映画の世界

コメント集(10)

前ページ

  1. キッズ・リターン
  2. 楢山節考
  3. Hana-bi
  4. 居酒屋兆治
  5. 学校
  6. ソナチネ
  7. 網走番外地
  8. 55 Days at Peking 北京の55日
  9. Un chien andalou アンダルシアの犬
  10. Orphée オルフェ
  11. Mélodie en sous-sol 地下室のメロディ
  12. Papillon パピヨン

次ページ

H O M E > 体験編 > 映画の世界 > コメント集(10)

今年見た映画(2000年)

キッズ・リターン 10/21/00 

キッズ・リターン再び北野監督の作品。子供たち(キッズ)は高校3年生だ。主人公は、学校の受験体制に関心もなく、ぼんやりと授業中に校庭を眺めるような男の子だったが、チンピラ風の友だちに連れられて同級生から金を脅し取ったり、教師の車に火を付けたりして毎日を過ごす。

チンピラ風の友だちがボクシングの心得のある者に殴られたことから、二人ともジムに入って練習をすることにする。主人公は思いがけずボクシングの才能があることが認められ、ジムの期待を担って体の鍛練に励む。

一方チンピラ風は、本当に暴力団に入ってしまい、そこで何とか上へはい上がろうとする。ほかに喫茶店に通い詰めてウエイトレスの女の子に恋がれる奴、コンビを組んで漫才に熱中する奴、みんな何かをやろうとするうちに卒業式が来る。

だがボクシングの希望の星は、悪い同僚のせいで減量に失敗し、チンピラ風は組長暗殺の後に別の仲間から恨みを買って半死半生となり、喫茶店に通っていた奴は最初の会社はすぐいやになり、次にタクシーの運転手は始めたものの、事故を起こす。

主人公とチンピラ風は自転車の二人乗りをしながら、母校の校庭に戻ってくる(リターン)「俺たちもう終わりか?」「いやまだ始まってもいないぜ」

高校に今のような閉塞感が漂い始めた頃の話。キッズたちはみな失敗してしまったようだけれども人生に失敗したわけではないんだという監督の応援歌が聞こえてくるようだ。(1996年)

出演者 :金子 賢、安藤政信  森本レオ、丘みつ子  石橋 凌、寺島 進

上へ

楢山節考 10/22/00 

楢山節考日本の山に奥深く囲まれた、貧しい小さな集落では、人々の生活は「楢山様」に支配されていると信じられていた。あまりに食物が少なく、人々は、家族を増やす余裕がないどころか、生まれたばかりの子供は水子として直ちに殺し、ある年齢に達した高齢者は、山深くへ二度と戻らぬ「お参り」にゆくのだった。

主人公はある一家を構える45ぐらいの男である。ふたりの弟、息子と生まれたばかりの娘、自分の母親を養っていかなければならない。自分の妻は幼子を生んで間もなく死に、隣村から後添えに来てもらうことになった。それどころか一方の弟にも女ができて、この家に住み着くようになる。食べさせるべき口が頭が増えすぎた。

そのころから、まだ体が達者な母親は、そろそろ自分が山へゆくことを考え始める。自分の頑丈な歯を石臼にたたきつけてわざと歯を折る。新しく来た嫁に山菜や魚のいる秘密の場所を伝授する。

弟が連れ込んだ女が夜ひそかに自分の実家にこの家から盗んだ食物を運んでいることが発覚し、さらに村中の作物を盗んでいたことがわかり、その一家は弟の女も含め、村人によって縄で縛られ、全員生きたまま土の中に埋められる。村の掟は食物の不正については容赦しない。

いよいよ母親は山へゆくことを決心する。村人たちにあいさつをし、長男の背中に背負われて山奥へと向かう。口を利くことを禁じられている母親は、息子にしがみつき、ついに大昔からこの集落の祖先たちが最後の時を過ごした谷間にたどり着く。一面、白骨だらけのこの場所で、彼女は心静かに筵をひき、手を合わせてひたすら祈る。

