映画の世界

コメント集(26)

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  1. にがい米 Riso amaro
  2. 学生ロマンス・若き日
  3. 旅芸人の記録
  4. 男はつらいよ・ぼくの伯父さん
  5. 水の中のナイフ
  6. 淑女と髭
  7. 男はつらいよ・私の寅さん
  8. 朗らかに歩め
  9. その夜の妻
  10. 東京の女
  11. 長距離ランナーの孤独
  12. モンパルナスの灯
  13. さらばわが愛
  14. 輪舞
  15. 第3の男

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今年見た映画(2004年)

にがい米 Riso amaro 2004/07/23

にがい米第2次世界大戦が終わってまもなくのイタリア北部における米作地帯に毎年集まる出稼ぎの女性たちをめぐる物語。貧しいながらも陽気で連帯感が強い女たちの集団と、そこにどうしても関わってくる男とのトラブルがドラマチックに描かれる。

今年も広大な平原に大勢の女たちがトラックや列車に乗って集まってきた。稲の苗の植え付けを手伝うためだ。決して豊かではない戦後の暮らしを少しでも引き上げるために、年寄りからまだうぶな娘たちまではげしい肉体労働に従事するためにやってきたのだ。その中の一人、シルバーナは歌も踊りもうまく人々の目を引きつけ、男からも女からも人気の的だった。

シルバーナが出稼ぎ先の駅に到着したところで踊っていると、警察に追われた男ワルターが飛び込んできた。正体を見破られないように踊りの輪に入ってきたのだが、シルバーナはワルターの踊りのうまさに何となく気を引かれる。そこへワルターの女フランチェスカも逃げてきて、シルバーナは彼女のために苗の植え付けの仕事を紹介してやる。

にがい米こうやって二人の女は友だちになったが、シルバーナはワルターが宝石強盗であり、その首飾りをフランチェスカが預かっていることを知り、勝手に彼女の荷物から首飾りを拝借する。

だが雇い主側が約束の賃金を大幅に引き下げる事件を巡ってフランチェスカがみんなを団結させようとする動きに出たため、二人の対立は表面化した。幸い同じ場所に働く兵隊たちの統率を行っているマルコ軍曹のとりなしのおかげで危機は回避される。首飾りもフランチェスカに戻された。

このとき、フランチェスカはマルコ軍曹に感謝の気持ちとともに、何か惹かれるものを感じていた。契約のもめ事は雇い主の譲歩によって解決し、いよいよ本格的に労働が始まった。水をためた田圃に、女たちは一列縦隊になって苗を次々と植えていく。

にがい米昼間の労働はきついが夜には歌を歌ったりする元気の良さだった。体調を崩す女もいたが、ワラをいっぱい詰めたマットレスがならぶ合宿所には大勢の女たちが寝泊まりし、大変な騒ぎだった。近くにいる兵隊と恋仲になる者もいた。

警察の目を逃れてワルターがほとぼりがさめるまでしばらく米の貯蔵所に隠れていることになった。フランチェスカは食事を運んでかくまうが、もうあまり彼とは関わりを持ちたくなくなっていた。それを見たシルバーナは、ある雨の日にワルターを誘惑に行き、逆にとりこになる。

ようやく苗の植え付けが完了した。あとは秋の収穫を待つだけだ。女たちは別れを惜しみみんなで送別パーティを開く。今年の女王はシルバーナだった。一方ワルターはその夜、米をかすめ取ろうとした現場監督たちを丸め込んでトラック丸ごと米を盗む計画だった。

すっかりワルターの女となったシルバーナは命令されたとおり、水門を壊して田圃を水浸しにする。大騒ぎの中、フランチェスカとマルコ軍曹はワルターとシルバーナを精肉工場に追いつめるが、絶体絶命を悟ったシルバーナはワルターをピストルで撃つと、祭りのための櫓(やぐら)に駆け上がりそこから身を投げる。

今年の苗の植え付けは、最後にこんな悲劇で終わった。米粒を注いでシルバーナに最後の別れを告げ、田圃で働いた者たちはみなそれぞれの故郷に散っていったのだった。(1949年イタリア映画・モノクロ)

Directed by Giuseppe De Santis Writing credits Giuseppe De Santis (also story) Carlo Lizzani (also story) Cast: Silvana Mangano .... Silvana / Maria Capuzzo .... Giulia / Doris Dowling .... Francesca / Vittorio Gassman .... Walter / Raf Vallone .... Marco リスニング;イタリア語

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学生ロマンス 若き日 7/31/2004

学生ロマンス・若き日都の西北にある大学の学生、山本は奇妙奇天烈なアイデアを思いついた。自分の借りている部屋の窓に「二階貸間あります」という張り紙を張るのだ。やってきた男の客には「実はもう決まってしまいました」といい、シャンな(きれいな)女の子ならその部屋を譲りその間にお知り合いになるという作戦だ。

はたして千鶯子という女性が部屋を借りに来た。さっそく山本は「明日出ます」と言って翌日千鶯子は大八車に荷物を満載して引っ越してくるが、山本はまだ次の部屋を探しさえしていないのだ。

千鶯子には渡辺という友だちがいた。実は渡辺は山本の友だちなのだが。何事につけてもへまな渡辺は塗りたてのペンキをつけた手のままデートをしたりするが、千鶯子がスキーが大好きで近々赤倉温泉に出かけることを知る。

山本は渡辺の部屋に転がり込み、部屋が見つかるまでしばらく居候させてもらうことにする。だが一方で千鶯子のことが忘れられず、自分がもといた部屋に忘れ物を探すふりをしてやってくる。持ち前のあつかましさから彼女が赤倉に行くことだけでなく、渡辺にあげるつもりの編みかけの靴下までせしめてしまう。

学生ロマンス・若き日スキーもいいが、山本も渡辺も試験の期日が迫っていた。落第点を取るわけにはいかないのだが、山本はいっかな勉強しようという気がない。赤倉へは試験が終わり次第スキー部の連中と共に出かけることになっていた。

二人はお互いに千鶯子のことをお互いに知らせることなく、赤倉へ行くことになったが、渡辺は財布を落としてしまい、山本のほうは郷里からいくら待っても送金がない。仕方なく山本は「第7天国(質屋)」へ行くことになる。

二人は無事赤倉に到着。だが渡辺はスキーが下手だ。せっかくの千鶯子とのデートをはじめても、スキーがうまく話のたくみな山本にさらわれてしまう。二人の仲は険悪となる。

ある晩、スキー部の男がめかしこんでいる。なんと千鶯子との「雪上お見合い」をやるのだと言う。母親も付き添い、みんなに冷やかされてお見合いは無事に済んだ。あとに残されたのは落胆する山本と渡辺の二人。

千鶯子との間にもう見込みがないと悟った二人はさっさと列車に乗って帰ることにする。途中列車の窓から千鶯子からもらった祝儀の食べ物と、靴下を投げ捨てた。振り返ってみると車内には採点中の大学の教官がいるではないか。彼らの点数は最悪。

冬の西風が吹き荒れる東京の貸間に戻った二人は、元の仲になったが、またシャンな女の子を求めてこりもせず再び貸間の張り紙をするのだった。(1929年・モノクロ・サイレント)

原作・脚色; 伏見晃 出演; 斎藤達雄(山本秋一) 松井潤子(千鶯子) 結城一郎(渡辺敏) 飯田蝶子(千鶯子の母) 

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O Thiassos 旅芸人の記録 2004/08/06

旅芸人の記録異色の作品である。筋がない。セリフも肝心の時しか出てこない。延々とギリシャの崩れかけた古い町並みが移される。そのカメラのアングルは非常にゆっくりだ。素早いドラマ展開に慣れたアクション愛好家にとってはとても理解できない世界だろう。

この映画の見方は、腰を据えて・・・悠然と見るのである。ただ単にギリシャの風景を見るのだと思ってもよい。ただ話が進むにつれ庶民の生活がいかに戦争によって疲弊し、歴史の流れでどうにもならなくなっているかがよくわかる。同じヨーロッパでも列強といわれる国々と違いずっと貧しい生活を続けてきたこの国の惨状がよくわかるのである。

