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利尻島・礼文島(北海道篇)

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トライアスロン用自転車

コース一覧(青文字は自動車通行禁止区間)

 《追加》 2018/05/08-09 利尻島・礼文島

一日目:利尻島(時計回り約60キロ) 利尻島フェリーターミナル(鴛泊港)→道道108号沓形仙法志鴛泊線→石崎灯台→白い恋人の丘→オタトマリ沼→利尻町立博物館→麗峰湧水→沓形→道道105号利尻富士利尻線→サイクリングロード→会津藩士の墓→姫沼→鴛泊港

***ハートランド・フェリーにて移動

二日目:礼文島 礼文島フェリーターミナル→道道40号礼文島線北上→見内(ミナイ)神社→久種湖(クシュコ)→道道507号船泊港利礼公園線→スコトン岬→澄海(スカイ)岬→ミズバショウ群生地→道道40号礼文島線南下→道道765号元地香深線→元地地区→道道40号礼文島線→知床地区→礼文島フェリーターミナル

利尻島
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 GPS画像によるルート軌跡
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北海道最北の港、稚内港。ここから外部リンクハートランド・フェリーが、利尻島と礼文島に向けてフェリーを定期運航されている。その向こう側には国際ターミナルがあるのだが、サハリン行きの航路は廃止になってしまった。もしロシアとの交易が盛んになれば、この町の衰退を押し返すことができるのだが、今の日本の政治家には、そのような力もスケールの大きさもない。
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2等船客料金のほかに、自転車の搬送料金は1300円。乗るときは最初に、降りるときは最後になる。この季節では自転車の客は私一人。係員に指示を受けて、フェリー船倉の壁に横づけにすると、ロープで固定してくれる。
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稚内から利尻島の港、鴛泊(オシドマリ)への航海は1.5時間。GPSによれば、時速35キロぐらい。たまたまこの日は冷え込みが厳しく、五月の連休のあとだというのに、冬に逆戻りをしたようだ。利尻富士が海上に浮かび、その大部分がまだ雪に覆われている。
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鴛泊港に到着。輪行ではないから、すぐに港の構内に飛び出す。岸壁から見える、あの異様な岩山は「ペシ岬」という。この日の夕方に登ったが、93メートルのてっぺんからの眺めは素晴らしい。岸壁沿いには、ホテルや民宿が立ち並ぶ。
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フェリーの向こうには利尻富士が見える。これから旅館に荷物を預け、時計回りに一周をするつもりだ。ただ、気温が低いうえに、かなりの風が吹いているので、はんぶんは追い風だが、半分は向かい風となろう。
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県道沿いには神社が点在する。でも、必ずしも赤く塗られているわけではない。
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名も知れぬ、奇岩。ただし、この利尻島はそれほど切り立った絶壁があるわけではない。道路のアップダウンも大したことはない。
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鳥居だけが赤く塗られている神社。
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飲料の自動販売機のてっぺんに、灯台の模型がたっている。なんでこんなのがあるのだろう?
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そして500メートルほど行って、その本物を目にすることになった!ちょっとデザインが違うのだが。「石崎灯台」という。
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 一周道路から分かれ道があった。しばらく行くと、バスが一台止まっている。バスの中がカラなので、乗客はどこかに見物に行ったのかなと思いつつ、道を登っていくと、予想通り大勢の観光客がバスに戻ってくるところだった。関西弁をしゃべっている。丘の頂上は「白い恋人の丘」と呼ばれており、ここからの利尻富士の眺めが、あの有名な銘菓、「白い恋人」のラベルになっている。観光バスの定番コースである。この丘でプロポーズしたカップルに「プロポーズ証明書」が地元の観光案内所で発行されるのだとか。
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その丘を降りて道路の向こう側には、「オタトマリ沼」がある。でも湖畔には観光客がうろうろしているし、プロポーズの相手もいないので、早々にこの場を去る。
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島の最南端部にやってきた。ここは「仙法志(センホウシ)御崎(ミサキ)公園」である。読み方が難しい。
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 この公園は、岩浜で囲まれている。このプールのようなところは、生簀(イケス)かなと思って近くの人に聞いたら、なんと夏になると海からアザラシがやってきて、ここで休憩をするんだそうだ。
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 公園といっても、自然のままなので、あとは溶岩の突き出た海岸が広がっている。
