フランス映画その2 HOME > 体験編 > 映画の世界 > フランス映画 > その2 |
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英語名は Any Number Can Win 刑務所を出所したばかりのジャン・ギャバン演ずるシャルルはもう年だ。ヘマをしてもう2回も豚箱入りをしている。だが最後の「大仕事」をしてから、悠々自適な老後を送りたいと思っている。だが体力的にきついので、どうしてもすばしっこい子分が必要だった。 シャルルが服役中に知り合ったチンピラ、アラン・ドロン演ずるフランシスはまだ若干27歳。シャルルはフランシスを指図して南仏リゾートのホテルにある賭博場の金庫から札束を奪う計画を立てる。フランシスに立派な服装をさせ、フランシスの義理の兄は自分の運転手に使い、綿密な犯行を準備する。 プールにたむろする若い女たちを口説いたり、チップをやってホテルのボーイや従業員と親しくなり、ラインダンスの楽屋にまで出入りできるくらいにすっかりなじみになったフランシスは、次にシャルルの調査したホテルの見取り図をもとに、賭博の売上金の保管場所や犯行後の逃走経路を決めておく。 用意万端整ったところで、いよいよ犯行の夜となった。計画は無事実行され、フランシスは盗んだ札束を二つの大きな布鞄に入れて、とりあえずプールの脱衣所の隅に隠しおせる。ところが何と自分がホテルに頻繁に出入りしているうち、たまたま新聞記者に自分の姿を写され、この写真が、事件と共に紙面の第1ページに載ってしまった。 あわてたシャルルは、フランシスに予定を繰り上げてカバンを取り出させ、隠れ家に運ぼうとするが、海に面したプールサイドで運悪く賭博場の幹部たちが警察と話し合いをしている場に来てしまった。その話を聞いていると、もはや自分たちの特徴やカバンの特徴もすっかりわかってしまっていて、捕まるのは時間の問題だと勝手に判断したフランシスは、いきなり海の底に現金の入ったカバンを投げ込む。 ところが何と、カバンのふたが開き、中から次々と札束が浮き出してきた!完全犯罪を狙ったのに、最後のつめでまたまた思わぬヘマをやらかしてしまった。アランドロンがなんと若いのだろう。また、この映画のテーマ曲は単純ながら、実に雰囲気のある演奏だ。(1963年) Directed by Henri Verneuil / Writing credits Michel Audiard (dialogue) Albert Simonin Cast: Jean Gabin .... Charles / Alain Delon .... Francis ヒアリングー早口のフランス語 haut de page自分は娼婦なのか?それとも本当に相手を愛しているのか?旧仏領インドシナのサイゴン近くに住む、フランス人の少女はまだ15歳だが、実家からの帰り道に大金持ちの中国人に誘われ、学校の寮まで送ってもらう。 母と二人の兄のいる貧しい実家のことが頭にあって、彼女はその男に体をゆだね、サイゴンの喧噪のただ中にある彼の居室の中で毎日情欲におぼれる。男は無職で父親の財産を使い放題なので、女と寝ることが天職みたいになっていたのだ。 彼女のいちばん上の兄は阿片にとりつかれ乱暴で手のつけようもなく、彼女もそうこうするうちに学校で男との関係が噂になり、家族は全員フランス本国へ戻ることになる。 実家への財政援助までしてもらい、彼女は自分がただ金のためにこの男と関係しているのだと割り切る。一方男の方は父の決めた結婚をしても、彼女を真剣に愛するようになってしまった。彼女が自分を愛していないことを感じ男は阿片を吸うようになる。 本国へ向かう船の中で誰かの弾くショパンのピアノ曲を聴きつつ、彼女は自分は実はこの男を愛していたことに気づき、泣きじゃくるのだがすでにもう遅い。ベトナムの平野、田園地帯が美しい。パリとは全くのべつ世界であり、ここでの男と女はその外では全く通用しないものなのだ。マルグリット・デュラスの自伝的小説の映画化。