この4時間にわたる超大作は、旅芸人の目を通してみた、ギリシャ現代史である。1920年頃、ようやくトルコその他の勢力から解放されたギリシャは再び複雑な国際紛争に巻き込まれ、第1次世界大戦、第2次世界大戦を挟んで、イギリス、ロシア、トルコ、フランスなどの列強に翻弄された。

旅芸人の記録ギリシャの田舎町に鞄を提げた10人あまりのグループが姿を現わす。エレクトラという娘とその両親を中心とした一座だ。彼らは彼女が主演する「娘ゴルファ」の恋物語と最後の悲惨な死を出し物にして国中を回っているのだ。

だが、戦争が近づき、エレクトラの兄はゲリラとして姿を消していた。たまに戻ってくるが今度生きて会えるかどうかはわからない。だが一座はそのメンバーが減っても増えても次の町へと渡り歩き、公演を続けるのだった。

ある時は雪の山中を徒歩で歩き、ある時は漁船を借り切ってどこかエーゲ海の島へ行き、ある時は列車に乗り込んだ。戦争が激化するにつれ彼らの生活は苦しくなった。トランクに詰めた舞台衣装に手をつけることはできないが、さまざまな手段に訴えて食物と寝る場所を見つけなければならなかった。

第2次世界大戦は、ドイツ軍によってギリシャ全土が占領された。彼らが乗ったトラックが臨検で止められ、収容所に入りかけたこともあったが、つらい戦争はようやく終わりドイツ兵は去っていった。だがこれで平和が戻ったわけではない。

旅芸人の記録そのあとの軍事空白を埋めるべく、イギリスが裏から糸を引いて国内は王党派と、共産主義者、そして独裁政権をもくろむファシストの軍部が血で血を洗う戦いが続いた。一座の者がゲリラとして、スパイとして銃殺されたこともあった。

旅の途中海岸で連合軍の米兵に呼び止められ、砂浜に即席の舞台をこしらえて「娘ゴルファ」の劇を砂の上で演じたこともある。だがその劇も最後に狙撃兵の一発の銃声がとどろき死体が転がった。

戦後も抗争が続き、ゲリラたちは山の中にこもり、武器を放棄して政府軍に投降した者もいたし、共産主義者の中には終わりのない拷問を受け最後に降伏のサインをして解放された者もいた。

エレクトラのの周りにいた者たちも多くが去り、殺され人数が減っていったが、一座は続き、今日もどこかの町で公演を続けるのだった。ギリシャの古い町並みは続き、その中にトランクを持った者たちがぞろぞろと歩いていく。(1975年ギリシャ映画)

Directed by Theo Angelopoulos Writing credits Theo Angelopoulos Cast: Eva Kotamanidou .... Elektra / Aliki Georgouli .... Elektra's Mother / Stratos Pahis .... Elektra's Father / Maria Vassiliou .... Chrissothemis / Petros Zarkadis .... Orestes / Kiriakos Katrivanos .... Pylades リスニング;ギリシャ語

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男はつらいよ・ぼくの伯父さん 2004/08/10

男はつらいよ・ぼくの伯父さん満男は大学受験に失敗して、予備校生になっているが、もう夏も近いのに少しも勉強に身が入らない。高校ブラスバンド部の後輩の女の子、及川泉の面影がちらついてしょうがないのだ。しかもそれを親にいえないから、毎日ふさぎ込みとくに父親のひろしとは挨拶もしない。

困り果てた博とさくらは何とかならないかと誰か相談相手を求める。そこへ寅さんが戻ってきた。おぼれる者はワラをつかむということで、両親はつい寅さんに満男に何か忠告をしてもらいたいと頼んでしまう。博は自分で息子と対決するのを避けているようだ。

もちろんおっちゃん、おばちゃん、タコ社長もろくな忠告にならないだろうと反対するが、後の祭り。どぜう屋に連れて行かれた満男は、寅さんに酒の飲み方から訓練を受ける。そして泉への思いを洗いざらい話して少しは気持ちがすっきりしたのだった。

だがそのあと満男はしたたか酒を飲まされ二人で酔っぱらったまま家に帰り、食事代もタクシー代も払わなかったものだからとらやでは大喧嘩。翌朝寅さんは出ていってしまう。

満男は泉は両親が離婚したあと、母親と名古屋に住んでいることから、バイクに乗って旅に出ることにする。青年にとっての初めての長旅。両親もとらやも大騒ぎだが、どうしようもない。でもさくらは満男が泉に会いに行ったのだろうとは察しがついていた。

名古屋でスナックに勤める母親礼子に会うが、泉は佐賀県に住む妹のところへ引っ越してしまったのだという。礼子は満男の一途な性格が気に入ったせいか、佐賀県での住所を教えてくれる。

満男はもう何も考えることはない。直ちに西を目指してひたすら進むだけだ。まっすぐな青春。途中バイクが転倒して親切な男が助けてくれたが、その夜泊めてもらったホテルで言い寄られ、ほうほうの体で逃げ出したりしたものだ。

佐賀県にはいると、さっそく泉の住む家に向かう。学校から帰ってくる泉を待ち受けて久しぶりに再会することができた。しかしまわりの目がうるさい田舎だし、すぐに夕暮れが迫ってきた。

その晩は旅館に泊まろうとした。だが満員で相部屋しか空いていないという。ところがその相部屋の相手とは神社のお祭りで商売に来ていた寅さんだった。これでようやく満男はとらやに電話をかけることができた。満男はさっそく寅さんに翌日一緒に泉の家に行ってくれるように頼み込む。

泉の住んでいる奥村家は大きな屋敷で、郷土史研究家でひとに説明するのが大好きな祖父が寅さんたちを迎え入れ、二人はすっかり気に入られてしまった。その晩はぜひ泊まってゆけという。母親の妹に当たる寿子も親切にしてくれた。夫の高校教師だけは人が家に泊まるのをいやがっていたが。

翌日は日曜日。寅さんは郷土史研究会の老人たちのお供をして古代遺跡巡りに出かける。満男も泉と連れだってバイクで散策を楽しんだ。二人は夕暮れには遅くなってしまい、寿子の夫から嫌みを言われたけれども、泉に別れを告げて一路東京に帰ることになる。

とらやでは、渋い顔をしている博をよそに、満男の帰りを待ちわびてみんなで歓迎パーティの準備。帰ってきた満男は素直に両親に謝ることができ、旅の中で多くの経験をして、ひとまわり成長したようだ。(1989年)

監督: 山田洋次  原作: 山田洋次  脚本: 山田洋次  朝間義隆   キャスト(役名) 渥美清(車寅次郎) 倍賞千恵子(さくら) 前田吟(諏訪博) 吉岡秀隆(満男) 檀ふみ(奥村寿子)笠智衆(御前様) 夏木マリ(礼子) マドンナ;後藤久美子(及川泉)

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水の中のナイフ Noz w wodzie 2004/08/15

水の中のナイフ3人の登場人物とヨットだけで、この作品は作られている。映画はこのようにして表現することも可能なのだ。3人の人間による心理劇だ。

また、ヨット好きには気持ちのよい場面の連続でもある。タックやジャイブの操作、ティラー(舵棒)を持って進路を定めるところなど何度も出てくる。しかし最後には人間の持つ欺瞞を見せつけられて気持ちが沈むかもしれない。

もう一つ特筆すべきは、背景に流れる見事なジャズである。「死刑台のエレベーター」や「危険な関係」の映画もすばらしい演奏を伴っていたが、湖の中を順風に乗って滑走するヨットの場面が現れると、ジャズファンなら思わずうなってしまいそうなフレーズが流れるのだ。

