<仙台亘理(わたり)自転車道;岩切・深沼(いわきりふかぬま)コース>トレーニング走行向き
県道仙台松島線岩切大橋~七北田(ななきた)川~国道45号線福田大橋~七北田川~蒲生(がもう)~貞山堀~深沼~貞山堀~県道塩釜亘理線ゆりあげ大橋
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七北田川沿いを東へ、海岸にある”蒲生(がもう)”方向を臨む。
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貞山堀は海岸線と平行に南北に伸び、自転車道はそれと平行に走っている。
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貞山堀にある船だまり。その向こうは乗馬クラブがあり、その厩舎が見える。(その後国土交通省による”暴挙”のため、100年に一回の洪水に備えるとかいう、堤防が作られることになり、すべて取り壊して更地になった)
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<仙台亘理自転車道;阿武隈(あぶくま)コース>トレーニング走行向き
県道塩釜亘理線閖上(ゆりあげ)大橋~閖上(ゆりあげ)港~宮城サイクルスポーツセンター~貞山堀~相の釜橋~二の倉海岸~県道塩釜亘理線亘理大橋~阿武隈川サイクリングロード~国道6号線阿武隈橋
道草;亘理大橋~阿武隈川右岸堤防~鳥の海
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閖上(ゆりあげ)大橋。左手は港。右手には広浦という沼沢地とサイクルスポーツセンターがある。
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貞山堀がここにも伸びている。しばらく行くと右手に仙台空港の滑走路が目に入ってくる。
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<宮城県牡鹿半島一周コース>2008/09/25走行
石巻線・渡波駅前~R398~女川駅~県道41号~原子力PRセンター~谷川浜~県道220号牡鹿半島公園線~山鳥~御番所公園~鮎川浜~県道2号石巻女川線~月の浦~サン・ファン・バウティスタ・パーク~渡波駅前
注;谷川浜からは、東海岸沿い(祝浜~泊浜~新山浜)を通って牡鹿半島公園線にでるべきであったが、分岐点を通過してしまった!
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牡鹿半島は過疎化が進んでいる。車の通行が少ない。江戸時代に仙台藩が幕府の命令で密航船の監視を行った”御番所”から東にある鹿で有名な金華山を望む
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同じく御番所公園から、北西方面、つまり半島の西海岸を望む。手前は捕鯨で有名だった鮎川港。(今は世界の狂信的な捕鯨反対の連中のため、そうではない)
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御番所公園にある石碑。この後ろの敷地に監視所が建っていた。監視は近所の村の若者たちが担当していた。
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東海岸沿いの集落。人影は少なく、カモメだけがやたらに元気がいい。
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サン・ファン・バウティスタ・パークにて。少し南にある”月の浦”というところから、伊達政宗の命を受けた支倉常長(はせくらつねなが)がサン・ファン号にのってローマへの密航を行ったのだ。
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<宮城県川崎町→笹谷峠> 2008/10/30 走行
釜房湖~(国道286号線)~川崎町~笹谷~笹谷峠
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奈良時代以前から、奥州では最も重要な峠だったが、現代では山形道という高速道路が開通し、そのだらだらした九十九折の道は、物好きな観光客しか訪れなくなった。冬は積雪が2,3メートルを越え、北西の季節風が吹きつける難所である。毎年11月の初旬になると、この道路は翌年の春まで閉鎖される。途中には写真のような石碑や道祖神が多い。
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この地点から大型トラックの多い国道から分かれ、旧道に入ることになる。峠付近は、冬季の強風のせいか低木や笹原ばかりである。
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ツキノワグマが出没する。特に秋の冬眠前には危険だという。周辺は、登山道がめぐらされ、初級から中級までお好みのさまざまな道が北へ、、また南の蔵王連峰へとつながっている。
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「有耶無耶(ウヤムヤ)関」という。かつての旧街道にあり、関所だったわけだが、今は建物も何も残っていない。峠から歩いて30分ほど野の笹腹の中に埋もれている。標高906メートル。
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<宮城県、山形県を2つの峠での周遊コース> 2008/11/13 走行
宮城県秋保町秋保大滝~(国道457号線)~川崎町~笹谷~笹谷峠~滑川~高瀬~JR山寺駅~二口峠~秋保大滝
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国道457号線から北方(笹谷峠)方面を眺める。典型的な晩秋の風景だ。頭が二つに割れたように見えるあたりが峠である。これからにしに大きく回りこんでのぼりが始まるのだ。
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山形道、笹谷ICの少し手前、国道286号線から見える、セント・メリースキー場。ゲレンデが高速道路と立体交差しているところがある。
