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2008年 氷川清話(本・続・続々・幕末始末) * 勝海舟 * 人物往来社 * 幕末維新史料叢書2 * 2008/11/03 ある人が言うには、明治維新前にすべての優秀な人はこの世を去り、維新後に残った人物はいずれもスケールが小さいか、無能か、金や権力や地位をひたすら追い求める人々だったという。これはかなりの真理が含まれていると思うが、例外がいる。勝海舟は77歳まで(1899年まで)生きたのだ。 この本は海舟の談話を中心に編集したものだが、この口調は「シンドバッドの冒険」を髣髴とさせる。だからと言って法螺(ホラ)の連続ではないが、常人がびっくりするような、特に集団志向の日本人には考えもつかないことがポンポンと飛び出すのだ。 同じ革命でもパリ・コミューンでは3万人以上の人々の命が失われたことを比べてみると、海舟と西郷によって実現した、幕末の江戸城無血開城だけでも、歴史の上では非常にまれなことだろう。海舟が言うには、「戦争は小心者によって起こされる」という。そういえば、すぐに2008年でその任期を終えるブッシュ大統領の名前が誰にでも浮かんでくるだろう。 権力を少しでも扱うものは、途方もない胆力が、そして誠が必要なのだと、彼は繰り返し説いている。そして維新の際に、西郷があらわれてくれたことが日本国の歴史にとって、非常に幸運だったといっている。西郷との江戸城開城直前の会談の模様が何度も語られる。彼の人生にとって、最高のハイライトであったことは言うまでもない。 人々の中には彼のあまりにオリジナルな考えについていけず、坂本竜馬のように、相当命を狙われたようだ。これで、当時としては例外的な高齢まで生きられたのは奇跡に近い。ある人は彼のことをフランスのヴォルテールによく似ているといった。また、東洋の哲人だという言い方もある。いずれにせよ、このような人は、国内では冷遇されることが多く、むしろ海外にそのファンが多い。 一外交官の見た明治維新(上)(下) A Diplomat in Japan * アーネスト・サトウ Sir Ernest Mason Satow * 坂田精一・訳 * 岩波文庫 * 2008/12/05 幕末に活躍したイギリス人通訳、アーネスト・サトウの残した、維新前後の6年間ほどの記録。彼の書いた日記は膨大だから、この上下巻はその縮約版としても使えよう。このサトウの苗字が面白い。初めて聴く人はこれは、彼が日本のどこかの家に婿入りして「佐藤」という姓名を名乗っているのではないかと思ってしまう。が、実はれっきとした英国で使われている last name のひとつなのだ。 彼が通訳であったということは、日本の国の中の隠れた面を知るのにたいへん役立った。公使、大使、領事たちのように重大な任務と責任を負っているわけではないので、公務以外ではちょっとした旅行に出たりすることができたからだ。しかも生まれつきの好奇心の強さが、どんなところにももぐりこむ芸当を可能にした。 だから、彼は幕府側の人間とも、薩長をはじめとする反幕府側の人間とも実に幅広く交際し、その意見を聞き、自分の意見も堂々と発表している。時には上司に対して批判的な眼を向けながら、自分は日本国が大きく方向を変える場面を心行くまで観察することのできた幸運な人間だったのだ。 当時の通訳は、翻訳もかねる。しかも、当事国の言語事情や最新の語彙を収集するという”言語学者”としての重大な使命も併せ持つ。彼はそれに適任であった。しかも当時のイギリスでは、いかに海外雄飛の機運が高まっていたとはいえ、中国からさらに東の果てまで行きたいと言い出す人はあまりいなかったのだ。 彼は日本人の特に下層階級がよく服従することを見抜いていた。それが侍に対してであれ、天皇に対してであれ、あの昭和の軍部に対してであれ、マッカーサーに対してであれ。そのような展は、日本人の観察者からはなかなか出てこない見方だ。このため、天皇でも幕府の高官でも、べつに特別な先入観なしにその顔の特徴を観察したり、性格の問題点などを率直に述べているところなども、実に得がたい情報であろう。 パリ史の裏通り * 堀井敏夫 * 白水 U ブックス * 2008/12/29 パリをこよなく愛する人々にとっては、町の隅々までその歴史と人々の足跡を知りたくなる。