息子が山を下り始めると、雪が降り始めた。思いがけずこの日に、天は申し合わせたように雪を降らせたのだ!息子は家にたどり着くと、自分の妻も、弟が新しく迎え入れた妻も自分の母親の身につけていた帯を当然のように締めて立ち働いているのだった。

あまりに貧しい日本の村々で昔から子殺しと姥捨てが平然と行われていたことはよく知られている。主人公の息子も後20数年すれば自分の息子におぶわれてこの谷間に捨てられることがわかっているし、その息子も孫に捨てられることだろう。

自分たちが滅亡しないためには他に取るべき手段がなかったことが、ところどころに挿入されている、ヘビがカエルを丸飲みにしたり、メスカマキリがオスカマキリをむしゃむしゃ食べている映像が二重写しになり、さらに何度も出てくる男女の交情場面が、死と強烈なコントラストをつくっているのだ。(1983年)

監督:今村昌平 出演:緒方 拳/坂本スミ子

上へ

Hana-bi 00/11/03

Hanabi北野武監督作品もこれで、5作目になった。作風もだんだんわかってきたし、ある程度展開も読めるようになった。今回の作品は、かつての「その男、凶暴にして」の焼き直しともとれる。

腕利き刑事、西は妻が病気の末期症状で、あといのち幾ばくもないのだが、仕事が忙しすぎて、まともに病院へ見舞いにも行けない。たまたまコンビを組んでいる相手の刑事、堀部が時間を作ってくれたが、その間に堀部はギャングに撃たれて、半身不随となって車椅子の生活となる。さらにもう一人の同僚も、自分が取り押さえようとしたときに撃たれて死ぬ。怒りのあまり、西はその犯人を死んでいても何発も弾丸を撃ち込み、刑事の仕事を辞める。

堀部はこの事故で妻子に去られ、自殺を企てるが、西は彼に絵の道具を宅配便で送り、堀部は花をモチーフにした家族の絵を描くのに没頭するようになる。もう一方の死んだ同僚の妻にも、西は何かと面倒を見る。

最後に奥さんに旅行でも連れていってやりなさいと、医者から言われた西は、金が足りない。一計を案じた彼は、ポンコツのタクシーをパトカーに塗り替えて銀行強盗に入り、まんまと大金をせしめる。

妻を連れて、彼女の喜ぶ場所を次々に回る。雪を求めて山奥まで行ったり、「Hana-bi」に点火して、夜空の饗宴を楽しむ。しかし大金をかぎつけた刑事時代のやくざたちが後を付けてきて、金を奪おうとする。だが「凶暴」な西は、彼らを全員撃ち殺す。

ついに警察に追いつかれ、海岸で最後の時を過ごす二人。少女の飛ばそうとした凧のようにずたずたになった西は弾丸を込め、一発は妻に、もう一発は自分に向けた・・・

「花火」は西と妻との短い夫婦の絆の象徴であり、また堀部刑事が自分の絵の中に書いた、家族団らんの象徴でもある。デビュー作「凶暴にして」が表向きの凶暴さだけに焦点を当てたのに対し、この上にさらに夫婦や家族の絆を重ね合わせて深みを増したものだといえる。堀部が絵を描く砂浜の海の青さはまぶしい。またふたりの最後の場所となった砂浜も海はどこまでも青い。(1997年)

監督;北野武 出演;ビートたけし 岸本加世子 大杉 漣 寺島 進 白竜 渡辺 哲

上へ

居酒屋兆治 11/9/00 (再)2017/10/10

兆治は函館のドックにつとめていたが、総務課長に昇進する話が出たとき、自分が今までの仲間をクビ切りする役目だと気づいて、サラリーマンをやめる。近くの飲み屋のおやじから料理を教わり、物わかりのいい奥さんと共に赤提灯を始めるが、なかなかの評判で店内はいつも客でいっぱいだ。

