フランス映画その1 HOME > 体験編 > 映画の世界 > フランス映画 > その1 |
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最初の場面でピンクを背景にして二人の男女がガムを口にくわえて引っ張り合うシーンがある。ガムの糸をたぐってお互いにくっつこうとするのだが、うまくいかず最後に男の方がはさみでガムの糸をチョン切ってしまう。糸を切られて女の方がうなだれる。 ファンファンは、サーカスのブランコ乗りで、身軽さでは誰にも負けない。その若さと俊敏な動きはまるで妖精のようだ。たまたま彼女と知り合った医学生のアレクサンドルが彼女に惹かれたのも無理はない。 だが、アレクサンドルにはフィアンセがいて、結婚式の日取りも着々と進行中だった。フィアンセは、葬儀屋の娘で、父親は母親の料理でぶくぶくに太り、アレクサンドルも未来の奥さんにたくさん食べさせられる運命にある。 なおも悪いことに、彼女からのバレンタインの贈り物といえば、スリッパだった。こんな生活だから、アレクサンドルが、ファンファンの天衣無縫な性格にすっかり参ってしまったのだ。 だが、アレクサンドルは、最初の日の出会いから、ファンファンには指一本触れまいと心に決めていた。すでにフィアンセとは半分同棲の生活をしており、ファンファンを究極のプラトニックな対象にしようと決心した。 ファンファンの方もアレクサンドルに少しずつ傾いていく。他人の家に上がり込み、勝手にディナーを食べる発想。友達の映画スタジオを借りて、二人でウィーンに行ったつもりでワルツを踊るという思いつき。こんなアレクサンドルをファンファンは好きになってしまう。 だが、自分に指一本触れようとしないアレクサンドルに、ファンファンはいらだつ。もう少しで自分の乳房にアレクサンドルに触れてもらおうとした直前、フィアンセが乗り込んできたりして、二人の間は少しもうまくいかなくなった。 だが、一方でこれを機にアレクサンドルとフィアンセの間の断絶は決定的となり、自由の身となったアレクサンドルは、ファンファンの新しいアパルトマンの隣の部屋を借りる。 しかも彼女が旅行に行っている間に、あいだの壁をぶち抜いてマジックミラーを取り付ける。まるで気づいていないファンファンの一日を眺めながら、アレクサンドルは彼女との共同生活の気分を味わっていた。 だが、このマジックミラーこそ、彼の幼い頃の傷を表す、自分を守る「殻」だったのだ。彼が小さい頃、自分の母親の寝室には男たちが入れ替わり立ち替わり出入りしていた。その辛い記憶が、フィアンセのロールと手を切ったことも相まって、ファンファンにキスすらできない、不感症の男にしてしまっていた。 もちろんこのミラーのことはすぐにファンファンにばれた。ファンファンは自分に触れて欲しいのに、アレクサンドルにはそれができない。がっかりしたファンファンは「妹の所へいく」と言って姿を消してしまう・・・(1993年) それにしてもソフィー・マルソーの魅力はどうだ。その小柄で引き締まり良く動くからだ。可憐な顔。全身にあふれる生気。 Directed by Alexandre Jardin Writing credits Alexandre Jardin (also novel) Cast:Sophie Marceau .... Fanfan / Vincent Perez .... Alexandre / Marine Delterme .... Laure / Ge'rard Se'ty .... Ti / Bruno Todeschini .... Paul リスニング;フランス語、ちょっと早口で内容が多いが、二人の会話はウィットに富んでいる。 Les Quatre Cents Coup 大人は判ってくれない 少年映画と言えば、すぐに思い浮かぶのは Stand by Me だろう。フランスのトリュフォー監督も、その駆け出しのころに優れた作品を作った。そのうちの一つが、この作品の原題は「400発の打撃」といい、coup は「殴った一発」というよりは「災難・不幸」のことではないか。英語版では、写真にあるように The 400 Blows である。なお、彼の最後の作品が、すでに見た「日曜日が待ち遠しい!」である。 少年ドワネルは日本で言えば、中学生だ。母親は堕ろすことを考えていたが、彼の祖母が反対して未婚で産んだ子供で、連れ子で結婚し、共稼ぎの家庭である。母親は仕事の疲れというよりは自分の浮気のじゃまになるので、ドワネルを邪険に扱う。夫を妻は馬鹿にしているので、家の中では今ひとつしっくりいかない。 こんな家庭だから、ドワネルが学校で反抗的な態度になるのも無理からぬこと。