世界から人々が訪れるこの町で、単なる案内書に書かれている、”見逃せない場所”だけでなく、自分だけの想い出になるような場所を訪れることができたらどんなにいいだろう。 都市は常に変遷する。現代の姿は、その全体像の何千分の一を示しているだけに過ぎない。あちらの広場、こちらの崩れたレンガの山、名も知れぬ小路など、そこに入り込めば無限のストーリィが生まれてくるのだ。これらの話を読んで実際に現地で確かめたくなってしまう。 川港パリ、橋の材料、決闘、処刑、バスチーユ、城壁、などを中心にして興味深い話が展開する。現代のパリの見所と呼ばれているのはどうやら西半分に偏っているらしい。東半分には、人々の気づかない魅力的な部分が隠されているかもしれないとも言っている。 2009年 南極大陸単独横断行 * 大場満郎 * 講談社 * 2009/02/23 1999年に、南極を単独でそりを歩いてひき、あるいはパラセールによる風力を利用して、南極点に達した。南アフリカに近い海岸地帯を出発し、南極点を通過した後、南アメリカ大陸方面に向かって帰途についた。 このようなタイプの冒険では、個人の視力ではまず無理だ。数え切れないほどの法人、個人による献金があって初めて可能になるから、冒険家とは単に自然の中で生き抜くことができるだけではなく、数多くの後援者を得る能力がないと、仕事を続けることができない。 南極のブリザード、サスツルギ(強風でできた縞状の雪の盛り上がり)、ホワイトアウト(完全に白の世界に閉じ込められてしまうこと)、凍傷の危険、など数え切れない困難を克服したわけだが、これは単に経験だけでなく、周りの人々のバックアップがあってのことなのだ。 この冒険の前に北極横断を始めとして数多くの地域を走破しているに成功していることで、多くの資金を集めることができたわけで、長年にわたる積み重ねが必要なのだ。難局横断の成功は、その大部分が「運のよさ」にかかっていたといってもいいかもしれない。 さて冒険かも、スポーツのチャンピオンも、その「勝利」を収めた後、何をするかという大きな問題が横たわる。とてつもない「非日常性」を達成した後では日常生活の戻り、そしてごく普通の生活を続けていくことは至難の業なのだ。 「とってもジュテーム」にご用心! * 飛幡祐規(たかはたゆうき) * 晶文社 * 2009/03/05 タイトルでは、本当の愛の表現が、Je t'aime. なのに、Je t'aime beaucoup. にすると I like you very much. の意味に変わってしまい、恋人ではなく単なるお友達になってしまうことに用心するようにといったもの。 在仏期間が長い著者は、それまでの生活の中からエスプリに飛んだ言葉を拾い出し、単なる辞書の慣用表現にとどまらず、フランスの生活の中で用いられているその背景や人々の感情を面白おかしく交えて説明している。食物を大切にしている国だけあって、食べ物に関する表現が多いが、普段から自己主張が多く議論好きな国民性を反映して、実にさまざまな材料が転がっているものだ。 井島ちづるはなぜ死んだか * 大島由美 * 河出書房新社 * 2009/07/02 北海道生まれの少女が、東京に出て、自分を試そうとするが、さまざまな困難に出会い音楽ライターになろうという夢はいつまでたっても実現しない。でも文章を書くことによって自分の表現しようと必死になる。 最初の作品は「恋ができない!!」次に目指したのが”自殺未遂者”へのインタビューをまとめた本だったが、未完になった。筆者があとでテープからおこした、未遂者との会話が数多く掲載されている。 豊富な音楽の知識、鋭い感受性、そして自分の置かれている状態から這い上がって、何者かになりたい熱情があったにもかかわらず、空回りをする。一般的な社会における仕事については、「君はこの職場に合わないからやめてほしい」といわれやめてしまうような状況だった。 文章講座に出てみたり、アダルトビデオで処女を喪失したり、自分の生き方をいろいろと捜し求めるが、収入を失い、不眠症に陥り、精神科に通うようになる。そして27歳のとき、自殺なのか事故なのか判然としないまま、自宅の浴槽で死亡していた。発見されたときは死後1週間たっていた。彼女の友人がつづるドキュメンタリー。 1871年のパリコミューンが始まるちょうど20年前、ナポレオンの甥は、クーデターを起こし、大統領から皇帝ナポレオン3世に、つまり独裁者になった。