幼なじみで愛しながらも、その昔貧しさ故に別れた女は、金持ちの牧場に嫁ぎ子供までもうけるが、兆治が忘れられず、家出を繰り返したり牧場に放火したり、最後には札幌のスナック街に流れて行く薄幸の女である。

兆治は地元の同年輩の連中とかつて青年会のメンバーだったことから、彼らが店の常連となり、兆治のまわりにはさまざまな人物が出入りする。だが警察から、放火を女と共謀した疑いをかけられ、自ら札幌に出向いて昔の女を発見するが、時すでに遅し、彼女は酒の飲み過ぎから息を引き取った直後だった。

わずか10日間料理を教えてもらった飲み屋のおじさんを師匠と呼んで競争になるからと近くでの営業を遠慮する、自分をクビにした上司がガンだと聞いて見舞いに行く、喧嘩が始まると「オレを殴ってくれ」と顔を向ける、愛する人がいても自分の貧しさ故に結婚を断り金持ちのところに嫁がせる。

最後に流れる加藤登紀子の作ったテーマソング、「時代おくれの酒場」通り、高倉健の演ずる兆治は、全く欲を持たず、相手を取って食っても自分が得してやろうという、現代における風潮の典型的なアンチ・テーゼである。そしてまた二度と帰らない日本の田舎町の人々の交流を再現している。出演者は実に多彩だ。(1983年)資料外部リンク

監督:降旗康男 出演:高倉健 大原麗子 加藤登紀子 田中邦衛 伊丹十三 平田満 左とん平 小松政夫 ちあきなおみ 石野真子 大滝秀治 佐藤慶 小林稔侍 あき竹城 細野晴臣 武田鉄矢 池部良 山口瞳 山藤章二

上へ

学校 A Class To Remember 11/12/00 (再)2024/02/19

学校夜間中学は、貧しくて小さい頃に学校に行けなかったとか、病気のためとか、外国から来たばかりで読み書きができない人々を教えるためにある。学びたい者と教えたい者とが、殆ど費用もかからずに教室という場で出会うのであるから、いわば教育の原点である。

西田敏行が演じるこの学校の教師は、わざとらしい熱血教師ではない。自然体で生徒に接し、むしろ生徒から教えてもらおうというふうだ。何しろ人生経験では、一枚も二枚も上手な人間揃いなのだから。その点、竹下恵子演じる女の先生の方が、こうあらねばと自分のいたりなさに悩む。

朝鮮人である、焼き肉屋の女主人(奈良は朝鮮帰化人が「私たちの祖国;ウリナラ」と呼んだことから生まれた名前だそうだ)。薬でぼろぼろになったあげくに自分を取り戻しにやってきた若い娘、清掃作業で昼間は汗を流す生意気な青年、母親が日本人である中国人青年、それまでかたくなに登校拒否を続けてきた女子中学生らが、それぞれの身の上話を交えながら話は展開する。

いよいよ卒業式が迫った頃、入院していた50過ぎのおじさんが故郷の病院で死んだという知らせが入る。字の読めない、でも競馬新聞は理解できるこのおじさんが、いかにこの夜間中学に入学を求めてきたか、勉強に苦労し、女の先生に恋心を抱いてしまった顛末が、みんなのホームルームの中で語られる。

生徒たちは皆さまざまだが、一つだけみんなに共通する点がある。それは「学びたい」と思って教室にやってきていることである。そしてそれが彼らの“幸せ”の出発点になっていることだろう。奇をてらわず淡々と進行するストーリーで、「寅さんシリーズ」の山田監督は学校とは何かをわれわれに教えてくれるのではなく、われわれに逆に答えさせたいのだろう。(1993年)⇒資料外部リンク

監督:山田洋次 脚本:山田洋次/朝間義隆 出演:西田敏行/竹下景子/渥美清/田中邦衛/萩原聖人/裕木奈江

映画の世界ホームへ

ソナチネ 00/11/16  

ソナチネ東京のヤクザに属する一人の男。ビートたけし演ずる彼は兄弟や上層部に疎まれ、沖縄の組同士の応援にゆくように命令される。子分や仲間を引き連れての大移動だったが、着いてみると血なまぐさい闘争に巻き込まれ、敵も味方も次々の銃弾に倒れる。