夏の日、田舎道を高級乗用車がひた走る。乗っているのは中年夫婦。最初は妻のクリスチーヌが運転し、その後夫が交替した。二人はヨットハーバーに向かっているのだ。そこへ向こう見ずのヒッチハイカーが飛び出してきた。高速で走っていただけに危うくその青年をひき殺してしまうところだった。

大学生らしい青年は少なくともハーバーまで乗せてくれるように頼む。夫は仕方なく彼を後部座席に乗せて目的地に向かった。夫妻は到着するとさっそくセールや食料などを係留してある自分のヨットに積み込み始めた。青年も桟橋まできて重い荷物を担いでくれた。

何を思ったか夫は青年に明日の夜明けまでのクルージングに同行するよう勧める。はじめは自分はハイカーだからと断った青年だったが、何となく成り行きで乗ってしまった。場所はポーランドに無数に点在する湖の一つ(おそらくワルシャワの北にあるマズール湖沼地方)。波はなく風もあまり吹かないが、心地よいセーリングができた。ほかに人影一つ見えない大自然の中だ。

船の名前でもある妻のクリスチーヌは始終無口であるが有能なセイラーで、食事の準備をしたり操縦もしたりしてきびきび動き回る。夫は今では会社のえらいさんだが、かつて海で働いた経験があるらしくしょっちゅう昔の仲間の話を持ち出す。青年は水の上のスポーツは苦手らしくはじめはやることなすことみんな失敗ばかりしている。夫はスキッパー(船長)として青年にあれこれ手伝わせた。

水の中のナイフ青年はマスト登りや運河で船を綱で引いたり、はじめは慣れなかったが次第に興味を覚えていく。彼は森の中で重宝する大型ナイフを持っていた。スキッパーの前で見せびらかし、デッキの上で5本の指の間に次々と刃先をたてる遊びをやめようとしない。見ていて薄気味悪くその気になれば夫婦の命だった危ない。そもそも見ず知らずの若い男を船に軽率に乗せたのがどうかしている。また、不機嫌になって櫂(かい)を海中に投げ捨てたりもした。

凪で船が泊まってしまったので、夫婦は湖の真ん中で泳ぎ始めた。ところが急に風が吹き始め一人船に残った青年は操縦法を知らないものだから大慌て。危うくどこかへ流されてしまうところだった。やがて夕闇が訪れる。スキッパーの不注意で浅瀬に乗り上げてしまったが、何とか脱出しアンカー(錨)をおろして停泊することになった。

キャビンで3人で「串取り遊び」を始める。数十本の串を机の上に無造作にばらまいて串を順番に一本ずつ拾っていく。拾いあげるときにほかの串を少しでも動かしたら負け。負けたら何でもいいから賞品を相手に渡す。スキッパーは抜群にうまいが、クリスチーヌは失敗して歌を披露し、青年もやりそこねて今日のセーリングを思い浮かべた自作の詩を聞かせた。

翌朝は5時の出航だが、クリスチーヌは眠れないのでデッキでたばこを吸っていた。そこへ青年が目を覚ましてあがってきた。マストに上って昨日切れたロープの交換をすることになる。キャビンで一人目を覚ましたスキッパーは二人ともデッキ上に出ているのを何となく気になりがらあがってきた。

水の中のナイフ5時、錨を上げてハーバーへ向かう。風は順調に吹いて予定どおり到着しそうだったが、やにわにスキッパーは青年に甲板掃除を命じた。クリスチーヌはそこまでさせなくともと内心思っていたが、スキッパーは夜の間に青年のナイフを取り上げ自分のポケットに入れていた。青年がそれを返すようにと迫ると、スキッパーは笑いながら投げてよこし、とりそこねたナイフは水中に落ちてしまった。

スキッパーは前日に青年が櫂を投げたことを根に持っていたのか。それとも早朝妻と青年がいっしょにいたことがおもしろくなかったからなのか。デッキではスキッパーと青年とのとっくみあいとなり、青年は海の中に突き落とされた。折からかなり風が吹いてきたこともあり、あっという間に姿が見えなくなった。必死で探す夫婦だったが見つからない。青年はブイの陰に潜って隠れていたのだ。

たちまち夫婦の間で口論が始まる。軽率に青年を乗せたこと。必要以上に青年をこき使ったこと。夫が自分のいいところ見せたがっていることが見え見えであったこと。警察に届けるべきなのに夫は躊躇している。夫婦の間にあった暗い部分が一気に吹き出てきた。腹が立ったクリスチーヌは大声で夫に向かって、岸まで泳ぐように言った。

夫は海に飛び込んでいってしまった。ひとり残されたクリスチーヌはどうしたらいいのか途方に暮れる。そのとき青年がデッキにはい上がってきた。青年も同罪だとクリスチーヌはなじった。みんな同じなのだ。貧しい学生、あくせく働く実業家、お金持ちのスポーツができる人々とそれを目指す若者たち。一気に世の中の欺瞞があふれてしまったようだった。

だが、二人はしゃべり疲れてしまったとき、唇が合わさっていた。そして数時間後、青年は近くの岸辺から下船して森の中に姿を消した。クリスチーヌは一人ヨットを操縦してハーバーに戻ってきた。桟橋には夫が待ち受けており、自分は警察に届けるつもりだと告げた。さて二人の乗った自動車は警察官詰め所の入り口まで行ったのだが・・・(1962年・モノクロ・ポーランド映画)

Directed by Roman Polanski Writing credits Jakub Goldberg / Roman Polanski Cast: Leon Niemczyk .... Andrzej / Jolanta Umecka .... Krystyna / Zygmunt Malanowicz .... Young Boy リスニング;ポーランド語、この言語は響きがロシア語に似ている。共通の単語もいくつかある。

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淑女と髭 2004/08/18

淑女と髭サイレントの時代の映画はストーリーは単純だが、人生のほのぼのとする場面を凝縮した佳作が多い。これもその一つ。技術に頼らずともサイレントの時代でも映画は非常に豊かな表現が可能だったのだ。ついでに戦前の黒ずんだ日本家屋や、町中の石造りの建物なども鑑賞できる。

大学の剣道部主将の河島は大学対抗の試合にも勝って、友人の男爵行本の家で行われる妹幾子の誕生に招かれている。邸宅へ向かう途中、若い女性が一見モダンガール風の女ちんぴらにナイフを突きつけられてお金を取られようとしているところに出くわした。河島はもちろん持ち前の剣道の腕の強さでちんぴらたちを追い払ってしまう。

やがて男爵の家に到着するが、そのむさ苦しい髭のおかげで女性たちに大変評判が悪く、幾子の友人たちは、いやがってみんな帰ってしまう。男爵は妹の将来の相手として河島をよんだのだが、かえって裏目に出てしまった。

河島も卒業して仕事口を探す。だがこの不況ではなかなか見つからないし。あるある会社で面接をして帰ると、あとで面接場で案内をしてくれた女性が河島のアパートを訪ねてきた。それは偶然にも女チンピラから河島が救ってやった広子だったのだ。彼女は河島に髭を剃ることを忠告しに来たのだ。

淑女と髭髭を剃ったために、友人の行本は呆気にとられ少々がっかりする。何しろ河島はリンカーンをモデルにしていたのだから。だが幾子の方はそれまで嫌いだったはずの河島に何となく惹かれるようになってしまい、ほかの男とのお見合いの席上で、剣道をやらない人とは結婚しないと言い出す始末。

髭を剃った甲斐があって河島はあるホテルに就職することができた。河島は広子の家に出かけて就職できたお礼を言う。河島が帰ったあとで広子は母親に向かって自分があの男に惹かれていること、そしてそっと河島の真意を確かめてほしいと頼む。母親はホテルまで行ってみたが、真意を聞く前にお客が来てしまった。

河島がホテルのフロントにいると、偶然ロビーにかつての女チンピラがいて、ブローチを渡し7時に会うように迫る。実はそれが盗品であったことから、河島は昔のようなかっこうにつけ髭をつけて彼女の前に現れ昔のことを思い出させる。彼女を自分の部屋に連れてきて説教しようとするが、かえって女に惚れられてしまい、部屋から出ていかない。そこへ密かに河島にあこがれる幾子が両親を連れて入ってきたから大変。変な女が部屋の真ん中にいるのを見てびっくり仰天。全員引き上げていく。