共和制は、王政を一応克服したのに、今度は”軍国主義者”や特権階級からの新たな挑戦が待ち受けていたのだ。軍隊は無差別に市民に発砲し、大勢の死傷者を出したのは、天安門事件を髣髴とさせる。ここでも歴史は繰り返されるのだ。人間の持つ非人間性が変わらない限りは。 Ⅰ;2009/05/26 ナポレオンの甥は、クーデタによって皇帝となり、その前期にはフランスを繁栄に導いたが、無謀にもプロシアと戦争を始めたが、自ら出向いた中で戦局は不利となり捕虜になってしまう。軍人たちはこれ以上の戦争を望まず休戦を模索していた。パリはビスマルクの軍隊に包囲される。パリ市内は無政府状態に近くなっって、トロシェ首相の下の政府は絶えず革命勢力の脅威と、ドイツ軍の包囲におののきながら、1970年の暮れを迎えた。 Ⅱ;2009/06/26 ティエール首相に代わった政府は、ドイツとの講和を結ぶが、これがパリ市民の反発を招き、彼らの暴動をおそれて国民議会とともにパリ郊外のベルサイユに逃げ込む。1871年(明治4年)3月、パリの有志は中央委員会を作り自分たちによる選挙の実施を準備し、実行に移した。世界でも初めてのこの政治形態は烏合の衆の集まりから次第に労働者主権という自覚の度合いを高めていったが、軍事的にはベルサイユ勢力に圧倒されつつあった。 Ⅲ;2009/07/18 それでも中央委員会の打ち立てた行政の骨組みは、選挙を行うことによって新たな代議員たちによって引き継がれ、パリ市での本格的な行政組織作りがすすめられた。だが、ブランキ派から穏健派にいたる幅広い党派が入り乱れているために、足並みがそろわず、特にベルサイユからの軍事的脅威に対する備えがまったくといっていいほど効果的に行われなかった。このためベルサイユ軍が侵入してきたときには次々と打ち破られ、5月にはまたたくまに占領された。ここでベルサイユ軍による未曾有の殺戮が行われ、コミューンはその姿を消してしまった。 自国民への弾圧は対外戦争と違って、正確な記録が残りにくい。そのなかでコミューン史は、後に世界中で起こる政変の雛形である。歴史は繰り返すという。歴史を学ぶ価値はそこにある。フランス人が、これほどの血を流し、多くの犠牲を払った過去は、これまでに、そしてこれから起こる各国の事件のパターンに酷似しているのだ。人間の社会は、このように多大な犠牲を払わないと進歩しないらしい。またさらに大事なことはその事実が正確に次世代に伝えられていかなければならないということだ。 強大な力によって圧殺されてしまったかのように見えるコミューンは遺産を残した。(1)後にマルクスによってまとめられる国際共産主義運動のモデルとなった(2)そこで行われた数々の理想主義的な政策は、後の民主国家と呼ばれる国々によって少しずつ実現していった(3)無産階級がこれをきっかけに自分たちの存在と政治的可能性をはじめて自覚するようになった、の三つに大別することができるだろう。 ここにコミューンの内部にいながら、局外者としての観察を行った、ロセル大尉の残した文がある。「パリ革命の敗北は、おそらく民主仕儀にとっての不幸ではない。これは戦闘の仕方が悪くて敗れた前衛戦なのだ。後備兵は出ていないし、先頭の本隊のものは損害をこうむっていない。一人ならずのまじめな民主主義者がパリ・コミューンとともに戦った。多くの人がそのおろかな道程の種々の段階で、それを見捨てた。もっとも強壮な人々は、闘技場に姿を現さなかった。」(「外部の人」第2節より) 追加;フランス革命というと、いわゆる「ベルバラ」もそうだが、その中心を、1789年の王侯、貴族や僧侶に対して蜂起したブルジョワの事件を中心に取り上げる。日本の歴史の授業でも、おそらくフランス本国でも最も重点を置いているだろう。しかしブルジョワといっても、そのあと急速に貧富の差を広げてゆく。 だが、フランス革命は、ほんとうはそれで終了したわけではないのだ。ナポレオンあり、そのあとの戦争あり、そしてこのパリ・コミューンが続いているのだ。このパリ・コミューンはいわゆる革命が、ブルジョワ革命にとどまらず、無産階級にまで達したのだ。これは革命が”行くところまでいった”という表現がふさわしいのではないか。 というのも、かつてソ連や中共が目指した(が、結局のところ実現しなかった)共産主義社会にまで迫ったものだからだ。