(1991年) Directed by Jean-Jacques Annaud Writing credits Jean-Jacques Annaud Gerard Brach Cast : Jane March .... The Young Girl / Tony Leung Ka Fai .... The Chinaman / Narrated by Jeanne Moreau(フランス語) haut de page最初にでてくるベッドシーンでは、妻が夫に向かって、「私の目が好き?」「わたしの腕が好き?」「わたしの腿が好き?」と際限なく執拗に夫に尋ねる。夫はそれに対し、一つ一つ「大好きだよ」と答えるが、もちろん内心は、<なんて馬鹿な質問を繰り返すんだ>と思っているに違いない。男と女の思考と論理はまるで違うのだ。 ところで妻が夫を軽蔑するようになったのはなぜか。それには映画の中でバルドー演じる妻の、夫を見る目をよく観察しなければならない。それは夫のふがいなさなのだ。 妻に向かって撮影所のプロデューサーの車に同乗してゆくようにすすめ、自分はあとでタクシーで追いつくという。妻はカチンときた。まるで他の男との浮気を勧めているみたいではないか。 だが夫は理解できない。なぜ妻が機嫌を悪くしたかその理由を執拗に聞く。だが女の思考方法は男と完全に違うから、二人の会話はまるでかみ合わない。 最後に妻はプロデューサーと出奔し、交通事故で即死するが、残った夫は自分の本来の仕事である劇作家の生活に戻って行く。ゴダール監督による、この映画のおもしろさが満喫できるようになれば通「つう」だといえようが、さらに「ユリーシーズ」や「映画業界」の話も絡んでいて複雑すぎる。(1963年) Directed by Jean-Luc Godard Writing credits Jean-Luc Godard Cast: Brigitte Bardot .... Camille Javal / Jack Palance .... Jeremy Prokosch / Michel Piccoli .... Paul Javal / Giorgia Moll .... Francesca Vanini ヒアリングーフランス映画なのに、セリフはみんな英語、でも実に単純で、語彙もわかりやすい(暗に意味している内容とは別だ) haut de page原題は「へとへとに疲れて」なのだが、日本名も的確に内容を表していてなかなかいい。パリのごろつきみたいなのが、警官を射殺して追われつつも、あるアメリカ女に惚れてしまうが、なんかもう「疲れて」しまって、背後から刑事にピストルを撃たれて死ぬ。 ヌーベル・バーグの先駆けと言われているが、特に難解な作品でもない。男と女の会話に耳を澄ますと、相手が聞いていようといまいと勝手にしゃべっているのがわかる。それでいて互いに惹かれてゆく。 ミシェルはたちどころに路上駐車している車のエンジンをかけて盗んでしまう。とにかく憎めないちんぴらである。マルセイユから盗んだ車でパリに向かったミシェルはスピードを出しすぎ、追いかけてきた白バイの警官を射殺してしまった。パリに着くと、貸した金を取り立てに行くが、相手がなかなかつかまらない。 ミシェルには惚れた女、パトリシアがいた。アメリカ娘でソルボンヌ大学に在籍して新聞売りをしている。だが、ミシェルはパトリシアが一緒に寝てくれないからといって、レイプしたり、暴力を振るったりは決してしない。ひたすら説き伏せる。 パトリシアが新聞記者見習で、有名人にインタビューしたとき、「アメリカでは男が女を現実に支配している」というセリフが含まれているが、そのとおりで、だから逆説的にレイプが頻繁に起こる。ところがフランスでは、男と女の関係は尻を触ったり、スカートをまくったりはしても、決して支配、被支配的なものでない。 警察は次第に捜査の網をせばめ、パトリシアは一緒にいるところを見られ、刑事から見かけたら直ちに通報するように言われる。だが惚れた女は男をかくまおうとした。パトリシアは最後に男の居所を警察に通報するのだが、そのすぐあとで、モーツァルトのクラリネット協奏曲が流れる中、男に正直に通報したことを告げるのだ。 警官に撃たれ、虫の息のミシェルが最後に「(おまえは?それともおれは?)最低だよ」とつぶやく。「最低」の意味のフランス語をパトリシアは聞き取れていない。そのあと女の顔が大写しになるが、セリフはない。