれていたからなのだ。

今振り返ってみれば、現代人は大酒のみに代表されるような支離滅裂な生活やリズムを捨てることがその資格になっているが、実はそれはこの50年ほどの間に組み込まれ、ある意味では洗脳された結果なのかもしれない。こうやって見るとその後60年代にカウンター・カルチャーの動きが盛んになり、ヒッピーらがLSD などを飲んでいたのもこれらの流れに反発していたあらわれだったのだ。

闇酒屋やアル・カポネらの暗躍を許した禁酒法は最終的には廃止されたけれども、その目的の多くは達成されたかのように見える。多くの人々はこの時代に起こったできごとに注目することが多いが、むしろこれがアメリカの病理の一部であるという認識に立って、これからのアメリカ国民の作る世論の動向に注目する材料としたい。

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日本人とユダヤ人 * イザヤ・ベンダサン著 * 山本書店 * 2008/07/30

1970年にベストセラーとなった本。果たしてこれが21世紀にも魅力を持ち続けているか?著者は日本育ちのユダヤ人(だという)。それまで試みられることのなかった、日本とユダヤとの比較文化論である。それぞれの文化の”相互理解”というのは実に難しいものだということを痛感させられる。

日本人にとって無料であるはずの水と安全は、ユダヤ人にとってこの上なく高くつくものであるが、生きていくためにはそのコストを我慢しなければいけないという。農耕民である日本人と、遊牧民出身のユダヤ人とでは、人生観、勤勉さ、動物の扱い方、時間の観念がそれぞれ非常に異なる。せっかちが当たり前の日本人に対し、恐ろしく気が長いのがユダヤ人である。

ユダヤ教と、その律法がユダヤ人の生活を規定しているのと同じように、日本人においては「人間関係」がその全生活を支配しているという。名づけて「日本教徒」(7章)。勝海舟と西郷隆盛を引き合いに出して、日本人の間に暗黙の了解として定着している日本教の”教え”を探る。その体現者の生き方は非常に宗教的であり、人間くさい。西欧的な”水くさい”関係は敬遠されているのだ。

文化移入、翻訳の問題にも立ち入っている。五木寛之の「蒼ざめた馬を見よ」のタイトルのように、日本人にとって聖書の知識がない場合、いわゆる「黙示文学」は誤解、誤訳のもとである。聖書の知識なしでドストエフスキーの作品を読むような場合、いったいどうすれば正しくその内容を理解できるのだろうか?

その他、「処女降臨」「体臭」「目には目を・・・」などの点から考察を試みる。パレスチナ紛争は21世紀になっても一向に解決されていないが、その背後の状況の解説も試みている。言語面では日本語の単語における、生活のことば(ホント)と抽象語(真理)が切り離されて別に作られている指摘も面白い。抽象語を連ねれば外国語では絶対できない珍論も展開できる(14章プールサイダー)

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パリ2000年 * 座右宝刊行会 * 小学館 * 2008/08/13

パリのガイドブックというと、世間に山ほどあるであろうが、この町のようにさまざまな歴史をその町の中に刻み込んだ場合、ちょっとやそっとの知識では間に合わない。フランスやヨーロッパ、そして世界史の勉強をしなおさなければ到底その全貌らしきものをとらえることはできない。

パリの歴史を考えるとき、シテ島に先住民が住み着いた先史時代、ローマ帝国による占領時代、国家の統一と中世の封建時代、絶対王政の時代、革命とその後の混乱と再生の時代、20世紀の世界大戦以後、というように少なくとも6つにわけないとこの町を十分に見て回ることができないのだ。

これらの区分から得た知識によって歩き回るときには、もちろんそれぞれ見学する地域は違ってくる。この本は1960年代に作られたのであるが、だからといってその価値が最近の歴史のことをのぞいては別に価値が下がるわけではない。むしろ当時のすぐれたフランス文学者たちが執筆しているから、実に背景の話が豊かで面白く読むことができる。

この本をガイドブックとして持ってゆき、少なくとも1ヶ月は滞在すれば、何とかパリという町をとらえることができるかもしれない。

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心の習慣 Habits of the Heart * 島薗進・中村圭志共訳 * みずず書房 * 2008/09/21

アメリカ人の文化的伝統の中では、成功、奉仕、政治活動などに取り組む人々は自分たちの究極的な目標がどのようなものであるかについては曖昧なままである。そこにアメリカの文化の限界があるという。人々は「自分」の成功こそ最大の価値であるかのごとく教えられているから、いつの間にか”個人主義”という心の習慣が出来上がってしまっているようだ。

公共善には見向きもせず、 功利主義にはしって自分や家族、友人だけの狭い輪の中での暮らしで満足する傾向がずっと続いてきている。なかには表現主義に没頭し、その技を極めようとするものも射るが、それが結果的に社会的な広がりを持つことは極めてまれである。

それでは、趣味の世界に没頭するのがいいかというと、これも個人主義が展望を失ったひとつの形態であり、公共のために集まるのではなく、同好の士たちが集まって内輪の親しさだけを作り上げる、「ライフスタイルの飛び地」があちこちにできるだけなのである。

個人主義というのは、過去の伝統や価値を断ち切っているのだが、それに代わる確固としたものを持っていないから、常に不安定であり、周りの人やマスコミの言いなりになる危険が非常に大きい。たとえば中産階級とは、贅沢と貧困の間をうまくバランスをとって暮らしている人々のことではなく、下の階層に転落するのではないかという恐怖に取りつかれ、一方では上の階級の贅沢、権力、名声に常にあこがれている連中のことである。結局確固とした人生哲学が彼らの間に根付かないのは当然だともいえる。