だからフランスをはじめとしていわゆる”体制側”はこの事件についてあまり触れたがらない。これを大々的に広めることは、自分達の今いる、居心地のいい資本主義社会や、開発途上国への(暗黙の)支配が問われることになるからだ。 だが、この事件を忘れてはいけない。人類史上、市民社会のど真ん中で、このようなことが起きたことを。いずれ将来、この事件の推移が人間の貴重な”経験”として大いに参考になるかもしれないのだ。 上へベルサイユのばら(1~5) * 池田理代子 * 集英社文庫 * 2009/08/09 1972年に発表された漫画の歴史大作。近衛隊長のオスカルと秘めた恋心を持つアンドレは創作だが、アントワネット、ロベスピエールなど登場する大部分が実在人物。アントワネットがオーストリアからルイ16世のもとに嫁いで、上に苦しむ民衆を尻目に途方もない贅沢な生活をした事がフランス革命を引き起こしたその過程が興味深く描写されている。 ロベスピエールたちのように人々を啓蒙し組織化して次第に王党派に対抗する勢力を形作っている部分もていねいに描かれている。ただ多くの日本人はその劇的なロマンスに気をとられ、極端な格差の拡大の末に特権階級からその財産や権力を奪取するに至るためには、いかに多大な犠牲を払ったかについてはあまり興味を引かなかったのではないかと思われる。 1789年のバスチーユ牢獄の襲撃から第1次世界大戦勃発までの長い期間は、フランス社会の実に大きな変動、大事件、虐殺、反逆、陰謀の繰り返しであったのだが、この漫画を読んだあとでその歴史的全体像をもとめるきっかけになるとよいのだが。 上へまたたび浴びたタマ * 村上春樹・作 友沢ミミヨ・絵 * 文藝春秋 * 2009/09/03 村上春樹といっても、今度の本は海外で売れる可能性は薄い。というのもこれは回文<シンブンシ、など>だけを集めた本だからだ。日本語が<子音+母音>という組み合わせで一つの音節を作るために、こんな遊びが発展した。問題は”変な”文ができるけれども、これをいかに面白おかしく解説をつけるかなのだ。 ここではカルタのようにアイウエオ順に作られた回文が、つまりは約50個掲げられている。タイトルの「またたび・・・」もその一つだ。解説は、その”こじつけ”の巧みさが真髄だ。さらにこの挿絵がすばらしい。まるっこい、だがちょっと不気味なところが特徴の絵の数々は文とぴったり息が合っている。 世界中で読まれるようになった村上作品だが、このように普段には小説以外の分野にも精力的に興味を注いでいるようだ。このほかにもジャズについて書いた本を、他の挿絵画家の協力を得て出している。 その他の外国語 * 黒田龍之介 * 現代書館 * 2009/09/09 ニューエクスプレス・ロシア語(白水社)の著者が、自分の多言語趣味について書いたエッセイ。外国語の勉強法、外国旅行についての感想を中心にして書かれている。「その他・・・」とは、ロシアの周辺のスラブ諸国(ウクライナ、ベラルーシなど)や奥さんの専門分野であるチェコ語など、普段メジャー言語に圧倒されて目立たないが、それぞれの文化を形作り、世界の多様性に貢献している言語群のことをいう。 世界中の言語の数は無数にあるが、英語だけが一極支配を続けることは、誰でも危惧するとおり、他の弱小文化の破壊につながる。特にグローバル社会になってしまった今、どこへ言ってもアメリカ式の文化では、実に単調で画一的な世界になってしまう。 こんな閉塞的な世界に向かうのを阻止するためには、さまざまな外国語について研究するのが早道である。言語習得の過程で、次々とその文化の特異性が明らかになるからだ。ひとりひとりが違った言語を習得すれば、6千人もいれば世界の言語が明らかになり、それぞれはその言語の第1人者になれるのだ。 著者はロシア語が専門だが、ロシア語というのは副詞を除いて、非常に変化が複雑だ。それを学んだものにとっては、世界の他の言語が相対的に簡単に映るのだろう。だからその他の外国語に目が向く余裕ができたのかもしれない。 笑いの錬金術 * 榊原晃三・竹内廸也=編 * 白水社 U ブックス * 2009/09/22 サブタイトルは「フランス・ユーモア文学傑作編」。推理小説のようなもの、エッセイ風のもの、恋愛小説風のもの、SF風のものなど、実にバラエティに飛んでいる。ユーモア文学というよりは、ブラックユーモアといいなおしたほうがふさわしい。