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今年見た映画(2003年)
男はつらいよ・寅次郎ハイビスカスの花・特別篇 January 21, 2003 満男はすでに大学を卒業し、地方まわりのセールスマンになっている。そしてどうしても旅先で思い浮かぶのは自分のおじさん、寅さんのことだ。この「特別篇」では、20年も昔の寅さんとリリーとの出会いが、満男の回想を通して描かれる。 久しぶりに寅さんがとらやに帰ってくると、ちょうどみんなで金町の水元公園へピクニックに出かけるところ。みんなが気をつかって行くことを隠しているのを寅さんがなじって、あわや喧嘩になるところへ速達が届いて、なんとリリーが血を吐いて倒れ、沖縄那覇の病院に入院しているという。 その前に博が東京の場末でリリーにばったりあったばかりだったのだが、彼女は相変わらず酒場の歌手をしながら全国を放浪していたのだ。びっくりした寅さんは、大嫌いな飛行機を利用して那覇へ直行する。 沖縄の空も海も真っ青。だが空にはアメリカ軍の飛行機の爆音がやむことはない。孤独な生活からすっかり捨て鉢になったリリーは、病状が少しも良くなっていなかったのだが、寅さんが来てくれてから見る見る回復し、めでたく退院する。 本部の海洋博の会場近くに住まいを借りた寅さんは、(別々の離れだが)しばらくリリーと一緒に暮らす。とらやではもしや同棲では?という思う者もいたが・・・寅さんは、相変わらず人気者で、水族館のお姉さんと親しくなったりして毎日忙しい。 だが、今まで通りの気さくな寅さんだけでは、リリーは何か落ち着かない。寅さんの一生で女が惚れてくれたのはこれが最初で最後だ。だが寅さんはいつもの照れ屋の癖が直らず、女の気持ちが分からないのだとリリーはがっかりしてどこかへ行ってしまう。 リリーの後を追って寅さんも沖縄を出て、行き倒れ同然で柴又に戻る。リリーもひょっこりとらやに立ち寄った。寅さんが、「おまえと所帯を持ってもいいな」とぼそりと言う。リリーはちゃんとそれを聞いているのだが、聞こえなかったふりをして再びさすらいの旅に出ていってしまうのだった。 ここで満男の回想は終わる。満男は地方まわりから柴又のとらやに戻っていくのだ。道行く人が満男に挨拶をしていく。お寺が夕日に浮かび上がっている。(第25作の改作特別篇・1997年) 監督:山田洋次 原作:山田洋次 脚本:山田洋次/朝間義隆 出演: 渥美清/倍賞千恵子/浅丘ルリ子(マドンナ)/吉岡秀隆 上へ第2作 続・男はつらいよ January 26, 2003 さくらと博の結婚後、1年余りがたった。はがき一本よこさない寅さんがひょっこりとらやに帰ってきた。だが、自分に似たかわいい満男が二人の間に生まれ、みんなが引き留めるのをよそに、すぐに立ち去るという。渡世人はなんか家に居づらいのだ。 中川の堤防をぶらぶら散歩していると、ひょっこり昔、英語を習いに行った散歩先生の家の前に出た。久しぶりにと、先生の家に上がり込み、かつては鼻垂らしていた女の子だった夏子さんが、弦楽四重奏団でチェロを弾くすっかり美しい娘に成長して、寅さんの前に現れた。寅さんはもちろんすっかり彼女に夢中になる。 寅さんはその夜、先生と酒を酌み交わしたが、久々にいいものを食べたので胃けいれんを起こしてしまい、病院にかつぎ込まれる。だが病院でも懲りない寅さんは、病室で患者たちを前に大騒ぎ。 寅さんがさんざん騒ぎを起こしたため、散歩先生は、寅さんを叱責し、、夏子さんは病院の藤村先生に謝りにいく。だが、藤村先生は夏子さんを一目見て、惹かれてしまう。一方、寅さんは勝手に病院を抜け出して無銭飲食をして、さくらが警察に呼び出される事件まで起こす。寅さんはいたたまれなくなって再び旅に出る。 京都の清水寺で商売をしていた寅さんは、偶然にも散歩先生と夏子さんの父娘が京都旅行をしている最中に再会する。寅さんは、昔自分を捨てて行方不明になり、京都のどこかにいる自分の生みの親に会いたいと思って、うろうろしていたのだ。夏子さんに一緒に行ってもらい、ようやく連れ込み旅館を経営する母親お菊に出会うが、「何しに来た、金の無心ならお断りや」と言われ、がっくりして戻ってくる。 傷心をいやそうと再びとらやに戻ってくるが、夏子さんと会ったり、散歩先生と酒を飲んだりして次第に元気を取り戻す。ある日体の調子の良くない先生が寅さんを呼び出して、中川の鰻を食べたいと言い出す。とれるはずはないと思いつつ、寅さんは一生懸命釣りに精を出し、ついに鰻を一匹釣り上げる。だが、せっかく持って帰ったときには、先生は眠るように椅子に座ったまま息を引き取っていた。 葬式の日、夏子さんのために式の全部を取り仕切る寅さんだが、藤村先生と夏子さんが一緒にいるところを見てしまう。敬愛する先生を失い、夏子さんも失った寅さんだが、こうなったらまた旅に出るしかない。