授業中に先生に捕まることから始まって次第にエスカレートし、ついには家出を決行する。友達の家に泊まり込んだり、工場の中で夜を明かしたり、牛乳を盗んだりして自分の家のいやな雰囲気からなんとか逃げ出したいと思っている。 母親から優秀であれば1000フランもらえると思って意気込んで書いた論文も、教師から剽窃だとののしられ、ついには停学処分を食らってしまう。金に困ったドワネルは友達と共謀して、自分の父親の会社からタイプライターを盗み出し、これを盗品市場で売りに出すことを考える。 だが、売却に失敗し再びこれを元に戻そうとしたところで発見され、両親はドワネルを少年鑑別所に送り、矯正してもらうように依頼する。フランスでは、少年も普通の犯罪人と同じ留置場に入れられ、護送車で運ばれれて供述書を取られる。 彼を待ち受けていた施設は、全国から集まってきたさまざまな犯罪を犯した少年たちが厳しい監視のもとで生活を送っていた。ドワネルはしばらく観察処分を受けるが、この施設の雰囲気になじむはずもなく、最後にはバスケットボールをしている最中にフェンスをくぐり抜けて脱走する。 彼は走る。走る。走りまくる。どこまでも走る。どこへ行きたいのか。行く手には河口があり、そこをさらに進むと海岸に出た。波打ち際に走り寄ると、ドワネルはこちらを振り返った。ここで唐突に映画は終わる。(1959年) Directed by Franc,ois Truffaut Writing credits Franc,ois Truffaut (story) Cast :Jean-Pierre Le'aud .... Antoine Doinel / Claire Maurier .... Gilberte Doinel, the Mother / Albert Re'my .... Julien Doinel / Guy Decomble .... 'Petite Feuille', the French teacher / Georges Flamant .... Mr. Bigey / Patrick Auffray .... Rene リスニング;フランス語、ドワネルの母親の早口には閉口する。 わずか20数分の映画だが、これも少年たちを描いたトリュフォー監督の秀作だ。「あこがれ」というより、原題の「はやし立てる少年たち」とか「いたずらがきども」のほうが内容に合っている。まだ性的に未熟だが、性欲だけはどんどん昂進してきている年齢の少年たちが生々しい。 近所の若い娘、ベルナデットはとても魅力的で、少年たちの羨望の的だ。彼女がさわやかな風を切って丘を颯爽と自転車をこいでスカートが風に翻ると、恋心のまだ判らない少年たちはひたすら見つめるのだった。 いや、見つめるだけでは気が済まない。彼女の自転車が木に立てかけてあると、少年たちがやってきてサドルに残った彼女の下半身のほのかな匂いを嗅ぐのだった。そして覗き見に熱中する。 その動物的な衝動を恋に昇華することもできない彼らはベルナデットをはやし立て、いたずらの目標にすることになった。彼女には恋人ジェラルドがおり、二人はしばしば人気のいないところで逢っていたが、ここにもしつこく少年たちはつけてきて二人を困惑させるようないたずらを次から次へと考えるのだった。 だが、その二人の恋は、ジェラルドが登山で事故死をしたために突然終わりを告げる。裸の写真をベルナデットに送りつけた少年たちは、時期的にまずかったことが、苦い思い出を残すことになった。(1957年) Directed by Franc,ois Truffaut Writing credits Maurice Pons (novel)Cast: Ge'rard Blain .... Gerard / Michel Franc,ois (I) .... Voice / Bernadette Lafont .... Bernadette Jouve リスニング;フランス語。ナレーションのみ。登場人物たちの会話はない。 不動産屋のベルセルは、早朝の鴨狩りの時に不審な銃声を聞いたが、まさかそれが友人のマスリエが撃ち殺されたとは知らなかった。だが潔白を証明する決定的な証拠もないので、すでに彼は警察からマークされてしまった。 彼の秘書はバルバラといって、アマチュアの劇団にも打ち込んでいて、とても有能なのだが、どうもベルセルとはうまが合わないようだ。ベルセルの妻に嫌われたために彼女が解雇通知を受ける矢先、警察がベルセルに署に同行を求めにやってきてそれどころではなくなる。 署では弁護士クレマンに来てもらい、今後のことを頼むが、ベルセルが自宅に戻ってみると、今度は夫人が殺されていたのだ。