全40篇 <贋作>贋作の絵を指摘するのが得意な評論家には美しい妻がいた。だが、彼女の美しさは美容整形であることが判明した! <黒い天井>名探偵 Holmes (ホームズではなくオルメスと発音)は”白い”天井に吊り上げられて絞殺される事件に取り組み、犯人がタイからの動物であることを暴く <Z 夫人の三人の夫たち>彼女の夫は次々と謎の自殺を遂げる。3人目は十分に前の二人のことを研究したはずなのだが・・・ <柱時計>死後に、魂がさまよい出ることはよく聞くが、生まれる前の人の魂は、自分が生まれる先のことを予測しているらしい・・・ 素晴しいヨット旅行 * 柏村勲 * ポケット文春 * 2009/10/26 何事も最初にやった人々は賞賛される。戦後まだ日本が貧しかったころ、ヨットで海外を回ったというニュースは、あの「太平洋一人ぼっち」の堀江謙一を引き合いに出すまでもなく、世の中の憧れの的になったに違いない。 ヨットは36フィート、もとはレーサー仕様で、この大きさにしては珍しい鉄製である。二本マストでその間に舵があるから、”ヨール”とよばれる。人々の常識とは裏腹に、ヨットは概要でも非常に頼りがいがある。あとは乗り組み員の腕で一つだ。 作者、柏村勲氏は画家で、アメリカ人、その朝鮮人の妻とともにオランダを出発し、途中フランスの猫も加わり、ベルギー、フランスの運河を通ってマルセイユで地中海に出て、ジブラルタル海峡からラスパルマスにわたる。 そこからバルバドスまではスペイン人のドミンゴも交えて4人。そこから北上してバーミューダを経由して、アメリカの東海岸、ニューポートに至る行程である。現代のようにすっかり海外旅行が大衆化していても、登山とかヨットとか、馬やラクダなどの特殊な移動手段を用いる旅はたいていの人が実行できないから強い憧れになる。 この本を最初に読んだのが1965年4月24日。この本に大いに感銘を受けた一人の”中学生”は、わざわざ作者に手紙を出して返事をもらったりしている。ヨットの雑誌「舵」を教えてもらったりしている。➡「風と波と潮と」 初めに行動があった Au commencement était l'action * アンドレ・モロワ André Maurois * 大塚幸男訳 * 岩波新書628 * 2009/10/31 若い人向けの本だというが、安楽いすの上だけの試行にはまったすべての人のために書かれたといってもいいだろう。思考は行動の”準備段階”であり、人生に真の意味と幸福を与えてくれるのが、行動なのだ。 しばしばその行動は、行き過ぎに走る。どうしてもどちらかの極端に走る人が多い。それは勢いあまってなのか、それを行っている人々は実践に移っているという誇らしい気持ちからか、決してそれを譲ることはない。いずれに向かっても弊害が現れる。中庸を保つことが肝要なのである。 行動は、政治的、経済的、芸術的、科学的、それぞれの方面において特徴がある。フランスの哲学者、思想家、アランとポール・ヴァレリーの文がばしばしば引用される。またパスカルとモンテーニュのことばも出てくる。 ヨーロッパ運河ヨットの旅 * 田中憲一 * 新潮社・とんぼの本 * 2009/11/03 妻と二人の娘を連れて、オランダからベルギー、フランスを越えて地中海に出るまでの運河の旅の記録。船はオランダの造船所で作った小さなヨットで、巨大な川、行きかうバージ(運送船)、古い19世紀からの運河、無数のロック(閘門)、小さな船で同じく運河を旅する仲間たちとの出会いが描かれる。 ヨーロッパの運河網は、鉄道網、道路網の整備によっても、存続し、今では産業用というよりは観光の新しい手段として脚光を浴びている。列車のように時間に縛られることなく、自動車のように騒音やエネルギーの浪費もなく、人の歩く速度と同じくらいののんびりしたやり方で田舎を心から満喫できるからだ。そして何よりもホテルが要らない。自分の船に食料を積み込み、寝泊りできるからだ。 著者は現在は運河の旅人塾を開設しており、希望者はヨーロッパの運河の楽しみ方を学ぶことができる。 若者のための政治マニュアル * 山口二郎 * 講談社現代新書 * 2009/12/03 自民党政権も、ブッシュ政権も終わりを告げ、民主党政権とオバマ政権の時代になった。こうしてこれまでの10年ほどを振り返ってみると、政治のあり方がいかにひどい状態にあったかが改めて思い知らされる。 