現 代 三 悪

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竹林

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日毎に新しい機器が発明され、そのうちのあるものは我々の日常生活に大きな影響を及ぼしており、時には害を及ぼす場合もある。われわれは依然として、人類は進化の過程にあると信じているようだ。第1次、第2次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争の深く傷ついた体験や、60年代後半から70年代全般の若者たちの反乱があったにもかかわらずだ。

物質主義は相も変わらず、文化形成の主要な推進力となっており、それもほとんど西欧諸国だけに偏って集中している。20世紀初頭の多くの哲学者や小説家たちによる警告にも関わらず、いつまでたっても人々は金で買えるものすべてに最大の価値をおいている。

テレビ、ミニバイク(排気量50ccのバイク)、ファミコン(マイクロ・コンピューターによって表示されるゲーム)は、現代(日本)文明を象徴する主要な道具だ。これらはみな、高度な技術を使い、手で行う多くの作業がロボットに置き換えられている工場での大量生産による産物である。

また、産業社会によって支えられている現代文明の3つの要素をも代表している。つまり、大量に降り注ぐ情報、肉体的(または精神的)エネルギーをさほど必要としないようにすること、退屈の処理の3つである。

テレビ

Spring Flowers20世紀初頭にある科学者によって発明されて以来、テレビは我々の現代社会における個々の生活に大きな変化をもたらしてきたし、最初の段階では、大衆を教育するのに重要な役割を果たしていたが、今では白痴を生産し、暇をつぶすための道具になり果てている。(かつて大宅壮一と名乗る評論家がテレビが「総白痴化」を起こすと言ったのを覚えているだろうか?)

テレビの質的悪化の主要な原因は商業化にある。はじめの頃はほとんどのテレビ放送局が、政府ではないにしても非営利団体の手にあったが、現代ではほとんどすべてのテレビ局が営利を追求する企業によって運営されており、それらは大部分主要新聞の手に握られている。

マスメディアの集中と体制化はテレビを視聴率に対してきわめてもろいものとし、プロデューサーたちはみな不人気な番組を作ったためにクビになることを恐れている。

その結果はいつもよろしくないことばかりだ。番組づくりはもはや魅力的なものではなく、安っぽい娯楽を作る退屈な過程になっている。劇場用に比べて、テレビドラマは作るのにかける時間がはるかに少ないため、せいぜいよろめきドラマ、バラエティーショー、そして規制の緩い国ではセックスや暴力番組がのさばることになる。

たいていの人々がこのような状況にならされてしまい、朝起きるとすぐにテレビのスイッチを入れる習慣ができているのは驚くにあたらない。10ものチャンネルがあり、その中から選ぶ必要がある。無限の多様性を誇る書物と違い、テレビ番組はその種類や特徴に大きな制限がある。

にもかかわらず人々はたとえば夕方にテレビを見る以外に何もすることが見つからない。調査結果によればたいていの人々はただ時間つぶしをするためにテレビを見るのだ。もしテレビがなければ人々はもっと生産的で活動的なことをしようとするだろうか?人間は自分の置かれた状況に大いに左右されやすいから、もっと積極的な活動を行う可能性はある。

だがそれとは反対に、ビデオコーダーの発達のおかげで、特に地方では外出の頻度が減り、盛り場での映画館や他の娯楽施設の数が減ってしまった。残念なことに人々は自宅で自分のお気に入りのテレビ番組を録音したものを見たり、テレビゲームをするようになってきた。何でも自宅で済ませるようになって、これが「進歩」だといえるのか?

テレビはあらゆる視聴覚やコンピュータ機器と同じく、外出や野外活動、どこかを旅したときのわくわくするような楽しみを奪ってしまう。どんな宿屋やホテルでもテレビが見られるし、文明の中心部で作られたドラマを見て夜を過ごせる。ほかに何かもっと興味深いものがあってもテレビのスイッチをつけるように条件づけられてしまっているのだ。

Spring Flowersテレビというと老人ホームを連想させる。何もすることがないか何もする気が起こらない人にとっては、テレビはもっとも適した暇つぶしである。テレビはまた現実感を奪ってしまう。見ることに没頭していると時に自分が現実世界に暮らしていることを忘れてしまうことがある。それは画面に現れる光景があまりに美しく、あまりに現実的であまりに現世からかけ離れているためだろうか。現代人は視覚的想像の世界の中に暮らしているのだ。現実生活を犠牲にして。

この点からすると、たとえテレビを捨てても、この情報の雨が降る時代においてさえテレビなしで済ませることができる。ほとんどすべての情報はラジオや新聞から代わりに得ることができる(そしてもちろんインターネットを通じても!)。映画は劇場ではるかに大きなスクリーンと生々しい音響で楽しめる。