翌朝、今度は広子が訪ねてきた。やはり女がいるのを見てショックを受けるが、河島の真意を確信して寝ている前で河島の破れた服の繕い物を始める。河島は目を覚ます。目の前に広子がおり、自分を信じて立ち去らないのを見て大喜び。これを見た女チンピラもあきらめて立ち去っていった。(1931年・モノクロ・サイレント)

監督;小津安二郎 原作・脚本;北村小松 ギャグマン;ジェームス槇 出演;岡田時彦(岡島)川崎弘子(広子)飯田蝶子(広子の母親)月田一郎(行本)飯塚敏子(行本の妹幾子)伊達里子(女チンピラ)齋籐達雄(相手の大学の剣道部主将)

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男はつらいよ・私の寅さん 2004/08/20

男はつらいよ・私の寅さん寅さんのみた夢は、葛飾郡柴又村での大飢饉の際、悪徳商人にさくらがいじめられているところを兄の寅次郎が救い、一揆をひきおこすというもの。さて、寅さんが柴又に帰ってみると何かみなそわそわしている。自分に対しても何かとても親切なのでおかしいなと思いきや、叔父叔母夫婦と博桜夫婦と満男がそろって九州旅行へ行こうとしていたところ。

ぶつくさ言う寅さんを留守番に頼んで、5人は飛行機で早朝旅立つ。別府から阿蘇へと叔父叔母ははじめのうちは感激するが、そのうち残してきた寅さんのことや店のことが気になりだして、観光にも身が入らなくなる。

留守番を頼まれ、はじめのうちはひがみ根性丸出しで、タコ社長と酒を飲んでいたが、4日後みんなが帰るとなると一生懸命店を掃除して風呂を沸かし、食事の用意までしておく寅さんだった。

ある日、店に小学校同級のデベソが久しぶりに遊びにやってくる。彼は柳井医院のお坊ちゃんだったが今ではテレビの脚本などの物書きをやっているという。寅さんと話がはずんで、妹りつ子のアトリエへ行って一杯やらないかという。

さっそく二人は出かけていったが、酔ったはずみにりつ子の書きかけのキャンバスに絵の具をつけてしまう。そこへ彼女が帰ってきたから大変。りつ子の剣幕に恐れをなした寅さんは腹を立てて帰宅する。

男はつらいよ・私の寅さんところが翌日もう旅に出ようとした矢先、とらやの店先に現れたりつ子はお詫びの印に花を持ってやってきた。これを見た寅さんは突然一目惚れ。とらやの食卓に招き、すっかり入れ込んでしまう。りつ子が独身でひたすら絵を描こうとしているのに貧しい暮らしから抜け出せないでいるところを見ると、寅さんは自分がパトロンになれたらどんなにいいかと思う。

りつ子が病気になると、彼女のアトリエまで見舞いに出かけ、すっかり恋の病にとりつかれてしまった寅さんは今度は自分が起きあがれなくなる。逆にとらやへ見舞いに訪れたりつ子は、寅さんのうわごとから自分を恋していることを知ってしまう。

寅さんが再びりつ子のアトリエを訪れると、彼女は自分が恋やその他のことに煩わされずに絵に取り組みたいと告げる。そこを寅さんはまともに受け取ってしまった。りつ子の真意は顔に出ていたのだが、寅さんは彼女の気持ちをそれ以上確かめることなく、お友達でいましょうと言って帰ってしまう。

もちろんその夜寅さんは旅に出てしまった。後日さくらがりつ子にそのことを告げると、「ばかね、寅さんは」とつぶやくのだった。女の気持ちの心底をくみ取れなかったために、寅さんはむざむざまた失恋してしまった。(1973年)

監督;山田洋次 配役    車寅次郎 .........渥美清 柳文彦 .....前田武彦 さくら .........倍賞千恵子 東竜造 ........松村達雄 東つね ....... 三崎千恵子 諏訪博 ...... 前田吟 諏訪満男 ....... 中村はやと 社長 .......太宰久雄 源公 ..........佐藤蛾次郎 御前様 .........笠智衆 画商 .....津川雅彦 りつ子の恩師 .........河原崎国太郎  りつ子の恩師の夫人 ........葦原邦子 マドンナ;柳りつ子 .....岸恵子

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朗らかに歩め 2004/08/22

朗らかに歩め・川崎弘子恋によって、チンピラ男がまじめな男に変わる話。少しも説教じみてなくて、自然な流れになっているのが小津らしいところだ。すでにこのころから、家具を一定時間写し続けるという彼独特の撮影方法が出ているし、商社の内部の描写は、「東京物語」などの後期の作品と変わりがない。松竹女優川崎弘子の日本的な優しさがよく出ている。

神山謙二はゆすり、スリ、たかりを生業とするグループの兄貴だ。サンドバッグや縄跳びで体を鍛え、めっぽう拳闘が強く手首にナイフの入れ墨があることから「ナイフの謙二」とよばれている。一緒の部屋に暮らしている弟分は仙公といい、仲間の軍公とともに謙二の命令によって町中で悪事を働いている。

謙二の女は千恵子というが、これがほかの男に手を出したりして身持ちがよくない。この間も、酒場で謙二たちの目の前で見知らぬ男といちゃついていた。千恵子は昼間は商社に勤めている。同僚にやす江という若い女がいて、社長の命令で指輪を買いに行ったところを仙公たちに見られている。

ある日曜日、謙二が運転する自動車が危うく女の子をはねるところだった。この子はやす江の妹で二人でピクニックに行っていたところだったのだ。謙二は二人を家まで送り、すっかりやす江にひかれてしまう。やす江もすてきな男性が現れたと胸をときめかせている。

これを知った千恵子がおもしろいはずがない。ホテルにやす江をおびき寄せ、ホテルにはやす江をモノにしようと狙っている社長を待たせて、彼女を手込めにしてしまおうと計画した。謙二が危ういところを救ったが、手の入れ墨を見たやす江は謙二がまじめな仕事に就くまでは二度と会いたくないという。

朗らかに歩め謙二は悩んだ。そして今のチンピラ稼業を廃業することを決心した。同室の仙公とは兄弟の縁を切ったが、彼もやはりまじめな仕事をして再出発をはかることにした。仙公はさっそく商社の運転手の仕事が見つかり、謙二も仙公が口をきいてくれたおかげでビルの窓拭きの仕事を始めることになった。

一方、社長の下心をくじいたために、会社をクビになったやす江は、母親と妹を抱えてたちまち生活に困るが、何とか新しいタイピストの仕事を得ることができた。ふと気づくと会社の行き帰りに通るビルの窓に、謙二らしき人が窓を磨いているように見える。

ある日会社が引けたあと、気になったやす江はそっとそのビルの裏側に回ってみた。ちょうど千恵子と軍公が謙二に向かってやばい仕事の協力を頼んでいたところだった。だが、謙二は決然として断り、軍公の発砲した弾によって腕にけがをする。やす江は飛び出していって仙公の車で謙二の部屋に連れて帰る。

傷は幸い軽かったものの、千恵子たちの自白によってこれまでの謙二の悪行が明るみに出て仙公とともに警察に連行される。幸い刑期は数ヶ月で済み、やす江はようやく謙二にはれて会うことができた。(1930年・モノクロ・サイレント)

監督 .......... 小津安二郎 配役  神山謙二 .......高田稔 杉本やす江 .......川崎弘子 その妹 ........松園延子 その母 ......鈴木歌子 仙公 .........吉谷久雄 軍平 .........毛利輝夫 千恵子 ......伊達里子 小野社長 ........坂本武