町中での恐るべき市街戦を避けて、彼を含む残った4人は人知れぬ海岸の一軒家に潜伏する。ようやく戦いから解放されたものの、毎日やることがない。相撲を取ったり花火と銃に見立てた銃撃戦をやったり、果ては砂浜に落とし穴を掘ったりして時間をつぶす。

だが組同士の闘争は終末に近づいていた。負ければ一方は皆殺しにされる。東京の幹部たちのたくらみを知った男は、ホテルに乗り込み連中を残らず機関銃で撃ち殺し、最後に自分もこめかみに銃を当てて命を絶つ。

「その男、凶暴にして」や「Hana-bi」と同じ流れをくむ、暴力映画である。北野監督はなぜこれほどまでに、暴力、それもヤクザ関係の暴力に固執するのか?

もしアクション映画に徹するというのであれば、はるかに上手な表現力や生々しい場面を作るのに長けた監督は大勢いる。血まみれの場面や指をつめたり、銃で相手をなぎ倒すというのは、この監督の現代社会に込められた激しい怒りがあるのかもしれない。

この種の映画を判断力が最近とりわけ落ちてきている未成年者層に見せると、表面的なものだけをまねされかねない。でもかといって暴力的な感情を引き起こす、現代社会の側面を見落とすわけにもいかないだろう。(1993年)

出演者 :ビートたけし、国舞亜矢   渡辺 哲、勝村政信  寺島 進、南方英二ほか

上へ

網走番外地 00/11/23 (再)2014/04/30

網走番外地高倉健が演じる、橘真一は、ヤクザの果たし合いで人を斬りつけ、ここ網走刑務所に3年の刑で送られてきた。北国の寒さは森林伐採という仕事の厳しさに加えて大変な環境だ。

ここの連中は、さまざまな犯罪歴を持つ男たちが集められ、風呂も寝るところも共同生活を強いられている。真一はその頑固な性格から、仲間との喧嘩が絶えず、懲罰牢に入れられたりする。

貧しさからケチな男と再婚した母親の苦労、いつも自分を慕っていた妹のことが頭から離れないのに、こうやって北の果てに閉じこめられているのが、やりきれない。しかも母親は乳ガンで命も危ないという。

心配した、彼の保護司が仮釈放のために立ち回ってくれるが、仲間が脱獄を試み、鎖につながれた彼も一緒に脱走させられてしまう。雪の山越え、トロッコでの山下り、そして線路のレールに鎖をおいて見事切断に成功する。

だが、その時にけがをした脱走仲間を一人放置できず、追いついてきた保護司に仲間を病院に連れ行ってくれるように頼む。「おまえはなんてお人好しなんだ!」半ばあきれて保護司は、母親の乳ガン手術が成功したことを告げる。

これを聞いてうれしさ百倍、真一は病院へ向かう馬橇に大きくムチをくれるのだった。

網走シリーズの第1作目である。まぶたの母親、仁義を重んじる一徹さ、ひとを見殺しにできない性格、そして男臭さとスマートな立ち回りと、シンプルなハッピーエンド。いずれも当時、国民的大ヒットするすべての要因を備えていた。(1965年・白黒)

<再構 2014/04/30>

今年も網走刑務所に何人かの新入りが入ってきた。伐採作業、木工、など酷寒の中での作業が始まる。橘真一は小さいころから義父に反抗し、母親と妹の心配をよそに、極道の道を歩んできた。ここ網走に来ても、先輩格の男たちと対立し、ひとり意地を張る生き方を続けていた。

囚人たちの間で脱走計画が持ち上がる。だが、8人殺しの”鬼寅”の敢然とした態度で、あえなく計画はつぶれる。だが、トラックに乗って奥地へ伐採に行くとき、真一と鎖でつながれていた権田がトラックから飛び降り、真一もやむなく脱走をつき合わされる。雪の中を走り、農家の主婦を権田がけがをさせたが、その夫は何と真一の仮釈放を骨折ってくれた保護司の妻木だった。

