日本のアジア的問題

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定義の竹林

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アジアの一国で、東アジアの北の端に位置する日本は、その隣人たちと多くの共通点を持っている。歴史的にも人種的にも、日本の起源は彼らと関係が深い。20世紀のアジア全体に植民地化、西欧化、戦争のような急激な変化が襲っても、類似性は依然として残っている。

アジアを研究すると、3つの共通因子を見いだすことができよう。つまり農業、名目だけの民主主義、明確な単神教の不在である。これらの特徴によってアジアは他の地域と著しく異なっている。そうだ、日本はミニ米国とみなされることは多いけれども、どんなにアメリカ化がこの地で表面的にもてはやされても、アジアの一国であることを免れることはできない。

農業は、アジア全体を通じて基本的な構造であったし、今もなおそうである。日本、朝鮮、香港のように工業が盛んな場所でさえ、農業は文化形成の中心であった。たいていの地域で穀物が好まれ、肉食は避けられたり禁止されたこともあった。

その住民たちは草食動物の行動パターンを持っている。つまり攻撃性や主張が少なく、日和見主義的で、精力が不足することもある。植物を栽培することによって人々は一カ所に何世代にわたってとどまり、その結果自分たちの生活や社会に対して、より保守的な考え方をもつことが多かった。予想のつかない干ばつ、冷害、洪水などによって、人々は否応なく運命論者になった。このため、冒険、進取の気性、開拓者精神がアジアで発生することはなかった。

一方大多数のアジア人たちは、少なくともアメリカやヨーロッパの人間と比べれば、相対的に平和主義者である。ただし、このことがアジア人たちが本質的に平和を望んでいるという意味ではない。単に十分なカロリーを摂取できず、自分たちの農地は一年中世話を必要とし、遊牧民と比べると傭兵であれ徴兵であれ、軍隊組織を形成するのは困難なのである。ひとことで言えばアジア人には近代的な軍隊を作るにはエネルギーも資源も不足していたのである。

残念なことに、アジアには民主主義はほとんど存在しないといってよかった。というのも大都市がなかったからであり、そのためにさまざまな問題を論じ合う機会が少なかったからであり、また土地に縛られた農民たちはあまりの重労働のために政治や社会問題に目を向ける余裕がなかったという理由もあろう。

経済と政治は共に連携して進む。アジアの産業の近代化は、植民地政策のために大幅に遅れていたので、経済的な自由の重要性を認識した製造業者や小規模商工業者たちはきわめて少なかった。もしドイツのハンブルグのように、アジアにもギルド、または何らかのゆるい組織を持つ労働組合でもあったとしたら、事情は全く異なっていたことだろう。

孔子も孟子も共に古い封建的な忠誠心を重視したから、アジアの人々が平等や自由の思想を取り入れるのは困難であった。人々は自分たちの道徳規範の枠内で行動することとされていた。このことは考えを述べたり、自由な議論をする機会を大きく制限していたのである。

アジア人の生活でもっとも特異な点である宗教は、人々の生活に深い影響を及ぼしていた。アジアには単神教が非常に少ない。ヒンドゥー教やブラーマニズムは典型的な多神教であり、仏教でさえ一見単神教的でありながら、実は一種の無神論であって、必ずしも人間をブッダととの一対一の関係におくものではない。

これらの神々は絶対的な崇拝の対象ではなく、救われるための個人の努力を要求するものでもない。これにより、自分自身や社会への個人的な強い責任感が生ずることはなかったのかもしれない。

人々の行動の特徴は大変消極的で、ただ悪いことはしないというものであった。「汝の隣人を愛せ」というような神の命令を受けて育った西洋人とは、この点で対照的である。神の命令があると、社会に多くの積極的な行動が生まれる。例えば貧者を援助したり、病気の人のために献身的に世話をするなど。キリスト教はきわめて強烈な社会的影響を及ぼす。これに対しアジアの宗教はそのような傾向はない。

また、道徳的規範は社会的強制かまたは、個人の内面によって決定される。アジアでは伝統的に後者より前者に重点がおかれた。多くのアジアの都市では、「ここは禁煙」「唾を吐くな」「ゴミを散らかすな」など、あれをするなこれをするなと書いた掲示がある。まるでこのような指示がなければ人々はまともに行動できないみたいではないか!