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その夜の妻 2004/08/23

その夜の妻これが小津の作品?と思うくらいの異色作。そもそも外国のミステリー小説を映画化したものだが日本風ではない。貧しい夫婦の住む部屋だが、その壁を見るとモダンなポスターや、世界地図が張ってあり、インドやチベットの地名が大きく出ている。ほとんどがアパートの一室で話が展開し、映画というよりも演劇に近い。松竹女優の八雲恵美子が出演しており、その鼻筋の通った顔は刑事にピストルを突きつける「母は強し」そのものの妻の役を見事に演じきっている。

サイレントであるが、ことさらセリフは少ない。特に強盗シーンはほとんどすべてがパントマイムで通されている。しかしながら、ここの場面は動作と緊迫した雰囲気の描写だけで十分に表現されている。特に霧の立ちこめるビル街での強盗を警官たちが追いかけるシーンはモノクロの良さを十分に生かしている。

橋爪夫婦は、幼い娘みち子と貧しいながらも慎ましく暮らしていたのだが、みち子が重病になり、どうしてもお金が必要になった。娘を見殺しにできない父親の周二は必死の思いで強盗を思い立った。

夜の9時、ガードマンのいるビルを襲い、まんまと猿ぐつわをはめて現金を奪い取ることに成功した。だが、逃走途中で拾ったタクシーには運転手を装った刑事が乗っていたのだ。妻のまゆみの待つアパートにたどり着くと、周二は寝ているみち子の枕元へ走り寄った。

その夜の妻;八雲恵美子医者によれば、今晩が峠だそうだ。もしこれを何とか通り過ぎれば子供は助かるという。父親を見たみち子は安心して、すやすやと眠りはじめた。周二はまゆみに奪い取った金を渡したのだが、妻に強盗のことがわからぬはずはない。周二はみち子が回復次第、自首するつもりだと告げる。

そこへ先の刑事がドアをノックしてきた。おびえる二人。いったん周二は台所に隠れたが、刑事がすぐにそれに気づいて出てくるように言った。ところがそのとき妻のまゆみは娘の寝ているベッドの布団の下に隠してあった夫のピストルを取ると、刑事の背中に突きつけたのだ。

刑事は仕方なく自分の拳銃を捨て、まゆみが二挺の拳銃を自分に向けている間、周二はみち子の看護に取りかかった。みち子はおかげで落ち着きを取り戻し回復へ向かっているらしい。

だが、もう二日も寝ていないまゆみは、午前2時をすぎる頃から睡魔が猛烈に襲ってきた。時々はっと目が覚めてピストルを刑事に向けるのだが、どうしてもすぐにもうろうとした状態になってしまう。やがて夜が明けた。まゆみが目を覚ましてみると、夫と娘はぐっすり眠っていたが、自分の持っていた二挺の拳銃も、奪った金もすべて刑事にとられていた。

やがて医者がやってきて、みち子の状態は峠を越したと告げた。ほっとする二人。だが一方ではいよいよ逮捕が近づいている。刑事は部屋を見回しその貧しい暮らしと、みち子への愛情あふれる夫婦の姿を見てこの時まで逮捕を延ばしていたのだ。刑事は寝たふりをして周二が逃げるのを見ていたが結局逃げ切れないことを悟って部屋に戻ってきたのをみて、周二が娘との別れを惜しむ時間を作ってやった。

午前9時が近づいた。これからまゆみは周二の刑期が終わるまでみち子と二人で生きていかなければならない。娘は父親が去ろうとしているのを感づいて泣き叫ぶ。娘をだっこして窓から夫と刑事が路地の門出姿を消すまでまゆみは後ろ姿を見送っていたのだった。(1930年・モノクロ・サイレント)

監督: ........小津安二郎 脚色・翻案: .......野田高梧 原作: .........「九時から九時まで」 オスカー・シスゴール 配役: 橋爪周二 ..........岡田時彦 その妻まゆみ ..........八雲恵美子 その子みち子 ........市村美津子 刑事香川 ........山本冬郷 医者須田 ........斎藤達雄 警官 .........笠智衆

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東京の女 2004/08/24

東京の女;岡田嘉子姉が家計を助けるために娼婦になっていたことを知って自殺した弟の物語。時代によってこの解釈は違うだろうが、当時は1933年、太平洋戦争へと日本がまっしぐらに進んでいる時代だった。ヒロイン役は樺太からソ連へと恋の逃避行をする数年前の岡田嘉子である。田中絹代はまだ幼くていかにも娘役にぴったりである。

ちか子と良一の姉弟は二人きりで暮らしている。ちか子は昼間は商社でタイピストとして働き、そのあと千駄ヶ谷で大学教授の翻訳の手伝いをしているという。良一は大学生で、苦しい家計の中からなんとか学費を姉に出してもらっている。それどころか時々お小遣いさえもらっている。

ある日ちか子の勤める商社に警察官がやってきて、上司にいろいろと尋ねていった。ちか子の会社での勤務は4年になり精勤を続けまじめな働きぶりなのだが、外であらぬうわさが立っているので調べに来たのだという。

良一には、春江という親しくしている娘がいた。今夜も「百万円もらったら」という外国のオムニバス映画を一緒に見に行ってきたばかりだ。春江が家に帰ると、兄の木下が出かけようとしていた。兄は巡査だが、ちか子のよからぬ噂を耳にしたので、一度ちか子にじかにあって話をしたいという。

春江はそれを聞いて自分が直接話をしたいと申し出たので兄は渋々それを認める。だが、春江が夜になってちか子の家に出かけると、まだ彼女は帰っておらず良一が一人留守番をしていた。いぶかる良一にはじめは話す気はなかったが、つい春江はそのうわさ話をばらしてしまった。

ちか子が勤務のあとに翻訳の手伝いをしていたなどというのはまったくのウソで、実は酒場に出入りし、男の客を拾っていたのだというのだ。それを聞いてこれまでそのような世間を知らずひたすら学生生活を通してきた良一はショックを受ける。そして春江を追い返してしまう。

夜も更けて、ちか子から電話がかかってきた。今日も遅くなるというのだ。良一は途中で電話を切り、深夜に帰ってきたちか子にその真意をただす。だが、ちか子はこれもすべて良一が無事学校を卒業してくれるためには必要だったのだと繰り返し、これを聞いて激高した良一はちか子を殴ってしまう。

良一は家を飛び出し二度と戻ってこなかった。それまで経験したことのなかったショックで自らの命を絶ってしまったのだ。良一の枕元にちか子と春江が座っいる。春江は自分ではなく兄に言ってもらえばこんな事にならなかったと後悔している。

ちか子はこんな事ぐらいで自殺した弟のことが残念でならない。なぜショックを乗り越えるぐらいの強さがなかったのか。姉の愛情が弟を弱くしてしまったのか。外には、特ダネを期待してちか子の家を訪れた新聞記者たちががっかりして帰って行くところだった。(1933年・モノクロ・サイレント)

監督 ................  小津安二郎 脚色 ................  野田高梧 池田忠雄 原作 ................  「二十六時間」 エルンスト・シュワルツ 翻案 ................  野田高梧 池田忠雄 配役 姉ちか子 ................  岡田嘉子 弟良一 ................  江川宇礼雄 娘春江 ................  田中絹代 兄木下巡査 ................  奈良真養

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長距離ランナーの孤独 The Loneliness of the Long Distance Runner 2004/08/26

長距離ランナーの孤独父親が死に家庭に嫌気がさした少年が盗みをはたらいて感化院に入れられ、得意の長距離競走に参加する物語。全体を通じてイギリスの、いや世界全体に通じる青少年の閉塞感を実によく表している。話は感化院での生活と、窃盗で逮捕されるまでのいきさつを交互に織り込みながら進行する。

当時のイギリスの社会では社会保障制度は整備されたものの、労働者が低賃金で働き、富裕層とは対照的に将来への展望がないままに生活を送っている。これが家庭内にも影響を及ぼし、子供たちは失業、非行、絶望、家庭崩壊の危機にさらされているのだ。どうしようもない状況で少年たちは反抗し拒否し続けるしかない。だからこの映画は決してめでたしめでたしにならないのだ。