監督は観客に、女の心理を想像させたがっているのだ。(1960年) Directed by Jean-Luc Godard Writing credits Jean-Luc Godard Cast: Jean-Paul Belmondo .... Michel Poiccard alias Laszlo Kovacs / Jean Seberg .... Patricia Franchini リスニング;フランス語。パトリシアはアメリカ人で、フランス語が流ちょうであるが、ヤクザ言葉はわからない設定になっている。メリハリの利いたセリフ haut de pageベネズエラの油井火災を消すため、ニトログリセリンをトラックではこぶ仕事を引き受けた4人の男たち。勇気と困難に立ち向かう知恵と仲間同士の助け合い。 二人は爆死、一人はケガのため死ぬ。最後の一人(イブモンタン)は無事、目的地に送り届けるが、帰りに調子に乗って運転し、崖から落ちて死ぬという皮肉な結末。 haut de pageUn dimanche á la compagne 田舎の日曜日 田舎に住むおじいちゃんの所に、息子夫婦と子供たち、息子の妹にあたる娘が日曜日に集まる、どこの家庭にもありそうな話なのだが、それを見事な作品にしてしまうところがフランス映画の懐の深さだろう。最高の作品は平凡なホームドラマであると誰かが言っていた。 パリから列車で1時間ぐらいの所に住む、画家のラドミラル氏は朝からそわそわしている。今日は息子夫婦と二人の男の子の孫がパリからやってくるのだ。70歳になるラドミラル氏は、すっかり老人になっているが、意気軒昂だ。家政婦のメルセデスが歩くスピードが落ちているから早めに家を出るようにと言っているのに、また駅に出迎えるのに遅刻してしまった。 息子のゴンザーグは、すでに中年で家庭の責任を全部背負い込んでいる。妻のマリー・テレーズは専業主婦だが、その気楽な位置のおかげでのびのびと家庭生活を楽しんでいる。息子たちは小中学生ぐらいだが、いたずら盛りでこの田舎にやってきてもそれは止まらないが、都会の子供らしく木登りや動物の扱い方はへたで、大人たちを冷や冷やさせる。末娘は体が弱く、乗ってきた列車では吐いたばかりだ。 ゴンザーグは妻を亡くした父親のことが心配でしばしば訪ねてくるが、ラドミラル氏にとっては滅多にやってこない未だに独身のゴンザーグの妹にあたるイレーヌのほうが気になってしょうがない。今日はたまたまイレーヌが自分の車を運転して転がり込んできたのでラドミラル氏は大喜び。 ラドミラル氏は広大な敷地を所有し、その美しい庭園の中で子供や孫たちが遊びながら一日が過ぎてゆく。不思議なことにラドミラル氏の目に、自分の敷地の内外で二人の幼女が遊んでいるのがしばしば目にはいる。 死んだ妻が自分の居間に現れてイレーヌにあまり干渉せぬよう忠告したりもする。ラドミラル氏は妻の死後、寄る年波と寂しさで子供や孫たちの訪問が何よりも楽しくなっているのだ。もう彼もそれほど先は長くない。息子のゴンザーグもふと父親が帰らぬ人になってしまった光景を想像したりする。 イレーヌは自分の恋人とうまくいっていないみたいだ。実家にやってきてもいつも気になって何度もその相手に電話をしている。父親はいつまでも娘を自分の手元に置きたいが、そうもいかないだろう。早く結婚させねばならないのだ。イレーヌの運転する車に乗って屋外酒場に出向く。イレーヌを前にしてラドミラル氏は、自分の画家としての将来を語り、一緒にダンスをする。この年になっても自分の画家としての行き先を考えているのだ。 夕方になり、イレーヌは恋人からの電話で突然帰ってゆく。息子夫婦も列車に乗ってあわただしく帰っていった。日曜日はもう終わろうとしている。ひとり自分のアトリエに戻ったラドミラル氏は、イーゼルからそれまで描いてきたソファの絵をはずし、真新しいキャンバスにとりかえた。