自転車・bicycle

(45)木古内町 ⇔ 江差町(北海道篇)

体験編 > 自転車 > 北海道篇 > (45)

トライアスロン用自転車

コース一覧(青文字は自動車通行禁止区間)

<第45レッグ;木古内町⇒江差町> 2013/06/11 全走行距離122キロ 午前7時出発、午後6時到着

木古内町~国道228号線~知内町~福島町~松前町~(追分ソーランライン)~上ノ国町~江差町

 《追加その1》 2017/10/5-6 奥尻島 全走行距離112キロ(一周反時計回り)   島めぐり

一日目 奥尻島フェリーターミナル→道道39号奥尻島線(島一周)→稲穂地区→賽の河原→幌内地区→神威脇→北追岬公園→湯の浜温泉

二日目 湯の浜温泉→奥尻空港→青苗地区→奥尻島フェリーターミナル→球島山山頂→奥尻島フェリーターミナル

 第45レッグ
  0952
木古内町の次には知内(シリウチ)町があり、ここは何と言っても青函トンネルが、地中に潜る地点である。このため、国道と鉄道の交差する地点に、わざわざ撮影ポイントまで設けて、鉄道ファンの便に供している。
  0953
それだけではない。さらに数キロ行くと町立「青函トンネル記念館」まである。ここには写っていないが、すぐ横に蒲鉾を二つ並べたような建物がある。この水色のツートンカラーものは、潜水艇「くろしお号」である。この近辺はとにかく本州との新幹線の開通という”夢”でもちきりなのだ。
  0954
これから津軽海峡から松前湾、そして日本海へと道路は大きく回り込む(松前半島)。
  0955
北前船で有名な松前の街に入った。海岸からすぐの丘の上に松前城がある。桜の季節なら、さぞかし人が多いだろう。
  0956
松前神社。城と同じく松前公園の一角にある。ほかにも寺社が多い。
  0966
思わず寝そべってみたくなるような、きれいなカーブを描く海岸。冬には季節風が吹き荒れるであろうが。
  0967
江差町に入って見えてくるのがこの船、「海陽丸」。徳川幕府最強の軍艦であり、日本初の海底遺跡がある。この船は幕末に「蝦夷共和国」を夢見て運行された。ここは道の駅にもなっている。また、海のほうには突き出た島があり、「かもめ島」という。
  0968
さらにはここは海上保安庁の基地にもなっていて、これは「おくしり」が横付けになっているところ。
  0969
 江差町には見どころが多い。海から内陸に目を向けると、「いにしえ街道」とよばれる古い街並みがあって、北前船やニシン漁によって町が大繁栄した跡である。この家は「横山家」と呼ばれる旧家のたてものである。町並みはこの建物のデザインをもとに統一されており、車の販売店までそれにならっている。

宿:ホテル満潮:0139-53-6136:観光地のある江差町中心から、国道を4,5キロほど北へ行く。その付近は、江差のもう一つの中心でありコンビニやハンバーガーショップもある。シングル¥6300~

 上へ

奥 尻 島  島めぐり

 
 (追加)下って、2017年10月5~6日。上の写真を見て、すぐ島の名前が思い浮かぶ人は少ないだろう。函館から国道227号線で江差(エサシ)まで1時間半。奥尻島へのフェリー便は一日2往復だ。今回は一周道路(道道39号線)を反時計回りに回って、少し時間が余ったので、369.3メートルの球島山の山頂まで上がってみる。その他の内陸部分は原始林に覆われており、ちょっとしたジャングルである。そこがいいのかもしれない。上の写真は、GPSによる軌跡写真。
 
 江差港にて。ハートランドフェリーの船が港内に入ってきた。自転車は私だけ。1300円。あと、このリヤカーも人力だが、これは宅配便の荷物らしい。人口が3000人以下だから、この程度で済むのかもしれない。一般の自動車に交じって、自衛隊の車両がたくさん積まれているのは、奥尻島にはレーダー基地があるからだ。北朝鮮に近いだけに、監視の仕事が忙しくなっているのだろう。
 
 2時間10分の航海。江差から瀬棚(セタナ)にかけての海岸を東方向に横眼に見ながら、航海するのだ。行く手にようやく奥尻島が見えてきた。見た目にはわりと平坦で、険しい山はないようだ。10月初めの風はかなり冷たいが、対馬暖流の影響か、骨身にこたえるほどではない。
 
 フェリーターミナルからすぐに県道ではなく、「道道39号線」が通っている。本州とは異なるデザインの家が並ぶ。フェリーターミナル側の海岸は、比較的自動車の交通量が多い。それでも道が広々として、走りやすい。人口は3000人を切る。
 
 海の向こうに陸地(瀬棚町)が見える。
 
 「東風泊鎮守 海洋神社」の立派な鳥居があった。この辺りは「風泊地区」と呼ばれる。
 
 階段を登ってみると…いかにも北海道らしい、簡素な造りのお宮である。
 
 だが、少し先に行くと、「宮津弁天宮」があり、こちらは出雲大社風の、かなり立派な造りで大海原を見渡せる場所に立っている。かつてアイヌの砦だったらしい。
 
 道路からは海のほうへ大きく落ち込んで再び登りになるので、こんな長い階段が作られている。
 
 弁天宮の高みから、これから進む北方向を臨む。これまでの比較的平坦な砂浜から一転して険しい崖になっているのが見える。この島は海岸が変化に富んでいる。
 
 いわゆる「百億円の釣り堀」。申し訳程度に小さな漁船が5,6艘ほど並んでいるだけで、あとは空きスペースだ。勘太浜地区にて。これでも第1種漁港だ。こんな”釣り堀”が島中至る所にある。莫大な建設費の一部でいいから、観光振興に使うだけの知恵が、過去の為政者にはなかったのか?
 