妻とは結婚してまだ日が浅く、ベルセルは彼女の過去を調べるためにニースに向かおうとするが、追われる身になったベルセルの代わりに女傑バルバラが自ら乗り込んでゆく。 バルバラはニースでベルセルの泊まっていたホテルに泊まり、謎の人物が探偵社にこの夫人の捜査を依頼していたことを知る。結婚前にニースで美容院をやっていた夫人がどうも競馬に入れ込んでいたらしいことを突き止めただけでバルバラは戻ってくるが、今度は夫人に多数の愛人が出入りしていたと告げる、謎の電話の女の声の主を突き止めるべく売春街に乗り込む。 その女は場末の映画館の切符売りだったが、殺されたマスリエのかつての情婦であり、キャバレー、美容院と複雑な関係が明らかになってゆく。バルバラはクレマン弁護士の事務所にも訪れるが、そこに何らかの不審な点を発見したようだ。さらにバルバラは売春婦を装って、謎のキャバレーに潜り込んだ。ベルセルは自分の事務所にこもり、バルバラの「捜査」の結果だけがたよりだ。 いよいよ真相が明らかになりそうになったとき、切符売りの女も殺される。せっぱ詰まったベルセルは、クレマンに会おうとするが、ここでバルバラはベルセルに自分が恋してしまっていることをうち明ける。この長い土曜日の夜、二人はすっかり意気投合して翌日の日曜日が、待ち遠しい思いなのだが・・・ 一連の殺人事件は疑いの目が、当然ベルセルに向けられ、この夜ついに警官隊がやってきて逮捕されてしまう。だが、バルバラの機転で、ニースの探偵事務所へ依頼した謎の人物を明らかにする手掛かりを得て、ようやく事件は解決し、二人は結婚式を挙げる。 バルバラは何となく田中真紀子に似ている。あまりに聡明で身のこなしが軽く、彼女の大胆な行動はみんなスムーズに行って幸運がつきまといすぎているような気がするが、決して暗い印象のない、コミカルな流れのストーリー展開で救われている。トリュフォー監督は、フランスのヒッチコックといえようが、あくまでもフランス風である。(1983年・モノクロ) Directed by Francois Truffaut Writing credits Jean Aurel Suzanne Schiffman Cast: Fanny Ardant .... Barbara Becker / Jean-Louis Trintignant .... Julien Vercel / Jean-Pierre Kalfon .... The priest Massoulier / Philippe Laudenbach .... Maitre Clement / Philippe Morier-Genoud .... Superintendent Santelli / Xavier Saint-Macary .... Bertrand Fabre / Jean-Louis Richard .... Louison / Caroline Sihol .... Marie-Christine Vercel モーリスは、鉄道のやかましく行き交う高架に近い一軒家へ歩いていった。中にいる、盗品の金細工や装飾品を加工する男を殺すためだ。殺した直後、入れ替わりに、何も知らない男二人と女一人がその男を訪ねて入ってきた。使った凶器は帰り道にガス燈の下に埋めた。 モーリスが自分の女テレーズの部屋で寝ていると、仲間のシリアンが泥棒の道具を届けにきた。モーリスは仲間のレミと共にどこかの豪邸に押し入るつもりなのだ。 だがそのあとシリアンは公安警察に電話している。密告したのか?さらにモーリスが強盗に出払っているとき、テレーズを縛り付けて行き先を吐かせる。このため仲間のレミは刑事のサリに撃たれ、モーリスも傷を負う。だが不思議なことに気を失って目が覚めてみると、仲間のところに届けられ手傷の手当を受けているのだった。 だが、一軒家の殺人については、モーリスが疑われ、シリアンの警察への協力で、最後にはあっさり捕まってしまう。モーリスはシリアンの密告がこんな結果を招いたのだと、獄中でまもなく出所する予定の男にシリアンを殺すように頼む。 ところが、シリアンは、このあと高架下の一軒家を訪ねてきた男二人をおびき出し、いかにも殺しはこの二人がやったかのように見せかける。これでモーリスの嫌疑は晴れ、釈放されることになる。 これはどういうことなのか。実はシリアンはガス灯の下に埋めた拳銃のことも、テレーズが裏切り者だということも、すべてを知っており手の込んだやり方で警察への協力を逆に利用して、拳銃で撃たれたときも、モーリスを助けてくれたのだ。 分け前をモーリスに渡したあと、そして今後はすっかり足を洗い、余生を女と買ったばかりの一軒家で暮らすのだという。