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:(15)温海 ⇔ 新潟(東北篇)

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トライアスロン用自転車

<第15レッグ;あつみ温泉→新潟市>2010/11/22 全走行距離122キロ 午前7時出発、午後1時30分到着

道の駅「あつみ」(山形県鶴岡市)→国道7号線→(県境:鼠ヶ関)→国道345号線→村上市内→国道345号線→国道113号線→新潟東港工業団地内→国道113号線→JR新潟駅

《追加その1》 2017/03/23 再訪ルート

道の駅「笹川流れ」(新潟県村上市)→国道7号線(県境:鼠ヶ関)→山形県鶴岡市:JR三瀬駅(羽越本線)  全走行距離57キロ 午前11時発、午後2時30分到着

《追加その2》 2017/09/14-15 佐渡ヶ島 < 島めぐり

1日目 両津港(新潟県佐渡市)→国道350号線→佐和田→国道350号線→小木→県道45号線(一周道路南回り)→両津港 全走行距離100キロ 午前10時発、午後4時帰着

2日目 両津港(新潟県佐渡市)→国道350号線→佐和田→相川→県道45号線(一周道路北回り)→両津港 全走行距離100キロ 午前8時発、午後2時帰着

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あつみ温泉から、少し南下すると、すぐに鼠ヶ関(念珠ヶ関)に至る。この石碑には「内務省」と刻んであるから明治時代の比較的新しいものだ。これで東北地方を出た。いよいよ新潟県へ入る。
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義経が奥州を旅したときに、ここを通ったことから、「勧進帳本家」とあるように、歌舞伎の題材にもなった。
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これは国道7号線のすぐ横にある、旧トンネル。古びているが、かつてはこちらが重要な通路だったのだ。
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旧道を行くと必ず行き当たるのが、お地蔵様。
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いよいよ内陸へ進む国道7号線と分岐して、国道345号線にはいる。前方の大岩が門柱のように聳え立っている。
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いわゆる”笹川流れ”の岩石群。カーブは多いが、意外に高低差がなくアップヒルの苦しみはほとんどなし。「松島は美麗ありて此の奇抜なし、男鹿もこの奇抜ありて此の美麗なし」と、松島と男鹿をけなし、笹川を褒め称えているのは頼山陽の子、頼山樹三郎である。

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村上市に入ると、はるか内陸にひろがる越後山脈の白い山々である。もはやここは東北地方ではないことを知らされる。

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沖合いには粟島がある。そこへ通うフェリー。この島の1周もしてみたい。
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もう越後平野に入ったから、険しい岩浜海岸は見当たらない。どこまでもまっすぐ続く砂浜だ。後方には笹川流れの山地が見える。
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胎内市では広大な松林の公園があり、この通り、松ノ木は冬の烈風のせいでみんな内陸のほうへ曲がってしまっている。
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いよいよ新潟市に入り、新潟東港の工業団地を通りかかる。このようにロシア語の看板も見かける。でもロシアは中古車の輸入を制限したので、それまで盛んだった取引もすっかり影を潜めてしまい、この敷地も更地である。
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それでも外国人の海員が大勢仕事をしているらしく、「レストラン・ナイル」などという食堂が異国情緒をかもし出している。「蓮野」インター近くで。

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「ないものはない」と、大胆な看板。食料品店のようだ。新潟市街地で。
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信濃川にかかる「柳都橋」。新潟市は別名、「柳都」というそうだ。このように上流方向を見ると、左手の駅周辺にかなり高層ビルが立ち並び、川沿いには多くのマンションが建っている。

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(追加その1)下って、2017年3月23日。2010年11月には、南下したのだが、今回は、新潟県湯沢でのスキーの帰りに寄ったので、北上ということになる。日本海沿岸は北上するなら道路の左側が海だから、眺めは抜群に良い。

