わたしの本箱

コメント集(7)

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凡例

(辞書・参考書類を除く)

題名 * 著者または訳者 * 出版社 / 読んだ年と月

(再) = 以前に読んだことのある本

 = 図書館あるいは人から借りて読んだ本

色別区分 三回以上読まずにいられない本 二回読んでみたくなる本 資料として重要な本


2001年・つづき

ファストフードが世界を食いつくす * 楡井浩一 * 草思社 * Fast Food Nation; Eric Schlosser 04/22/02

Fast Food Nationかつてから、ファストフードは、ジャンクフード(ゴミ食料)として、栄養的な面から様々に批判されてきた。カロリーばかりで脂肪や糖分の取りすぎは特に子供たちを成人病予備軍にすると。

この本は単に健康面だけではない。ハンバーグなら、その肉になる牛の飼育過程から、屠殺、精肉へと至る過程について、不潔きわまりない衛生管理にもふれ、牧場から販売に至るまで、ファストフードの会社に一手に握られている実態が述べられる。

従業員については、最低賃金さえ守られない搾取の実態、移民を利用して人件費を切りつめ、労働組合をつぶし、できるだけ訓練を必要としないいわゆる非熟練労働者の大量生産まで述べられている。

なぜファストフードは美味しいか。それは材料がいいのではなく、香料などの実に多種多様な添加物が実に巧みに使われているためだ。特に子供が喜び、その味をなるべく小さいときになじませておけば、成人してからもその食習慣が続いていつまでもお得意さんになってもらえる。

フランチャイズ方式によって、店舗をすべて本社からの強力な支配下に置き、どこでもまったく同じ味、メニューを維持することによって、食文化の画一化に拍車をかけている。アメリカのみならず、その料理の多様性を誇る中国でもどこの町にも同じ看板が建ち並ぶ日は近い。

結局ファストフードが実現したのは、アメリカの提唱したグローバリゼーションによる、世界全体への売り込み体制の完成である。そこにあるのは、実は自由市場とは名ばかりで、競走を極力減らすために次々と寡占化に取り組み、中小の業者が入り込む隙間はどこにもなくなってしまった。ファストフードの大企業の力が余りに強すぎて、価格も流通機構も、人々の嗜好も何もかも支配する時代になってしまったのだ。

それでも人々は、自分の好みで、自分の自由意志で、ハンバーガーやピザをパクついていると思いこんでいる。そして、その価格の安さのため、ますますそのような食事のファンになっている。自分たちが、大きな機構によって操作されていることに気づかないのだ。その気になれば、明日にでもすぐファストフードの店に行くのをやめることができるはずなのだが。

最後に大切なことだが、ハンバーガーが一個60円という安さは尋常ではない。これはなぜか。それはハンバーガーを作っている会社が、これによって生じる社会的コストを自分たちで引き受けていないからだ。

たとえば膨大なゴミ処理の費用、食べ過ぎによる肥満のためにかかる医療費、従業員のとてつもない低賃金、生産業者を脅して徹底的に買いたたいた材料費などだ。

このような膨大な金を自分たちで負担することなくほおかむりし、自らの利益に追求すれば、こんなばかげた低価格が実現する。消費者はそれを自分たちの利益になったと喜ぶ。

著者の論調はあくまで冷静で、客観的だ。店の店員が、内部の秘密をなかなか明かしてくれないことを知りながら、しつこくインタビューして、かなりの部分まで掘り下げている。381ページにわたる分厚い本だが、この産業のもたらす深刻な影響は、これでも書き足りないくらいだ。

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刺青・秘密 * 谷崎潤一郎 * 新潮文庫 05/08/02

刺青・秘密「痴人の愛」に続く、谷崎作品第2段。その文体の明快さ、よどみない流れ、思わず引きつきられるストーリー性など、ほかの日本人作家にはあまり見られない特徴により、全作品を読むことになりそうだ。