二人はトロッコに乗って、追手から逃れ、自分たちをつないでいる鎖を、鉄道線路上で断ち切るのに成功した。だが、権田はその際に大けがをしてしまった。真一は「おっかさん」と叫ぶ権田を見捨てることができないでいるうちに、妻木に追いつかれ、銃を突きつけられる…資料外部リンク

監督:石井輝男 出演:高倉 健/南原宏治

上へ

55 Days at Peking 北京の55日 00/12/01 

55days at Peking西暦1900年、中国は帝国主義に反対する義和団の反乱で揺れていた。西太后を中心とする清朝政府は全くの弱体だったが、イギリス、フランス、ドイツ、ロシア、イタリア、日本の列強により、首都の北京が半ば植民地の状態になると、人民の間に外国を追い出そうという機運が強まった。 日本でいう「北清事変」である。

列強の中には、ヘストン演じるマット少佐の指揮のもとでアメリカ海兵隊の小グループも混じっていたが、はじめのうちはイギリス外交官の義和団に対する慎重姿勢に同調していたものの、天津からの援軍が来るという情報を頼みに、それまで居住区を持ちこたえさせる役割に協力する羽目となった。

義和団の攻撃は猛烈を極め、弾薬も尽き、仲間も次々と死んだり傷ついてゆく。ロシアの優秀な士官の妻でありながら、中国の将軍に横恋慕したために国外追放の憂き目にあっている女ナターシャに、少佐は気持ちをひかれるが、臨時の看護婦役をかってでた彼女も銃に撃たれて死ぬ。

砦にこもって55日目、天津からの援軍も引き返したという情報が流れ、居住地の外国人たちは、もはやこれまでかと覚悟を決める。その時、向こうから馬に乗った援軍がやってきたのだ!

マット少佐の下にいる大尉は中国人の母から生まれた娘を密かに持っていたのだが、大尉も激戦のさなかに死に、少佐はその娘を引き取ってアメリカに連れてゆくことにした。

当時のアメリカは列強とは言っても、ヨーロッパ諸国に比べれば全くの弱小国だった。まるで騎兵隊の宿舎から出てきたばかりといったいでたちの海兵隊は、まだ帝国主義の傲慢さもなく、ただ異国で戦争に巻き込まれることの心細さだけが目立っていたのである。

皮肉なことに歴史は、この事件の後完全に西欧諸国の帝国主義的な攻勢が圧倒的に強まり、清朝は全くの植民地的状態に置かれてしまう。この映画はあくまでも「英米」側からの立場で描かれている。義和団の兵士たちはアリのような存在に過ぎない。(1963年)

Directed by Nicholas Ray : Writing credits Bernard Gordon / Philip Yordan Cast overview: Charlton Heston .... Major Matt Lewis Ava Gardner .... Baroness Natalie Ivanoff David Niven .... Sir Arthur Robertson ヒアリング:きわめて明快

上へ

Un chien andalou アンダルシアの犬 00/12/17 (再)2014/05/27

何とも不気味な、不可解な映画だ。それもたった15分間しかない。それもそのはず、あのシュールレアリスムの旗手、サルバドーレ・ダリが脚本を書いた作品なのだ。

全体に筋はない。最初にとぎすませたカミソリで、女の眼球をスパッと切り、中身がどろっと出てくるところから始まる。それから時間は数年飛んで、男と女が部屋の中で向かい合う。路上に落ちている人間の手首を見つめる青年。

血の滴る牛の首がピアノにぶら下がり、それをうんうん唸りながら引っ張る男。と思ったら、ドラエモンの「どこでもドア」と同じく、女が扉を開けると、そこは潮風の吹く海岸だ。新しい男が待っている。

最後は、「春」と称して、ふたりの男女が、砂の中に首だけ出して埋もれているシーンで終わる。余計な解釈はしないほうがよい。サイレント映画として、最後まで曲が流れ、解説はすべて字幕(フランス語)である。古いため、画面の質が悪いのが残念だ。(1929年)資料外部リンク

