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アラ(粗)の魅力

地引き網の収穫

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アラをまじめに料理に取り上げてある手引き書はほとんどあるまい。あまりおいしさを宣伝するとみんながよってたかって殺到し、今までこのすばらしき味を楽しんでいた人々がその特権を失うからか?

ちょっとしたスーパー(ただし気取ったところや超大型スーパーはダメ)であると、10時開店ですぐに店内に入ると、鮮魚コーナーの片隅かワゴン車に乗って恥ずかしそうにアラが少しばかり並んでいる。陳列ケースに入れてもらえることはほとんどない。おでん用のスジ肉と同じだ。

本当は店側としては売る気がないのだが、そのうまさには定評があり、それを虎視眈々と狙っている人がいることをこのスーパーの鮮魚係は知っているのだ。いわゆる魚ファンがいるのである。これもお客様サービスの一つだ。アラをまったく見向きもしない人の方が多いだろう。愛犬や愛猫の餌にするつもりの人もいるだろう。

だが、見かけは悪いがその味はとても畜生に食わせるような物ではないのだ。もったいなくて。マグロやブリではその腹や骨の部分に付いた肉をそぎ落としてパックに入れられている。値段が安いこともさることながら、これらを水煮にして、豆腐、野菜を放り込みみそまたはしょうゆ仕立てにしたときのうまさといったら、こたえられない。

なぜそんなにうまいかと言えば、いわゆる「アミノ酸等」のうち、「等」の部分が複雑に入り交じっているからに他ならない。つまり不純物のうまさなのである。水煮をして煮立たせるうちに魚体の中から脂肪も含めありとあらゆる物質がしみ出てきてそれがまか不思議な味となる。

普段なら入れておくべき鰹節もそれほど入れる必要がない。どのみちその魚の味に圧倒されてしまうからだ。ただし昆布は必要。かつて父親に教わったのがソップという「デザート」。これはカレイの煮付けを食べたあと、骨やえんがわ、ひれ、内臓、頭をいったんバラバラにして茶碗に入れ、そこに熱湯を注ぎ、しょうゆを少し垂らす食べ方である。まさに食後のデザートなのだ。

そのうまさを知ると、単なる白身だけを食べることが物足りなく思われてくる。白身を食べている最中でもあとに出てくるこの「ソップ」を心待ちにするようになる。これもカレイの骨などからしみ出てきたうまみが熱湯で一気に溶けだしたからなのだ。

この味を知る人は、アラ汁にもその共通点を見いだす。これをゲテモノと思う人は魚に食われよ。味がすばらしいだけではない。腹部の脂肪、骨と肉がくっついている部分に含まれる軟骨や結合物質など、栄養のカクテルだ。白身だけの魚肉を食べるのと違い、含まれる物質が多種多様なので、バランスの上でも理想的である。

アラには一つだけ難点がある。隠れたファンが多く、競争が激しくて手に入りにくいということのほかに、なんと言っても鮮度が決め手なのだ。どれだけ新鮮さかという点では普通の魚肉の場合よりもずっと基準が厳しい。おろし立て、そして買ったら直ちに料理するかすぐ冷凍室に入れるかしなければならない。本当の魚好きは犬や猫からも横取りするのだ!

しかし考えてみると、普通の人が食べる部分を加工するためにアラが生まれるのだ。この飽食日本で少しでも見かけが悪ければ直ちに食材が捨てられる罰当たりな風潮の中で、アラを食べることは、世界中のタンパク質が不足している人々のことを考える機会にもなるのである。

しかし、たんぱく質が豊富なだけ、腐りやすい。とくに、汁のままでは中で細菌が自由に動き回れるから、夏期にはたちまちいたんでしまう。これを防止するには、まだ熱いうちにゼラチン・パウダーをふりかけてよく溶かす。「にこごり」と同じ原理で、固まればさいきんのこうげきを受けるのは表面だけだ。ゼラチンの舌触りを楽しむのもよいだろう。

2004年8月18日初稿・2008年8月追加

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© 西田茂博 NISHIDA shigehiro
 
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