(1984年) Directed by Bertrand Tavernier Writing credits Pierre Bost (novel) Bertrand Tavernier Cast: Louis Ducreux .... Monsieur / LadmiralMichel Aumont .... Gonzague / Sabine Aze'ma .... Ire`ne / Genevie`ve Mnich .... Marie-The're`se / Monique Chaumette .... Mercedes / Thomas Duval (I) .... Emile / Quentin Ogier .... Lucien / Katia Wostrikoff .... Mireille / Claude Winter (I) .... Madame Ladmiral リスニング;フランス語。家族同士の会話がはずむ。ナレーションつき。 haut de page人妻であるセベリーヌは医師の夫ピエールとの結婚生活に何一つ文句のつけどころがなかったはずだ。物質的にも恵まれ、ピエールは寛大で優しい。 だが、セベリーヌは不思議な夢を見る。自分が不感症で、ピエールやその召使いたちによって木につり下げられて何度もむち打たれるというものだ。 ある日、ピエールの友だちであり稀代の色男のアンリから、自分が若い頃頻繁に通ったある売春宿の話を聞く。セベリーヌは決して金に困っていたわけではないのに、足がその方向に向いていってしまう。応対に出たのはアナイス夫人で、彼女は若い女を自分のアパルトマンの小部屋において客の相手をさせていた。 セベリーヌは何度もためらうが、結局アナイス夫人のもとで「働く」ことになる。もともとその美しさと清楚さには定評があり、たちまち客の人気の的になる。夕方5時になったら必ず帰るので、自分を「昼顔 Belle de jour 」と呼んでもらうことにした。 セベリーヌは、罪悪感から不思議な夢を何度も見るようになる。だが客との交渉の中で性の新しい喜びを覚えてゆく。それまではピエールに対しても交渉を避けているようだったのが、次第に夫婦の間でも情熱を取り戻してゆく。だが、営業中にアンリがふと宿を訪れ自分の行為がばれてしまう。アンリは決してピエールには言わないと言っていたが・・・ ある日チンピラが宿にやってきた。彼は一目見てセベリーヌが好きになり、頻繁に通うようになる。これがしつこい男で、昼だけでなく夜にも相手をするようにと迫る。ついには自宅までやってくるが、セベリーヌが断ったために、ピエールが帰るのを待ち受け、銃で撃って逃走する。しかしあえなく警官に射殺された。 ピエールは、半身不随となり、目もほとんど見えなくなった。セベリーヌは本当のことは黙ったままで、献身的にピエールに尽くす。ある日アンリがやってくる。彼はピエールの見舞いに来たのだが、セベリーヌに向かって本当のことをすべてピエールに洗いざらい告げるつもりだという・・・(1967年) これを高校2年の時に見たときはほとんど内容が理解できなかった。しかし人生の経験を積むと、これが単なるポルノ小説でもよろめき小説でもないことがはっきりしてくる。 女の奥底に秘められた「性・さが」というようなものが描かれており、それらは道徳とか善悪論ではとうてい片が付かない深さをもっているのだ。 ドヌーブ演じるセベリーヌが金持ちの太った東洋人との行為が終わったあと、ベッドにぐったり横たわり、掃除女に向かって「最高に感じたわ」とつぶやくときの顔つきがすべてを物語っている。原作はフランソワーズ・サガンの同名の小説。 Directed by Luis Bun~uel Writing credits Luis Bun~uel / Jean-Claude Carrie`re Cast:Catherine Deneuve .... Se'verine Serizy / Jean Sorel .... Pierre Serizy / Michel Piccoli .... Henri Husson / Genevie`ve Page .... Madame Anais / Pierre Cle'menti .... Marcel / Franc,oise Fabian .... Charlotte リスニング;フランス語、会話内容は多岐にわたり、かなり高度な表現も多い。 アルジェリアがまだフランスの植民地だった頃。地中海に面した都市、アルジェの一角カスバ地域は世界中のありとあらゆる人種が入り交じる国際都市だった。