Directed by Luis Bunuel / Writing credits Luis Bunuel Salvador Dali Cast: Pierre Batcheff .... Man / Simone Mareuil .... Young girl / rest of cast listed alphabetically Luis Bunuel .... Man (Prolog) Salvador Dali .... Seminarist

上へ

Orphée オルフェ 00/12/18

Orpheeギリシャ神話の登場人物の一人、オルフェは死んだ妻を追って、地獄まで会いにゆく。だが帰り道に振り返ってはいけないという命令をつい忘れ、後ろ姿を見てしまい永遠に妻に会えなくなる。

この映画はそれを素材にした現代劇だ。詩人である主人公オルフェは、死神の女王が命を奪った、彼よりも才能のある詩人の天才的な詩を、カーラジオを通じて受け取る。こんな取り計らいをしてくれたのも、女王がオルフェに恋してしまったからなのだ。

女王は次にオルフェの妻の命も奪う。悲しみに打ちひしがれたオルフェは、女王付きの運転手に連れられて死の世界へと向かう。手袋をはめて鏡に手を突き出すと、不思議にその手は向こう側に突き抜けて、死の世界へとつながってゆく。

死の世界では判事たちが待ち受けていて、勝手に死人を連れてくる女王もとがめられた。幸いにもオルフェは、振り返らない約束で、妻を連れて現世に戻る許可をもらえた。だがオルフェは、女王の恋も受け入れていたのである。

現世に戻ってから、運転手が再三注意をしてくれたにもかかわらず、オルフェは車のバックミラーから妻の姿を見てしまう。再び妻は死の世界に連れ去られてしまうが、後を追うように拳銃で殺されたオルフェに、女王は最後の好意の印として、しかも死の世界での大変なルール違反をする覚悟で、二人を現世に戻してくれたのだった。

古典的なギリシャ神話が全く新しい肉付けをして現代神話として生まれ変わった作品。少しも怪奇的な感じはせず、現実の生活の中でごく自然に起こるようにつくられているのがおもしろい。(1949年)

Directed by Jean Cocteau Writing credits Jean Cocteau Cast: Jean Marais .... Orphee Francois Perier .... Heurtebise Maria Casares .... The Princess Marie Dea .... Eurydice ヒアリングー早口のフランス語

上へ

Mélodie en sous-sol 地下室のメロディ 2000/12/25 (再)2008/02/16

英語名は Any Number Can Win 。刑務所を出所したばかりのジャン・ギャバン演ずるシャルルはもう年だ。ヘマをしてもう2回も豚箱入りをしている。だが最後の「大仕事」をしてから、悠々自適な老後を送りたいと思っている。だが体力的にきついので、どうしてもすばしっこい子分が必要だった。

シャルルが服役中に知り合ったチンピラ、アラン・ドロン演ずるフランシスはまだ若干27歳。シャルルはフランシスを指図して南仏リゾートのホテルにある賭博場の金庫から札束を奪う計画を立てる。フランシスに立派な服装をさせ、フランシスの義理の兄は自分の運転手に使い、綿密な犯行を準備する。

プールにたむろする若い女たちを口説いたり、チップをやってホテルのボーイや従業員と親しくなり、ラインダンスの楽屋にまで出入りできるくらいにすっかりなじみになったフランシスは、次にシャルルの調査したホテルの見取り図をもとに、賭博の売上金の保管場所や犯行後の逃走経路を決めておく。

用意万端整ったところで、いよいよ犯行の夜となった。計画は無事実行され、フランシスは盗んだ札束を二つの大きな布鞄に入れて、とりあえずプールの脱衣所の隅に隠しおせる。ところが何と自分がホテルに頻繁に出入りしているうち、たまたま新聞記者に自分の姿を写され、この写真が、事件と共に紙面の第1ページに載ってしまった。