ギャングのままでは悲惨な最期を遂げることになるからと・・・ シリアンを送ったあと、モーリスはふと胸騒ぎがした。獄中の仲間との「花輪」の件で電話があったというのだ。モーリスは雨の中を飛び出していくが・・・(1961年) Directed by Jean-Pierre Melville Writing credits Pierre Lesou (novel) Jean-Pierre Melville Cast : Jean-Paul Belmondo .... Silien / Serge Reggiani .... Maurice Faugel / Jean Desailly .... The Superintendant Clain / Rene Lefevre (I) .... Gilbert Varnove (as Rene Lefevre) リスニング;フランス語。きわめて会話が多く、地名と人名が入り乱れ、記憶しておくのが大変。 haut de pageにんじんは、レピック家の兄ひとりと姉ひとりのいる末っ子だが、父親と母親の愛が終わったあとで生まれてきた。そのため父親は無関心、そして母親には、とてつもない意地悪を受けながら育ってきた。 長男には母親がたえず気を使い、食べ物も美味しいものはいつもにんじんの前からはずされた。お手伝いさんが見かねて言ってくれたこともあったが母親は、にんじんをこき使い、父親と猟に行くことすら許さなかった。 事実、こんな意地悪な女はこの世に二人といないくらいひどい。女の持ついやな点をすべて身につけたような女で、夫も軽蔑しきってふだんはまったく口をきかない。雑用はにんじんがみなやらされ、兄が母親の金を盗んでも、にんじんが疑われる。 にんじんは夏休みになって寮から帰ってきたところだが、利口な子で、両親に対するつきあい方を心得ている。自分の両親を「・・・さん」づけて呼ぶくらいなのだ。でもおじさんのところに遊びに行って、従妹のマチルダに優しくしてもらったりすると、自分がふだんいかに不公平な扱いを受けているかがわかって本当に腹が立つのだった。 父親は人望があって、村長選挙で当選する。祝賀会が開かれるが、忙しい父親はかまってくれない。近所の人からはバカにしたような言葉をかけられる。ついにがまんができなくなって、にんじんは自殺を決意する。池に飛び込もうとしたところをマチルダに見つかり、自宅の納屋で首吊りをしようと決める。 幸いマチルダの通報で、父親は自分の息子が納屋のかもいからぶら下がり、あわやと言うところを救い出す。父親はそれまで無関心でろくに言葉をかけてやらなかったことを後悔し、にんじんと和解し、父親として愛していることを息子に伝える。「これからはおまえを本名のフランソワーズで呼ぼう。にんじんは納屋のかもいで死んだんだ」 ルナールの原作通り、ごく普通の家庭での人間関係の崩壊が日常生活を通して描かれている。「家庭とは、気の合わない人々が一つ屋根の下に住んでいる集団である」とは、ルナールが学校に提出した作文の一部だ。母親の邪悪さは、それでもどこの家庭にでもありそうだ。ただフランスの場合はカトリック国で、簡単に離婚をするというわけにはいかないだろうが。(1932年) Directed by Julien Duvivier Writing credits Julien Duvivier Cast:: Harry Baur .... Monsieur Lepic / Robert Lynen .... Poil de Carotte / Louis Gauthier .... Godfather / Simone Aubry .... Ernestine Lepic / Maxime Fromiot .... Felix Lepic / Colette Segall .... Mathilde / Marthe Marty .... Honorine / Christiane Dor .... Annette / Catherine Fonteney .... Madame Lepic リスニング;フランス語。村人の日常会話が豊富に出てくる。 haut de pageDeux Hommes Dans La Ville 暗黒街のふたり 保護司というのは、つらい仕事だ。監獄に入れられてから、出所したあとまで、罪を犯したものの更正の面倒を見る仕事だが、刑務所や警察や裁判所、一般住民の板挟みになりながら、前科のある者を見守ってゆかなければならない。 ジャンギャバン演じるジェルマンもその1人だ。銀行強盗で10年間刑務所にいて出所したばかりの、アランドロン演じるジーノの今後のことを心配している。 