 最北端の岬に到達した。周遊道路はここで大きく先がとがっている。ここは「賽(サイ)の河原公園」があるのだ。
 
 「賽の河原」には、水難者、津波の犠牲者などを弔った卒塔婆や石積みが並ぶ。このゴロゴロした石の広がりは「男はつらいよ 寅次郎かもめ歌」の中に出てきたような気がする。
 
 さらに行くと、「歴史民俗資料展示室(稲穂ふれあい研修センター)」がある。ここの”冬季休業”も間近い。この塔のデザインと配色が気に入った。
 
 北の岬を回り込むと、道は内陸へ向かい、次第に登り坂になる。快適な海岸走行は終わりを告げ、苦しいアップダウンが始まった。
 
 それでもちょっとした“高原”みたいなところには牛たちが放牧されており、こちらを怪訝そうな目で見ている。
 
 この島の山間部は原始林なのだ。ブナ林があり、「復興の森」という看板が立っている。その右にあるログハウスの雰囲気がいい。冬はすっかり閉ざされてしまうのだろうが。タヌキがよく出現するとか。
 
 標高340メートルぐらいまで上がった挙句、急なカーブの坂を下ると、再び海岸に出た。砂浜ではなく、ごつごつした“暗礁”が見え隠れするところだ。船が突っ込んだらひとたまりもない。
 
 これは「屏風立岩」らしいが、案内板がないので確実なことは言えない。
 
 いや、こっちが「屏風立岩」だ!!!もう3時を過ぎているので、夕日のシルエットが美しい。
 
 「湯ノ浜地区」に入る。この島唯一の温泉が出る場所だ。この古い建物には「神威(カムイ)脇温泉」とあり、昔から保養所だった。
 
 この島にはモニュメントが多い。この湯ノ浜地区には「北追岬公園」というのがあって、ゴルフ場のほかに彫刻がいくつも飾られている。これは北方領土への望郷の念をあらわしたもの。
 
 明日進む予定の南方向の海岸を臨む。陸地が大きく落ち込んで崖になっている。
 
 山側には「奥尻ワイン」の建物。これまたデザインと配色がよい。2階がワインの販売所になっていた。
 
 今晩の宿泊をするのは「湯の浜温泉 ホテル緑館」。レンガ造りで規模は大きい。温泉は巨大な岩を転がしてその中にお湯を入れている。色は茶色で、泥水といったところだが、わずかに塩分を感じ、鉄分特有のにおいがする。浴槽は赤さび色をしている。温度はかなり高い。

なお、対岸にある江差近くの「乙部温泉」、そして函館市内の「谷地頭(ヤチガシラ)温泉」と、計3か所今回の旅で入浴したのだが、いずれも湯が同じ性質だったのは、地下でこれらの温泉がつながっているからだろう。

 
 第2日目、午前8時ごろ出発すると、海岸に朝もやが立ち込めている。右のほうに見えるピラミッド型の岩が気になる。
 
 「モッ立岩」。ある未亡人が、この岩を見て、亡き夫の一物を思い出したそうだ。
 
 ピラミッド型の岩。「無縁島」というそうだが、その由来はわからない。
 
 奇岩、大岩の続く海岸が南に進むにつれて、次第になだらかになり、水田、ブドウ畑などが目に入り始める。平たんだから、空港が建設されたのだろう。函館行きの便が出る。滑走路は、ちょっと見ただけでは、”原野”にしか見えないが。
 
 空港のある南の端を「青苗地区」という。岬の先端にあるのがイギリスの軍艦が座礁した際の救助活動を称えた「徳洋記念碑」。
 
 奥尻島を紹介するパンフレットには必ず登場する、この島でもっとも有名な「鍋釣岩」。自然現象で、よくまあこんな見事な造形ができたものだ。右上の角には草木が生えている。この岩がフェリーターミナルの南方すぐ近くにあるということは、こうやって一周してみて初めて気がついた。
 
 帰りのフェリーの時間に少し余裕があったので、内陸に延びる道に入り、展望台のある「球島山」に登ることにする。369.3メートルの高さまで、ひたすら上り続けるのだ。
 
 山頂にはちょっとした階段がついていて、そこからは島中360度はもちろん、北海道も眺めることができる。また、先ほどの「鍋釣岩」も小さく見える。
 
 フェリーターミナルに戻って岸壁で昼食。カモメとカラスがいっぱいいて、こちらがパンを食べるとすぐに集まってくる。まるで都会の公園のハトのようだ。近づいても少しも恐れないのは、いたずらや嫌がらせをする人間がいないからだろう。
 
 島では観光客誘致に知恵を絞っている。「もう帰るってな。奥尻どんだったや?えがったがや?えさ帰ったら みんなさ いがったって、ちょべっこでもいいから おせてやって こんど奥尻さ あんべって しゃべってけれエ あぁー なぁんだが、おめだいってまえば やせねくなってくるだっちゃ。したすけ、おらわんざに 「せばのォ」っていわねえから 体さくれぐれも気いつけて たっしゃでいってきてけれよ。」これは良い方言の勉強になりました。
 
 帰りのフェリーが港に入ってきた。船には、これから島を訪れる観光客が乗っている。だからこの歓迎の幟を立てて待っているのだ。
 
 それからこの島のマスコットキャラクターである「うにまる君」も待ち受けている。
 
 フェリーターミナルで自転車の切符を買うと、どこから来たか聞かれた。すると、この旗をくれた。

通り残した半島部;なし

上へ

体験編 > 自転車 > 北海道篇 > (45)

© 西田茂博 NISHIDA shigehiro

inserted by FC2 system