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国道286号線は、笹谷ICを過ぎるとまもなく、なだらかだがとてつもない部屋ピンカーブの連続となる。11月の初旬を過ぎれば、春までこのとおり自動車は通れない。もちろん、人間や自転車にとっては、ありがたい。
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笹谷峠から、山形盆地を見下ろす。険しい斜面なので、冬季の吹雪はすさまじいことだろう。
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峠に立つ、斉藤茂吉の歌碑。背後の山は、冬の烈風のせいか、立ち木がなく、草が生えているだけである。「ふた國の 生きのたづきの あひかよふ この峠路を 愛しむわれは 茂吉」
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笹谷峠を越えて、高度を下げていくと、北に上がる道があり、それが山寺へと続く。断崖絶壁に建てた寺の建物が見える。
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今度は二口峠に挑戦。山形側から峠のほうを見る。山自体はすさまじい急斜面なのだが、何重にもとぐろを巻く、ヘアピンカーブは自然に逆らわず、かなりなだらかに作られて、てっぺんに至る。晩秋の夕暮れは突然やってくる。
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路上にところどころ落ちている、クマ?(専門家の方、ほんとうのところを教えてください・・・)の糞。赤い実がいっぱい混じっている。まだやわらかくて水分に富み、出したばかりだ。
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<仙台市内→刈田峠→山形市内> 2009/08/06 走行
仙台市内~東北道南インター前~国道286号~宮城川崎インター前~国道457号~参堂入口鳥居前~エコーライン~刈田峠~エコーライン~金谷交差点~国道13号線~あこや町交差点~JR山形駅
(全110キロ) |
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蔵王産のふもと、青根温泉はエコーラインの上り口。ここから急に上り坂が険しくなる。
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いよいよここからエコーラインだ。左右は国道457号線。魔の急坂の連続が始まる。観光バスに乗った人々は、汗だくのサイクリストを奇異の目で見ている。”なんであんなに無駄なエネルギーを費やしているのだろう???”なんて。
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上り坂は始めは緩やかに、そして中盤からどんどん急になるので、苦しみも大きい。賽(サイ)の河原にたどり着けば、峠はもう近いが、ガスがたちこめている。
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行く手の右側は、有名な”お釜”と呼ばれる水のたまった噴火口だが、左側は森林が見渡せる。冬は何メートルもの雪にうずもれる。
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ここまで来ればすぐに山形県。あとはひたすら山形市内まで果てしない下り坂が続く。
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<鳴子→中山峠> 2009/08/16 走行
仙台市内~国道45号~鳴瀬川~新江合川~江合川~国道47号~鵙目橋~町道1号~白糸の滝~鳴子温泉町内~鳴子峡~中山峠~国道47号~国道13号~JR新庄駅 (全166キロ)
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国道47号を西へ進み、鳴子温泉に近づくと、鵙目という交差点に差し掛かり、そこを左折すると橋がある。その先は町道1号と呼ばれ、気持ちのよいカントリーロードだ。カーブが多くなり深い森の仲へ分け入っていくと、白糸の滝があらわれる。小さいながら本当に糸の束のように美しい。
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白糸の滝の手前にある仏像。このようなささやかな過去の遺産は、地元の人がたえず目を配っていないとたちまちのうちに消えうせてしまうだろう。
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白糸の滝は、このように対して水量は多くないが、滑らかな岩肌を薄く覆っているので絹の布のように見えるのだ。
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JR鳴子温泉の駅舎前にある”足湯”。強烈なゆで卵の匂いがする。足の疲れた登山客にはうってつけ。
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国道47号線も、県境に近づくと江合川の刻んだ深い峡谷が人々の目を覆う。これはその影が映っているように、橋の真上から下の川を撮影したものだが、欄干には自殺者を慰めるための花束が置いてある。
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いった時期が真夏の8月であったため、うっそうたる緑の中だったが、これが10月を過ぎ、紅葉シーズンになると、山全体が赤や黄色に輝き渡り、周辺の駐車場は大混雑する。
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分水嶺は県境ではなく、山形県側に入った最初の駅、堺田駅のところにある。駅は国道47号線沿いに立て札があり、山形方面を向いて左折して200メートルほどのところだ。
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分水嶺は、太平洋側と日本海側に流れる水のちょうど境目になる。