だが、田舎町に印刷工の仕事を得、ジーノはまじめに更正を始めた。前の仲間たちとも縁を切り、妻とふたりでやり直そうという気持ちでいた。だが、何という運命だろう。暴走車を避けようとしてジーノの車は大破し、同乗した妻は死んでしまう。 落ち込むジーノに、ジェルマンとその家族は一生懸命慰める。そのかいあって次第にジーノは元気を取り戻し、恋人も新たに作るのだった。そして印刷所の親父も、まじめに働くジーノを自分の息子のように扱ってくれた。 だがこの田舎町に、かつて銀行強盗を働いたときにジーノを逮捕した刑事が転勤していていた。彼は一切、ジーノの更正ぶりを信じない。いつかすぐにまた、悪事を始めるだろうと確信し、あまりにも苛酷な身辺調査を行った。 ジェルマンの抗議もむなしく、刑事はジーノを拘束したり、仲間とのつきあいを暴こうと、恋人や印刷所の親父にまで嫌がらせに近い捜査を強行する。そしてある日、ジーノの恋人を使って仲間との関係を脅して言わせようとしたところを、ジーノは発見してその怒りは爆発する。 気が付くと、刑事はジーノに首を絞められてこと切れていた。刑事の汚いやり方が、このような事件を引き起こしたわけだが、フランスの裁判所では前科者の再犯には、容赦しない。一切の情状酌量は拒否されて、ジーノはむなしくギロチンの露と消えた。 かたくなな法制度、居眠りする陪審員、審理中にいたずら書きをしてヒマを持て余す裁判官、頻発する囚人たちの暴動、とジーノにとっては不利な条件が重なった末の運命の結末だったのだ。年老いたジェルマンは、やりきれない思いで処刑場を出る。(1973年・NHKエンタープライズ) Directed byJose Giovanni Writing credits Gianfranco Clerici (dialogue adaptation: Italian version) Jose Giovanni Cast : Alain Delon .... Gino Strabliggi ; Jean Gabin .... Germain Cazeneuve : Mimsy Farmer .... Lucie : Michel Bouquet .... Commissaire Goitreau ; Ilaria Occhini .... Sophie : Victor Lanoux .... Marcel リスニング:フランス語 haut de page原題は「大いなる賭」である。北アフリカあたりに駐留するフランスの外人部隊だったので、このような邦名がついたのだろう。 フランスは人口が少なく、外国から傭兵を大勢入れていたのでこのような軍隊が昔からあった。ただし、フランス国内であぶれた、この物語の主人公ピエールのような人間が、負債を返すためとか、過去を帳消しにするために、敢えて志願する場合もある。 ピエールは派手な遊び人で、フローレンスという恋人とともに、豪遊していたが、投資に大失敗し一族から尻拭いをしてもらう代わりに国外に出るように命令される。 フローレンスが贅沢好きであることを知っていたピエールは、彼女を棄てて、北アフリカの外人部隊に応募することにした。つらい戦闘が続いたが、彼は有能で軍曹への道も開け、勲章の数も増えていった。 部隊は長距離の移動のあと、ニコラスという女将の経営するホテルにしばらく滞在することになった。ニコラスにトランプ占いをしてもらうと、女性に出会い、ある男を殺すなど、数奇な運命をたどるらしい。 予想通り、バルセロナから流れてきた女、イルマにピエールはすっかり惚れ込んでしまう。フローレンスとはうって代わって暗い女で、過去に自殺をしかけたような女なのだが、二人は何となく一緒に暮らすようになる。 このまま傭兵の仕事をしつつ、ピエールはここに居着くように思われた。だが、ニコラスの夫が劣情を起こし、イルマに襲いかかったところをピエールに見つかり、もみ合ううちに2階の腐った欄干から落ちて死んでしまう。 ニコラスが一計を図って、ピエールはとがめられずに済んだが、トランプの占いは見事的中したのだった。そのあと何とフランス本国の伯父が死んで、ピエールは遺産を貰えることになってしまった。 これで過去の負債の清算もできるし、フランスに戻ってまともな暮らしができると、イルマとマルセーユに帰るために船の切符を2枚買う。だが、何という運命だろう!切符を買った帰り道、北アフリカに来ていたフローレンスに街中でばったり出会ってしまう。 未練があったピエールは、イルマだけひとり先にマルセーユに向かわせ、フローレンスによりを戻すように頼むが、体よく断られてしまう。