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:(6)気仙沼 ⇔ 宮古(東北篇)

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トライアスロン用自転車

コース一覧(青文字は自動車通行禁止区間)
<第6レッグ;気仙沼→宮古>2010/04/26 全走行距離166キロ午前7時15分出発、午後4時到着

気仙沼市魚市場前→国道45号線→陸前高田市・大船渡市・釜石市大槌町・山田町→県道41号重茂(オモエ)半島線→津軽石→国道45号線→JR宮古駅

《追加その1》 2016/04/23 全走行距離100キロ 午前10時30分出発、午後5時到着

陸前高田市「市民の森」→県道38号大船渡広田陸前高田線(広田半島)→県道9号大船渡(オオフナト)綾里(リョウリ)三陸線→大船渡市越喜来(オキライ)→国道45号線→陸前高田市「市民の森」

 《追加その2》 2016/11/13 全走行距離80キロ 午前8時30分出発、午後3時30分到着

宮古市「道の駅みやこ」→国道45号→(南下)→岩手県下閉伊郡山田町→県道41号重茂(オモエ)半島線→(北上)→姉吉バス停→キャンプ場→(灯台まで徒歩)→キャンプ場→姉吉バス停→県道41号重茂(オモエ)半島→(北上)→宮古市津軽石→(北上)→国道45号線→宮古市「道の駅みやこ」

 《追加その3》 2017/08/24 全走行距離16キロ 午前11時出発 午後1時帰着

宮城県気仙沼市唐桑半島海中公園巨釜(オガマ)→半造(ハンゾウ)→県道26号線→南下→御崎(ミサキ)観光港→御崎神社→北上→巨釜(オガマ)駐車場

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国道45号線はリアス式海岸に沿っているため、カーブと起伏が多い。そのため三陸自動車道が建設されているが、虫食い状に開通しているので、既存道路の混雑は解消されていない。「五葉神社」(大船渡市立根町(タッコンチョウ))にて

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45号線に並行して走るのが大船渡市を境にして、南が「JR大船渡線」、北が釜石までの「三陸鉄道南リアス線」である。特に後者は建設時期が比較的新しく、険しい地形の中にトンネルの出口部分が見え隠れする。釜石から宮古までは、さらにJR山田線が続く。利用者にとっては不便な連絡である。