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水という流体は重力の法則に忠実で決して上に上がったりしないから、この場所より東の水はすべて一滴残らず太平洋へ、西の水はすべて日本海に注いでしまうという雄大なスケールで想像することができる。
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堺田駅は無人駅だが、まっすぐ伸びた線路を中心に美しくレイアウトされている。この写真は宮城県側を眺めたところ。鉄道はやかましい道路と違って、自然の中にすっぽりと包まれているのがいい。
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終着の場所、JR新庄駅。銀白色に輝く非常にモダンな建物だ。新幹線の開通の際に、張り切って作ったものだろう。ただ街は日本のほかの地方都市と同じく、ひどくさびれてしまっている。
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輪行のときに奥羽本線から仙山線に乗り換えた、夕暮れ迫る羽前千歳(ウゼンチトセ)の駅。どちらも単線なので、左が仙山線、右が奥羽本線の、上り下り兼用の専用ホームとなっている。
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<仙台市内→二井宿峠→高畠町→米沢市内> 2009/09/14 走行
仙台市内~東北道南インター前~国道286号~宮城川崎インター前~国道457号~参堂入口鳥居前~南蔵王七ヶ宿線~国道113号(七ヶ宿街道)~二井宿峠~高畠町内~県道1号線~国道13号線~JR米沢駅
(全130キロ) |
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参堂入り口鳥居前までは、エコーラインへの道と同じである。そのあとは蔵王の南斜面を這う、高原道路に入る。このあたりは酪農が盛ん。起伏が激しく、サイクリスト泣かせ。
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高原道路の終わりあたりに突然現れる、美しい湖、「長老湖」。本道から分かれて、下へ下る道がある。
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さほど登りが急ではない、二井宿峠を越えると、山形県。まずは「まほろばの里」、高畠町を通過。街道沿いには「まほろば古(イニシエ)の里歴史公園」があり、これらはそこに展示されている古代の住居。
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歴史公園の東側には安久津八幡神社の三重塔がみえる。その右手は郷土資料館。
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「まほろばの緑道」は山形県高畠町を東西につききる遊歩道。川を越え、住宅の軒先を越えて続く。ここは国道との交差地点。
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高畠町内の目抜き通りの建物は、この通り、牛乳屋でさえも、古代の建築様式を模したデザインで統一されている。
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県道1号線沿いにある、「大宮子安神社」。この奥に、「犬の宮」とか「猫の宮」とか、ペット愛好家がひきつけられそうな神社仏閣が散在する。
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県道1号線沿いに見える鮮やかな赤色の太鼓橋。
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太鼓橋を渡ると、うっそうとした森があり、その奥に神社がある。
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終着点、JR米沢駅。大河ドラマのおかげで戦国ブームが起こり、上杉神社など、観光名所は人が多い。
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<石巻松島自転車道・南半分> 2009/03/15 走行
宮城県東松島市鳴瀬奥松島IC ~東松島大橋~鳴瀬川左岸~のびる築港跡~石巻松島自転車道~(北への分岐点)~定川自転車道~月瀬橋~石巻鹿島台大衡線~河南鳴瀬線~東松島大橋
(全33キロ) |
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「東松島市観光マップ」の看板。周辺の市町村が合併して、東松島市という名前になった。名勝松島の東に位置し、”奥松島”と呼ばれ、宮古島と鳴瀬川下流部分が属しているが、俗化せず、すがすがしい風景が魅力である。
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東松島市からさらに東へ。石巻市のどこまでも北東へ続く砂浜がとぎれて、石巻港に注ぐのが定川。田園地帯を流れ、農業用水の役割ぐらいしか果たしていないが、かつては石巻の港や北上運河と連結して米を輸送するのに役立った。
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鳴瀬川右岸。この川は遠く県の北部、鳴子あたりに発して、広大な米作地帯を潤している。青い橋は水道橋だが、この先まもなく河口となり、左(北方)に北上運河、右(南方)に東名(とうな)運河とつながっている。道路交通が発達する前は東名運河はいったん松島湾に出た後、塩釜付近で、伊達政宗の作った貞山堀とつながって重要な米の輸送路となっていた。
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定川左岸。かつての防風林が自転車道路に隣接して並び、快適な走行を提供する。
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北上運河の陸地側。海側は矢本海浜緑地と呼ばれる。さきの定川と連結した後、鳴瀬川まで直線で続く。作られた時期が古く、その後の保守も満足にしていないから、このとおり真ん中の白線ははげ、ところどころ松ノ木の根による盛り上がりがあるので走行注意。