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 アザラシ池の裏側の小高い丘にはNHKの放送受信施設があった。
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 公園から少し内陸に入ると、「利尻町立博物館」がある。観光客はこういうところを素通りするので、担当職員は私の出現に驚いたらしい。大急ぎで室内照明を明るくし、効果音のスイッチを入れた。入場料金200円。入口の右側に、錆びた「錨」が置かれている。
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 建物の右側には「枠船」と呼ばれる、ニシン漁に使われた船。姿を消したニシンはあれからサロベツ沿岸に戻ることはなく、ついにこの船も使い道がなくなって、博物館入りとなってしまった。
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 巨大なトドのはく製。この島には「オホーツク文化」と呼ばれる、先住民族たちの残した遺跡や遺物が数多くあるのだ。オホーツク文化については、沖縄の本部にある、「海洋文化館」で学んだ。
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 この地図は「環日本海諸国図」とある。日本海が、地中海のように、大きな湖になっているのに気付く。それなのに、この“諸国”のあいだには交流、交易がまるでない…かつては、先住民族が、この“湖”を行き来していたのだ。
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 ニシン漁が盛んだったころ、この島にも大勢の出稼ぎ労働者がやってきて、富も流入した。大福様もにこやかだったのだ。実際この博物館の隣には、もう閉校となってしまった、かつての中学校の建物が残っているが、大変大きく、当時この島に大勢の子供たちがあふれていたことがわかる。
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 ニシン漁のためにやってきた若い衆が炉端でくつろぎ、明日の漁の準備に余念がない(という模型)
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 「麗峰湧水(レイホウユウスイ)」。利尻富士に降った雪や雨が山の中にしみこみ、こうして海岸部に湧き出てきたもの。大変うまい水だ。
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 海に突き出た神社は結構全国で見かけるが、これもその一つ。「北のいつくしま弁天宮」といい、祠(ホコラ)の建っている岩は「龍神の岩」と呼ばれる。
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 この大岩は、頭を沖のほうに向けて寝ているクマに見えないか?これぞ「寝熊の岩」。この場所にかつて、先住民族の住んでいた洞窟があったという。
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 島の中西部にあたる、「沓形(クツガタ)地区」に入ると、ここから一般道路から付かず離れず鴛泊地区に続く、サイクリングロードが始まる。途中には「利尻富士温泉」があり、温水プール「湯泳館」が隣にある。旅館に戻った後、自転車で湯冷めもものとせず、入りに行った。
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 明治初期の北海道開拓時代には、全国各地からそれぞれの地区を分担して開発にあたった。利尻島は主に会津藩士とその子孫が担当したため、今でも島の各地に石碑や墓がみられる。これはサイクリングロード沿いにあったもの。
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 サイクリングロードは高低差のあまりない走りやすい道で、途中一般道路の歩道と”兼用”されている部分もあるものの、大自然を味わうにはうってつけの道だ。大きくカーブを描きながら、笹原の中を駆け抜けるのも気持ちがいい。鴛泊地区に入ると、内陸に入り、次第に登りになって、”頂上”と呼ばれるところに至った。
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 かつてヒメマスを放流したということでその名のついた「姫沼」は、観光バスの定番コースである。着いたときはもう夕方で、管理人以外、誰もいなかったが、ぜひ行ってみたい小さな池である。
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 もし晴れていて、風がないのなら、ここで「逆さ富士」が見れるのだが。この姫沼は一周道路があり、木道だ。
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 赤い水芭蕉か?ついさっき開花したばかり。木道沿いで。
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 鴛泊地区に戻ってきた。徒歩でしか行けないが、「ペシ岬」を目指す。急な登りが続く。
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 ペシ岬展望台。ここまでの道沿いには木が生えておらず、笹などの背の低い下草ばかりだから、市街地からは登っている姿が丸見えだ。
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 展望台から見下ろした、鴛泊港の全景。利尻島は自転車で回るにはちょうどいい大きさだ。真ん中の利尻富士を除いては、ほとんどすべてを見て歩くことができた。
 礼 文 島
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 GPS画像によるルート軌跡