これはまた子供たちを育てる際の過保護的な態度にも反映している。内なる心、言い換えると良心が非常に重要性を持つのは、現代世界のさまざまな悪と対決するときである。それなしには諸悪に対して曇りのない判断をすることはきわめて難しいこととなろうし、思想、流行、社会的な因習の強烈な流れに押し流されてしまう危険におちいる。

上記で述べたこれらの因子は日本にも存在するアジア的問題を理解する上では欠かせないものだ。そして次の3つの現象はアジア的問題の典型的なものである。

画一主義

いったん社会生活が不安定になり、不安が増大してくると画一主義が好まれるようになる。ドイツの場合、第1次世界大戦の後に大変なインフレと不景気がこの国を襲ったが、このストレスに満ちた状態の中で人々は社会的因習にすっかり身を任せることによって心の平和を求めようとし、最後にはナチズムに良心を明け渡した。エーリッヒ・フロムはこの歴史的悲劇を自著、「自由からの逃走」の中で描いている。

同様のことがアジアの国々にも当てはまる。何世紀もの間、人々は終わりのない自然災害や政治闘争に苦しんできた。独裁者たちは貧民を搾取し、その結果彼らを絶望的に無力な状態に追いやった。何年にもわたる独裁制によって、人々は追従的な地位に完全に甘んじるようになってしまった。あまりに貧しく無力で、気まぐれで容赦しない支配者に反抗することができなかったのである。最も典型的な例は制服の場合だ。兵隊はいうまでもなく学生は制服を常に着用することを義務づけられる。人々は自分の自由意志で着たいものを選ぶ機会を奪われている。

日本で国際的に最も悪名高い検閲制度といえば、教科書検定である。これもまた学生の歴史的な展望をひどく制限し、その結果、例えば南京虐殺について、同一な見解に統一され、それ以外の見解を持つことはなくなる。

産業労働者もアメリカの場合と比較すると非常に従順である。鎌田氏による、トヨタ自動車の厳しい労働状態を描いた「自動車絶望工場」によれば、日本人労働者はひたすら耐え、ストライキやサボタージュをしようとすることは滅多にない。これに対しアメリカの労働者たちは自分たちの不満をもっとあからさまに言い、ストライキはもちろんのこと、打ち壊しや突然やめたり唾を吐いたりする手段に訴える。

画一主義について最も重要な点は行政官、教師、上官のように、人々を従わせる立場にある人々が、下の者たちの能力や判断力を信用していないことだ。思うように行動させるなどもってのほかである。教育者たちはこの点では大いに責められるべきだ。彼らはいつだって学生が規則から逸脱することを恐れてばかりいる。

日本の中学、高等学校で、細かい部分に至るまで学校の規則があふれているのは、教師たちの過保護的な態度の現れである。教師たちが学生がいつなんどき、悪の餌食になりはしないかと心配している。また教師たちは学生たちが右よりであれ左よりであれ、政治的な見解を持つことも恐れている。日本社会はストライキを恐れているようで、これを防ぐ一番の方法は幼い頃にその芽を摘んでしまうことなのだろう。

道徳的日和見主義者たち

道徳的に規制力のある宗教がないために人々は「道徳的日和見主義者」になりやすい。キリスト教徒やイスラム教とは自分たちが常に神に見つめられていると信じ、アダムとイブによって始まった原罪のために、自分たちも罪深い存在だと思っている。彼らと違ってたいていのアジアの人々は、ある意味で現実主義者であり、道徳に対する社会的態度のめまぐるしい変化に驚くほど適応している。

このため彼らは二重の基準を持つことになる。政治的な場面で金を受け取るのと、私生活で正直な生活を送るのとはまったく別のこととなる。あるいは彼らが正しい行動をとっているのは、神がそうするように命じたのではなく、他人の面前でそういう行動をとらないことは恥ずべきことだからだ。このようなわけで、ほとんどすべてのアジアの国々では賄賂は当然のものとみなされ、社会が賄賂なしには、たちゆかない場合も多い。

このことは道路への空き缶の投げ捨ての場合にあてはまる。投げ捨ては重い罰金のような厳しい規則を押しつけることによってのみ防止できる。シンガポールは大変清潔で犯罪のない都市として知られ、ゴミやペットの糞を見つけることはほとんどない。厳しさで世界的に有名なリー・クワンユー首相が、都市の住民に死刑を含めて厳格な規則を守らせたのだ。