「刺青」は、自らの技能に野心を持ち、その見事な模様を肉体を描くことを夢見る若き刺青師の前に現れた、まだうら若い色町の女。この女もまた短き人生の間に何人の男を食いつくすかを夢見る野心家なのだ。

「少年」は、主人公が少年時代に、ある大金持ちの家庭の姉弟の遊び相手をさせられた体験。普通の子供たちの遊びとはまったく想像を絶するような違った遊び方に、主人公はとりつかれる。

「秘密」は、主人公がふと出会った女は、自分との逢い引きを求めながらも、その場所は目隠しをしていっさい知らせない。どうしても知りたい、でもたいていそういう場合は失望だけが待っているものだ。

「異端者の悲しみ」は、毎日家でごろごろし、学友から借金をして返さず鼻つまみになっている怠惰な学生が、ついに肺病で苦しむ妹の最期に立ち会うまでのやりきれない毎日を描く。だがそのあとは・・・

「二人の稚児」は、世の汚れを知らない稚児たちだったが、思春期になり、「女人」の姿が脳裏にちらついて離れなくなり、年上の方は俗世間に逃げ出して女を享楽する。だが、年下の方は踏みとどま、り仏の道の精進を目指す。

「母を恋うる記」は、夢の中に現れた果てしなく続く海岸と松林、街道沿いの民家、母に似た老婆、「天ぷら喰いたい」と奏でる三味線を持つ若い女、と母の幻影を見る。

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俳句入門 * 楠本憲吉 * 文春文庫 05/29/02

俳句入門ここに来て俳句の本を読むのは、今から俳句を始めようというからではない。俳句を作る人々にとって、その材料がすっかりなくなってしまってきていることを痛感するためである。

俳句の季語は「歳時記」と呼ばれる本の中に集められ、無季の俳句もあるけれども、大多数は適切な季語を含めて作られている。わずかな語数の世界で、自分の印象を語り尽くす試みなのだから、その季語を慎重に選ぶことは当然である。

だが、この本にちりばめられている大小の作品を読むうち、季語になった、動植物、行事、風物がほとんど消滅しかかっていることに愕然とさせられる。ホトトギス、千鳥、ガマガエル、などいったいどこにいるのだ?動物園に行けばいいのか?ほとんどの動植物は、今ではレッド・データ・ブックに絶滅危惧種として記載されている!!

この戦後50年の間に日本人が破壊尽くした自然と人間の生活の残骸を知りたければ、俳句を読むのが一番だ。もはやそこに書き込まれたイメージはこの世に存在しない。すべて高速道路や、新幹線の高架、郊外団地、便利な生活の下に永遠に埋もれてしまった。

日本の自然と生活様式の消滅と共に、文学としての俳句は死んだ。幸い、この世界最短の文学形式は、世界中の人々が注目すると事となり、それぞれの言語での創作の試みがおこなわれているというから、まだ「材料」の豊富な国々で、この芸術形式が生き延びる希望はある。

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@日本語は国際語になりうるか * 鈴木孝夫 *講談社学術文庫 06/11/02

日本語は国際語になりうるか著者の各地での講演を本にまとめたものである。従ってそれぞれの講演の内容は互いに重複する部分があるが、一貫してこれまでの情報鎖国をしてきた現状を憂い、自律的な文化を世界に向けて発信することを主張している。

実は日本語は、世界の中でも最も翻訳された作品の種類が多い国である。日本の本屋に行けば、世界中の著作が読めるのだ。だから外国人は、日本語を学んでしまえば、情報の宝を手に入れることができる。

日本人の西洋かぶれはますますもって重症である。1990年以前すでに、彼は日本人の髪が金髪に染められることを予言していた。これは自国の文化に対するコンプレックスを抱かさせ、今日の軽薄な「部品交換文明」を作るもとになったとする。