(1969年) 監督: 山田洋次 原作:山田洋次 脚本:山田洋次/小林俊一/宮崎晃 配役: 車寅次郎・・・渥美清 /さくら・・・倍賞千恵子 /お菊・・・ ミヤコ蝶々/夏子(マドンナ) ・・・佐藤オリエ /藤村・・・山崎努 /おばちゃん・車つね・・・三崎千恵子 /諏訪博・・・前田吟 /川又登・・・津坂匡章 /印刷屋・桂梅太郎 ・・・太宰久雄 /寺男源吉・・・佐藤蛾次郎 /御前さま・・・笠智衆 /患者・・・財津一郎 /おじさん・・・森川信 /散歩先生・・・東野英治郎 上へRope ロープ January 27, 2003 ハーバードの優秀学生が二人、マンションの一室で、今同級生デビッドをロープで絞殺したばかり。窓の外は摩天楼だ。ブランドンは気が強く、今回の殺人は完全犯罪だと自負している。これに対しフィリップは自分の犯した罪に、早くも精神に不安定をきたしている。 二人は死体を大きな衣装ダンスの中に入れ、その上にテーブルクロスを広げて食卓代わりにする。二人は知人を招いてパーティを開き、自分たちの犯行から目をそらせようという計画なのだ。首を絞めるのに使ったロープは、キッチンの引き出しにしまった。 デビッドの許嫁であるジャネット、彼女はしたたかな計算のもとに動く女だ。そしてかつてはジャネットと婚約破棄をしたことのあるケネス、この二人は当然の事ながら面と向かい合う羽目になり、お互いに気まずい思いをしている。 そしてデビッドの父親、ケントレイ氏。母親は風邪を引いたために代わりにたまたま当地を訪れていた義理の妹、そしてかつては学生たちの寮の学監でもあった、ルパート氏。 いざパーティが始まったがディビッドが姿を現さない。ケントレイ氏とジャネットは心配になり、あちこちに電話をかけて所在を確かめようとする。 気の弱いフィリップは事あるごとに殺人の重荷が顔に現れ、ルパート氏がそれに少しずつ気づいていく。特にブランドンがフィリップが昔、ニワトリの首を絞めるのが得意だった話題を出すと、フィリップは強くくってかかって否定する。 ニワトリの話は、殺人の正当化にまで発展してしまう。ルパート氏が道徳を超越した人間について話し始めると、ブランドンとケントレイ氏は、優秀な者が殺人を正当化できるかについて激しい議論をやりあう。パーティ全体がおかしな雰囲気になってきた。 ルパート氏は、パーティの準備に来ていた料理人のウィルソン夫人と仲がいい。パーティのおしゃべりの合間に、ウィルソン夫人が発見した不審な点を、ルパート氏は少しずつ聞き出していく。 せっかく大きな食卓があるのに、わざわざ狭い衣装ダンスをテーブル代わりにしている。ニワトリの話に続く、フィリップの異常な言動。いつまでたってもディビッドが姿を現さず、その所在もまったくわからない。ルパート氏は、何かおかしいことに気づき始める。 あまりディビッドが遅いので、心配したケントレイ氏は早く家に帰ることにする。手元にはブラントンからもらった珍しい初版本を数冊抱えていたが、それを縛ったロープは、さっきディビッドを絞め殺すのに使ったものだ。これをきっかけにみんなが帰ることになる。 あくまで完全犯罪を完遂したと自信満々のブランドン。犯した罪に耐えられず酒をあおったフィリップ。そこへ、煙草入れを忘れたという口実でルパート氏が戻ってきた。手にはさっきのロープが握られている。二人の犯罪はあっけなくルパート氏に見破られてしまう。 この80分間の物語は、摩天楼を臨むマンションの一室で展開する。カメラはそこ以外どこにも移動しない。「12人の怒れる男たち」と同じく、アクションもなく、美しい風景もなく、ただお互いの会話だけで観客を引っ張っていく。すべては会話の内容にかかっている。この話ではすでに犯罪が冒頭で示されているから、これがどのようにしてバレるかという緊迫感がストーリーを引っ張っているのだ。(1948年) Directed by Alfred Hitchcock Writing credits Patrick Hamilton (play) / Hume Cronyn (adaptation) Cast: James Stewart .... Rupert Cadell, Publisher / John Dall .... Brandon Shaw, Murderer / Farley Granger .... Phillip Morgan, Murderer / Cedric Hardwicke .... Mr. Kentley (as Sir Cedric Hardwicke) / Constance Collier .... Mrs. Atwater, Kentley's Sister-In-Law / Douglas Dick (I) .... Kenneth Lawrence / Edith Evanson .... Mrs. Wilson, the Housekeeper / Dick Hogan .... David Kentley, Murder Victim /Joan Chandler (I) .... Janet Walker, David's Fiancee リスニング;パーティでの会話は、話題が多岐にわたるから、注意して聞いていないとわからなくなる。スピードはそれほど速くない。 