コリンはスミス家の長男だ。下に3人の弟妹がいるが、労働者である父親は病気の末期なのに薬も入院も拒否し死にかけていた。母親は夫の安い給料を馬鹿にして浮気を重ねている。当然コリンは家がおもしろくないから、もう18歳なのに仕事にも就かず仲間と外に遊びに出かけたりして、万引きや窃盗を繰り返していた。

だが、ついに父親は死ぬ。そして入れ替わるように、母親は新しい男を家に連れ込んで住まわせた。父親にかけていた多額の保険金が入り、母親は自分やコリンの弟妹に贅沢をさせ、テレビを買い込んだ。コリンは黙ってそれを見ていたが、母親の男が家の中にのさばっていよいよ家がおもしろくない。

仕事もしないでぶらぶらしているコリンはますます行き所がなくなり、友だちのマイクとともに女の子を誘い遠くへ出かけたりする。だがそのうちに金もつきて、ある夜パン屋の2階に二人で侵入した。現金を手に入れたが、執拗に捜査する刑事に見つかり、コリンはさっそく感化院送りとなる。

やってきたところは広い林に囲まれた中で大勢の少年たちが毎日生活を送っていた。最初の係官との面接でコリンの父親が亡くなったばかりであること、母親がその死を少しも悲しまなかったことなど、家庭の事情が複雑であることが明らかになる。

長距離走者の孤独このこともあって、ほかの少年に比べて比較的穏やかなコリンは次第に監督者たちに気に入られるようになってきた。しかも長距離マラソンをさせるとダントツに早いことがわかり、近々開かれる一般のパブリック・スクールとの対抗試合の有力なメンバーに抜擢されたのだ。

コリンが頭角をあらわしてきたことに脅威を感じた寮長をつとめる少年との殴り合いの喧嘩も大目に見られ、マラソンの練習も感化院の外の林で行うことを許可されるほど信頼されるようになってきた。感化院の所長はもし試合で優勝すれば本人にとっても大きな自信となり出所も早くなるだろうと期待したのだ。彼の才能は、オリンピックに出場できるほどかもしれない・・・

コリンは毎朝ほかの少年たちより早く起こされ、一生懸命トレーニングを重ねた。彼の目は輝きを増し、鍛えた体は森の中を自在に駆け回った。やがて対校試合の日がやってきた。大勢の観衆は、コリンが勝つだろうと期待していた。彼の優勝は感化院全体の名誉でもあるのだから。

8キロのクロスカントリーの号砲がなった。文句なくコリンは軽々と他の選手たちを追い抜き、相手校の主将もゴール近い林の中で抜き去った。グラウンドに戻ってきたときには誰の目にもコリンの優勝は明らかだった。

だがゴールを500メートル先に見ながら、コリンの頭の中にはこれまでの思いが一斉に現れ、手足を動かすことができなくなってしまった。仲間たちの応援も、監督の怒号も耳に入らない・・・(1962年・モノクロ)

Directed by Tony Richardson Writing credits Alan Sillitoe (screenplay) / Alan Sillitoe (short story) Cast: Michael Redgrave .... Ruxton Towers Reformatory Governor / Tom Courtenay .... Colin Smith / Avis Bunnage .... Mrs. Smith / Alec McCowen .... Brown, House Master / James Bolam .... Mike / Joe Robinson .... Roach / Dervis Ward .... Detective / Topsy Jane .... Audrey / Julia Foster .... Gladys リスニング;イギリス英語。明瞭。

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モンパルナスの灯 Les Amants de Montparnasse (Montparnasse 19) 2004/08/29

モンパルナスの灯;モジリアニ20世紀初頭の画家、イタリア系エコール・ド・パリの画家モディリアニ(Amedeo Modigliani 1984-1920)の伝記的映画。モンパルナスに移り住んでから、ジャンヌと知り合い結婚して最後に行き倒れになるまでを描く。この映画に登場する人物は妻のジャンヌをはじめとしてほとんど彼の作品に同名で見つけることができる。

モジは今日も飲んだくれている。あちこちの酒場を巡りツケを申し込むがどこでも断わられてばかり。だがパリの女たちはみんな彼に優しい。ウェイトレスはとれかかったボタンを付けてくれるし、何よりも生活の面倒を見てくれる女がいつもいる。

昨晩も金持ちの女ベアトリスを酔った勢いで殴ったりしたが、翌朝再び会うとけろっとした顔で自分がどのくらい酔っていたかを尋ねたりしている。アパルトマンに帰ればモジが家賃をため込んでいるにもかかわらず管理人のおばさんは洗濯物を届けてくれる。

向かいの部屋に夫婦で住むスブロフフキー氏は才能はあるがまだだれも認めてくれないモジのことを何かと面倒を見て、ポーカーで儲かったからと家賃を代わりに払ってやったりした。

ある日美術学校のデッサン授業で前から気になっていた女の子が教室にいるのに気づく。ジャンヌといい、前からモジに恋いこがれていたのだ。二人はすぐに結婚の約束をするが腹を立てた父親は娘を自分の部屋に監禁してしまう。

愛するジャンヌに会えずすっかり気落ちしたモジは相変わらずすさんだ生活が続き、ついに倒れてしまう。医者の見立てによれば結核を患っており、パリの気候ではあと半年しかもたないだろうという。ベアトリスはすぐにモジを南欧のニースに送る。

明るく温暖な気候でモジはすっかり元気になった。制作にいそしむ毎日だったが、ある日家を抜け出したジャンヌが現れた。彼女は二人での厳しい生活を覚悟している。夫婦になった二人は再びパリに戻った。

モンパルナスの灯;ジャンヌの肖像モジは妻や友人の絵を次々と描いていった。しかしまだ人々は彼の絵を理解していなかった。ベアトリスを描いた裸婦の絵も警察がわいせつだとして撤去するように命じる。せっかく個展を開いても第2日目からはまるでお客が来ない。スブロフスキーが画廊で留守番をしていると、画商がやってきた。

その画商はモジの絵が非常に独創的で、まだ人々が認めるには早すぎるということをよくわかっていた。モジは運がないのだ。死んだあと有名になるのだ。彼はモジが死ぬのを待っている。その瞬間その絵をすべて買い占めるつもりだと言った。

モジとジャンヌはますます苦しい生活に追い込まれていった。そこへスブロフスキーが商談を持ち込んできた。これから帰国しようというアメリカの金持ちがモジの作品に興味を持ったのだという。早速3人は作品を抱えて出かけていく。

金持ちはセザンヌの作品を手に入れていた。スブロフスキーがモジの作品の説明をした。あのうつろな目は別世界を見ているのだ・・・アメリカ人はモジの作品を見ると気にいったようだが、製品の登録商標にするつもりだと言った。それを聞いてうんざりしたモジは部屋を出ていってしまう。

再び火の気のない部屋に戻るとジャンヌを一人おいてデッサンを持って居酒屋に出かけていった。これを売って食費にしようと思ったのだ。だが誰も買ってくれなかった。気落ちしたモジは霧の立ちこめるパリの街路をよろめきながら歩いていった。そのうしろには偶然あの画商がついていたのだ。

体力を使い尽くしたモジはそのまま路上に倒れ、病院で息を引き取った。画商はそれを見るとすぐにモジの部屋に行き、何も知らないまま驚き喜ぶジャンヌを前に居並ぶ作品を次々と買い取っていくのだった・・・(1958年)

Directed by Jacques Becker Writing credits Michel-Georges Michel (inspired by novel 'Les Montparnos') Cast : Gérard Philipe .... Amedeo Modigliani / Lilli Palmer .... Béatrice Hastings / Lea Padovani .... Rosalie (as Léa Padovani) / Gérard Séty .... Léopold Sborowsky / Lino Ventura .... Morel / Anouk Aimée .... Jeanne Hébuterne / Lila Kedrova .... Mme. Sborowsky Arlette Poirier .... Lulu / Pâquerette .... Mme. Solomon (as Madame Pâquerette) / Marianne Oswald .... Berthe Weil / Judith Magre .... La fille du jockey / Denise Vernac .... Mme. Hébuterne / Robert Ripa .... Marcel / Jean Lanier .... M. Hébuterne / Chantal de Rieux (as C. de Rieux) リスニング;フランス語、非常に聞き取りやすい。