そして何よりも日本語を西洋語より劣った言語と見なし、日本の国語を英語やフランス語に変えろとか、ローマ字にしてしまえなどという暴論が何度も主張されている。日本語は世界の数多い言語に一つに過ぎず、特別に質が悪いというわけでもないのに、西洋崇拝の風潮が国語を軽視軽蔑するのが当たり前のような風潮を産んでしまったのだ。

日本の大学での外国語学習における、英語、フランス語、ドイツ語だけを偏重する風潮も西洋への屈従の現れだ。世界の文明圏の主要な言語をまんべんなく学ぼうとする姿勢がこれまでまったくなかったのだ。

日本語は国際語になりうる。日本人の精神構造が変わりさえすれば。経済力は十分に大きくなったから、今度はそれに匹敵する大きな情報創造能力を身につけさえすれば、自他共に大国としての道を歩むことができるだろうに。それができないならばこれ以上世界中に矛盾をさらすより、経済的に縮小してしまったほうがましなのだ。

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@僕はこうして日本語を覚えた * デーブ・スペクター * 同文書院 06/17/02

僕はこうして日本語を覚えた日本に来て有名になったテレビタレントが、自らの出生から、今日の日本における活躍に至った経緯を語る。この研究熱心なアメリカ人はシカゴ育ち。だが、小さい頃から日本的なものに強い関心を示し、文化的なもの、特に映画を通して日本のさまざまな面を知り、当然の事ながら、熱心に日本語を学び始めたのだ。

そもそもアメリカ人は世界が英語を学ぶから、自分たちは外国語を学習する必要がないと思っているひとが非常に多い。だが、デーブは違っていた。異国に関心を持つことは、その言語にも深い理解がなければならない。日系人の団体で作っている日本語弁論大会に出場して、入賞するなど、その努力の仕方は並大抵ではない。

そして日本に来るチャンスを生かして、次々と現代日本語のボキャブラリーを増やし、その成果である漢字ノートが一部掲載されているが、その語彙は、一般日本人を遙かにしのぐ。流行語あり、古語あり、難解なことわざ風のものあり、とにかく身の回りから飛び込んでくる日本語は、丹念に記録してそして覚えてゆく。

語学の達人は、やはり才能だけではたちゆかないのだ。常にまわりの言語現象に気を配り、どんどん忘れてゆくのを上回る速度で、新単語を仕入れてゆくのだ。やはり語学には王道なしだ。

彼に言わせると日本語は自由でファジーな言語(語順などが)だが、その完成度が高くないそうだ。だからそれを操っていくには高度な言語的センスが要求される。又よく言われているように、日本語の言語としての乱れが、特に最近の若い人の間に激しく、これは誰でも心配になるだろう。

彼の日本語能力は、外国人としては異常に高度であるが、漢字をパズルとして覚えたり、駄洒落の研究から日本語の持ち味を覚えてゆくところなど、これから日本語を学ぼうとしている人にも参考になる。

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@外国語から見た日本語 * 興津憲作 * 近代文藝社 06/24/02

外国語から見た日本語なかなか示唆に富んだアイディアの多い本だ。全体としてはあまりまとまっていないが、日本語・外国語についてのおもしろい見方が、たくさんちりばめられている。それというのも、作者は、スペイン語を教え、ギリシャ語や、淡路島の方言、英語とさまざまな言語・方言についていろいろと研究してきたからだ。

特定の専門に没頭せず、いろいろな関連項目に手を出して、その中から新しいものを発見することがいかに大切かがわかる。特に日本の学者の中には「専門バカ」と呼ばれる人が多く、狭い研究分野から生まれるものは、あまり多くの人々の目を引きつけることができなかった。言語にしてもそうで、一つの言語にこだわるよりもいろいろ性質の違う言語を勉強してみて、その比較から生まれる新しい視野の可能性を、この本の作者は示唆している。