North by Northwest 北北西に進路を取れ 2003/02/01 2011/03/31 (再)2013/04/11 離婚暦2回の、広告業を営むソーンヒル氏は、いつものようにニューヨークで忙しい毎日を送っていた。まさかいきなり自分が”カプラン氏”と間違えられて、国家秘密を盗む悪人たちに誘拐されるとは思っていなかった。カプラン氏とは、アメリカの諜報機関が冷戦のさなかにこの悪人たちを騙すためにこしらえた架空の人物だったのだが、運悪くソーンヒル氏は、当の人物だと彼らに思いこまれ、危うく殺されそうになる。 それどころか連れ込まれた邸宅の持ち主を求めて国連ビルまで出かけると、何者かがナイフでその本人の背中に命中させるのだが、これまた運悪くソーンヒル氏が犯人だとされてしまう。その場は危うく逃れたが、アメリカ中に指名手配されて警察から追われる身となる。 ”カプラン氏”を追ってニューヨークから北北西、つまりシカゴ行きの列車に乗ると、謎の美人ケンドールが近づいてきて危ういところをかくまってくれる。事の成り行きからソーンヒル氏はケンドールにぞっこんまいってしまう。何とかシカゴに着いて、ケンドールが連絡を取ってくれた”カプラン氏”は、ソーンヒル氏に、広大な麦畑の真ん中にバスで行くように言ってくる。 だが、待ち受けていたのは、複葉の殺人飛行機であって、銃撃をしながらソーンヒルを追ってきた。これが映画の最高の見せ場だ。ほうほうのていでシカゴに逃げ帰ると、ケンドールを探し当て、彼女と悪人たちの関係をあばこうとする。 密かに彼女の後を追うと、悪人たちは競売の会場にいた。追ってきたソーンヒル氏は身の危険を感じるが、警察にわざと捕まってその場を逃れる。そしてようやく諜報機関の幹部がソーンヒルを助けにかかったのだ。彼らによって彼は釈放される。 ケンドールが実は、諜報機関から悪人たちの中に情婦として潜入した内偵だと知る。だが、ソーンヒルの行動が悪人たちにケンドールへの疑惑を招き、命が危ない。ソーンヒル氏は彼女を救うためにさらに北北西、つまりサウスダコタ州の観光地、ラシュモア山に向かう。 ケンドールが公衆の面前でソーンヒルに空砲を撃って、悪人たちの疑惑を払おうとする試みは失敗に終わり、彼女は海外に高飛びしようとする悪人の飛行機に乗せられて、空中から突き落とされる危険に直面する。 意を決したソーンヒルはケンドールを救い出し、歴代の大統領の巨大な顔が並ぶ岩山の中を、二人で必死に逃げ回る。もし彼女を救い出せば、ソーンヒルにとっての3回目の結婚が約束されるのだ・・・(1959年)・・・資料 Directed by Alfred Hitchcock Writing credits Ernest Lehman Cast: Cary Grant .... Roger O. Thornhill/George Kaplan / Eva Marie Saint .... Eve Kendall / James Mason .... Phillip Vandamm / Jessie Royce Landis .... Clara Thornhill/ Leo G. Carroll .... The Professor リスニング;なかなか難しい。しゃれた会話ながら、分量が結構多く、込み入っている。 上へ男はつらいよ・フーテンの寅 February 04, 2003 監督は山田洋次ではないが、第3作ともなると、出演者の演技にも脂がのってくる。フーテンとしての、テキ屋としての寅さんがいよいよ鮮明に描かれる。時代はまだまだ高度成長に入ったばかりで、便所にはぶら下げられたプッシュ式の手洗い器が写っている。 久しぶりに寅さんがとらやに戻ると、いつまでも独身でいるのを心配した隣の工場のタコ社長が、縁談を見つけてくる。だがお粗末なことに、現れた女は、内縁の夫に浮気された腹いせに、妊娠中なのにお見合いに出てきた、しかも仙台で寅さんと顔見知りの駒子だった。 自分の縁談などすっかり忘れて、寅さんはこの二人を正式の夫婦にするために大活躍。タコ社長たちの手違いをいいことに、とらやでてんやわんやの結婚式を開く。このためみんなと大喧嘩になり、博に殴られて寅さんは再び旅に出る。 たどり着いたところは三重県湯の山温泉。泊まる金もなかったので、ある古い旅館の女将に頼んで番頭にしてもらう。だが本当のところはそのお志津さんという女将が大変な美人だったからだ。しかもたまたま、おっちゃんとおばちゃんが骨休めにはるばるやってきて泊まったのがこの旅館。この先どんな展開になるか心配でならない。 お志津さんには信夫という弟がいたが、甘やかされて育ったせいか手がつけられず、染奴という幼なじみに惚れ込んでいたがうまく進展しないので大学もやめ、やけになって姉を困らせていた。 信夫ともみ合って川に落ち、手厚い看病を受けたので、お志津さんのためならと寅さんは信夫と染奴をうまく仲直りさせ、新生活に出発させる。旅館の仕事にも慣れ、このままあこがれの人がそばにいる生活を続けられそうに見えたのだが・・・ 信夫が旅館を継がないとなれば、お志津さんにはもう旅館経営を続ける気はなかった。前から交際していた大学教授の吉井と、結婚の約束をしていたからだ。