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さらばわが愛 Farewell to my Concubine 覇王別姫 Ba wang bie ji 2004/09/9

さらばわが愛英語での原題は「わが側室よさらば」。演劇訓練所で厳しい修練を受け、大スターになった二人の男が、結婚、日本軍侵略、戦後の動乱、文化大革命の歴史の荒波をかいくぐって生きてきた一大大河ドラマ。

1924年の北京。大勢の人々の行き交う街の一角に京劇の学校があった。そこでは師匠が才能のありそうな子供たちを全国から集めてきて、俳優になるための厳しい訓練を行っている。子供たちは柔軟体操や発声練習などを朝から晩まで受け、少しでもへまをするとぶん殴られる。

そこへ、遊郭から一人の男の子を連れた女が姿を現した。遊郭では子持ちの女はおいてもらえない。6歳ぐらいをすぎたら子供は追い出されてしまうのだ。女は師匠に自分の息子を訓練生として採用してくれるように懇願した。

見たところ女の子のようであまり見込みがなさそうだったが、女は無理矢理その子を一座においていってしまった。この新入りの男の子は小豆といい、一座の中でも大将格で、レンガを自分の頭に打ち付けて割ることが得意なことから「石頭」というあだ名でよばれている少年と仲良くなった。

毎日厳しい訓練が続く。師匠は小豆の細くて華奢な体つきを見て、女形に育てることにした。一方の石頭は頑丈で男っぷりもいいことから、戦いに明け暮れる大王役にぴったりだった。

ある日、表の門がわずかに開いていたことから、小豆ともう一人の男の子はそれまでのあまりにつらい訓練生活に嫌気がさして、街中に脱走する。あちこちうろついて、飛び込んだのが京劇をちょうど上演中の劇場だった。舞台で演じられる見事な立ち回り。熱狂的に喝采を送る大群衆。小豆はそれを見て息をのむ。

このとき小豆の心の中に、京劇の俳優として身を立てようという決意が生まれたのだった。厳しいお仕置きが待っていることを覚悟で小豆は一座に戻る。それからはひたすら技の精進に勤めたのだった。

さらばわが愛成長するにつれ、小豆も、石頭も訓練生の中で頭角を表し、京劇の関係者に次第に認められるようになった。小豆の女形は、よく言われるように本物の女より美しかった。そのため京劇に理解のある金持ちや貴族に誘いの声がかかるのだった。

やがて石頭と小豆はそれぞれ、段小樓、程蝶衣という名前で全国的に有名になる。ファンが殺到し二人は押しも押されぬスターとなった。小豆は石頭を兄として慕い、舞台での王と后のつながりが私生活でも何か続いているようだった。

やがて石頭は遊女であった菊仙という女を妻にめとる。これを知って一度は激高した小豆だったが、京劇界のパトロンである袁先生と親しくなり、何かと面倒を見てもらうようになる。

やがて日華事変が始まり、蘆溝橋事件をきっかけに日本軍が市内に入ってきた。袁先生の後押しもあって、京劇に理解のある日本軍将校の前で小豆はさまざまな芸を披露する。だが日本軍を憎む石頭は結婚を機に菊仙の要求もあって小豆から遠ざかり、一時は俳優廃業まで考える。

年老いた訓練所の師匠によばれた二人は、京劇を汚すものとして厳しくしかられ、再び芸の道に進む。日本が敗戦で姿を消すと動乱の時代がやってきた。国民党の支配は短命に終わり、共産党政権が樹立されたのだ。

小豆は日本軍の前で踊ったということで、旧日本軍への協力の嫌疑をかけれ裁判で危うく有罪になるところだったが、特赦によって再び舞台に上がることができた。袁先生のところで覚えた阿片にすっかりとりつかれた時期もあったが、石頭のおかげで回復することができた。

だが、時代は文化大革命へとすすみ、紅衛兵たちがブルジョア趣味であるとして中国古来の伝統芸能の排斥に乗り出した。二人もとらえられ民衆の前で首から看板を下げて自己批判をさせられる。お互いの過去を人々の前で洗いざらい語り、それぞれを非難する。

だがそれも時代の流れの一部にすぎなかった。11年がたち狂気の革命の嵐は去った。二人はもはや若くはない。新しく作られた劇場で懐かしさを込めてあの演技が再現されるのだった。(1993年・香港映画)

Directed by 陳凱歌 Kaige Chen Writing credits 李碧華 Lillian Lee (also novel) 芦葦 Wei Lu / Cast: 張國榮 Leslie Cheung ....程蝶衣 Cheng Dieyi (segment "小豆 Douzi") / 張豊毅 Fengyi Zhang .... 段小樓 Duan Xiaolou (segment " 石頭 Shitou") / 鞏俐 Li Gong .... 菊仙 Juxian / Qi Lu .... Master Guan リスニング;標準中国語、きわめて聞き取りやすくやさしい語彙が多い。初心者に最適。

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輪舞 La Ronde 2004/09/16

輪舞1914年、第1次世界大戦前夜のパリを舞台として、男と女が次々とベッドに潜り込む話。輪舞というよりも「恋のしりとり物語」といった方がわかりやすい。特にストーリーはない。前のエピソードに出ていた男か女が次のエピソードに登場するのがおもしろおかしい。

こういう言い方だと単なるポルノ映画だと思うかもしれないが、裸のシーンはほとんどなく、すべて観客の「想像」に任せてある。映画で描くのは、二人の間のユーモラスで機知に満ちた会話である。動物的な臭いのまったくしない映画である。

偽善者だらけのアメリカのように、大統領の不倫で騒ぐような国では絶対できない作品だろう。フランスでは大統領に隠し子がいようといまいと誰も大した関心すら示さない。

夕暮れ、門限の時間に間に合うようにと急ぐ兵士の目の前に売笑婦が現れる。時に彼女は「ただで」させてくれるということで近隣で有名になっているのだ。門限に遅刻すると禁足を食らうため兵士は断ろうとするが、ただでできることを知って思い直し彼女について行く・・・

パーティ会場。シャンソン歌手、コラ・ボケールがステージで見事な歌を歌っている。ここにいるのは先の話に登場した兵士の男だ。手持ちぶさたにしている女に声をかける。誘いに彼女はまんざらでもない。一緒にダンスをするうち、彼女と待ち合わせをしていたメイドの仕事をしている友だちがやってくる。男はあとから来た女の方が気に入ってしまう。二人は意気投合し空き家にある庭園の茂みに入り込む・・・

場面は変わってこのメイドは、昼間大きなお屋敷の中で留守番をしている。老夫婦が出かけてしまい、書斎には法律の勉強をしている息子だけしかいない。息子は些細な用事のために何度も何度もメイドを呼び出す。下心を承知でメイドも書斎に向かい、二人で夢中になっている間に家庭教師がやってくるがいくら呼び鈴を鳴らしても誰も出ないので怒って帰ってしまった。

あるアパルトマンでは先の息子が女の訪問を今か今かと待っている。教会で知り合い、スケート場で親しくなった女がやって来るのだ。ただし「何もしない」という約束で。夫も子供もある身だが、二人は奥にある寝室に滑り込む。そのあとで男はスタンダールの「恋愛論」を持ち出して彼女を絶賛するのだった。

女は家に帰り、夫とベッドに入っている。女は夫に結婚前何人の女と関係したか、その中には人妻もいたかどうかしつこく尋ねるが、夫は答えをはぐらかして「快楽」はいけないのだた説教するばかり・・・。