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北上運河が作られたのは明治の初期らしく、このように、ロック(閘門;こうもん)の跡が残っているのだ。これを使用していたころは、いったん水門を閉めて水位を船の通行に適するまで上げたり下げたりしていたのだ。
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北上運河の中間地点には、航空自衛隊松島基地がある。主要な滑走路が北西から南東へ延びている。
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北上運河の終点近く、左側への新鳴瀬川との合流点。新鳴瀬川はこの先行き止まりになっていて、カメラ位置の後方で、現在の鳴瀬川と合流する。左側に見える3つのレンガ造りの建造物は、かつての野蒜港の残骸であろう。
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北上運河と鳴瀬川との合流点にある、現在の野蒜漁港。過疎と資源枯渇のため衰退し、いまでは海岸に遊ぶサーファーの車しか見かけなくなった。
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石巻港から鳴瀬川にかけて、海岸沿いには松林からなる緑地帯が広がる。はるかに牡鹿半島が見渡せる。この砂浜は「戊辰の役」の際、函館へ向かった榎本武揚(えのもとたけあき)の一行がこの砂浜沿いに北上したといわれている。いまではサーファーの姿を見かける。
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「野蒜築港跡案内板」。明治時代のはじめ、この地域一帯は河口、北へは運河があるということで野蒜港という大きな港湾施設を作る計画が企てられた。その跡がのこっている。
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<石巻松島自転車道・北半分> 2009/06/28 走行
定川自転車道~(北への分岐点)~定川大橋~大街道新橋~北・北上運河沿い~北上川運河交流館~旧北上川
(全45キロ) |
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定川自転車道が、河口で終点になるところが、北へ向かう北上運河への分岐点となる。ここからは石巻市内の真っ只中を通るのだが、うっそうとした松の並木が続く部分もある。日曜には学生カヌーの練習も行われている。
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数多くの橋が架かっているが、渋滞する自動車の群れを尻目に、自転車道は運河沿いをほとんど直進し、やがて旧北上川につながる。ここはその閘門(コウモン)である。
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この閘門は古い石造りで、公園の一部ともなっている。
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そしてその北側には、旧北上川が広がる。ここは南の阿武隈川河口から始まる、100キロに及ぶ長大な運河の北の終点なのだ。
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ここは「石井閘門」と呼ばれて重要文化財になっている。右の道標にあるように、定川から北の部分は「北・北上運河」と呼ばれている。
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閘門のすぐ横、旧北上川の土手の上に作られた「北上川運河交流館」。中にパネルが展示してあるだけの、一種のお休み処。屋根の部分は芝生に覆われ、丘の上からひょっこり顔を出したようなデザインである。
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閘門のある地点から上流方向を臨む。このあたりは大きく蛇行している。
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<リアス・ブルーライン> 2009/04/19 走行
宮城県石巻市JR渡波(わたのは)駅 ~国道398号~旧北上川・東内海橋+西内海橋~旧北上川・開北橋~県道33号石巻河北線~辻堂橋~県道30号河北桃生(ももう)線~新北上大橋東詰~国道398号線~雄勝町~リアスブルーライン~女川町~渡波駅
(全68キロ) |
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石巻市内から県道33号を北上すると、北上川(追波川)にいきあたる。この巨大な川は並行して用水路のような流れを伴っている。この「辻堂橋」もその一つにかかっている。羽ばたくカモメの像がユニークだ。背後の山の向こうに女川や牡鹿半島がある。
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「美しい北上川を未来まで」の看板。日本中の川は汚染され、破壊されつくした。北上川は土木工事があまりなされていない数少ない川の一つである。
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北上川河口方面を臨む。このとおり川幅が非常に広くなっている。
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途中の道路は川と平行に走っているが、このように古いタイプの水門が残っていた。主流と支流の合流地点である。
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水門のすぐ横に生えている見事な松。その大きさといい、バランスのよさといい、手入れのよい庭木のようだ。
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この橋は「新北上大橋」といい、北上川をまたいで志津川方面へ抜ける国道398号線である。左折してこの橋を渡らずに右折して雄勝のほうへ向かう。
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「ようこそ雄勝町へ」の看板。右にあるのが大きな硯の模型。北上川から離れると一転して登りの続く山地になる。釜谷峠に続く道がかつてあったが、現在はトンネルを通る。雄勝町は硯(すずり)の産地で有名だ。