街は山から海に落ち込み、その傾斜地にはローマ時代から営々と人々が作り上げた建物が迷路や蜂の巣のように入り組み、地元の人間でないとたちまち迷子になってしまうのだった。 だからお尋ね者たちがカスバに逃げ込むと、警察も手の施しようがなかった。特にぺぺ・ル・モコはパリに生まれ、フランスをはじめ各地で強盗を働き、人々の噂になるほどのギャングのボスで、彼がこの町に住み始めてから何とかして逮捕しようとするが、どうしてもうまくいかない。 ぺぺは、忠実な内縁の妻イネスと共に、お気に入りの弟子ピエロや数多くの子分を従えて平和に暮らしていたが、国際手配を受けており、このカスバの街から外に出ることができない。熱血漢である彼はこの暮らしに飽き飽きし、自由な外の世界に出たいと思い始めていた。 警察は地元のスリマン刑事の悠長なやり方に飽きたらず、早速ぺぺを追い込もうとするが失敗に終わる。ぺぺがピエロをかわいがっていることを知り、スパイを使ってピエロをだまし、ぺぺを街の外におびき出そうとするが、ピエロもスパイも命を落とすという悲惨な結果に終わる。 そのころ、パリから富豪のグループ男女4人がカスバに観光に来ていた。その中のひとりギャビーは、ふとしたことからカスバに迷い込み、ぺぺと出会う。二人は目が合ったとたんに恋に落ちた。しかもギャビーは、ぺぺが小さい頃暮らしていたパリ市内の近所に住んでいたこともあって、ぺぺは強烈な望郷の念に駆られる。 二人は再び会う約束をするが、スリマン刑事の策略にかかり、ギャビーはぺぺが射殺されたという偽のニュースを聞かされ、帰国の船に乗る。ギャビーとはもう会うことができなくなると知ったぺぺは、イネスが止めるのも聞かず、街に出る石段を駆け下りていく。 国へ帰る船に乗っているギャビーを追ってぺぺも船に乗り込む。だがあとを追ってきたイネスはペペが国外に行ってしまうことをおそれ、そのことをスリマン刑事に漏らし、ぺぺはあっけなく捕まってしまう。 港を離れる船。甲板に立ち、いっさいの事情を知らないギャビー。ギャビーは恋人というよりは望郷の象徴だったのだ。汽笛のために届かないことを知りながら、ギャビーの名を絶叫するぺぺ・・・(1937年) Directed by Julien Duvivier Writing credits Jacques Constant Julien Duvivier Cast :Jean Gabin .... Pepe le Moko / Mireille Balin .... Gaby Gould / Gabriel Gabrio .... Carlos / Lucas Gridoux .... Inspector Slimane / Gilbert Gil .... Pierrot (as Gilbert-Gil) / Line Noro .... Ine`s / Saturnin Fabre .... Grandfather 言語;フランス語。せりふの量は多い。カスバの住民は全部フランス語をしゃべっている。看板もフランス語。 第2次世界大戦中のフランスの田舎。パリからは大勢の疎開者が車で徒歩で農村地帯へ向かっていた。不幸なことに、5歳になるポーレットの両親は、彼女が愛犬を追いかけるのを橋の上までついてゆき、ドイツ空軍の機銃掃射で命を失った。 ポーレットは混乱の中、川辺をさまよい、牛追いの少年ミシェルに出会う。二人はミシェルの家に戻り、彼の両親や兄や姉たちとしばらく一緒に暮らすことになる。はじめはうなされていたポーレットはミシェルをはじめとしてまわりの家族たちの中で次第にこの家の生活にとけ込んでゆく。 ミシェルの兄の一人は、近づいてきた馬に腹部を蹴られ、血を吐いて死ぬ。ポーレットは、自分の両親の死、愛犬の死と立て続けに遭遇し、ミシェルの兄の葬儀を見て、死者を土に埋めて弔うことを知る。ミシェルと二人で訪れた水車小屋を「墓場」として飾ろうとする。 一緒に暮らすうち、ミシェルは愛くるしいポーレットがすっかり気に入り、彼女の望みは出来るだけかなえてやろうと奔走する。教会の墓場から十字架を盗み出し、前から仲の悪かった隣の家の人々も巻き込むが、結局ばれて、「禁じられた遊び」は終わりを告げる。 突然ミシェルの家にやってきた警官はミシェルを逮捕にきたのではなく、ポーレットを孤児院に連れてくるためだったのだ。