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第1章 日本語を知って英語を知る

  1. 世界の言語
  2. 外国語学習と母語
  3. 国文法と日本語文法の違い
  4. これからの日本語生活のために

世界の言語

どうして地球上にはこんなにたくさんの言語があるのでしょうか?どうして人は外国語を学ぶときにこんなに苦労しなければならないのでしょうか?最初の人類はきっと共通のはなしことば、「祖語」を持っていたに違いありません。ところが人口が増え、自分たちを養うために地球の表面にどんどん広がっていきました。大陸を越え、海を越え、広がっていきました。

なかには地質学的な大変動で完全にほかの人類とは隔絶された民族もいました。切り立った山脈に囲まれた谷間から出られなくなった部族もいます。 その後も人類は交通不便なために孤立した生活圏を長い間作ってきたため、「祖語」はいつの間にか変形し、単語の持つ音はもちろんのこと、文法の規則もすっかり違ってきてしまいました。 再びかつての同胞が出会ったとき、お互いにはもうコミュニケーションが成立しないほど、言語もそれに付随する文化も姿を変えていたのです。

このため、多様化した言語の違いは人類を「グローバリゼーション」とはまったく逆の方向に引っ張ってきました。しかし、「どんな言語の間も通訳・翻訳が不可能なことはない」といいます。高度な文学作品や詩やことばあそびは別にしても、人間が日常に使う言葉であればほぼ別の言語に置き換え可能です。ところが外国語を、特に日本人が西欧語を学ぼうとすると、単語も構造もあまりに違うことを知ってびっくりします。

それにもかかわらず、言語間には不思議なことに置き換え可能な部分がたくさんあるのです。だとすると外国語の得意な人とは、2ヶ国語間の違いや類似をきちんとおさえている人であり、一方は自分の母語でありながら、後になって学んだ第2言語との間を自由に行き来することができる人なのです。

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外国語学習と母語

バイリンガルとは、本来の意味からすると自分から望んでというよりは育った環境によってやむを得ず、2カ国語がまるで母語のように話すようになった人のことですが、それでもどちらかに比重がかかっています。そういう人は2カ国語間の類似・相違を生まれたときから無意識のうちに理解しているのです。しかしそういう環境に育つことのなかった一般の人は生まれ変わるわけにもいかず、改めて外国語を別の方法で学習しなければなりません。

日本での外国語教育を見ていますと、学習者は完全に(?)母語を理解しているという前提で授業が進められているのがわかります。中学高校での先生の生徒への第1の命令は「訳しなさい」です。訳すこと自体は学習者がその文の意味を理解しているかどうかを確かめる上で必要なので、一概にこれは有害だということはありませんが、問題ははたして学習者本人がきちんと母語の言語的特性を意識しつつ外国語と比較しているかということなのです。

もし母語に対する知識が何もなく、毎日の言語活動の延長で突然外国語を学ばされたとしたら頭が混乱するのは必至です。実際のところまるで母語を理解していない学習者のほとんどが、母語と外国語との関係を何らつかんでいないことがはっきりしています。和訳は先生のヒントや特定パターンから作り出したもので、自分から英語を構成している部分から日本文へ引き出したものではない・・・英訳なんてとんでもない・・・そんな状況が当たり前になっています。この状態で何年学んでも2言語間の相互関係が何もわからないまま前へ進むので、ますます外国語からの乖離(かいり)がひどくなるのです。

しかも学習者本人はそれが自分の記憶力や理解力が悪いか、それとも外国語そのものがとてつもなく難解なものであるせいだと決め込んでしまっている。結局、それが学習者と外国語との短い出会いの終末となるのです。日本人は「やまとことば」というあまり世界中どこをさがしても近い関係のある言語の少ない、かなり特殊な言語を母語として用いています。特に英語をはじめとするヨーロッパの大部分の言語とは語順がほとんど逆であるために、言語習得をなかばあきらめてしまう人が少なくありません。本書ではいきなり英語の文法を押し立てるより、まず日本語の構造をよく理解してもらい、その上で英語の構造と照らし合わせてその類似点、相違点を明らかにして英語習得を効率的にしてもらおうという意図で進めていきます。