中国を旅行すると、多くのスローガンやポスターが掲げられ、まるで社会全体が政治的経済的目標に向かって突っ走っているかのようだ。だがこれは思い違いである。スローガンの存在自体が、人々がそれらを守りたがらず、それどころか実行に移すのはまっぴらということを証明している。

このようなことでわかるのは、アジアでは個人の内面的な意識と、社会が求めたり強制しているものとが、必ずしもうまく合致していないということである。このため道徳というものを絶対的普遍的なものでなく、定義や事情によって左右されるものと見なすようになるのだ。

民主主義は一つの理想であり、確固とした決意で追求されねばならないが、それにもかかわらず人々は追求する力がないということで放棄してしまう。一つにはこのためにアジアの民主主義国が軍人、独裁者、利益しか頭にない実業家たちによってたやすく支配されてしまうのである。

過保護な親たち

多くのアジアの国々は長い農業の伝統を持っているので、農民や百姓に特有な態度は子供たちを育てるときに大いに影響を及ぼす。繰り返すが、最も大きな問題は貧困である。百姓たちは年を取ってからのことがいつも不安の材料であり、当然のことながら子供たちをあてにするようになる。子供たちが多ければ多いほど、自分たちが面倒を見てもらえることが確実となる。そしてこれは、皮肉にも人口爆発を招き、貧困を加速させるのである。

人口過剰の問題のほかに、アジアでは「家族制度」の問題にも突き当たる。家族の中では相互依存の仕組みが常に守られている。特に中国人は強い家族の絆を望み、子供たちの数が減少するにつれて、子供に対する過保護的な態度を含めて数多くの問題が出てきている。

日本では、最近は朝鮮や香港も加わって、小家族の増加に伴って過保護な親が増加している。他のアジアの国々も遅かれ早かれ同じ道をたどることになろう。そのような親は自分たちの子供の幸福を考えるとき、人格形成や忍耐力の涵養というような長期的な見通しに立っておらず、大変近視眼的な対処のしかたをする・・・スーパーで子供がむずかればアメを与えるとか、子供の望むままに好きなテレビ番組を自由に見させたり、勝手にお菓子をつまむことを許すようなことである。列車やバスの中で親が子供のために座席に座らせるとき、親や本当に子供の健康を考えているのだろうか?

社会的場面の中でのしつけはずっと寛容になってしまっている。幼児の頃の自由が一生の中で最も大きく、大部分のアジアの国々での独裁制や封建制度のおかげで、自由は年を取るにつれて減少してゆく。

もう一つ当然と考えられているのが、成人に達したあとでも、大学の授業料、住宅費、職探し、そして結婚式の費用でさえ、親からの援助が受けられるということである。この点ではアジア人はアメリカ人とは対照的で、アメリカ人の場合は、できるだけ早い時期に親から独立しようとする。甘やかしには、アジア人の態度の中にある一種の運命論が現れてようだ。つまり、自分たちの社会は融通がきかず非民主主義的だから、援助を受ける以外に自分たちの目標を達成する手だてがないのだ、と。

日本は一見、民主主義と自由の国だが、実は江戸時代以来の封建社会の影響が根強く残っている。徳川家は、これほどまでに従属的な国民にてなづけてしまったのである。政治家や官僚を「お上」と呼ぶ日本人が少なからずいる。だから開拓者精神は存在しない。イギリス人と違い、この日本島民は海外へ出て行くことを好まない。日本人は一般に信じられているのとは逆に、全く海洋民族ではないのだ。もし国会議員になりたければ自分の父親か祖父が国会議員でなければならない。選挙制度は世襲なのだ!

これらの甘やかされた子供たちは、特に男の子だが、たいていは母親によって重大な影響を受けている。この子どもたちが甘やかされた人間を次々と再生産する。これらの甘やかされた者たちの妻が子孫の教育に大きな発言権を持つからだ。

今後の展望

これらはアジア人の生活にて観察される顕著な特徴である。共通の文化的背景に囲まれてはいるが、人々はアメリカ化の絶えざる影響力のもとにある。そして良かれ悪しかれ、彼らの社会の規範は次第に変化して行くだろうが、それは実にゆっくりとした過程である。

1986年7月初稿2001年2月改訂

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