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山田町から分岐するのが、重茂(オモエ)半島を一周して宮古に至る県道(36.5キロ)。想像を絶する起伏のはげしさ。写真は本州最東端のキャンプ場。さらに下り海岸沿いにあるのが「トドヶ崎灯台」が本州最東端の地である。ただし、灯台まではいっていない。(トドはフォントにない漢字:魚偏に、旁は”毛”)
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宮古の駅は南に向かうJR山田線と北へ向かう三陸鉄道が別の建物になっている。
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 (追加その1)下って、2016年4月23日。通り残した半島部として、県道38号大船渡広田陸前高田線(広田半島)と県道9号大船渡(オオフナト)綾里(リョウリ)三陸線があった。リアス式海岸をまじめに回っていると、キリがないが、これらの道路は、大変眺めがよい。写真は出発点とした、「箱根山・市民の森」駐車場の上にある「杉の家はこね」。
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 38号の終わりは、大船渡湾。2011年の大震災の後もだいぶ片付いた。至る所に巨大な防潮堤が建設されている。ただいたるところが道路工事中でやたら回り道をした。また、入り組んだ湾沿いの道は、高低差が非常に大きくアップダウンの繰り返し。
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 北上して、帰りは45号線を南下してきた。上の写真の「五葉神社」も健在だった。市民の森の入り口はチューリップが満開だ。ただし「杉の家はこね」までは、とんでもない急坂が2キロほど続く。
(追加その2)下って、2016年11月13日。通り残した半島部としてではなく、自転車の走行不可能な自然歩道の先にあったために、2010年には行けなかった灯台に向かった。これで本州最東西南北端4か所すべてに行ったことになる。
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 宮古市の港に面したところに道の駅「みやこ」がある。広々とした駐車場は、2011年の津波のときは、すべて水に覆われたが、今では復旧しきれいに舗装され、隣接する岸壁にはイカ釣り漁船が多数停泊している。車中泊をした夜は、たまたまハーフマラソン大会だったために、午前3時ごろから車の出入りが激しかった。
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 まずは国道45号線を南下する。歩道は非常にゆとりをもって作られており、車線の幅よりわずかに狭いだけだ。しかも歩行者がほとんどいないので、安心して自転車に乗れる。
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 20キロ弱で、45号線と、県道41号線との分岐点に到達。ここから半島の海岸沿いに北上する。ここから先は急な登りと下りの繰り返しが7回ほどある。重茂半島は三陸海岸で最大の半島だ。
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 2010年のときは、気仙沼市から出発しているから、当然この半島のアップダウンはこたえた。今回はわずか80キロなので、たいしたことはない。登りと登りの合間にはのんびりした港が広がる。
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 てっぺんに松の木の生えた小さな岩。人が上陸して手入れをしていた。きっと神聖な岩なのだろう。
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 この地域も津波の被害はひどかったが、大部分はきれいに整備された。それでも、この一角には手つかずのガードレールやら、割れたコンクリートの塊が散乱している。
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 その一角の向こうには、かすんだ山々が、そして漁業施設がうっすらと浮かんでいる。ここは半島の南側、山田湾だ。
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 ひとたび山間部に入ると、紅葉のシーズンはまだ終わっていない。赤と黄色の交響曲だ。
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 ここの立て札には「魚つき保安林」との表示がある。ここは「寺地越国有林」の一角。
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 41号線を10キロほど行ってこの黄色い立て札に遭遇。「注意:これより5.1キロ区間カーブあり」とあるのだが、とっくに手前からカーブは始まっていた。カーブと急な登りの見事な組み合わせだ。
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 それでもひなびた集落の前を通りかかると、道路沿いに立派な岩が並べられ、季節の花が咲いている。
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 津波の被害から再建されたものだろうか。石垣の上のほうに「石浜神社」がある。
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 なぜかなかなか現れないのが、分岐点。ここは「姉吉バス停」前で、ここから下の小さな港まで急な坂が続いている。
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 坂を下ると海と港が見える。また、キャンプ場もできている。これらは震災前にもあったが、すっかりきれいに作り直されていた。上の写真1679番を撮った場所だ。左の矢印の書いてある看板には「トドが埼灯台いりぐち」とある。この小さな港はコンクリートの堤防が完備し、漁船を昇降するためのクレーンも備えられている。
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 港の左側には、自然歩道の入り口があった。灯台まで3.8キロとある。ものすごいアップダウンが予想されるだけでなく、クマが出ると書いてある。近くにいたハイカーの人は、忘れずにクマよけの鈴をつけていた。しかも左の立て札には、「バイクと自転車は進入禁止」とわざわざ書いてあるところを見ると、構わず侵入する人が少なからずいるようだ。
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 右下に港を見下ろすぐらいまで登ったところでこの立て札。「津波浸水地点 自然歩道ここまで 2011.3.11」とある。すごい高さだ。重茂半島周辺で40.5メートルとあるのはここのことか?