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「ふるさと緑の道」の看板。この辺りはハイキングコースもある。看板にあるとおり、硯上山が釜谷峠の南にあり、周遊コースができている。
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リアス・ブルーラインの水は確かに澄んでいた。このとおり港周辺でも透明度が大変高い。その理由の一つに”過疎”があるのだが・・・
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「リアス」とはスペインの大西洋岸にある海岸の名前なのだが、似たようなぎざぎざの地形はここ三陸海岸に多く見受けられることからこんな名前がついた。
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道路から青い海が見え隠れする。ここは雄勝湾の内部。非常に奥が深い湾である。青い色もそれが原因かもしれない。
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雄勝湾出口付近。人工物が何も見当たらないのがよい。
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雄勝湾の出口がみえてきた。道路が高いところを通っているため、下の様子がよく見える。ここでは青というよりはインド洋の島々によく見られるコバルト色になっている。
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橋から真下を見下ろすと、小さな浜が見える。そして波の打ち寄せる様子や水深が沖になるにつれて深くなっているのがよく見える。高所恐怖症の人は欄干に立つこと禁止!
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いよいよ女川町に近づいた。ここは崎山展望公園。南方にのびる牡鹿半島が見える。
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女川港内。すっかりさびれ、漁船もわずかしかなく、魚市場はあの生臭いにおいがまるでしないで、清潔そのものだった。
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ウミネコだけは健在。夕方になると、一斉に飛び立ちどこかへ消えてゆく。
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ウミネコはカモメの仲間だ。歌では最もよく登場する鳥。
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<神割崎> 2009/05/10 走行
国道45号線北上川飯野川橋 ~一関街道(国道45号)~横山峠~折立交差点~国道398号~神割崎~国道398号(神割ロード)~新北上大橋~県道187号北上河北線~国道45号線北上川飯野川橋
(全65キロ) |
2029 |
出発点の北上川河畦。広い河原のみならず、水が豊かなために木立も大いに発達し、細い水路も各所に見かける。
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2028 |
北上大堰(せき)。飯野川橋から北方へ上流1.5キロ地点。
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2027 |
唯一の難関、横山峠。南三陸町(もとの志津川町)と登米市(もとの津山町)との境界である。
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2026 |
45号線を折立交差点から右折してしばらく行くと、公園がある。始めて見た人はちょっとびっくりする、モアイ像。公園のシンポルだ。
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2025 |
「モアイが渡ってきたまち!志津川町!」。このモア像の由来はチリ地震津波にあるという。チリ共和国との友好のシンボルだという。イースター島から17.000キロをわたってきた。
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2024 |
「志津川町案内図」とあるが、平成の大合併により、もう志津川町はない。北隣の歌津町と合併して「南三陸町」という。
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2023 |
志津川湾に浮かぶ椿島(つばきしま)。国指定天然記念物「椿島暖地性植物群落」に指定されている。この湾にはかつて壊滅的な(チリ地震)津波が押し寄せた。
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2022 |
「南三陸金華山国定公園;神割崎キャンプ場案内図」。神割崎をはじめとしてたくさんの岬があり、夏季にはキャンプ地に適している。
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2021 |
「名勝;神割崎」。駐車場から下に下りる口がある。
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2020 |
駐車場から下の岩に下りる階段。
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2019 |
村民の打ち上げられた鯨をめぐる村民の争いに業を煮やした神様が大岩を真っ二つに割ったという伝説がある神割崎。その間を通り抜ける太平洋からの荒波が圧巻。
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<泊崎半島> 2009/06/07 走行
宮城県南三陸町気仙沼線JR志津川(しずがわ)駅近く松原公園 ~国道45号~県道206号志津川・馬籠線~馬籠交差点~国道346号東行き~本吉町津谷交差点~登米沢交差点~国道45号線~田ノ浦交差点~県道225号泊崎半島線(尾崎神社)~菅の浜交差点~国道45号~県道221号清水浜・志津川線~松原公園