一瞬の家庭的暖かさを味わったポーレットは連れ出され、見知らぬところへ連れて行かれるのだった。戦争で振り回される幼い少女に戦争への強烈な告発が込められている。イエペスによるギターのテーマ曲は、スタンダードになった。(1952年) Directed by Rene Clement Writing credits Jean Aurenche (also dialogue) Pierre Bost (also dialogue) Cast: Georges Poujouly .... Michel Dolle / Brigitte Fossey .... Paulette / Amedee .... Francis Gouard / Laurence Badie .... Berthe Dolle / Madeleine Barbulee / Suzanne Courtal .... Madame Dolle / Lucien Hubert .... Dolle, the Father / Jacques Marin (I) .... Georges Dolle リスニング;フランス語。子供たちを中心に、単純な会話、だがいつまでも心に残る。 Les Parapluies de Cherbourg シェルブールの雨傘 シンプルなラブストーリーではある。しかも全編ミュージカル形式で、ふつうのセリフは一つもない。それでも不自然に感じないから不思議である。1957年から物語は始まる。 シェルブールはフランスの北の端、イギリス海峡に面する港町だ。雨がしとしと降り、人々が傘を差して歩く。16歳のジュヌヴィェーヴの母親は夫の死後、カサ屋を営んでいる。ジュヌヴィェーヴは、自動車整備工のギィに夢中だ。ギィもまだ20歳だが、もう二人は結婚のことを考えている。 だがジュヌヴィェーヴの母親は結婚に反対だ。まだ年齢的にあまりに幼いし、彼女の美しさでは将来もっと金持ちの求婚者が現れるのだと言って聞かせるが、娘は当然のことながら耳を貸さない。ギィは親代わりのおばさんに育てられ、幼なじみのマドレーヌと3人で質素なアパルトマンに暮らしている。 しかし恋人たちの前には、ギィのアルジェリア兵役という長い別れが待っていた。別れが目前に迫った夜、この映画のあまりに有名な主題歌が歌われる。そして涙を流すジュヌヴィェーヴを後に残してギィは危険に満ちた戦地に赴くのだった。<第一部出発> ギィが出かけた後のジュヌヴィェーヴはふさぎ込んでいる。体調も良くないようだ。心配した母親は、彼女が妊娠していることを聞かされる。ギィの子を宿しているのだ。しかも経営不振の笠屋のために売りに出した首飾りをすぐに買い取ってくれたのが、金持ちのビジネスマン、カサール氏だったが、彼がジュヌヴィェーヴへの思いを告げる。 一方、ギィのいない生活はジュヌヴィェーヴにとって、寂しさと心細さから何かを頼りにしたくなる毎日になっていた。揺れる女心。日毎にせり出す自分のおなかをながめながら、カサール氏がこれを見ればすぐにあきらめるだろうと思っていたところ、一緒に育てようと言ってくれた。 アルジェリアからのギィの手紙は来ていたが、結局ジュヌヴィェーヴはカサール氏のプロポーズに承諾の返事をして、二人は結婚式を挙げる。2年はまたたくまにたち、なにも知らされていないギィの帰国が近づいてきた。<第2部不在> おばさんはギィが気の毒でジュヌヴィェーヴの結婚のことを黙っていたのだった。ギィはやけっぱちになり、仕事も辞め生活も乱れる。だが朝帰りの日、長い間病床にあったおばさんが亡くなった。 残されたギィとマドレーヌだったが、アパルトマンを引き払う段になって、ギィはマドレーヌに、しばらく一緒に暮らしてくれるように頼む。マドレーヌはおとなしい娘で、これまでなにも素振りを見せなかったが、ギィが生活を立て直すかどうか様子を見るという条件でアパルトマンにとどまることにした。 6年後、ギィはおばさんの残してくれたお金を元手にして自分のガソリンスタンドを開いた。マドレーヌと結婚し、かわいい男の子も産まれた。そして雪の降るクリスマスの夜、偶然にもマドレーヌと息子が外に出たとき、ジュヌヴィェーヴが娘を連れて給油にやってきたのだ。 