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 国道345号線にある道の駅「笹川流れ」。JR桑川駅と併設されている。この名の通り、ここから先は大きな岩石がごろごろして、なかなか雄大な風景である。ただしリアス式海岸ではないので、道路の高低差はほとんどない。あとは、「夕日」が有名で、左側の茶色の立て看板には「ロマンチック海道三四五」とあり、右のガラス張りの建物は「夕日会館と呼ばれている。折しも4月2日は「笹川流れマラソン大会」だと、歩道橋の上に垂れ幕がかかっている。
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 西方にかなり大きく「粟島」が見える。佐渡ヶ島はもっと南にあるので見えない。
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 わずかな距離で、新潟県と山形県との県境に近づく。「笹川流れ」は2010年のときに見たから十分。鼠ヶ関を越えると、山形県の一連の温泉地の一つ、温海(アツミ)温泉が見えてくる。自転車のハンドルの上に見えるのが、巨大な「コケシ塔」。温泉入り口のシンボルマークだ。
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 温泉よりも、気をとられてしまうのは、この道路わきに立つ立派な豚の像。
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 半島のように突き出たところには、ところどころ神社やお宮がたつ。ここは「釜屋坂(カマヤザカ)」。”磯の香りと夕映えの地”である。
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 中には、大岩がコンクリートの防波堤に取り巻かれてしまい、お宮だけが取り残された例もある。それでもちゃんと参拝用の階段がとり付けられている。
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 このプリンのような岩が、笹川流れの中で、最後の見ごたえのある岩になる。ここから秋田のほうは、岩は少なくなり、砂浜海岸が主体となる。
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 2010年のときに入った海岸沿いの日帰り温泉。確か「海底温泉」という名前だったか。すっかり廃墟となってしまった。
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 マッターホルンのような岩。
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 周りに危険な暗礁があるので、その上に小型灯台を取り付けた。
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 三瀬海岸にたどり着く。ごく小さな湾だが、ここは夏は有名な海水浴場のうちの一つ。背後には民宿やホテルが立ち並んでいるが、大きなホテルはほとんど閉鎖されている。
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 三瀬海岸の大岩の間に立つ、「夕日地蔵神」
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 三瀬駅からは、道の駅「笹川流れ」に戻るために列車に乗り込む。羽越本線の村上行き普通列車で約1時間。760円。2両編成で、乗客は5人くらい。
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 特急「いなほ」も走っている。こちらは8割ぐらいの乗客で埋まっている。
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佐 渡 島 < 島めぐり

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 (追加その2)下って、2017年9月14-15日。佐渡ヶ島は初めてだ。高校のときに修学旅行の目的地だったのだが、参加しなかった。今回、実際に訪れてみて、世界遺産に登録運動を行っている一方、海岸美は一見の価値があることがわかった。

対岸の「笹川流れ」よりずっとスケールも大きく、変化に富んでいる。それにしても真ん中がくびれた形をしており、人口の大部分はそこに集中しているのだが、いったん“両翼”の部分に行ってみると、山地は手つかずの自然が広がり、島内一周道路(県道45号線)は車の通行量も少なく、ひなびた漁村風景や岩浜や砂浜の変化に富んだ海岸風景を楽しむことができる。

上はGPSによる今回の経路図で、周囲の距離は269.5キロあり、上越新幹線の大宮から新潟の距離と同じだ。これを二日がかりで回ろうというのである。途中5,6人のサイクリストに出会った。人気のあるコースらしい。佐渡国際トライアスロン大会のコースになっているところもある。