だが、お志津さんも、ほかの旅館の番頭や女中たちも、寅さんがショックを受けることはよく知っているから誰もなかなか言い出せない。再び失恋からあてのない旅に出かけるだろうから。(1970年) 監督:森崎東 脚本:山田洋次 小林俊一 宮崎晃 原作:山田洋次 配役;染奴 ..............香山美子/父・清太郎 ................ 花沢徳衛 /信夫(志津の弟) ................ 河原崎健三 /駒子 ................ 春川ますみ /お澄 ................ 野村昭子 /旅館の女中 ................ 悠木千帆 /千代 ................ 佐々木梨里 /吉井 ................ 高野真二 /為吉 ................ 晴乃ピーチク /茂造 ................ 晴乃パーチク マドンナ:お志津 ...............新珠三千代 千と千尋の神隠し February 9, 2003 引っ越しをすることになった千尋とパパとママの3人は、途中不思議なトンネルに出くわす。好奇心旺盛なパパが先に立って進んでいくと、その先はまるでゲゲゲの鬼太郎のマンガのように、妖怪のウヨウヨする世界だった。 飲食店にはおいしそうな食べ物が並び、食いしん坊のパパとそれにならったママは勝手に食べて、豚にされてしまう。千尋たちが紛れ込んだ世界は、やおろずの神々が疲れをとるために通う、大公衆浴場だったのだ。 豚にされずに済んだ千尋は人間だということで忌避されるが、優しいかまど係のおじさんに救われて,就職を世話してもらうことにする。だが、仕事をとりしきる、エレベーターの最高階に住んでいる湯婆婆は、意地悪でケチで、しかも人間からその名前を奪って、もとの世界に帰れない魔法をかける。千尋も「千」という名にされてしまう。それでも浴室の清掃係にしてもらうことになった。 湯婆婆の弟子に、ハクという名の男の子がいたが、これも元は人間だったらしい。しかし湯婆婆の命令で、盗みなどかなりヤバイことを繰り返していた。千はハクと仲良くなり、慣れない生活をいろいろ助けてもらう。そのうち浴室係の仕事にも慣れてきて、化け物どもの扱いをうまくこなすようになった。 ある時ハクが白い竜の化身として飛んできて、ひどく傷ついているのを千は発見する。湯婆婆の姉のところから大切な印鑑を盗んできたために追跡されて魔法をかけられたのだ。瀕死のハクを前にして千は必死になって彼を救おうとする。 浴室騒動で手下にした顔なしお化けとともに電車に乗って湯婆婆の姉のところに赴く。盗んだ印鑑を無事返し、ハクの命も助かり、しかもハクが実は小さい頃に千尋を近くの川でおぼれかけていたのを救ってくれた少年だと思いだし、ハクが人間界に戻るために彼の本名を教えてやる。 無事公衆浴場に戻ってきて、千尋は自力で人間世界に戻ることが出来るようになる。パパやママも、無事に豚から人間に戻ることができた。この数週間のため、森の中に置き去りにされた車はほこりだらけになっていた・・・まるで「オズの魔法使い」のようなのだ。だが、まねではなく日本独自のまったく新しい世界を創り出している。ただ、千尋はドロシーと同じように、勇気と知恵のある女の子だ。 監督;宮崎駿 原作;宮崎駿 配役: 千尋 ................ 柊瑠美 /ハク ................ 入野自由 /湯婆婆・銭婆 ................ 夏木マリ /お父さん ................ 内藤剛志 /お母さん ................ 沢口靖子 /青蛙 ................ 我修院達也 /坊 ................ 神木隆之介 /リン ................ 玉井夕海 /番台蛙 ................ 大泉洋 /河の神 ................ はやし・こば /父役 ................ 上條恒彦 /兄役 ................ 小野武彦 /釜爺 ................ 菅原文太もののけ姫 February 11, 2003 「たたら」というのは日本古来から伝わる鉄の精錬法である。これを利用して鉄砲の砲身や刀を作ったという。日本でも鉄鉱石は少しは産出したので、これに炭を混ぜてふいごで空気を送り、鉄を溶解した。 だが、これが鬱蒼たる森、それも古代からのシシ神が住む森のど真ん中にできたものだから、そこから生じる自然破壊がひどくなり、動物たちも森の精も何とか人間たちを追い出したいと思っていた。だが人間の方が優勢で、イノシシの一匹がひどい目に遭い、タタリ神に変身し里に下りてきた。東国でこのタタリ神が暴れたとき、ある集落に住む将来は長になることを託望された若い村の青年アシタカが見事にやっつけたのだが、その折りにタタリのしるしを腕に負い、これは次第に痣となって広がり、最後には骨に達して死ぬ運命になってしまったのだ。 アシタカは西国へ向かい、たたら製鉄が行われている森にたどり着く。真ん中には、シシ神が夜の闇に紛れて訪れる池があり、その水は不老不死の霊験があるという。