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 約50分。自転車から徒歩に変えて歩くと、違った筋肉を使うので、最初のうちはいいのだが…ついに灯台の前に到着。
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 ついに来た、「本州最東端の碑」。他の岬とは違い、大岩が岩浜海岸の一角にゴロンとおいてあるだけなのが珍しい。
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 ここまでがかなりハードなハイキングになるので、訪れる人は日曜日なのにわずかしかいない。だが、灯台の北側には、こんなきれいなリアスがあった。この先の歩道は「災害のため通行止め」となっていた。
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 自転車のおいてある歩道入り口に戻ってみてびっくり。ビニール袋に入れてあったパンとチョコレートが奪われ、袋は引きちぎれている。サルではなく、たぶんトンビのような大型の鳥がやったのだろう。というのもコーヒーの入ったコップが手付かずだったから。
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 姉吉バス停に戻るとあとは比較的楽だ。急な登りはなくなり、長い下りを行くと、深く入り込んだ宮古湾に出る。湾沿いに行くと、45号線との合流点に達した。
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 防潮堤の工事。クレーンの大きさから、この堤防の大きさがわかる。宮古湾沿いにこれをつなげるのだろう。防潮堤は、台風や低気圧による高潮の被害を食い止めるためならこんな高さにする必要はない。これは防津波堤なのだ。これから先、人類が存在する間に来るかどうかわからない津波に備えたものなのだ。先見の明がありすぎる!1万年後にもこのコンクリートが朽ちずに残っているといいのだが…
 (追加その3)往復わずか16キロであるが、かねてから予報されていた午後からの雨が、忠実に降り始めたからである。唐桑半島はかつては唐桑町であったが、現在は気仙沼市の一部であり、国道45号線からの県道26号線分岐によって入るのが一番早い。
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 唐桑半島は小さいのだが、丘が連なっており、リアス式海岸にその崖が落ち込んでいる。そのため岩手県中部にあるようなスケールの大きさはないものの、変化に富んだ風景を見せてくれる。半島東海岸の付け根近くにあるのが最も有名な、巨釜(オガマ)、半造(ハンゾウ)の二つの小半島である。まずは巨釜の付け根にある駐車場に行ってみる。突端までは遊歩道が整備され、階段が多いので、自転車では行けない。駐車場には旅館と柳田国男の文学碑がある。
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 突端に向かう遊歩道。真ん中に行きと帰りを分ける柵が作られているということは、観光客の数が結構多い(多かった?)ことを示している。
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 ここが巨釜の突端。先のとんがった棒のようなものが「折石(オレイシ)」である。高さ16メートル、幅3メートルある大理石。明治三陸地震(1896)のときに先端が2メートルほど折れたためにこの名がついた。この辺りは頻繁に地震や津波があるのだ。
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 折石から右、つまり南の方向を見るとこちらも大理石で、平べったい島が見える。
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 深く入り組んだ入り江が折石の北側にある。
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 巨釜からわずか数百メートル南に半造がある。遊歩道があったのだが、2017年現在「がけ崩れのため通行できません」の札がかかったままだ。しかも人が通らないために、間もなく道が草や木で覆われるだろう。こちらは切り立っておらず、低い岩が並ぶ。
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 かつて松の木がうっそうと生えていたのだが、松くい虫の被害が広がり、巨大な木はことごとく伐採されてしまった。若木が植林されているが、見ごたえの大きさになるには20年はかかるだろう。
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 「トド岩」。アシカ科のトドがここでよく昼寝をしていたということから。
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 この低い岩の連なりは、小さな穴が無数に開いており互いに連絡している。これは「東風穴(コチアナ)」と呼ばれる。この地下の空洞に波が打ち寄せると、風圧で異様な音を立て、地表の穴から汐風が吹き出す。残念ながらこの日は海は静穏であった。
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 ここから県道26号線を南下して半島の先端に向かう。短い距離ながらアップダウンはかなりきつい。岸壁と防波堤だけの「御崎観光港」にやってきた。この黄色い灯台だけが目立つ。
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 漁港としては小さな漁船が数隻あるだけ。
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 半島の先端は丘になっており、そこに「御崎神社」がたつ。バスの終点でもある。
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 神社の本殿。森の裏側には国民宿舎と、津波体験センター、潜水センターがある。
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 ここの狛犬は結構古いと見た。それとも潮風のせいなのか、表面がボロボロになっている。この後、帰途についたが、たちまち空が予報通り曇ってきて、巨釜の駐車場についてすぐ、”正確に”大雨が降り始めた!

通り残した半島部;なし

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© 西田茂博 NISHIDA shigehiro

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