日本人学生の現状

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定義の竹林

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  首都圏のある予備校での合格祝賀会会場で

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「本当のことを言えば、幸運にも大学入学試験に合格した諸君を前にして、お祝いを申し上げる気持ちは少しもないのであります。

なぜだかわかりますか?今日この場に来れなかった人のことを考えてみましょうか。3秒間で、A君やBさんがどうしているか思いだしてみて下さい。不幸にもめざした大学に合格することができなかったか、高等教育を受けることをすっかりあきらめなければならなかったのです。

ですからちょっとだけ考えてみて下さい。自分がいかに自己中心的か気づくでしょう。まるで自分だけが悲惨な災害から救われたグループにいるかのような。この見地からすると、祝賀会なんてくたばれ!といいたい・・・が、やめておきます。

日本人学生は、入学試験をまるで生死にかかわることのように見なして、あまりに重視しすぎる。まるでもし試験に失敗すれば、全人生は崩壊するかのようだ。

人生にはもっと分かれ道がいっぱいあってもいいのでは?幸運にも「有名」大学に合格した学生諸君が将来の幸福をまだ約束されているわけではなく、ただ融通のきかない計画によって取り決められた人生のレールを敷いてもらっただけなのだ。

そしてここで問題になっているのは、死ぬまで(?)どこくらい生きられるかということだけなのだ。貧しい人生ではないか?たくさんの選択肢があるはずなのに。もし入学試験に失敗したら、他の人生の道に挑戦してみたらどうか?

より高い水準や高い大学に認めてもらうよう努力することができるかもしれない。大学院に進むことはどうだろう?どんな大学を卒業しようと、自分にあった職業を見つけることができるかもしれない。職業を変えるのに制限はない。自分の会社を設立して身を立てるのもいいでしょう。

学歴を重視しすぎる、この社会的な傾向を打破する推進力となって欲しいものです。留学するのもよい考えです。まったく違った種類の人生が待ち受けているかもしれません。

特に科学技術に興味のある学生には、海外青年協力隊があります。このような経験を生かせば、海外であれ国内であれ素晴らしいチャンスをつかむことがきっとできるはずです。

ほら、とてもたくさんの可能性があるでしょう。夢を持つことです。夢を持ってはじめて、真の意味で幸福になることができるのです。

たまたま入学試験に合格したからといって喜びすぎてはいけません。自由になったとき、あるいは自由の本当の意味がわかったときはじめて、喜んでほしいのです。

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日本人学生が不幸だと思うのは、彼らの可能性や自由意志が、伝統や社会的圧力や自己規制意識によってひどく縛られているからだ。

生まれてからずっと、彼らは集団規範に従順であることを余儀なくされている。小学校の生徒にさえ制服を着せることが計画されているくらいだ。このような状況を観察した多くの外国人も、学校を軍隊組織にしてしまっていると批判している。

しかしたいていの日本の若者たちは、指摘されている危険に気づいていないようだ。というのも仲間の間での社会的圧力があまりに強くて、仲間が承認しないようなことをあえて始めるのがこわくてできないのだ。集団の中に入って初めて蛮勇を奮うことができる。

この目に見えない圧力の存在そのものが、創造性や自主性をそぎ落としてしまっている。その上、作文やスピーチは学校の科目としては重視されていない。小グループでの討論はなきに等しいし、効果的で印象的なディベート、説得、発言の技術も訓練されることはない。

言語の運用能力や自己表現を促すことが基本的に欠けているために、日本の文化的政治的想像力が貧困になってしまっているのだ。

日本社会は秩序と従順さだけを要求しているように思われる。このことは「好奇心」という最も重要な人間性を刺激するような環境を与えてくれることは決してない。

たしかにアメリカに見られるように多様性や創造性を勧めることは時に混乱を招くことは確かだ。だが統計によれば日本人学生は学業成績において相対的に高い得点を示すのに対し、アメリカ人学生は最高と最低の両方を示すのである。

これが意味するのは社会規範に従っていては天才はほとんど生まれず、最も才能に恵まれた者たちは、多様な文化、多民族環境、自由な流動的社会が生み出すさまざまな刺激を自分のものとするのだろう。一方で従属者ばかりの社会は死んだも同然だ。

最も警戒しなければならないのは、このような権威主義的な教育制度で苦しんでいる学生自体が、その危険に気づいていないこと。さらに悪いことには、毎日の繰り返しの中で中途半端な満足感を持ってしまっていることだ。

彼らが洗脳されてしまっているといっても、過言ではない。彼らは制度を改革しようなどとは夢にも思わないし、ましてや25年以上前に学生たちがやろうとして挫折した革命など論外である。

世界的規模で高度に発達した工業国では保守的な学生が増えてはいるが、日本人学生がこの点では、最もどっぷり浸かっている。

もし彼らが現実に対して忌避的であるならば、21世紀の未来社会はどうなるのだろうか?目の前にあるものに対し立ち向かわなければならないが、それをしないと、人間全体としての生存は危ないのではないかと感じる。

1987年初稿 *** 2001年1月改訂

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