Melodie En Sous Sol ( Any Number Can Win)あわてたシャルルは、フランシスに予定を繰り上げてカバンを取り出させ、隠れ家に運ぼうとするが、海に面したプールサイドで運悪く賭博場の幹部たちが警察と話し合いをしている場に来てしまった。その話を聞いていると、もはや自分たちの特徴やカバンの特徴もすっかりわかってしまっていて、捕まるのは時間の問題だと勝手に判断したフランシスは、いきなり海の底に現金の入ったカバンを投げ込む。

ところが何と、カバンのふたが開き、中から次々と札束が浮き出してきた!完全犯罪を狙ったのに、最後のつめでまたまた思わぬヘマをやらかしてしまった。アランドロンがなんと若いのだろう。また、この映画のテーマ曲は単純ながら、実に雰囲気のある演奏だ。(1963年・白黒)

Directed by Henri Verneuil / Writing credits Michel Audiard (dialogue) Albert Simonin Cast: Jean Gabin .... Charles / Alain Delon .... Francis ヒアリングー早口のフランス語

上へ

Papillon パピヨン 00/12/27

Papillonポン引き殺しの無実の罪で7年の刑を食らった、胸にパピヨン(蝶)の入れ墨のある男(マックウィーン)は、当時のフランス領ギニアへさらに7年送られることになる。

悪名高きフランスの囚人植民地は、南アメリカ大陸の北海岸、アマゾン川河口の西に位置し、マラリア、毒蛇、ワニ、すさまじい暑さ、と白人なら4割が1年も持たない過酷な環境であった。

大西洋を渡る輸送船の中で、パピヨンは、ニセ国債をつくったかどで捕まっていた男ルイ(ダスティン・ホフマン)と親しくなり、現地についても脱走の計画をさまざまに立てる。

最初の計画は失敗し、パピヨンは独房に入れられる。ルイが椰子の実を密かに差し入れしてくれたのがばれたが、パピヨンは決して口を割らず、食事を減らされ餓死しそうになる。

2回目の計画はライ病人だけの住む島の人々の好意のおかげでボートを手に入れ、やっとの事でホンジュラスの海岸にたどり着くが、同行したルイともう一人の若い男とは離ればなれになる。だが運良く原住民に救われ、妻を得て安楽に暮らす。

だが文明社会に戻りたいという願いに突き動かされて、修道院に救いを求めたのに、修道院長は警察に通報してあえなく独房入りとなる。5年の刑を食らって出てきたときには髪は真っ白で老人のようになっていた。

独房から出ても、彼が閉じこめられている島は、まわりが断崖絶壁で決して脱走することはできない。島にはここに居着いて一生を過ごすことを選択した人々が何人か住んでいた。その中にルイを発見したパピヨンは、再び脱走のことを考える。

断崖に打ちつける波のうち、タイミングさえ合えば沖合に流してくれる波があることを発見したパピヨンは、椰子の実を詰めた俵を海に投げ込んで、居残ることに決めたルイが見守る中、自らも断崖から海の中に飛び込み、再び自由への道を目指す。

自由を求めて執拗に生きるパピヨンの姿は、現代人への優れた教訓になるだろうか。彼は独房に入れられても腕立て伏せを欠かさず、出された食物はどんなにまずくてもすべて食べ、虫でもコウモリでも命を繋ぐことができるものなら何でも食べてしまう生命力を持っている。

また一方では実に義理堅い男で、差し入れてくれたルイのことを、自分の命をさらしても口を割らない。男の友情を貫く一徹さも、パピヨンの生命力を支えてもいるのだ。(1973年)

Directed by Franklin J. Schaffner Writing credits Henri Charriere (novel) Dalton Trumbo Cast: Steve McQueen .... Henri 'Papillon' / Charriere Dustin Hoffman .... Louis Dega *ヒアリング*聞き取りやすい明快な英語

上へ

次ページへ

H O M E > 体験編 > 映画の世界 > コメント集(10)

© 西田茂博 NISHIDA shigehiro

inserted by FC2 system