そして山犬に育てられ、人間をもはや信用しない娘、もののけ姫がたびたびたたらの砦を襲っていた。もののけ姫は山犬である母親と2匹の兄弟とともに森の中に暮らし、何とか人間どもを追い出そうと考えていた。傷ついたもののけ姫を助け、期せずしてその争いの中に巻き込まれてしまったアシタカは、何とか自然と人間が共存する道を探そうとつとめるが、憎しみの悪循環に陥った両者を止めることはできなかった。たたらの女首領、エボシ御前は自分たちを襲ってきたシシどもを皆殺しにし、ついには真夜中の山の中にシシ神を発見して、その首を取ることに成功する。 首を取られたシシ神は、首を求めて大暴れし、山はめちゃくちゃになる。アシタカがようやく首を返すと、シシ神は朝日が昇ると同時に息絶えたのだった。もはや山にはシシ神は存在しなくなり、神話の時代は終わりを告げた。だが、その遺産として山々は新たな植物が生い茂り、もののけ姫も青年も、たたらの人々も新たな生活に向かっていくのだった。(1997年)監督;宮崎駿 原作;宮崎駿 配役: アシタカ ................ 松田洋治 /サン ................ 石田ゆり子 /エボシ御前 ................ 田中裕子 /ジコ坊 ................ 小林薫 /甲六 ................ 西村雅彦 /ゴンザ ................ 上條恒彦 /トキ ................ 島本須美 /山犬 ................ 渡辺哲 /タタリ神 ................ 佐藤充 /牛飼い ................ 名古屋章 /モロの君 ................ 美輪明宏 /ヒイさま ................ 森光子 /乙事主 ................ 森繁久彌 My Fair Lady マイフェアレディ 2003/2/12 : 2009/04/03 : 2020/11/16 世知に長けても、女心のまるでわからないバカ男が現に存在するという冷厳な事実を見事に示した物語。観客はきらびやかな衣装や美女たちや、美しい調度品の描き出す世界に惑わされてはならない!イギリスには富裕階級に独身主義者が多いという。言語学を研究するヒギンズ教授もそうだ。まるでショーペンハウエルの「女について」をそのまま地でゆくようで、何かにつけ騒ぎ立てる女と暮らしたらとてもかなわん、と思っている。 彼は英語の純化を目指し、下層階級の「乱れた」言語をただし、みんなが美しい国語を話さなければならないという主義の持ち主である。正しい発音が、この国の階級格差をいつかは少なくしてくれるだろうと考える理想主義者でもある。 従って彼の目の前に、イライザという花売り娘がロンドンの下町訛丸出しで現れると、彼の頭に浮かんだのは「矯正」という言葉だ。彼の頭には、彼女はまるで実験動物であり、自分の理論の正しさを証明するための材料に過ぎない。 言語学への興味で友人となった温厚なピッカリング大佐や、思慮深い秘書兼家政婦のピアス夫人は、そんな極端な見方はしないから、しごかれるイライザをより人間的に扱う。イライザは、のんべいの父親にたかられる生活をから脱して、きれいな英語を話すようになれば、上流階級の仲間入りができなくとも、せめて今よりもましな仕事を得られるのではないかと期待してヒギンズ教授の猛訓練を受けることにしたのだ。まずは単調な母音発声の繰り返しが始まる。 シンプルな名曲「スペインの雨」は The rain in Spain mainly stays in the plain.<スペインの雨は主に平地に降る>という、発音の難しい早口言葉を歌詞にしたもの。初めイライザはなかなかいえなくてヤケになるが、突然なめらかに言えるようになる。その時間がなんと午前3時で、それでは寝ましょうかということだったが、うまく発音できたのがうれしくてうれしくてイライザはとても寝つけない。一晩中踊ってもいいくらいの歓喜に満ちて「踊り明かそう I could have danced all night. 」を歌う。 いよいよ社交界への糸口として、上流階級の集まるアスコット競馬場にイライザ、ヒギンズ教授、ピッカリング大佐の3人は向かう。だが、決まり文句はうまく言えたものの、そのあとのおしゃべりがまったくの品のない話し方になってしまい、まわりのひんしゅくを買ってしまう。そのとき知り合ったフレディという若者がイライザにすっかり一目惚れしてしまって、彼女のいる街に花束を持って出かける。そのときにイライザのことを思って歌うのが「君住む街」だ。だがイライザはその日の失敗を思ってふさぎ込んでいて誰にも会おうとしない。 ヒギンズ教授による、発音の矯正はうまくいったのだが、それに伴う教養がいまいちなのだ。それでピッカリング大佐を中心にさらに研鑽を続ける。そしてある日、ある大使館の舞踏会に参加する。イライザのしゃべり方や物腰もさらに洗練され、その輝くような美しさは衆目を集め、ホストの女王は自分の息子である王子とダンスを踊ってくれるように頼む。