日本語は具体的、スペイン語は抽象的な特性を持つ。西洋語における劣等比較が単なる否定文と違う点(一番美人の度合いが少ない、はブスとは違う)、無人称や受け身についての考察、一方で日本語の受け身に含まれる「被害者意識」(死なれた、など)、日本語にも言語を整理するための、アカデミア(翰林院)が必要なこと。

「うお」(泳いでいる)と「さかな」(食べ物)のちがい、日本語の母音中心主義と、長母音・短母音の区別がいかに重要かについて、又、日本語の「ん」の独自性について。戦後の漢字制限のもたらした災厄についてなど、幅広い議論が展開する。

おもしろいのは、エスペラントに代わる世界の共通語として、漢字を使ってみたらどうかという発想だ。中国本土でも地域によって方言の幅があまりに大きく、会話による互いの意志の疎通はほとんど不可能だが、筆談することによって、お互いに了解することができ、日本人もその恩恵にあずかっている。(朝鮮人は漢字を捨てたので、もはやこの恩恵にはあずかれない!)

この表意文字としての優れた特性は、文盲率を下げ、新しい概念をものにするのをスムースにしているのだ。これを世界の共通語にすれば、その発音や文法はともかく、世界の人々がお互いに文字の上で了解することが可能になるかもしれない。

方言の重要さについては、狭い日本列島の中でもこんなに多彩な変異が存在するということは、いかに日本が文化的多様性をこれまで保ってきたかのあかしである。そして東京の標準語的「横暴」が日本を画一化しようとしていると嘆く。確かに公共放送の押しつけはよいことではない。少なくとも民放ぐらいは、地元の方言で放送する時間をもうけてみたらどうか。津軽放送のように。又、東京の人間は標準語しか話せないモノリンガルであるが、地方の人間は、標準語と地元の言葉を使い分ける、バイリンガルであることを忘れてはいけない。

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@日本語と世界 * 大野晋 * 講談社学術文庫 07/03/02

日本語と世界国語学者大野氏の論文集である。最初の話によれば、日本でも最初の本格的な国語学者、本居宣長は、その最もすぐれた仕事は50歳から70歳までの20年間に行ったのだそうだ。50歳までは、ひたすら材料の蓄積に捧げられ、そののちに自らの独自な理論の展開をはじめたのだろう。

論文の中で特に興味深いのは、助詞の「ガ」と「ハ」の違いである。「ガ」は未知の情報に基づくもの、「ハ」は既知に情報に基づくもの、となんとなく西洋語における「冠詞」の役割を担っているようにも思える。これは誰もが無意識のうちに使い分け、そのくせ納得いくような説明を加えた人が今までになかった。これを氏は本格的に手がけたのである。

従来の5段活用のような文法的な体系は外国人にはわかりにくく、日本語学の学問の進展は鎖国状態であった。だが、氏の言うように、これからはどんどん外国からの学習者に理解してもらえるような、国際的に通用しさらに近い関係にある言語とも有益な比較ができるように研究を進めていかなければならないのだ。

だが、氏によれば日本人は文法嫌いが多いという。多くの日本人は、日本語を論理性のない説明のつかない非文法的で不完全な言語と見なし、これまできちんとした研究を怠ってきた。外国人が日本語をどんどん学ぶ状況など、全く予想もしていなかった。だが経済力の発展と比例して今後は日本語の重要性が少なくともアジアでは取りざたされるようになってきているのだ。

その点では、日本語の中には、当たり前とされながらもまだ説明がきちんとなされていない部分がまだ多数あるといえる。さらにこれをたどれば日本語の起源の問題にさかのぼる。アルタイ語系や、インドの南部説、ポリネシア起源説などさまざまな節が浮かび上がっているが、残念ながら満場一致になるような説得力のある説はいまだ出ていないし、今後も資料不足の関係で無理だろう。

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名画読本・日本画編 * 赤瀬川原平 * 光文社・カッパブックス 07/14/02

