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(49)留萌市 ⇔ 稚内市(北海道篇)

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トライアスロン用自転車

コース一覧(青文字は自動車通行禁止区間)

<第49レッグ;留萌市⇒稚内市> 2013/06/16 全走行距離203キロ 午前7時出発、午後6時到着

留萌市~国道232号線~<日本海オロロンライン>~小平(オビラ)町~苫前(トママエ)町~羽幌(ハボロ)町~初山別(ショサンベツ)村~遠別(エンベツ)町~天塩(テシオ)町~県道106号(稚内天塩線)~市道254号~稚内市街

  《追加》 2018/05/08-09 利尻島・礼文島

一日目:利尻島(時計回り約60キロ) 利尻島フェリーターミナル(鴛泊港)→道道108号沓形仙法志鴛泊線→石崎灯台→白い恋人の丘→オタトマリ沼→利尻町立博物館→麗峰湧水→沓形→道道105号利尻富士利尻線→サイクリングロード→会津藩士の墓→姫沼→鴛泊港

二日目:礼文島 礼文島フェリーターミナル→道道40号礼文島線北上→見内(ミナイ)神社→久種湖(クシュコ)→道道507号船泊港利礼公園線→スコトン岬→澄海(スカイ)岬→ミズバショウ群生地→道道40号礼文島線南下→道道765号元地香深線→元地地区→道道40号礼文島線→知床地区→礼文島フェリーターミナル

第49レッグ
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いよいよ今回最後のレッグ。もはや険しい岩浜はなくなり、海岸沿いに直線道路が延びる。右側には低い山が連なる。砂浜には海釣りをする人の姿やテントが見える。
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小平(オビラ)町に入る。かつてのニシン番屋、「重要文化財・旧花田屋番屋」である。明治37年に作られた、当時のニシン長者の富の大きさを物語る、豪壮な建物だ。
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さらに進むと、駐車スペースに銅像があった。この方は、「松浦武四郎」といい、伊勢国(今の三重県)に1818年に生まれ、この周辺、つまり蝦夷地を探検して詳細な調査を行った、北海道市の中でも偉大な探検家である。
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苫前(トママエ)町に入る。ちかくの「ローソク岩」が有名だが、この巨大なヒグマの像は、顔が二つあって、道路を行くどちらの人々をも睨んでいる。上に見えるのは「とままえ<だ>ベアー」というしゃれ。
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天塩町からは、内陸に向かう国道232号線から離れて、県道106号に入る。左は海、右はサロベツ原生花園や沼が点在する地域だ。道路はどこまでも直線で、風車まで26本全部が直線に並んでいる。
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この辺りは、農耕地ではなく、原野なのだ。白や黄色い花が点在する。
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北緯45度通過地点を横切る。なんかずいぶん北に来たような気がするが、そうでもなく、例えばパリは北緯48度51分だから、はるか北のサハリンと同じぐらいなのだ。北緯45度といえば、ヨーロッパでいえば、南欧にあたるのだ。それでも冬が寒いのは、やはり海流のせいだろう。
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施設も人家もなく、ただただまっすぐの道路。さすが人口密度の低い北海道だけのことはある。もっとも世界にはこんなところはざらで、1日車で走ってもまったく砂漠や草原の中なんてところはいくらでもあるのだから。
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 ハマナスの向こうにノシャップ岬が見えてきた。ゴールは近い。逆方向に進む自転車少年とすれ違う。
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 やっと到着したノシャップ岬。観光客が多くいる。写真撮影を頼まれる。ただし、ここは日本最北端ではない(二番目)。
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 JR稚内駅に到着。白塗りとガラス張りのきわめてモダンな建築。ただしここは雑居ビルであって、鉄道部門は左のわずかなスペースだけである。後は商店やバス乗り場やレストラン、映画館など、あらゆる機能が内部に集約されている。
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 いかにも稚内らしいポスター。ここの港から外部リンクハートランド・フェリーでサハリンのコルサコフに5時間半で向かうことができるのだ(夏期のみ、往復4万円)。「海の向こうの隣街は、稚内から一番近い外国」とある。
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 ロシア文字で「プラダバリーストブニー・マガジン」、つまり食料品店、そしてその下には「アイザワ」、つまり”相沢”である。驚くべきことに、稚内市内のアーケードや大きな店には、このような表記が施されているのだ。やはりロシアとの航路が開けているだけのことはある。この街にはロシア料理店もあるのだ。「ペチカ」という店で、実際に食べてみた。

通り残した半島部;なし

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© 西田茂博 NISHIDA shigehiro

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