その日のヒギンズ教授のはしゃぎようといったらない。自分の「実験」は大成功で、言語学理論の正しさが証明されて鼻高々だ。だが、イライザは用済みの実験動物のように無視され、自分を人間として扱ってくれない教授に怒りを爆発させる。教授はその怒りが理解できない、というよりは女の感情にうまく対応できない。イライザは二度と会うことはないと言い捨てて教授のもとを去っていく。 ひとり残された教授は、イライザの感情の起伏の激しさにとまどいながらも、自分と暮らしたこの数ヶ月のことを思い出し、すっかり彼女の存在が生活の中にとけ込んでしまい、これから彼女のいない生活が始まることに気づいて、かつての彼女の練習中の声を録音機で一人寂しく聞く。もっとも、「I've accustomed to her face. 彼女の顔を見慣れた」などと、直接的な愛の表現はとてもできない人間ときている。ここまでが、イギリスの作家バーナードショーの原作「ピグマリオン」の内容とだいたい一致するわけだが、このハリウッド映画は、アメリカ人観客の安易な娯楽性におもねって、このあとをハッピーエンドにする。独身主義者のヒギンズ教授が、これから先これまでの生き方を変えてイライザと対等な人間関係を結ぶ、などとはとうてい考えられないのだから、この際二人はきっぱり別れてそれぞれの道を進んだほうが二人のためによかったのだが。 後に「プレティ・ウーマン」が大ヒットするが、これも社交界の注目を浴びるという、同じパターンで成功している。ただしこの場合は街の娼婦であり、相手の男はヒギンズ教授に比べれば、はるかに女への理解があったので、ハッピィエンドになっても悪くない。My Fair Lady は、数々の名曲は言うに及ばず、ストーリー的にもきわめて優れたミュージカルだが、最後のこの点だけが気になるところ。(1964年) ・・・資料Directed by George Cukor Writing credits George Bernard Shaw (play) / Alan Jay Lerner (musical play) Cast: Audrey Hepburn .... Eliza Doolittle / Rex Harrison .... Professor Henry Higgins / Stanley Holloway .... Alfred P. Doolittle / Wilfrid Hyde-White .... Colonel Hugh Pickering / Gladys Cooper .... Mrs. Higgins / Jeremy Brett .... Freddie Eynsford-Hill / Theodore Bikel .... Zoltan Karpathy / Mona Washbourne .... Mrs. Pearce / Isobel Elsom .... Mrs. Eynsford-Hill / John Holland (I) .... Butler / Alan Napier .... Ambassador リスニング;イギリス英語の特徴を捉える上でも、ミュージカルの秀逸な歌詞を知るためにも重要な作品。 (再々再々)銀河鉄道999 February 21, 2003 (再)2021/04/05 タイトルはもちろん、宮沢賢治のあの有名な童話からとったのだろうが、そのロマンと夢も同様に豊かにあふれている。少年の日々の未知へのあこがれ、恋へのあこがれ、これらが皆、旧式な蒸気機関車に託されて宇宙を駆けめぐるのだ。 このアニメを観たのは少なくとも10回以上にのぼる。この映画が、少年の「旅立ち」というだけで生きている限り、何遍でも観る価値があるのだ。そして「勇気」「冒険」「恋」「別れ」。自分の青春をもう一度たどるような気がするからだろう。 星野鉄郎が、まだ小さいときに母親と共に機械伯爵の領地を歩いていて、母親は美しかったために、「人間狩り」の末、射殺され剥製にされた。その恨みを忘れずに少年に成長したが、海賊ハーロックや女海賊エメラルダスにあこがれて、いつか機械の体になって宇宙を永遠にさまようことを夢見ていた。 地球発アンドロメダ行き999に乗れば、その終着点では機械の体をタダでくれるという。鉄郎はいつの日かその運賃を稼いで自分の体を機械にしてもらおうと夢見ていた。 ある日、他人の999切符をちょろまかした末に警察に追われ、危うく捕まるところをメーテルという若い謎の女に助けられる。それが信じられないくらい自分の母親に似ているので、鉄郎はほのかな慕情を抱く。 メーテルは、鉄郎に無期限、全線乗車可の定期券を鉄郎にくれる。ただし自分を一緒に連れていってくれるという条件でだ。鉄郎は思いがけぬ幸運に迷うひまもなく、若さの勢いで再び地球に帰れるかもわからぬまま999に飛び乗ってしまう。 最初の停車駅は土星の惑星タイタン。車掌の話によれば、停車時間はその星の自転周期と決められているという。ここではメーテルが機械人間と間違えられて山賊アンタレス一味に誘拐されるが、鉄郎が救出に向かい、おかげで宇宙銃と帽子をおばあさんからもらい、山賊の首領と親しくなる。 