自転車・bicycle

現在の愛車(2007.10)

自転車が発明されてから現代の形になって以来、その基本的な形はほとんど変化がない。あまりにシステムが単純なので、すっかり完成の域に達しているからだ。人間は2足歩行のおかげで、「歩く」にしても「走る」にしてもやたら効率が悪い。車輪がついて生まれてきたら、どれだけ早く移動できたことだろう(凸凹の場所では困るが)。その夢を最も手軽に叶えてくれるのが自転車である。包丁や鋤と並んで人類最大の発明の一つである。しかも運動に最適で二酸化炭素は排出しない未来の乗り物なのだ。

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自転車所有の問題点

自動車中心社会よ、さらば!

機械工学の基礎

日常点検の実際

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グリスアップ

ブレーキシュー交換

ブレーキワイヤー交換

輪 行

自転車を所有するときの問題点

どんな分野でも悩みは尽きないもの。自転車を購入して使う際の悩みも大きい。(1)何台持つべきか?(2)タイヤは細い方がいいか太い方がいいか?(3)ハンドルはドロップがいいかストレートがいいか?

(1)何台持つべきか?

とても1台では間に合わないはず。3台はあった方がいいだろう。1台はお買い物用。これば徹底的にボロ車で、鍵をかけなくても泥棒さんもまず最初に避けるようなタイプであること。廃車寸前であることが望ましい。もう1台は通勤・通学用。これはお買い物用より一応ましではあるが、スポーツ感覚があまりないほうがよい。できたら前にカゴをつけていると何かと便利だ。前照灯と尾灯は必須。急坂や歩道橋に上がることもあるだろうから、変速機はあったほうがよい。(3)本命のスポーツ車。自分の乗るスタイルに合わせて車種を選ぶ。決して安物は買ってはならない。無理してでもそのクラスで最も軽い部類のものに狙いをつける。部品はもちろん大部分が国産であること。ふだんは家の中にしまっておき、間違ってもお買い物などに出かけてはならない。輪行ができるならば将来の行動範囲も広がる。

(2)タイヤは細い方がいいか太い方がいいか?

お買い物と通勤通学用に関しては標準の太さが望ましいが、スポーツ車についてはいろいろと問題がある。日本の道は車道がまず優先され歩行者のための歩道はとってつけたようなものがほとんど。車社会におもねった道路造りが日本全国で横行している。自転車のための道路などはまるで皆無。もしあるとすれば歩道と車道の間にある路側帯。しかし最近ではその路側帯すらお金を惜しんでいるのか幅がほとんどない。したがって自転車は歩道と車道を行ったり来たりすることになる。歩道にはたいてい段差がついているからその段差の衝撃に耐えられるものとすれば太いタイヤということになる。

と、最近まで考えていたが、フランスのツール・ド・フランスなどではフレンチバルブの細いタイヤで砂利道も走るらしい。つまりロードを走る自転車はそれなりの強度を持って設計されているのだ。多少の段差や穴凹でゆがんだり壊れるようでは平均時速60キロ以上の走行に耐えられるはずはない。そして歩道の上なら歩行者と同じスピードでいいだろうが車道上ではある程度のスピードはむしろ安全面から必要である。

細いタイヤでもきちんと空気圧を調整して体をアブソルバー(衝撃吸収装置)にみたててたくみに体重移動させれば自転車に大きな衝撃を与えずに済む。細い分だけ車体は軽い。山登りは歩く、路面は自転車、と考えるなら細いタイヤのほうが良さそうだ。

(3)ハンドルはドロップがいいかストレートがいいか?

これもお買い物や通勤にはストレートタイプの方がいいだろうし、第一安全だ。しかし長距離スポーツ車となればストレートでは長時間同じ姿勢になる。人間は一晩に行う寝返りの数やエコノミー症候群からわかるとおり、同じ姿勢は人体に良くない。ストレートハンドルでは肩の一点に一日中同じ負荷がかかることになる。これは特に年輩の人の場合は血液循環の悪化や間接の障害を起こすおそれすらある。

その点ドロップハンドルは素晴らしい発明だ。高速、中速、登坂とそれぞれのポジションがあるだけでなく、走行中にハンドルを持つ位置を少しずつずらすことによって背筋や腕にかかる負荷をまんべんなく散らすことができる。