女によって人生が変えられてゆく愚を悟ったピエールは再び外人部隊に入り、すべてを棄てて軍務に打ち込む決心をする。 だが、何とニコラスのところに立ち寄ったときに見てもらったトランプには、スペードの死のカードがはっきりと出ていたのだった。ニコラスは、ピエールの運命を知って愕然とするところでこの映画は終わる。 遊び人から一転して外人部隊の英雄ピエールにとって、「大いなる賭」が打てる生活はより魅力的だったらしい。もはや女たちさえも彼をつなぎ止めることはなかった。そのせいもあってか、フローレンスとイルマはまったく違った性格ながら、同じ女優が演じているのである。似た舞台の映画に1930年の「モロッコ」があるが、結末はまるで逆だ・・・(1934年) Directed by Jacques Feyder Writing credits Jacques Feyder Charles Spaak Cast: Pierre Richard-Willm .... Pierre Martel / Marie Bell .... Florence/Irma / Georges Pitoeff .... Nicolas リスニング;わかりよい、フランス語 haut de pageLe Mari de la coiffeuse 髪結いの亭主 いかにもフランスらしい映画だ。主人公のアントワーヌは、少年時代から髪結いにあこがれていた。しょっちゅう理髪店に通いつめ、その太った女の体臭や、ふくよかな乳房が鋏を持つたびに自分の頭に触れるのを楽しみにしていたのだった。 幼い彼は、いずれはこの髪結いと結婚しようと心に決めるが、ある日この女は鎮静剤を飲みすぎて、突然死んでしまう。だから、その願いを心に抱いたまま、大人になり、ある日町を歩いていると、一人で理髪店をしている若い女にめぐり合ったのだった。 彼女の名はマチルダといい,客として髪を切った後、プロポーズをすると2回目に訪れたとき、不思議にも彼女は承諾してくれた。彼女は孤独な女で、謎に満ちている。最初の出会いでは、予約客があるから30分待ってくれといったが、それはうそだった。 二人は結婚し、アントワーヌはマチルダが仕事をしている間、にこにこしながらそばに座って見守っている。客の話もいっしょに聞いてやり、相談にものってやる。むずかる子供が来たときには、得意のアラビア風ダンスを踊って見せて妻の仕事をやりやすくする。 思いがかなったアントワーヌは、ひたすらマチルダを愛し、二人は客の来ないときは常に抱き合うのだった。二人の間には子供もいらない。ただひたすらいっしょにいられれば、旅に出たりどこかに出かけたりする必要もなかった。 だが、このような幸福の絶頂のいたとき、ある雷雨の降りしきる晩、、マチルダは突然店を出て近くの池に身を投じて自殺する。彼女にとって今があればそれでよかった。将来アントワーヌが自分に飽きて捨てることは耐えられないこと。それよりも最も愛の高まった今このときに命を絶ったほうがよいと思ったのだった。 残されたアントワーヌは、何も知らない客とともに、お気に入りのアラビア風の音楽をかけながら、くるはずのないマチルダを待つ。いつまでも。髪結いにほれ込んだ男と、それに答える妻の純愛物語だ。シンプルそのもの。だがこれはすべてアントワーヌの夢想の世界だったのかもしれない。(1990年) Directed by Patrice Leconte Writing credits Claude Klotz Patrice Leconte Cast: Jean Rochefort .... Antoine Anna Galiena .... Mathilde リスニング:フランス語。客の話など、かなり早口で、聞き取りが難しい。 haut de page映画は、その筋やドラマ性だけが魅力なのではない。動く「絵画」としての役割もあるはずだ。この映画は、気球からの眺めがそのまま見事な芸術作品になっている。こういうのんびりした映画もあっていい。 飛び立つ鳥、渡り鳥の群、モンブラン、牧場の牛たち、荒涼とした岩山、いずれも飛行機からたちまち行き過ぎる風景とは違い、音のしない世界で展開される。エンジンの爆音のない世界では、自然が間近に感じられるのだ。 ある発明家が自由に上下したり水平飛行のできる気球を発明し、北フランスから出発する。その孫のパスカル少年も、密航者として同行することになる。英語の題名は Stowaway in the Sky (空の密航者)といって、パスカル少年のことをさしている。これと、後を自動車で追いかける助手と共に旅を続ける。 ストラスブール、パリを経て、ブルターニュ地方、ロアール川を越えて南へ下り、アルプスのモンブランを越える。