次の停車駅は冥王星。太陽系のはずれで、人々はこの先旅を続けるべきか迷う場所だ。厚い氷の下には、病気で死んだ人や、機械の体にするためにここに元の生身の体をおいていった人々の体が凍り付いてずらっと並んでいる。ここの墓守りは、自分の肉体から離れられず、かといって機械の体にもなじめず、ずっとこの星に居着いている。 999の食堂車には、クレアという全身がクリスタルガラスのウエイトレスがいた。彼女は鉄郎に惚れてしまう。彼女も冥王星に自分の体を埋葬してきているが、いつかお金を貯めて、元の体を買い戻そうと願っている。 タイタンを出発してまもなく、宇宙女海賊エメラルダスが現れて、鉄郎は機械伯爵の居所を無理矢理聞き出す。次の停車駅トレーダー分岐点に姿を現すらしい。 トレーダー分岐点では、ギターひきの女リューズが宇宙の孤独な旅人の歌を歌っている酒場に出かけて、伯爵の居所である時間城の場所を聞き出す。なんと、その近くには、宇宙銃をくれたおばあさんの息子、トチロウが長年の宇宙病にかかり、苦しんでいた。 鉄郎は瀕死のトチローの願いをいれて、彼の魂だけを親友ハーロックの宇宙船に転送するスイッチを入れる。鉄郎はトチローの墓を建て、やってきたハーロックと共に彼の死を悼む。 姿を現した時間城に、鉄郎は単身乗り込み、かんたんに追いつめられるが、すでに忍び込んでいたアンタレスが助けてくれ、しかも機械伯爵の情婦であったリューズが最後になって自分たちの最後を悟り、チャンスを与えてくれたので鉄郎はついに仇を討つことに成功する。 そしてこれらの体験から、機械人間になることへの疑問がわいてきた。そして「限りある命」の大切さを考える。いったい終着駅では、何で機械の体をタダでくれるのか? トチロウの墓を建てたおかげで、鉄郎はハーロックとエメラルダスという友を得、いよいよ終点惑星メーテルに向かう。だが、ここに来てメーテルが黙っていたことが一気に判明する。しかも機械人間たちの英雄、機械伯爵をやったことはとうに知られていて、終点に着くやいなや、鉄郎は捕まえられてしまう。 メーテルは、この全宇宙を機械帝国にしようという女王プロメシュームの娘であり、これまで鉄郎のような元気な若者を999を使って何度も地球からこの惑星へ運んできた。彼らはその場でこの惑星を支える生きた部品にされていた。今回もメーテルは鉄郎の母親の姿を借りて、この星におびき寄せたのだ。タダで機械の体をもらえると言われていたが、タダほど高いものはないことがわかった。 だが、反機械帝国の立場に立つメーテルの父親、ドクターバンが、死んでも魂だけはメーテルの持つロケットの中に潜み、憎き妻の野望を崩壊させる計画を、今回はいよいよ実行するときに当たっていたのだ。娘は父親の指示に従って、歯を食いしばりながら無数の犠牲になる若者たちをこの惑星に送り込んできたが、いよいよ決断の時がやってきた。 母親の前で、メーテルは自分が父親の指示に従ってロケットを惑星の中心部に投げ込み、この惑星を完全に崩壊させることを宣言する。だが、心は固まっているものの体が動かない。この重大な行為に踏み切る勇気がないのだ。 「よこしなさーい」とプロメシュームがそのロケットをつかみ取ろうとするその瞬間、メーテルからロケットを取り上げて投げ込んだのは鉄郎だった。 プロメシュームに襲われそうになった鉄郎を助けようとしたクレアをはじめ、これまでメーテルが連れてきた若者はみな犠牲になったが、機械帝国はついに崩壊し、プロメシュームの野望はすべて水泡に帰した。機械の体をもらうつもりでやってきた鉄郎は、機械による永遠の生命を拒否してついにこの帝国を滅ぼしたのだ。 無事地球に帰ることができた鉄郎には別れの時が待っていた。ほのかな思いを寄せていながら、メーテルは鉄郎の記憶の中だけに生きる女なのだ。折り返し地球を離れる999に乗ったメーテルを鉄郎はいつまでも見つめていた・・・(1979年) このアニメの素晴しいところは、たくさんの「死」が登場することだ。敵の死は、見るものにほとんど感銘を起こさないが、愛する者、仲間の死はこの映画のテーマである”限りある命”の大切さを直接かたらずして示している。何事も隠蔽することが大好きな日本人向けで、子供の観客を考慮に入れた上で、このように死の場面が登場することは”日本映画離れ”しているといえる。・・・資料 監督........ りんたろう監修....... 市川崑脚本...... 石森史郎 構成....... 松本零士 原作....... 松本零士主題歌....... 「銀河鉄道999」 「テイキングオフ!」配役 星野鉄郎 ...... 野沢雅子 / メーテル ......... 池田昌子 / キャプテン・ハーロック ......... 井上真樹夫 / エメラルダス ........ 田島令子 / 車掌 ....... 肝付兼太 / 宇宙戦士トチロー ........ 富山敬 / アンタレス ...... 久松保夫 / クレア ........ 麻上洋子 / リューズ ...... 小原乃梨子 / 機械伯爵 ........ 柴田秀勝 / 女王プロメシューム ....... 来宮良子 ナレーター ........ 