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おひつと米麦混合飯

おひつ

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現在、日本のどこの家庭でも電気あるいはガス炊飯器が普及している。水を入れてスイッチをぽんと押せばそれなりの炊きあがりのご飯ができるのだから、ずいぶん便利になったものだ。

かつての炊飯器はそれで終わりだったが、その後「保温機能」がつき始めた。つまり炊いたあと別の容器に移す手間暇をなくすために、そのままお釜の中に入れっぱなしにできるようにとのことだ。

もちろんそのためには炊きあがった時点で、ご飯をよくかき回し米粒の間に十分に空気を通してふんわりさせておかないと、そのうちお釜の中でご飯が団子になってしまう。さらに保温状態においたご飯は、6時間もたつとすっかり臭くなっている。

これはご飯の中に含まれるヌカ成分のためだと思われるが、やはりご飯を炊いてからそんな長い間高温に保っておくこと自体がおかしい。食物は食べる直前に暖かければいいのであって、長時間の保温は食物から栄養分、風味などをみんな奪ってしまう。

よく立ち食いスタンドなどで、フランクとかミートパイなどが、ガラス箱の保温箱に入れられているのを見るが、味や栄養ではなく腹の足しになればよいという考えでない限り、そんなものに口をつける気にはならない。

ところでご飯の保存だが、それは昔からもう「おひつ」ということに決まっている。それも杉の木でできたものは、杉の木の香りが気になる人は別として、殺菌効果もあり、丸2日置いてもほとんど変化がない。

杉の板を何枚か円柱状に並べ、まわりを銅のワイヤーで締め上げた単純な作りは、使っていないときは木が乾燥して縮み、隙間だらけになるが、いったんご飯を入れて水分を含むと隙間がしまって水を入れても漏れないほどになる。

おひつ炊き立てのご飯を中に入れ、へらで細かくほぐし、布巾をはさんでふたをする。2時間もすればすっかりご飯も冷えているが、その口当たりの良さ、水分を程々に含んだご飯のおいしさは、炊飯器の保温とはとうてい比べものにならない。冬の季節以外は別に暖め直さなくとも十分にご飯のおいしさを楽しめるのだ。

欠点はおひつの値段が高いこと。最も小さいサイズでも5千円を覚悟する必要がある(東京浅草の道具街で)。人々が使わなくなったので職人の数が減り、山林の管理が行き届かないために国産杉が安く手に入らなくなったためであろう。

さらに、おひつのご飯がなくなったら、すぐに新しいご飯を入れるわけにはいかない。まずはしっかり内側をきれいに洗い落とさなければならないが、ご飯はでんぷんで昔は糊に使われていたくらいだから、なかなか落ちない。かといって中性洗剤を使ったのでは木の中にしみ込んでいく。

おひつ洗いをいとう人はやはり今まで通り炊飯器の保温が向いている。テフロン加工の味を楽しむがよい。

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昔の江戸の中流以上の人たちは、「銀飯」つまり真っ白な白米を食べることが豊かである象徴であった。その結果どうなったかは栄養学の常識である。みんな片っ端から「脚気」になったのである。愚かな見栄が自らの健康を害している典型的な例だ。

精米したためにまるっきり栄養分が抜けてでんぷんだけの米を食べる習慣は現代でも同じだが、副食物を取れば栄養の偏りを防ぐことができる。しかし米単体では、たとえばおにぎりのような場合にはどうしても問題が残る。

しかも現代日本人の副食物も加工されたものや塩分の多いものなどで、決して満足できる状態ではない。だからこの飽食の時代に脚気の例が報告されることも少なくないのだ。

理想の穀物食は、米と麦の混合である。米だけでは栄養学的の問題があっても、麦はそれ自体に様々な成分を豊富に含み、繊維も多いから、これによって理想的なカロリー補給源となる。ただ難点は麦だけではあまりおいしくない、いやはっきり言ってまずいのだ。特に冷えた麦飯を食べるには努力が必要。

そこでおいしい米と混合することが考えられる。栄養学的にも、味の上でも満足のいく妥協点は米対麦の割合が3:1というところだろう。麦は粘りけが少ないから、麦が多すぎるとおにぎりにしようとしてもバラバラになってしまう。また味も感心しない。

このようにして食べる米麦混合食は、非常に多くの利点がある。農家は冬の裏作として遊んでいる田圃を一年中利用できる。もちろんこれで麦の海外輸入を減らすことにもなる。

また米のばかげたブランド志向をなくすことができる。麦は大しておいしくないのだから、別に無駄な金を払って(おいしいといううわさの)特別な米を買う必要もない。日本各地の米を適当にブレンドしたもので十分である。

米麦混合食が大してうまくないということは利点なのだ!つまり肥満防止につながる。現代人はハレとケの区別を忘れ、毎日おいしいものを食べる癖がついた。おかげで肥満と成人病が蔓延した。誕生日やクリスマス、記念日以外の日は食べ過ぎないことによって健康が保てるという大原則を忘れている。

大してうまくないのなら食べ過ぎることはない。これに対して非常においしいお米では、「またお代わり!」となりかねない。努力せずともダイエットがごく自然に行われるのである。これ以上うまい話はなかろう。

かつて内閣総理大臣、池田勇人は「貧乏人は麦を食え」と発言したために、人々を馬鹿にしていると総すかんを食った。だが、栄養学的に見ればこれは実に賢明な発言である。私ならこういう。「金持ちは銀シャリ食って死んじまえ」と。

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米麦混合飯の入ったおひつ。これこそバランスのとれた、豊かな知恵にあふれた食事の象徴である。

2004年6月25日初稿

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© 西田茂博 NISHIDA shigehiro
 
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