今まで外国語を学ぶ人は自分の母語に対する知識があまりにも貧弱でした。英語とドイツ語のようにお互いにまるで方言のように近い関係にあるときはあまり問題がありませんが、孤立言語である日本語を母語とする場合、相互の違いをきちんと知っておく必要があるのです。母語のことがよくわかると、どのような点が外国語と違うのかを意識するようになります。また言語というものはお互いにまるで違った方法ながら、ちゃんと日常のコミュニケーションの必要を満たしていることに驚嘆することでしょう。

言い換えると、生まれてからずっとしゃべっているから日本語は無意識に発生する当たり前の言葉なのだとは考えず、意思伝達のための意識的な道具と見なすことによって初めて、外国語が実は我々の言葉とはまったく異なる言葉ではなくて、同じ人類の脳によって生み出された産物だということに気づくと思います。そこから語学の勉強は急速に進展するのです。単なる暗記、暗唱、慣れ、といった外国語学習の「常道」を超越して言語の不思議な世界を探検してみませんか。

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国文法と日本語文法との違い

日本では、学校の国語の時間で「国文法」という名の独自の文法体系を教えています。しかし世界の中の日本語の文法を考えるとき、まったく独自の概念や文法用語を使うよりも、英語をはじめとする西欧語文法の考え方をある程度借用して説明したほうが、理解しやすいでしょう。したがって、できるだけ共通の用語、概念を使いたいと思います。(たとえば助詞という代わりに後置詞といったりすることなど)

現在、外国人の日本語学習者のために工夫された文法体系は、「日本語文法」といい、「国文法」と区別します。前者の特徴は現代日本語の運用面からのみ文法用語を作っていること。ですから後者で教える「動詞の未然形」のように中世以降の日本語の知識とつながりのある用語は使っていません。そのかわり「マス形」とか「テ形」などの外国人が覚えやすくて単純な名前にしてあります。

「五段活用」などというと懐かしいと思う方もいるかもしれませんが、日本語文法ではこれを「Ⅰ類動詞」「グループⅠ動詞」そしてぐっと文法面に着目した命名、「子音語幹動詞」などとよんだりします。これは語幹が必ず子音で終わる動詞群だからです。そもそも「語幹」という名前も、英語以外の外国語を学習された人なら馴染み深いものです。このように名前のつけ方も合理的に考えられています。学校教育が今後このような観点からの日本語教育を行えば、英語との関連がよりはっきり見えてくるはずです。

ただしこの「日本語文法」は、まだ日本語学校によっていろいろな違いがあり、完全な統一は達成されていません。いずれは国際的に通用する文法体系としてまとまり、世界の他の言語と比較するためにはなくてはならない存在になると思われます。このため本書では、現在共通理解に達している日本語文法に基づいて日本語を説明しています。今回は読者のみなさんもぜひ日英両方の文法体系に親しんで下さい。

注;本書で使う”西欧語”とは、現在のヨーロッパ諸国(EU加盟国)、そして時にはロシア語などの一部スラブ系も含めての言語群をさすものします。<インド・ヨーロッパ語族>という言葉が昔から有名ですが、これはあまりに広い地域をカバーしており、たとえばヒンディー語とドイツ語とではあまりに違いが大きすぎるために、ひとまとめに考えるのはためらわれます。これらの西欧の言語は他の地域の言語に比べて今のところ、おおきく研究が進んでいます。また、フィンランド語やハンガリー語のように文法構造が中央アジア系に近いものは除きます。

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これからの日本語生活のために

日本語をより正確に使うには、国語辞典や漢和辞典がどうしても必要なのは言うまでもないことですが、本書で取り上げた日本語の特徴を正しく使いこなすには、つぎの3冊はぜひ手もとにおいておきたいものです。

(1)文型を文や節の意味、機能、用法という点からみる・・・日本語文型辞典*グループ・ジャマシイ編著*くろしお出版

(2)ひらがなをはじめとする表記方法について・・・新しい国語表記ハンドブック*三省堂編修所編*三省堂

(3)日本語のアクセントについて・・・NHK日本語発音アクセント辞典*NHK放送文化研究所編*NHK出版

2008年3月 著者

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© 西田茂博 NISHIDA shigehiro

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