日本国民が新自由主義におどらされ、競争が何か素晴しいものを生み出すような幻想にとらわれたのがつい最近のことであったのだ。かつて小泉劇場が登場したとき、私は彼はヒットラーの宣伝係、ゲッペルスにそっくりだと書いたが、今になってみるとまさにその通りであった。このような天才的な煽動者は、いつの時代にも現れ、それにいとも簡単にだまされてしまう人々もいつの時代にも存在する。 それにしても今の貧困と格差を生み出したもとが、政治家自身というよりは政治というものに、特に若者が無関心であったことのツケであったことが本書で述べられている。若者は、というが実は国民全体が、政治というもの、権利を行使する(権利は行使しないとすぐに無効、時効になってしまう)ということはどういうことであるのかについて、自分で考えたり、行動に移したりすることがまるでなかったことが原因なのだ。 本書に述べられているルール1から10まではいついかなる時代でも、どんな主義思想が吹き荒れても、思い出したい経験的知識である。理想主義と現実主義の狭間を政治は行く。いずれに偏っても悲惨な結果を招く。人々は少しずつでも政治的に成熟していかなければならないのだ。 聡明な女は料理がうまい * 桐島洋子 * 文春文庫 * 2010/02/02 何も女と限ったわけではないのだが、小さいころからの甘やかされた生活に慣れている男たちはもはや絶望的なので、女性たちにむかって自分の食べる料理を”自作”するように呼びかけているのだ。現代の生活が何でもお仕着せと便利の掛け声の下に、安易なサービス享受の風潮が蔓延しているが、食事もその例外ではない。 作者は日本人がほかの経済先進国と同じように、消費社会の奴隷になり始めたあの1970年代にこの本を出したものだから、一躍ベストセラーになったのだ。もちろん今では、料理の本といえば山のようにあるが、問題はその根本にある”哲学”であろう。日本人が哲学を持たない国民であることは広く知られていることで、自分でものを考える習慣がないから、たとえばヨーロッパ人などと比べても、コマーシャルとかマスコミの煽動に非常に流されやすい。だからこのようなタイプの啓蒙書はどうしても必要だったのである。 おりからウーマン・リブが高まりをみせたころだったから、台所から脱出するのが進んだ女のやることなのだと、誰もが思い込んでいたのである。そのときに作者がまるで逆説的であるかのように料理を始めよう!と呼びかけたものだから、大きな反響を呼んだ。 この本の出版から40年近くたとうとしているが、なかには自分で食べるものは自分で作るという方針を実践している人は少数派に過ぎず、あいもかわらずインスタント食品やお手軽惣菜は売れ行きが下がっていないし、一方で「手作り」とか「手間隙かけた」などと描いてある食品を見ると人々は飛びつくのである。そのような歴史的に眺めてみると、この本は記念碑的な作品であるのかもしれない。 白?(鴎)号航海記 * 栗原景太郎 * マリン企画 * 2010/03/10 昭和44年に敢行された、男二人女一人によるヨット世界一周記録。単独、早回り、無寄航などさまざまなヨットの冒険スタイルがあるが、今回のは日本から西へ進み、グアム島、バリ島、リオデジャネイロなど、多くの港に寄港している。 圧巻はマゼラン海峡通過で、女性はその間陸道中で、男二人で悪天候と浅瀬と潮流の渦巻く中を大変な苦労をして進んでいくところ。さらにそのあとの迷路のようなパタゴニア水道通過も伴っている。 いわゆる一か八かの冒険ではなく、商船大学で訓練を受け綿密な調査と計画を経た後の決行であった。ただし、現在のようなGPSはもちろん、無線機すら積んでいない状態で、位置測定もセクスタント一つで正確に出すことができたわけで、科学技術だけにたよらず人間の能力がよりよく発揮された古きよき時代の航海である。マゼラン海峡 本書でしばしば引用されている、ツヴァィクの「マゼラン」はぜひいちどよんでみたい。 文学の門 * 荒川洋治 * みすず書房 * 2010/03/29 ラジオ放送で、「著者に聞く」というコーナーでこの本のことを耳にした。かつて植草甚一という、ジャズを中心にした軽妙洒脱なエッセイを書く評論家がいたが、荒川氏の文章も面白い。みずず書房ではすでに5冊目になるという。 