もちろん多少の不安定性はガマンしなければならないが、スポーツだものそれも醍醐味の一つではないか。後は常に前方を注視して激突を防止する注意力さえあればよい。フランスの田舎道を軽やかに走るドロップハンドルの自転車はどこかの映画で見た忘れがたい光景である。

自動車中心社会をつぶせ! 自転車走行の最大の敵はもちろん自動車である。走行する場所が完全に分離されているならば問題はないが、現在のように混合交通の場合には騒音、排気ガス、そして怪我や死亡の危険と我慢できる状態ではない。

さらに日本では、行政が道路作りをするとき、歩道と車道は作っても自転車道路を作らない。だから自転車は危険を逃れて歩道に入り込む。自治体は金儲けになる車道の建設には力を入れても、一銭も得にならない自転車の通る道をまったくこれまで無視してきた。

そもそもわずか1キロしか離れていないコンビニに買い物をするために自動車に乗っていく必要があるだろうか?一週間に1度、買い物のために巨大スーパーに出かけるという醜悪なアメリカ生活様式をどうしてまねなければならないのか?(一週間たって冷蔵庫の中でしなびている野菜を見よ!)

郊外にできた、資源を浪費するだけの巨大スーパーはすべてボイコットして、撤退に追い込まなければならない。その代わり駅前にある住接近の小店舗をたくさん増やして、にぎわいと自転車による利便化を図るのがこれからのいきかたなのだ。

外部リンク自転車活用推進研究会

パリ市の新レンタサイクルシステム外部リンク Velib(フランス語)' 外部リンク日本語解説

2008年5月追加

機械工学の基礎

カルカッタの人力車どんな開発途上国でも、まず交通は自転車から始まる。人力で動くが、使用するエネルギーはほとんどゼロに近い。荷物がなくスピードを気にしなければこんなに楽な交通機関はない。それでも歩くより速い。

こんな素晴らしい機械を誰が発明したのか。レコードなどと違い、自転車には発明者がいない。最初は足で蹴り、そのうちペダルで回すようになり、力を入れやすいように回転軸を足が回転するちょうど真ん中にもってくるために、2点をチェーンで結んだ。

自転車で出発なるべく少ない材料で構造体を造るためには、棒が一番。できれば中空にしたパイプが最高だ。そしてパイプの組み合わせは三角形が最も単純で衝撃を強力に吸収できる。

かくしてできあがったのだダイヤモンド型フレームだ。シンプルにして強靱、その後さまざまな材料が試みられたが、これに勝るものは現れていない。当然だろう。三角形より簡単な図形がどこにあるか。

生物が車輪をもたないのには二つの理由がある。一つは車輪を転がすことができるほど十分な平らな面がこの地球上には少ないこと。もう一つは絶えず回転するために、血管が車輪へ養分を供給することができないこと。

かくしてこの地球上にタイヤを回転させばく進する生物は生まれなかった。しかしチータや馬を見てわかるように、4つ足でも十分な推進力が得られることがわかったし、鳥たち、特に渡り鳥たちは空中に出ることによって速度における問題を解決した。

人間が二足歩行によって両手が自由に使えるようになった利益は誰にも異論をはさむ余地はないが、おかげでそののろさは目に余る。自転車は第3の足なのだ。それが外部から運動エネルギーを供給されていない分、より人体に密着したものだといえる。

ローラースケートやスクータ、ボードが出現したが、いずれも実用性の点で遊び道具の域を出ることはない。自転車がその構造の完璧さのおかげで人間の実生活に大変な貢献をした。さらにそこからリヤカーや人力車が生まれた。

自転車用錠こうした事実は、バイクや自動車の普及によって忘れられがちである。だが、実際のところこれらの「文明の利器」は他人の発明とエネルギー源に依存している。

自転車の場合には、その単純さそれ自体のために、あらゆる機械工学の出発点となった。それは万人に理解できるレベルであり、それを出発点としてその知識を発展させるための素晴らしい礎でもある。

チェーンによる動力伝達、回転軸に使われるボールベアリング、空気圧によって支えるタイヤによる衝撃吸収、人間のバランス力を巧みに利用したハンドルの構造、直進性を保証する前ホークの構造、軽量ながら最高の強さを発揮するスポークによる車輪の形成、馬に乗せる鞍をモデルにしたサドル、など枚挙にいとまがない。