仕事とは(1)単なる金稼ぎ job (2)仕事そのものが生きがい career (3)社会に役立つ calling として、というように3つに分類されるが、アメリカ人で3番目まで進む人は少ない。アメリカ人の生き方は独立独歩ということで、ほかの権威や伝統に頼らないことを誇りにしているが、その代わり自分ひとりで人生観を決めなければならず、そのような巧みなことができる人々の数は限られているから、多くの人々は生き方が定まらずに”漂流”することになる。

自己などというのは実に空虚なものだから、宗教などのしっかりとした支えに依存したほうが、たいていの人々は幸福なはずなのに、アメリカ人の多くはそれを捨ててしまった。「自分のことしか頭にないという人々に、もっともっと広い、もっともっと大きな責任の意識を持つようになってもらうこと(197ページ)」が求められているのに、個人主義が勢いを持っているアメリカで、順応主義や権威主義がハバを聞かすのはなぜか?それは人々の間に空虚感が漂っているからであろう。

アメリカ社会が閉塞的になり、国民が内向きになってきているのも、長年のこのような心の習慣が生活を規定しているからではないだろうか。もっと異質な社会に目を向け、広範囲で長期的な展望に立つ生き方が今ほど求められているときはないのだ。

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人力地球縦断(前編) * 九里徳泰 * 山と渓谷社 * 2008/10/01

神奈川県藤沢市出身の青年が、アメリカ大陸の北の端の北極圏から、MTB 、カヤック、徒歩を利用して南下する冒険記録。ルートの中は機械に頼らず、人力による推進。人間の力がこれほどあるのかと感心させられる。

ただ、人体は体力が必要なのはもちろんだが、エネルギーが切れたらエンジン同様と単に動かなくなる。いわゆる”北極酔い”とは強行軍の末に脂肪分が不足し、エネルギー切れになることだそうだ。寒冷地では、いつもじっとしている現代人には想像もつかないほどの大量のエネルギーを消費するからだ。普通だったら超肥満になってしまうような脂っこい食物が必要になる。

自転車や徒歩のスピードは旅で”見て歩く”には最適のスピード。それより速いとすべてを見逃してしまい、テレビの画面を見ているのと同じになる。ゆっくり進めば、たとえばアメリカ合衆国の沿道で「ここは個人私有地・立ち入り禁止」の立て札を見て、所有万能の自己中心社会がどんなものであるかを実感し、また思索する余裕ができる。

旅は非日常的なものであり、いつまでも続けられるものではない。ものすごいエネルギーを必要とするから、無理してあまりに長期間旅に出ていると、自然に感覚が鈍磨して感動が起こらなくなってしまう。適当に旅を切り上げて日常に戻り、英気を養うことが必要だ。だから著者の場合、パナマまでの行程を9区間に分けて旅をおこなっているのだ。

カナダは人が少なく、原野ばかりだから、自由な空間が広がる。同じくアメリカ合衆国も面積は広いが、そこに人々を縛り付けている資本主義があり、現代技術による徹底した管理がある、息苦しい国に映る。アメリカ式ライフスタイルは、パワフルで便利だが、人との接点を減らし、技術万能に陥っている。だから彼らはことあるごとに「自由、自由」と叫ぶのだろう。人は自分に最も不足しているものを追い求める目標とするものなのだ。

メキシコは一転して、経済的に”遅れた”国だから、余計な管理や人々の行動を拘束するものは少ない。だが旅するものにとっては自由な空間は何よりである。ここからはブラジルを除き同じ言語、スペイン語の世界。ただしメキシコ以南の中央アメリカの諸国はコスタリカを除き、貧富の差が激しく、政府も腐敗している場合が多く、無政府状態に近い。全編の旅はパナマ運河で終わる。

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人力地球縦断(後編) * 九里徳泰 * 山と渓谷社 * 2008/10/20

南アメリカは、北と違って、スペイン語圏である。そして効率と消費を追及する社会とは違い、別の文化が息づいている。旅をするには自然が厳しいことを抜きにすれば、こちらのほうが楽かもしれない。ただ、無法地帯とか、途中で道がなくなってしまうという事態に直面することは覚悟しなければならない。

この冒険は、堀江謙一の「太平洋一人ぼっち」に似ている 最初はつらくても、慣れてしまう。この2冊目の本は、パナマの地峡から、さらに南下する。コロンビアの危険地帯はMTBで。さらにアマゾンはカヤックで下るアマゾンの流れは、その支流においてはほとんど高低差がないので流れに乗ることができないのだ。ただひたすらに漕ぐ。

ふたたびMTBを漕いでアンデス山脈を越えてボリビアへ。ボリビアの土地は荒涼として、ひどい瓦礫の道など、荒地のために作られた自転車でもパンクしたりステイが折れてしまったりするものすごさ。それでもチリの国内に入ると走りよい道になる。

ここでそのまま自転車に乗って南下するのではなく、途中の港からカヤックに乗り換えて、リアス式海岸沿いに南下する。ところがパタゴニアに近づくにつれて、世にも有名な難所続きだ。向かい風、変則的な波、潮流、雨、寒さが行く手を阻む。沿岸にテントを張りながら、ゆっくりと進むが、岸壁の続くところではそのための砂浜さえなかなか見つからない。

ようやくフェゴ島の手前までやってきた。ここからは再び自転車に乗って最南端を目指す。人力で移動するということは、人間にとって可能なことであっても、かくも困難が伴うものなのだ。交通機関がこんなに発達した現在、あえてこのような形式で旅を続けることの困難さがこの旅行記の魅力なのである。

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