もしたとえ実現不可能であるとわかっていても、なってみたい職業とは何か、と聞かれて私は映画監督と答えることにしていたが、今回の本を読んで詩人、もしくは俳人か歌人もいいなと思うようになった。この本を読んでいると、文豪でなくともさまざまな興味深い詩人がおり、それらが大きな文学を作り上げているのだとわかる。 文学というのは、最近ではあまり聞かれなくなった。大学の文学部に進むとか、文学を研究したいというような人々は昔に比べてはるかに目立たなくなった。今はなんと言っても”金融”関係が中心であり、生計を第一にしか考えなくなったし、勉強もその手段としてしか考えないような非常に視野の狭い人々が増えてしまったのだ。 音楽にも、美術にもそれぞれの門があり、それらの方面で感受性を磨いている人々は多い。だとすれば文学だって同じように深く広く追求する価値があるのではないだろうか。ラジオ番組で主に取り上げていたのは、この本の中の「実学としての文学」という章だった。 なぜ実学かといえば、人間の精神を育ててくれるからだ。人間にとってさまざまな経験をすることは大切だが、人生は短いし行動範囲も限られている。読書によってその狭さを補い、今の自分では到底できないような経験をつむことも可能なのだ。人間関係が次第に狭くなり、人々の生活のスケールも縮小していく今、文学によせられた期待は大きい。 フランス語のはなし * Jean-Benoit Nadeau & Julie Barlow * 立花英裕・中尾ゆかり訳 * 大修館書店 * 2010/04/20 18,19世紀にはフランス語は世界の共通語だといわれていた。だが2度の大戦の結果、その地位を英語に譲り、しかも引き離されていく。人口の面では中国語などにはかなわない。フランス語はその文化の持つ魅力によって現代に地位を維持している。英語以外のその他の言語は、いくつかの国に集中しており、それらの国の外ではさほど影響力はない。これに対してフランス語は”広く薄く”世界中に広がっている。世界中どこの大都市に行ってもフランス語を学べるし、話せる人が存在する。 今、フランス語を母語として暮らす人々がいるのは、フランスとその海外県以外に、カナダのケベック州、ベルギーの半分、スイスの3分の一である。あとは旧植民地がある北アフリカであるが、そこでは母語というよりは、多数の拮抗する現地語間の争いを起こさないために中立の言語として使われているのであって、いつそこの現地語や英語に取って代わられるかもわからない。 そういう状況にあって、フランス語の維持に最も力を入れているのが、英語を母語にする人々に囲まれて暮らしているケベック人である。かれらはその危機感から積極的に言語とその文化の保存に努め、英語に劣らない現代の語彙を自ら作り上げ、古びないフランス語を保っているという点ではフランスよりも上手である。残念ながらフランスは現代はその国民がどちらかというと内向きの時代なので、それを克服しないと、世界的なフランス語の衰退を抑えることは難しい。 英語絶対優勢の世界にあって、その他の言語はこれからどうなるか?英語が優勢ということは、アメリカ人の価値観を押し付けられることを意味する。金儲け主義、浅薄な大衆娯楽、安易な食餌(?)がそれらとともに押し寄せてきた。しかも、世界の共通語といいながらもネイティブであるかどうかによって、有利、不利の差が非常に大きい。また英語は非常に乱雑な言語で、文法と綴りがきちんと整理されていないし、例外が多く、初心者はいいのだが、中級以上になると習得が難しくなる。 そこでもっと均衡の取れた状態を目指そうと考えられたのが”複数言語制(plurilingualism)”である。国連の公用語、英語、フランス語、スペイン語、アラビア語、そしてロシア語と中国語ぐらいの言語を平等な立場で積極的に並立させれば、もっと多様な考え方や文化を世界の人々は享受できるのである。これをもっと狭い地域的な集まり、たとえばEUなどの場合にはさらに言語を細分化してこの体制を実行することができる。 フランス語はこの考えに立って現代世界に参加すべきであろう。すでにOIFというフランコフォンの団体があり、それは英語に取って代わることを目指すのではなく、英語を使っているのとは別の立場、考え方の機会を提供する道具のひとつであるべきなのだ。英語により標準化した無味乾燥な世界はなんとしても避けなければいけない。 © 西田茂博 NISHIDA shigehiro |