城達也 上へSummertime 旅情 March 01, 2003 ベニスの美しさは、この映画が制作されてから40年以上たってもほとんど変わっていない。日本の画家たちも、開発で破壊しつくされた日本の風景には愛想を尽かしたらしく、風景がといえば、パリのモンマルトルかベニスと相場が決まっているようだ。 この街にやってきたのはジェイン・ハドソンと名乗るアメリカ人の有能な秘書。彼女はすでに婚期を過ぎているようだが、ベニスの魅力に惹かれ旅費をためて念願の海外旅行にやってきたのだ。 アメリカ人はヨーロッパでは金払いはいいが、田舎者と軽蔑されていた。いや、今でもされている。ここに登場するイリノイ州からやってきた老夫婦も日本人と同じく金に飽かせておみやげを買いあさっている。 だがジェインはただきれいなベネチアグラスをおみやげに持って帰るだけではあまりにもさびしい。ベニスの魅力はあふれるほどあるけれど、その中で恋が生まれなければ旅は完結しないのだ。ここでキャサリン・ヘップバーンの演技の見事さは必見だ。恋の苦手な知的女性を見事に演じている。 到着して2,3日は幼い少年だけが相手で、むしろまわりのにぎやかさの中で一層旅の孤独を感じるジェインだったが、サンマルコ広場のカフェで助けてもらった初老の紳士レナートと知り合い、しかもその紳士は彼女の泊まっているペンシォーネの近くで古物商を営んでいた。 (市価よりずっと高い)赤いベネチアグラスを買わされたジェインだが、レナートに心ならずも惹かれる。だがこれまで独身できたこともあり、それをうまく表現することはできない。 だが、レナートは典型的なイタリア人だった。すぐに彼女の孤独を見抜き、口説きにかかる。アメリカでのように表面的にはモラルに縛られ、貞節がとても大切なことという建前に生きる彼女にとって、最初はレナートのアプローチはあまりに粗忽に思えた。 だが、自分との逢い引きが遅れることを自分の息子に頼んでいってきたり、別居はしているものの妻が元気に暮らしていると聞いてジェインがカルチャーショックを起こすいとまもなく、強引なレナートにあっというまにに惹かれてしまう。この映画のイギリスでの上映ではタイトルが Summer Madness (夏の狂気)というくらいだから、ただごとではない。 レナートは金持ちでもなければ美男でもなくしかも既婚者だ。こんな条件でもジェインにとっては贅沢は言えないというのが彼の持論だ。ジェインはアメリカのしゃちほこばった社会に育ったせいか、南欧の雰囲気はあまりに放縦に感じられ、レナートに「肩に力が入っているよ。」と言われてしまう。まさにその通りで、肩に力が入っていては恋ができるはずはない。 この映画は婚期がどんどん遠ざかる30過ぎの独身女性には最適の作品だと思うのは、「期待を高くしない」「肩から力を抜く」という二つのとても大切な教訓をそれとなく教えてくれているからだ。 いったん恋に夢中になれば、あとはジェインにとって一生忘れられない思い出になっていく。しかもベニスというすばらしい背景があればもう何も言うことはない。 だが、それは現実であっても彼女のこれからの人生にとってはまったくのファンタジーであった。このままレナートの妻としてベニスに居着くなど考えられない。彼女は心を鬼にして、ベニスを出る汽車に乗る。 この映画の最高のみどころは、最後の場面だろう。蒸気機関車が引っ張る列車はなかなか速度が出ない。別れのプレゼントを持ったレナートが必死で、窓から体を乗り出しているジェインに手渡そうとする。だが、もう少しというところで、渡すことができなかった。 それはクチナシの花だった。デイトをしている間にジェインが運河に落としたクチナシの花を、レナートが取ってあげようとしてどうしても手が届かなかったのは、二人の恋が成就することはないという予兆だったのだろう。 ホームからどんどん速度を上げる列車の窓から大きく手を振るジェイン。あっという間に見えなくなるレナート。列車での別れは、それがもう決して戻ることはないということから、あのやるせないテーマ曲と共に、見る人に強い印象を与える。(1955年) Directed by David Lean Writing credits H.E. Bates Arthur Laurents (play)Cast: Katharine Hepburn .... JaneHudson / Rossano Brazzi .... Renato de Rossi / Isa Miranda .... Signora Fiorini / Darren McGavin .... Eddie Yaeger / Mari Aldon .... Phyl Yaeger / Jane Rose (I) .... Mrs. McIlhenny / MacDonald Parke .... Mr. McIlhenny リスニング;イタリア人がこんなにうまく英語がしゃべれるのか?レナートの見事な口説きに注目。 上へH O M E > 体験編 > 映画の世界 > コメント集(18) © 西田茂博 NISHIDA shigehiro |