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 新潟港より佐渡汽船フェリーに乗り込む。乗客料金は2500円ほどだが、自転車を積むとプラス1000円になる。高速船なら1時間だが、フェリーは2時間半。午前6時に出航して8時半に到着。カモメが飛ぶ。彼らは船と同じ速度と方向で飛ぶ。船内は夏休みが終わったので、7割ぐらいの乗客で、2等船室ではのんびり横になって眠れるのがよい。
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 平穏無事な航海の後、進行方向に両津港が見えてきた。この港は“両翼”に挟まれた湾の奥にある。
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 両津港フェリーターミナル到着。たった一隻のヨットが係留されている。ここから島の括(クビ)れた部分を南西に延びる国道350号線を進む。人口がこの辺りに密集しているので、交通量はたいへん多い。しかも道路は狭く、路側帯がほとんどないので、時々ダンプトラックの追い越しに危険を感じる。ただし向こう側の海岸までは15キロほど。
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 向こう側の海岸は「佐和田」という。こちらも大きな湾になっている。第1日目では、ここから先は海岸沿いに南に下り、「小木(オギ)」に向かうのだが、交通量は激減するので、快適な走行が楽しめる。しかしそれまでの平野部から、次第に険しい岩浜海岸になっていく。
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 佐渡は、昔から流刑の地として有名だが、あちこちにこのような石碑、石灯籠、石標などが残っている。この石標は右側が「南無妙法蓮華経」右側にひらがなで「これよりあふつみち」とある。
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 小木到着。ここにも佐渡汽船のフェリーターミナルがあり、直江津とつながっている。険しかった山道はここまでで、これから先、両津港まで比較的なだらかな道が始まった。
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 佐渡ヶ島の中は、「駐在所」が完備している。至る所にある。上の写真の右側にある赤い看板がそれだ。それにしても「佐渡するめ500円」とは?他の場所の看板では「違反スルメー」というのもあった。
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 海岸の岩に建てられた「石灯籠(イシドウロウ)」?全島いたるところで見られる。
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 こちらはやや大型のもの。ちょっとした「お宮」である。
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 道路際から門があって、白いコンクリートの道がつづら折りになって丘の上に登っていく。なんとなく行ってみたい気になる。上にはひっそりと小さな神社があった。
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 佐渡ヶ島に多く見られる、北陸風板張りの家屋。これは集会所か旅館で、かなり規模が大きい。
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 さらに、この島に典型的な家屋を集めた”街並み”が出現した。看板に「これより松ヶ崎地区 屋号の里」とある。それぞれの家が、職業などに基づいて〇や△など独特の“屋号”を持っているのだそうだ。
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南半分では、松ヶ崎を過ぎると 一周道路は次第に狭くなり、ついにはほとんど素掘りのトンネルが出現した。
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 この海岸には奇岩、巨岩が多いが、これも普通の大岩だろうと思っていたが、よく見ると、この岩の壁に赤い筋がちらちらと見える。
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 その岩のそばを通る、道路わきには「風嶋辨財天(ベンザイテン)」という平凡な神社があった。
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 ところがその奥に赤い手すりの階段が…この手すりが遠くから赤い筋に見えたのだった。
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 階段は岩の壁に沿って急な登りになっており、たちまちこんなに見晴らしの良いところに出てしまった。
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 そして頂上近くには、こんな”奥の院”があったのだ。さらに上に延びる道をたどると、松の木が地を這い、長い間人の行き来のないことがわかったが、大岩の頂上には「ケルン」のようなものが積まれてあった。ここは「姫崎」の手前で、両津港までは数キロのところである。
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 翌二日目、両津港から佐和田までは、前日と同じコースをたどる。昨日の南半分はこの海岸を左に折れたが、今日は右に折れる。正面に見えるテトラポットの左と右にそれぞれの“翼”の先端が見える。これから北の海岸を周遊する。こちらは南海岸より岩がごつごつしており、高低差もかなり大きく、両津港までの距離も長い。
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 プールのように浅い入り江に岩が頭を出しており、ちょっとした“石庭”である。
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 「めおと岩」。左側の△岩には穴が開いているので、”女岩”、右側の△岩には突起が見えるので”男岩”、ということになろう。かなり露骨な配置である。ここに観光バスのツアーが来ているのを見る。
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 この辺りから「尖閣湾」に入る。波で浸食を受けた岩が見える。レジャー施設があるらしい。
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 尖閣湾を過ぎた高台からは港が一望できる。右側の黒い瓦屋根の漁村、その左側の漁船置き場、そして堤防に守られた漁港のコントラストが美しい。ここは新潟県だけれども、石川県などの”北陸”的な風景が広がる。
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 この案内板の建っているところは、右端の岬「二つ亀」の15キロ手前にあたる。この辺りは”心臓破りの坂”というほどではないが、なかなか大変だった。
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 その岬に近づくと思いきや、とんでもない急坂が現れた。一気に高みに上り、今まで来た道を見下ろすとこの通り…まさに崖にへばりついた道だ。
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 そこから大きく回り込むと、その先にこんな”コブ”が現れた。「大野亀」だ。ごつごつしておらず、亀の甲羅のようだ。
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 道は「大野亀」の近くを通るが、このようにしてみると相当な大岩なのだ。バス停があり、観光バスは必ずここに立ち寄るのだろう。
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 このあと「二つ亀」をはるかに臨みながら、岬を回り込み、両津港を目指す。急に海岸線はなだらかになり、迫る山も低くなった。午後2時に到着できれば、港の銭湯に入れるかもしれない!

通り残した半島部:なし

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© 西田茂博 NISHIDA shigehiro

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