テレビ以外に何かすることが見つかりさえすれば、テレビなしに快適に生活を送れる。テレビを捨てても失うものは何もなく、かえって人間活動の新しい発展の可能性によってはるかに多くが得られるのだ。

ミニバイク

この製品は日常の用を足すのに、肉体エネルギーを使わないでおこうという現代の傾向を非常によく表している。いうまでもなく、自動車から洗濯機に至るまで、ほとんどすべての現代の発明品はこの傾向に肩入れしてきた。電気ハブラシや電気式楊子まで、好事家によって使用されている。

今のところ、肉体の苦労を減らそうというこの傾向の最終的な到達点が見えていない。進化の理論によれば、あまり使われない器官は小さくなり、最後には消滅してしまう。これは退化と呼ばれ、痕跡になってしまった鯨の足や、われわれにかつて付いていたシッポに見られるとおりである。

もし何でも機械的な発明品によって物事を済ませようというこの傾向が続くなら、道路を歩くための足を持たず、何かをつかむための腕もないピンポンボールのようになってしまうのではないか?どうもこれは避けがたいようだ。現代人はこの40年の間にもどんどん弱くなっているのだから。

激しい運動によって生じる疲労を和らげることだけが怠惰な現代人の目標だった。ある製品は人体の体温調節機能、食べたものを消化する能力、立ち上がってチャンネルを切り替える能力さえ奪うものもあるのだ。つまりエアコン、チキンナゲット(にわとりの肉を挽いたもの)、リモコンスイッチのことである。

ミニバイクは、きわめて最近日本で開発され、はじめは小さなガソリンエンジン付きの自転車に過ぎなかった。今では街区を移動するには欠かすことのできない乗り物となった。騒音やら排気ガスやらで、至る所に迷惑をまき散らしている。さらに悪いことには歩くということをすっかり止めさせてしまった。いったんバイクに乗ることに慣れてしまえば、たった100メートル歩くことも耐えられぬ強行軍に見えてしまう。

当分の間ガソリンの安さと大量生産によって、ますます多くのバイクが生産できるだろう。そしてたとえガソリンが尽きることになるとしても、バッテリー駆動のような代用品が現れることだろう。人類の未来は、少なくとも肉体構造の進化の面においては真っ暗である。

ファミコン

大発明はいつもヨーロッパ人やアメリカ人の手になるものだが、今回は日本人がおこなった。現代の日本の子供たちの大部分は何か創造的なことをする機会を奪われ、また絶えずストレスにされされており、文字通り死ぬほど退屈している。

塾に行っていつも勉強していなければならないし、遊ぶための十分な場所もないし、クラスメートのやり方に同調することを強制され、入学試験の暗い影につきまとわれている。気分転換になるような刺激が必要なのだ。このときに現れたのが彼らの鈍くなり疲労しきった脳を活性化させるこの新しい機器である。

目が疲れるとか、活動の時間が減り、睡眠も足りなくなるような有害な影響のことは別にすれば、このゲームは他の活動では得られない刺激を与えてくれる。つまり脳だけを刺激し、閉塞的な世界を作ってしまうことである。

これはスキナー博士の実験を思い出させる。これはネズミがレバーを押すように条件づけられ、その報酬としてコカインか他の刺激剤を注射されるのを待っているのである。ネズミたちはレバーを押しまくり、餌もとらないで最後には死んでしまう。動物園では欲求不満に陥ったチンパンジーがテレビを与えられ、これが彼らをなだめてくれる。このようなものはすべて社会的行動や意味のある行動から切り離されてしまっており、ただ孤独な行動があるのみである。

問題解決をしたいという内部からの欲求がある程度満足されない限り、多くの哺乳動物は、もちろん人間も含めて、何か刺激になるものを必死で求めるようになってしまう。ファミコンが非常に現代的な装いを持ちながらも子供はいうまでもなく大人たちの必要性を満たしているのは驚くにあたらない。

高度な技術を要求する仕事にますます多くの人が応じることができなくなると、高度に機械化された社会の中に新しい種類の「ジプシー」階級が生じることだろう。生活の糧が保証される限り、彼らの唯一の慰めはファミコンとなるはずだ。

結論を言えば、21世紀の暗い見通しはこれらの3つの道具から生じている。中性子爆弾でも環境汚染でもなく、これら3つが人類破滅の象徴になるかもしれない。そろそろ人類の将来における進化の運命の方向を変える時が来ているのではないだろうか?

初稿1986年8月
改訂200年5月

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