お互いに幸福な家庭を持っていることを知ったあと、車の窓越しに自分の娘が見えているのを知りながら、ギィはジュヌヴィェーヴに別れを告げる。その後マドレーヌが帰ってきた。<第三部帰還>観客は誰でも、「これで良かったんだ」と安堵のため息をもらすだろう。(1964年) Directed by Jacques Demy Writing credits Jacques Demy Cast: Catherine Deneuve .... Genevieve Emery / Nino Castelnuovo .... Guy / Anne Vernon .... Madame Emery / Marc Michel (I) .... Roland Cassard / Ellen Farner .... Madeleine / Mireille Perrey .... Aunt Elise / Jean Champion .... Aubin (as J. Champion) リスニング:フランス語。あらゆるやりとりが歌になっている。白水社より、全編のセリフをのせいたテキストが出版されている。 Un carnet de bal 舞踏会の手帖 なんとロマンチックな日本名なのだろう。「手帳」ではなく「手帖」といっている。二度と帰らない青春の日々を痛感する「同窓会」映画だ。70年以上前に制作されているのに、人間の若き日の夢は少しも変わっていない。 クリスティーヌは、富豪の夫と共にミラノから北へ行ったアルプスの麓にある風光明媚な(コモ?)湖のほとりに住んでいたが、夫に死なれ、しばらく呆然とした日々が続いていた。知り合いの神父に勧められ旅に出ることにする。 クリスティーヌは16歳の時に、パリにある舞踏会で初めて社交界にデビューした。そのときの思い出は今も心に生き続けていた。クリスティーヌはまれにみる美貌で舞踏会に参加した若者たちの心をとらえ、夢中になった彼らは「あなたを一生愛します。Je vous aimerai toute la vie.」と言い、何とかして彼女の心を得ようと必死だった。 あれから20年。クリスティーヌは彼らの名前と住所を書き入れた手帖を持っている。彼らの人生はどうなっているだろうか。そんな思いに駆られたクリスティーヌは、彼らの消息を訪ねることを今度の旅の目的にする。 1人目はクリスティーヌが他の男と婚約したことを知ったときに自殺していた。残された母親は気が狂い、まるで息子が生きているかのように振る舞う。いたたまれなくなったクリスティーヌはその家を飛び出す。 2人目は、暗黒街の帝王になっていた。若い頃は弁護士志望の青年だったが、ある時、道を踏み外し泥棒たちのボスになっていた。はるばるクリスティーヌが自分を思いだして訪ねてきてくれたことを喜び、彼女に捧げた昔の詩を披露するが、クリスティーヌの目の前で警察に連行されて行く。 3人目は若き日には有望な音楽家だった。クリスティーヌのために作曲した曲を演奏したが、演奏会場のクリスティーヌは他の男と笑いさざめていた。年が離れていることもあって絶望した彼は、自分の息子にも死なれ、僧侶の道を選んだ。今は修道院で多くの恵まれない子供たちのために合唱の指導を行っている。 4人目はクリスティーヌに思い焦がれたこともあったが高嶺の花と知り、パリを捨てて山のガイドになっていた。二人で山小屋に泊まり、クリスティーヌに気が向くが、登山者の遭難の知らせを聞くと、救助のために飛び出して行く。彼にとって山が”妻”だったのだ。 5人目は政治家志望だったが、今は小さな町の町長となり、自分の女中とまさに結婚式を挙げるところだった。養子がいたが、父親泣かせのならず者で、婚礼の日にも父親に金をゆすりに来てみんなの前で大喧嘩をする。 6人目は医者志望だった。学生時代に知り合う。(フランス領)サイゴンに赴き仕事をしたが、手術中に片目を失明し、再就職をしようにも何をしてもうまくいかない。クレーンの音が鳴り響くぼろぼろのアパートに暮らし、クリスティーヌの目の前で持病の発作まで起こし、妻をピストルで射殺しようとする。 7人目は若い頃トランプ手品がうまかったが、今はパリで美容師をしていた。結婚して子供をもうけていた。