人間の長い間にわたる英知の蓄積がこのシンプルな機械に満ちあふれているである。買うなら財布をはたいて高級品を買おう。自転車ほど「安物買いの銭失い」ということわざが当てはまる品物はない。愛着を持って扱い、技術を身につけ、10年以上持たせるのだ。完成された構造だから時代遅れになる心配はない。

高級品なら、頑丈が鍵が必要だ。上記の写真は、今ではオートバイに広く使われているが、これは「泥棒の本場」、ニューヨークで買ってきたもの。自転車用となっている。いざというときの武器にもなろう。

2003年5月初稿10月追加

日常点検の実際

軍手必ず軍手をしよう。手の汚れはなかなか取れないだけでなく、やる気をそぐ。ただ軍手を長く使っていると次第に布地にしみ込んでそれが手が汚れるもとになる。良い方法は右の写真のように薄手のビニール手袋を下に二重履きすることだ。

自転車は構造がシンプルだけに、点検を怠りがちである。最も念を入れるべきところはブレーキ、チェーン、タイヤである。

ブレーキ 最近のブレーキはかつては軽快車だけに付いていた、ブレーキゴムでリムを両側から押しつけるタイプが大多数になり、後輪にブレーキ・シューを巻き付けて締め込む方式がだいぶ減った。

時代遅れに見えながら、実はブレーキシュー方式の方が重いが頑丈な作りで維持が簡単で、トラブルになることが少ない。ひょっとして廃車になるまで一度もさわる必要のない場合さえあった。

その最大の原因はハンドルにあるブレーキレバーからブレーキシューまでの伝達が「鉄棒」だったことによる。現代の方式は軽量さを追求するために代わりにワイヤを使うことになった。

実はワイヤは、特に新品のうちはよく延びる。せっかく買ったときに完璧なまでに調整してあっても少しずつ延びてきてブレーキの利きへの信頼性が低下してゆく。だから点検の際には目が離せない。

またブレーキシューが丈夫な皮でできており、接する面積が大きかったのに対し、ゴムははじめから消耗を予想して作られている。リムとゴムとの間のすき間距離が3ミリぐらいが理想だが、それが使用と共に次第に広がってゆく。

チェーン 自転車の材質はどんどん軽量化が進んでいる。だがどうしても材料が強度の点でも価格、耐久性の点でも変わらないのがチェーンの鉄部分だ。

これをゴムベルトにした自転車がかつて登場したが、普及しなかった。鉄のチェーンでさえ、強く踏み込んでいると延びるのである。若者のペダルへの強い蹴りの前に、チェーンは1年に1センチ以上延びることがある。

点検の最重要点はこの鉄製のチェーンへの油を欠かさないことである。油不足はたちまちのうちに各つなぎ目の部分を摩耗させ早く延びてしまうだけでなく、なんと言ってもペダルが重くなる。

だがこの油差しの加減ほど難しいものはない。足りなければさびて摩擦が増すが、多すぎれば垂れてくる。これがタイヤにかかると、タイヤのゴムの耐久性を著しく縮める。スポーツ車のようにチェーンのおおいがない場合は、長ズボンの裾が真っ黒になる。

油はほんの表面を濡らすぐらいで十分だ。あとは回転しているうちに全体に行き渡るようになる。

タイヤ 人間で言えば靴である。自転車のタイヤは意外と摩耗しやすいもので、急ブレーキと急回転を繰り返しているとあっという間にトレッド(溝)が見えなくなってしまう。

摩耗に拍車をかけるのが、不注意に垂らした油と空気圧不足である。空気圧は常にパンパンにしておくべきだ。車の場合は2.1キロぐらいだが、それを大きく上回るのが自転車のタイヤなのだ。

空気圧が高ければ接地面積が減ってペダルが軽くなるし、足まわりも良い。よくぺちゃんこで走っているひとを見かけるが、空気を入れたあとの変化にびっくりすることだろう。

ただバルブからのわずかな空気の漏れは、特に直射日光に当たっている場合などはかなり激しいし、気温がだんだん低下していくときなど当然空気は収縮するから空気ポンプは欠かせない。

低価格の自転車などでは粗悪なチューブを使っている場合が多いから、パンクしたのではないかといぶかしく思うほど空気の減りが激しい場合がある。目に見えない微少な穴が無数にあいているためである。

2003年5月初稿

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© 西田茂博 NISHIDA shigehiro

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