ホテルには「特別室」というのがあり、ボーイ長はボーイたちに、その場合の客の扱い方について説明している。もし男性客が女性を部屋に入れようとしてもボーイはまったく関心がありませんという顔をしていなければいけないと。ちょうどそのときに特別室にいたのは妻に浮気されていたあの夫だ。ちょうど、街で声をかけてついてきた19歳の少女を部屋に入れたところだった。

場所が変わって、ある作家のアパルトマン。部屋にいるのは、ホテルの特別室にいたあの19歳の少女だ。作家は自分のアパルトマンに連れてきてその美しさに惚れ込み、自分が彼女を女優に育ててみせると宣言する。

作家であるこの男は大勢の女優を「手塩」にかけていたらしい。今マキシムのレストランでかつて別れた女優とよりを戻そうとしている。何であのとき別れたのだろう。彼女は男にほだされ彼のアパルトマンに出かけて行く。その夜は久しぶりに二人は同じベッドで寝ることができたのだ。

自分の家に戻った女優は寝過ごしてしまったようだ。正午をすぎた頃、士官をしている前途ある若い伯爵がやってきていた。彼女を夕食に誘おうとやってきていたのだが、彼女の願いでその前に寝室で午後の甘美な時間を過ごすことになる。

伯爵はその夕方彼女との食事の待ち合わせをするはずだったのだが、親友の故国でその皇太子が暗殺され二人は敵国同士として殺し合う運命になってしまった。運命の過酷さに耐えかねて二人は酒場を飲み歩き、泥酔した。

翌朝伯爵が目を覚ますと、あの「ただで」させる売笑婦が横にいる。何も覚えていない伯爵に向かって「昨晩のこと」を尊敬のまなざしで語る女は、戦いで戦死しないようにと別れの言葉を贈るのだった。これで物語はひとまわりしたわけだ。(1964年・フランス映画)

Directed by Roger Vadim Writing credits Jean Anouilh Cast Jane Fonda .... Sophie / Cora Vaucaire .... La chanteuse リスニング;フランス語。男と女の寝物語なので、かなり難しい内容。ジェーン・フォンダのフランス語はよく聞くとやはり英語訛がある。

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第3の男 The Third Man 2004/09/19 2010/05/17 (再)2024/02/02

第3の男;ハリー出現のシーングレアム・グリーンの小説の映画化。絶妙なギターによるバックグラウンドミュージックとの組み合わせがこの映画をいっそうすばらしいものにしている。人の命を奪う闇商売に従事する男を忘れることのできない女の情念と、親友を警察に突き出す男のジレンマを描く。

友人同士の出会いのシーンは、巨大な観覧車が背景をかざる。男が警察に追われて地下下水道に逃げ込むシーンはビクトル・ユーゴーの「ああ無情」のジャン・バルジャンだ。アメリカ人がヨーロッパに行き、地元の女に拒絶されるというストーリーはギリシャ映画「日曜はダメよ」と似たパターンである。

第2次世界大戦が終わったばかりのウィーンが舞台である。英米露仏の連合軍が駐留し、人々は爆撃によるがれきの点在するウィーン市内で、物質の不足に苦しみながら暮らしていた。闇取引が行われる中、悪党たちが暗躍する街でもあった。

一文無しのアメリカの三文作家、ホリーは、ウィーンにいる古くからの親友ハリーを頼ってこの街にやってきた。もしかしたら仕事を紹介してくれるかもしれないというのだ。ところがなんと彼の到着する直前に彼はアパートの前でトラックに轢かれ死んでしまったというのだ。

ショックをかくす間もなく、ホリーは葬式に参列する。そこには、アンナというハリーの恋人だったらしい女性と、キャロウェイ少佐以外は参列者もほとんどいなかった。帰り道、少佐に送ってもらったホリーは事故の状況を聞いて親友の不可解な死に次々と疑問がわいてくる。

第3の男;観覧車のシーン自分のアパートの前で事故にあったが、轢いたのは知り合いの運転手だったこと。事故の時に道路脇に即死したハリーを運んだのが、クルツ男爵と謎のルーマニア人の2人だったというのに、上から目撃していたアパートの管理人は3人だったと言い張る。しかもハリーは即死ではないらしい。

そのあとやってきたのがハリーのかかりつけの医者であるウィンクルだが、彼が到着したときにはもうハリーは死んでいたという。さらに手がかりを求めて彼は女優をやっているアンナを劇場に訪ねる。愛する人を失ったアンナにホリーは一目惚れしてしまう。

キャロウェイ少佐は、警察とは別の独自の捜査で、ハリーが生前恐るべき仕事に手を染めていたことを語る。ホリーには信じられなかったが、盗んだペニシリンを横流しし、水で薄めて売りさばいて大儲けをしていたのだ。この偽物のペニシリンを注射された患者たちは致命的な障害を受けていた。

ホリーは帰国を延ばしても、友だちの名誉のためにも、この謎を解明しようと決心する。ドイツ語のしゃべれないホリーだったが、事故当時にいた二人のほかにもう一人の「第3の男」がいたはずだという結論に達した。自分たちの悪行がばれそうになったため、犯人たちはアパートの管理人を殺し、ホリーを追跡する。

危うく逃れたホリーは、アンナのアパートで彼女を慰めようとするが、死んだあとでもかつてのハリーはしっかりと彼女の心の中に生きていた。だが彼女もハリーに作ってもらったパスポートが偽物であることがばれて、警察の調べを受けることになる。彼女はチェコからの難民だったのだ。最悪の場合にはソ連への強制送還が待っている。

だが、アンナのアパートを訪れた帰り、アンナの飼い猫が鳴くのを聞いて近くに人の気配を感じた。ホリーは、建物の影にいて偶然照らされたハリーの顔を一瞬目撃する。ハリーはたちまち下水道の中に姿を消してしまったが、キャロウェイ少佐たちはさっそく墓を掘り返し、墓に入っていた死体はハリーの部下の男だったことがわかる。

ウィーンのソ連管轄区に潜伏しているに違いないハリーを少佐もホリーも探し回る。クルツ男爵のアパートにかくまわれているに違いないとみたホリーは、アパートの窓に向かって大声で自分の前に姿を現すように告げる。

第3の男;最後のシーンアパートのうしろには遊園地があり、巨大な観覧車が回っていた。ホリーはハリーと二人で乗り、久しぶりの再会をする。だがハリーはあくまで自分の商売を続けるつもりだった。ホリーに仕事を手伝うようにさえいう。

かつての親友を警察に突き出すべきかどうかのジレンマに悩んだホリーだったが、アンナを無事故国に返すという取引をキャロウェイ少佐と結んで、ハリー逮捕の協力をする。だが、そのことを知ったアンナは激怒し、駅で列車に乗るどころかパスポートを破り捨ててしまう。どんな悪人であれいったん愛を感じてしまったアンナにとってハリーはまだ自分の一部なのだった。

おとりになったホリーのもとに警察がまわりを固めているとも知らずにハリーが近づいてくる。ハリーは下水道の中に再び隠れようとしたが、追いつめられ傷つき、ホリー自身がとどめの一発を撃つ。同じ墓地で今度は本当にハリーの葬式となった。まっすぐと並木の続く墓地からの帰り道、アンナを待って佇むホリーの横を、一瞥もくれずにアンナが歩いていく。(1949年・イギリス映画)➡資料?O???????N

Directed by Carol Reed Writing credits Graham Greene (story) and Alexander Korda (story) Cast: Joseph Cotten .... Holly Martins / Alida Valli .... Anna Schmidt (as Valli) / Orson Welles .... Harry Lime / Trevor Howard .... Maj. Calloway / Paul Hërbiger .... Porter (as Paul Hoerbiger) / Ernst Deutsch .... 'Baron' Kurtz / Erich Ponto .... Dr. Winkel / Siegfried Breuer .... Popescu リスニング;英語。ホリーとアンナの会話が聞きもの。ウィーンのドイツ語が混じる。

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© 西田茂博 NISHIDA shigehiro

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