彼にかつて自分がデビューした舞踏会会場につれていってもらう。そこは当時のままであり、思い出の「灰色のワルツ」が流れる。クリスティーヌがそうだったように若い娘たちがはじめての踊りに胸をときめかせていた。 若き日の若者たちはそれぞれ若さの面影はなく、人生に疲れ別人のようになっていた。クリスティーヌはコモ湖の自宅に帰り、もう旅はいやだと思う。だがもう一人の男がよりによってこの湖の対岸に住んでいたという。だがその男はすでに亡く、若き息子が残っているだけだった。クリスティーヌは彼が舞踏会にデヴューするのを手伝ってやる。(1937年) Directed by Julien Duvivier Writing credits Julien Duvivier / Henri Jeanson Cast: Harry Baur .... Alain Regnault / Marie Bell .... Christine Sugere / Pierre Blanchar .... Thierry Raynal / Fernandel .... Fabien / Louis Jouvet .... Jo/Pierre Verdier / Raimu .... Francois Patusset / Francoise Rosay .... Madame Audie / Pierre Richard-Willm .... Eric Irvin リスニング:フランス語、セリフが多く様々な話題にわたる。 haut de pageフランスのどこかの町に住む若い女、コンスタンスは文学部の出身で、何か自分に向いた職業がないかと捜していた。おりもおり、自分の恋人にベッドで小説を読んで聞かせたところから、「朗読」を仕事にしようと思い立つ。 さっそく新聞広告に出してみると意外に反響があり、客がついたのだ。彼女は持ち前の美しい声と、よどみのない朗読、そしてちょっぴり色気を伴って、各家庭を回る。新しい職業が順調にいきそうなのでうれしくて、大学時代の教授のもとに報告に行く。 最初の客は車椅子に縛り付けられたままの青年。彼はコンスタンスの朗読を聞くよりも彼女の太股を見つめる方が好きだったようだ。彼の母親とも仲良くなり、定期的に読んで聞かせるようになる。いつも蜘蛛が這い回っているというおかしなメイドが付き添っている、年齢不詳の老婆。彼女の夫は将軍だったそうで、コンスタンスに、マルクスやレーニンの著作を読んでくれるようせがむ。 母親が忙しくて面倒を見てやれない幼い女の子の相手をすることにもなった。独り身の実業家は、コンスタンスを一目見るなり朗読よりもベッドにいっしょにはいってくれるように懇願する。もう先のない老人は、サドの男色に関する著作を読んでくれるように頼む。コンスタンスが二度目に姿を現すと、彼の仲間がさらに二人増えて待っていた!いくらプロでもこんなのはまっぴらだわ! コンスタンスが家から家へと歩くときには、ベートーベンの軽やかなメロディが流れる。これも映画を楽しくする要因の一つ。サウンドトラックとして聞く価値あり。そして言うまでもなくそれぞれの著作のさわりの部分が彼女によって紹介される。時々彼女がまさに「読書する女」のペーパーバックを朗読する場面がある。(実はそこは実際のコンスタンスであり、いろいろな家に出かけてさまざまな出会いをするのは、自分そっくりのマリーという女で、これは夢想の世界だったのだ・・・まったくややこしい!)フランスらしい実にユニークな作品。(1988年) Directed by Michel DevilleWriting credits Michel DevilleRosalinde Deville Cast : Miou-Miou .... Constance*Marie / Regis Royer .... EricMaria / Casares .... General's Widow / Patrick Chesnais .... Comapny Director / Pierre Dux .... Magistrate / Christian Ruche .... Jean/Philippe リスニング:フランス語。一般会話の他に、さまざまな小説や論文の素晴らしい朗読が聞ける。 |