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 利尻島の翌日はフェリーで礼文島に渡る。所要時間45分。「香深(カフカ)フェリーターミナル」は島の南部にあり、この写真のように、利尻富士がターミナルの建物のうしろに写って、まるで陸続きのような錯覚を覚える。きょうもまた空気が冷たく、風がある。礼文島は南北に細長く、東海岸だけに一般道路があり、西海岸は断崖絶壁で、8時間かけたトレッキングでないと、その全貌を見て歩くことができない。それで、まずは東海岸沿いに北上し、最北端の岬に向かうことにする。
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 なかなか立派な造りの、「見内(ミナイ)神社」。ただ、海岸に立っているので、真冬の暴風雪の時期はどうなっているのだろう。
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 東日本大震災の津波以来、各地で高台への避難場所が作られたが、これは冬の暴風雪のときのことを考えて、プラスチックの屋根付き階段である。海岸からすぐ上の丘に取り付けられている。
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 丘の上には、宇宙基地のようなドーム状の小屋が。ここに非常食料などが保管されているらしい。
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 礼文島北部は二本の角が突き出ていて、右が「金田ノ岬」で、別に観光地ではないようだ。左の角が「スコトン岬」で、今ここに到着した。向かい風が厳しい。沖合に「トド島」が見えるが、季節によってはトドが訪れるのだろうか。
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「(日本最北端の岬は宗谷岬であるため) 最北限の地スコトン岬」という白い文字が風雨にさらされて消えかかっている。フェリーターミナルのそばのコンビニで昼の食料を調達しておいてよかった。この辺りには夏の観光シーズンならともかく、それ以外の時期では営業している商店を見つけることが難しい。
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 西海岸の断崖絶壁を一目見ようと、分かれ道から「澄海(スカイ)岬」へ向かう。一般道路が、この岬の付け根にある漁港につながっていて、南北にのびるトレッキングコースの中継点になっている。木の生えていない岩肌はますます荒涼とした海岸風景を作っている。
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 漁港の北側が「澄海岬」で、頂上に上り詰めると、南へ北へ延びる海岸線が一望できる。真冬なら、さぞすさまじい風景になっているだろう。また、北にあるロシアの領土にあたる島々もこんな様子なのだろうと思われる。北方領土に行かなくとも、礼文島でその様子が満喫できるともいえる。
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再びスコトン岬から東海岸に抜ける道に出ると、途中に大きな湖がある。「久種湖(クシュコ)」といって、キャンプや自然観察の基地になっている。まだ、時期が早いので、一面枯草ばかりかと思ったが…
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 前日「姫沼」で見たような、今まさに開花したばかりのミズバショウを見つけた。さらに奥のほうを見渡すと、数多くの花が咲いている!あと三日も暖かい日が続けば、一面白い花で満ち溢れるであろう。
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 再び出発点のフェリーターミナルに戻り、そこからも西海岸に延びている道路を行く。こちらはトンネルが貫いており、あっという間に海岸に出た。矢じりのような形をした岩が「地蔵岩」である。ここから先に道路はない。
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 地蔵岩から少し引き返したところに、この美しいカーブを描いた砂浜が「メノウ浜」というのだが、なぜだかわからない。
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 最後の訪問地は「北のカナリアパーク」である。といわれても映画好きでないとわからないだろう。吉永小百合主演の「北のカナリアたち」(2012年)は、この木造校舎の小学校のセットを使って撮影され、今それがここに保存されているわけである。という話をここの管理人さんから教わったのである。閉館時刻ぎりぎりだったので、中を見ることはできなかったが。
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 フェリーターミナルのそばには、温泉「うすゆきの湯」がある。前日の礼文島温泉に続き、ここにも入ろうと思ったのだが、泊まった旅館の内湯がすでに用意されていたので、機会を失った。
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 旅館に一泊後、翌朝のフェリーで稚内に戻る。今回の旅行はシーズン開始の6月よりちょっと早めだったので、寒かったがくまなく見て回ることができた。今度はどちらの島でもトレッキングを試みたいものだ。船から礼文島のフェリーターミナルの駐車場を見てみると、稚内からやってくるフェリーの乗客のために、観光バスが5台も待機している。

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© 西田茂博 NISHIDA shigehiro

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