(全60キロ)
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2018 |
出発点となった、南三陸町JR志津川駅近くの松原公園脇。志津川湾に注ぐ八幡川河口の水門。
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2031 |
水門の向こう側の志津川湾を臨む。かつてはここはチリ地震津波によって大被害を受けたところ。
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1883 |
松原公園は、やたらに記念碑や銅像が多い。そしてこの懐かしい蒸気機関車も展示されている。
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1901 |
「歌津町まで2.3キロ・志津川町まで7.7キロ」の標識。市内にある松原公園から県道206号志津川・馬籠線を一路北上。合併前の歌津町と志津川町の境界は峠になっている。
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1900 |
車の通行はほとんどない、快適なS字カーブが続く。昨日の雨で、道路は一面水が流れている。
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1899 |
さらに北上すると第2の峠があり、現・南三陸町と北にある本吉町との境界である。南方向を撮影。
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1898 |
同地点で、北方向を撮影。道路幅と、滑らかな舗装はサイクリングにぴったり。
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1897 |
「馬籠地域案内図」の看板。低い山地にかつての集落が点在する。県道は本吉町内で国道346号線に合流する。右折すると、すぐに海だ。
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1886 |
「歌津観光案内」。本吉町から南三陸町JR歌津駅方向へは国道45号線はなるべく通らず、かつてのくねくねして細い漁師町の通りを進む。起伏が大きいが太平洋の眺めが素晴らしい。
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1891 |
いくつかの海水浴場を通過して南下すると、泊崎半島に入る。半島部はなだらかで、南に突き出た先端に尾崎神社がある。
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1893 |
もう訪れる人々もまばらな過疎地になってしまったが、狛犬は相変わらず元気に神社を守っているようだ。
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1892 |
尾崎神社は小さいながら鐘をはじめ、きちんと整備されている。
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1885 |
神社の南側がこの半島の南端部。地図上では「歌津崎」となっているが、この通り「名勝;尾崎」と書いてある。
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1884 |
清水浜・志津川線ぞいには漁港が点在し、ウミネコも多い。
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1896 |
ところどころに形のよい岩も見受けられる。
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1882 |
荒島。本土と橋でつながっている。神社の鳥居が見える。松原公園まで、もう数キロだ。
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<鳴瀬川上流へ> 2009/05/24 第1回試行 ~海に向かって右岸 ~海に向かって左岸
国道45号線鳴瀬大橋(東松島市内)~小野橋(歩行者専用)~東松島大橋~鳴瀬奥松島大橋~木間塚大橋~感恩橋~野田橋~志田橋(大崎市内)
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1878 |
上流に向かって。国道45号線の鳴瀬大橋の真ん中に、この道に降りる出口がある。というのもこの道を境に左側は”吉田川”そして右側は”鳴瀬川”としてしばらく並行して流れているからだ。
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1789 |
左岸より対岸を望む。河口近くは緑が濃く、画家にとっては恰好の素材だ。
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1790 |
モネにきてもらって描いたら、さぞいい作品ができるのではないか。
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1792 |
立ち木が間隔を置いて植えられ、その間の草原はよく刈り取られてピクニックには最適である。
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1605 |
これは左岸の土手の内側であるが、細い道がところどころに伸びていて、歩いても自転車でも散歩を楽しむことができる。
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1877 |
河口から上流へ5キロほど向かうと、やがて吉田川は左側にカーブし、写真の鳴瀬川は北上を続け、二つの川は分かれていく。
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1876 |
この見事な彫刻は木間塚大橋の欄干上にある。ほかにもいくつかが飾られているが、こんな素晴らしい作品があることに通行車はもちろん、通行者も関心がないことは情けない。この橋を設計した人は誰だろう?