南仏のコードダジュールに出て、スペインへと向かう。 引っかけたパジャマの洗濯物が、まるで空中を踊っているようにさまようさま、村の教会での結婚式など、豊かなフランスの田舎とそこに住む人々、豊富な動植物が次々と登場する。20世紀の中頃までは世界中、生き物であふれていたのだ。せりふはあまりなく、全体が詩情豊かに映し出される。 最後は闘牛のさわぎにまきこまれて、一人気球に残されたパスカル少年が、大西洋に面する砂州に、危機一髪飛び降りるところで終わる。この映画を初めて観たのは、小学校6年か、中学校1年の頃だ。全体に流れる曲も実にのどかだ。(1960年) Directed by Albert Lamorisse Writing credits Albert Lamorisse Cast : Maurice Baquet .... Le mecanicien / Andre Gille .... Le grand-pere / Pascal Lamorisse .... Pascal Jack Lemmon .... Narrator リスニング;フランス語で、ごく簡単な会話。 haut de page何とも不気味な、不可解な映画だ。それもたった15分間しかない。それもそのはず、あのシュールレアリスムの旗手、サルバドーレ・ダリが脚本を書いた作品なのだ。 全体に筋はない。最初にとぎすませたカミソリで、女の眼球をスパッと切り、中身がどろっと出てくるところから始まる。それから時間は数年飛んで、男と女が部屋の中で向かい合う。路上に落ちている人間の手首を見つめる青年。 血の滴る牛の首がピアノにぶら下がり、それをうんうん唸りながら引っ張る男。と思ったら、ドラエモンの「どこでもドア」と同じく、女が扉を開けると、そこは潮風の吹く海岸だ。新しい男が待っている。 最後は、「春」と称して、ふたりの男女が、砂の中に首だけ出して埋もれているシーンで終わる。余計な解釈はしないほうがよい。サイレント映画として、最後まで曲が流れ、解説はすべて字幕(フランス語)である。古いため、画面の質が悪いのが残念だ。(1929年) Directed by Luis Bunuel Writing credits Luis Bunuel Salvador Dali Cast: Pierre Batcheff .... Man / Simone Mareuil .... Young girl / rest of cast listed alphabetically Luis Bunuel .... Man (Prolog) Salvador Dali .... Seminarist ギリシャ神話の登場人物の一人、オルフェは死んだ妻を追って、地獄まで会いにゆく。だが帰り道に振り返ってはいけないという命令をつい忘れ、後ろ姿を見てしまい永遠に妻に会えなくなる。 この映画はそれを素材にした現代劇だ。詩人である主人公オルフェは、死神の女王が命を奪った、彼よりも才能のある詩人の天才的な詩を、カーラジオを通じて受け取る。こんな取り計らいをしてくれたのも、女王がオルフェに恋してしまったからなのだ。 女王は次にオルフェの妻の命も奪う。悲しみに打ちひしがれたオルフェは、女王付きの運転手に連れられて死の世界へと向かう。手袋をはめて鏡に手を突き出すと、不思議にその手は向こう側に突き抜けて、死の世界へとつながってゆく。 死の世界では判事たちが待ち受けていて、勝手に死人を連れてくる女王もとがめられた。幸いにもオルフェは、振り返らない約束で、妻を連れて現世に戻る許可をもらえた。だがオルフェは、女王の恋も受け入れていたのである。 現世に戻ってから、運転手が再三注意をしてくれたにもかかわらず、オルフェは車のバックミラーから妻の姿を見てしまう。再び妻は死の世界に連れ去られてしまうが、後を追うように拳銃で殺されたオルフェに、女王は最後の好意の印として、しかも死の世界での大変なルール違反をする覚悟で、二人を現世に戻してくれたのだった。 古典的なギリシャ神話が全く新しい肉付けをして現代神話として生まれ変わった作品。少しも怪奇的な感じはせず、現実の生活の中でごく自然に起こるようにつくられているのがおもしろい。(1949年) Directed by Jean Cocteau Writing credits Jean Cocteau Cast: Jean Marais .... Orphee Francois Perier .... Heurtebise Maria Casares .... The Princess Marie Dea .... Eurydice ヒアリングー早口のフランス語 |