名画読本今まで西洋名画をありがたがっていた人も、やはり自分の生まれた国の絵画を見る機会があってもいいだろう。ゴッホが制作の参考にし、印象派を産んだとされる、浮世絵の世界も、書の伝統を受け継ぐ水墨画の世界もぜひ一度は見ておきたいし、できることならその複製をポスターにして自室に飾るか、コンピューターの背景に使ってみるのはどうだろう。

赤瀬川氏の説明は、従来の姪批評家と違って、感じたままを書いているから、時としてその表現は荒っぽいが、実際の絵が14枚、本の中に綴じ込まれているので、それを見ながら感覚的に気づいた点を直接知ることができる。

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ふだん着のソウル案内 * 戸田郁子 * 晶文社 07/21/02

ふだん着のソウル案内この話は、ソウル・オリンピック以前だから時間的には古いかもしれないが、日本から韓国への留学生という、当時としては実にユニークな経験に飛び込んだ若い女性の、日々の生活を「ウッチャ通信」というミニコミで書きつづった貴重な記録である。当時も今も、女子留学生といえば、アメリカ、オーストラリアあたりが相場だが、世界の隅々まで彼女のような人に飛び込んでもらわないと、本当の姿はいつまでたってもわからない。

というのも、普通のジャーナリストの視点ではなく、まだ何もわからない留学生という立場からの視点は、新鮮で当時の不安定な韓国社会を生々しく見つめているからだ。絶え間なく行われる学生運動と機動隊による催涙弾の攻撃、政府に反対の立場をとる人々への過酷な弾圧、経済成長が第一におかれ公害や原発に目をつぶる社会風潮など、日本でもかつて通り過ぎた経緯をこの国でも繰り返していたからだ。

今の豊かで安定した韓国の姿を見ると、ほんの数十年前のことが忘れ去られてしまいそうだ。当時の風刺の効いた新聞漫画や流行曲のこともたっぷり入っていて、その意味で大切な社会史の一部をなすものともいえる。

そして「望むものはなんでもかなって、何をしたらいいのかわからない社会」ともいえる日本とは対照的に、さまざまな困難の中を模索し続けた当時の韓国の姿が実によく出ている。こういう状況では「無知は罪悪、沈黙は共犯」という言葉がすごみを帯びて迫ってくるのだ。

「なんでも見てやろう」「吉田ルイ子のアメリカ」「深夜特急」「自動車絶望工場」「太平洋ひとりぼっち」など、どれをとっても若い多感なときに感じたままを書きつづったものは、何らかの共感を与えてくれるものだ。

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風にころがる映画もあった * 椎名誠 * 情報センター出版局 07/27/02

風にころがる映画もあった昔、野外映画会というのが、夏の暑い時期にあって、夜が更けると人々は蚊に喰われた足をぼりぼり掻きながら、公園や空き地に張られた白い布に移った映画を楽しんだものだった。そのとき風が強いと、白い布は勢いよくはためき、まさに「風にころがる」映画になったわけだ。

とはいえ、本文は著者が、映画製作にのめり込み、8ミリから16ミリへと機材を苦労しながら買い求め、映画製作の同好会やクラブに加入したりして、いろいろな情報を集め、自分の作品をなんとか作ってゆく話が中心だ。

本格的な映画で、モンゴルの風景を美しく描いた「白い馬」の監督であった椎名氏が、わかいころ素人映画製作にとりつかれて様々な作品を作ってみたらしい。もっとも、素人の悲しさで、いったんNHKのような組織で作ってしまえば、その設備の優秀さは比較のしようもないから、それきり自分で作っていくのはやめたようなのだが。

植草甚一もそうだが、映画を話題にすると、それにまつわる話が無限に出てきて、話題に事欠かない。テレビと違って、暗いところである一つの世界に没入する体験は、いろいろな夢の広がりを提供してくれるようだ。

何でも見てやろう * 小田実 * 河出書房新社 08/13/02

私の本箱・ベスト(2)に記載

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