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1875 |
のどかな田園地帯を流れる川の土手には、このように自転車や歩行者には実に気持ちのよい眺めと風を提供してくれる。こちらは左岸。
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1815 |
かつての土塀や古風な農家のつくりが所々に残っている。
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1814 |
見捨てられた竜宮城のようなお宮。感恩橋のすぐ横にあるが、訪れる人もなく、夏草に覆われようとしている。
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1813 |
野田橋の上に立つと上流方向に、トム・ソーヤーが冒険をしたくなるような”島”がみえるのだ。
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1812 |
鳴瀬川中流堰がみえてきた。もうすでに県の中央部に達した。
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1811 |
この説明図のように、灌漑、治水のほか、魚道などの工夫も見られる。
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<鳴瀬川上流へ> 2009/08/02 第2回試行 ~海に向かって右岸 ~海に向かって左岸
国道346号新涌谷大橋~江合川~分岐点~新江合川~鳴瀬川志田橋~国道45号・鳴瀬大橋
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1801 |
江合川右岸を下流方面から上流方面に向かって撮影。上流には新幹線がまたぎさらにその西には鳴子峡がある。左のほうへへこんだところは新江合川といって、人工の川と土手が続いており、鳴瀬川と合流する。
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1800 |
上と同じ地点より左へ伸びる新江合川の土手を臨む。
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<五角形一周コース> 2009/10/01 走行
鳴瀬川河口→石巻松島自転車道(南半分)→石巻松島自転車道(北半分)→旧北上川沿い→江合川沿い→新江合川沿い→鳴瀬川沿い→鳴瀬川河口 (全100キロ)
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1606 |
これまですでに走った部分に、旧北上川沿いを加えると、五角形の周遊コースとなる。大部分が河川管理用道路なので、自転車の走行には最適。JR石巻線「佳景駅」から旧北上川右岸を西に向けて走行中。対岸のポプラ並木が美しい。 |
1607 |
神取橋鉄橋。ここは旧北上川と江合川との合流点の下流部分にかかっているので、Y字の上の部分(涌谷ワクヤ町)とは川で隔てられていて、5キロぐらい上流まで行かないと行き来ができない。 |
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合流点。手前が江合川、左手奥のほうが旧北上川。すぐ西側にJR気仙沼線の鉄橋があり、南には和渕駅がある。 |
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この合流点は公園になっている。「和渕水辺の楽校」という。
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<阿武隈川上流へ> 2009/08/20 ~海に向かって右岸 ~海に向かって左岸
仙台市内~仙台亘理自転車道路~阿武隈川河口~枝野橋~丸森橋~阿武隈ライン~兜(カブト)橋~国道349号・河川管理道路~大正橋~文知習橋~JR福島駅(全130キロ)
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阿武隈川河口にある「サイクリングコース案内板」。阿武隈川河口からサイクリングコースが始まる。特に左岸は、宮城県北部からつながっている、一連の運河の南の終点でもある。右岸は堤防であるが、その上にも快適な自転車の走れる道路が南にある「鳥の海」へと連続している。
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サイクリングロードには、東屋(アズマヤ)も設けられている。左岸より、阿武隈山地方面を臨む
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左岸のサイクリングロードをさかのぼる。土手沿いに設けられている。広大な河原と、農村風景の両方が見渡せる。
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左岸から河口方面を臨む。釣り人が多い。ウィンドサーフィンをする人もたまに見かける。
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「仙台亘理自転車道路案内図」の看板。仙台市内から続く、貞山堀(テイザンボリ)とほぼ平行に作られた自転車道。阿武隈川の河口まで続き、川のサイクリングロードと連結する。
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県中央部の角田市を通過。川沿いはその水の豊富さを生かして一面の梨畑である。
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阿武隈川は239キロという、東北で北上川につぐ長さの川で、幅も広く大きく蛇行している。
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宮城県から福島県の県境に近づくと、山が迫ってくる。角田市から丸森町周辺。
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山間部にはいると、道もカーブが多くなり、ところどころに古いお宮が残っていたりする。
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かつては旅人がのどの渇きをいやすのに立ち寄ったことだろう。
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1780 |
それまでの仙台平野の雄大な光景とは異なり、まわりに山が迫り、川くだりの船(阿武隈ライン)も運航されている。
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左岸は国道349号で車の通行量は結構あるが、右岸は林道で、アップダウンがあってカーブも多いが、自然の静けさを満喫できる。県境をすぎ、山間部を出ると福島盆地だ。
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<盛岡市へ> 2009/10/21
仙台市内~国道4号線~JR盛岡駅(全190キロ)
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一関市内を流れる、磐井川。うっそうと樹木が生い茂り、堤防も何もない自然の姿の川。ひたすら国道4号線を走るが、4車線のバイパスあり、工事中あり、田舎道と大差ないところもありさまざまだが、路面の痛みがどこでもひどい。 |
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岩手県に入って、しばしば軽い雨が降り、全天にまたがる虹が出現する。 |
1668 |
盛岡市に近づいた。藤沢高田稲荷神社で一休み。国道4号はダンプの往来が激しく路側帯は狭く、歩道はでこぼこで、行政の貧しさを痛感させる。 |
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盛岡の象徴である岩手山は西からの雨雲のせいで、ほんのわずかしか見えない。 |