01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15

HOME > 言語編 > 英語 > 日本語から英語へ  > 03

第3章 全般的な違い:その1

  1. 日本語と英語はどこが違うか?
  2. 主語について
  3. <コラム>主語をどうやって推定するか
  4. コピュラ動詞
  5. 動詞の位置
  6. 主題とは

言語の姿が少し明らかになったところで、英語と日本語の2ヶ国語に絞って見ましょう。誰でもが、その違いにばかり目を奪われますが、実は結構似ているところもあるのです。

日本語と英語はどこが違うか?

それでは言語全般の違いからさらに個別に対象を絞って本書のテーマである英語と日本語の相違点、共通点について考えてみましょう。学習者が今まで意識的無意識的に気づいていたことをここで明らかにしてみたいと思います。

例文1;彼らはその問題についてお互いに議論し合った。 They discussed the problem with each other.

例文2;通りを歩いているとき、級友に出会った。While I was walking in the street, I saw one of my classmates.

例文3;木の下で under the tree

例文4;昨日買った本 the book which I bought yesterday

英語と日本語の文法における相違といえば、かなり世間でも知られています。その中の代表的なものを4つほどあげてみましょう。上の例文と照らし合わせながら読んでみてください。

(1)動詞の位置は英語では基本的に主語のあとだが日本語では文末部分である。

(2)英語の(従属)接続詞は文の先頭につくが、それに相当する日本語の接続助詞は文末につく

(3)英語の前置詞は名詞の先頭につくが、それに相当する日本語の後置詞(格助詞)は名詞のあとにつく

(4)英語では文がある特定の名詞を修飾するとき、その先頭に関係詞をおく。日本語では関係詞にあたる語がなく、すべて連体形によって修飾される名詞の前に置かれる

こう書くと何から何まで逆のように見えてしまいますが、本書ではこの4つを中心にさらに細部にわたり、その違いを見ていこうと思います。よく観察してみると、この二つの言語はまったく違うように見えながら非常によく似ている部分があることに気づくと思います。つまり外見は異なって見えるがそれらが果たしている機能は結果として同じになっているということです。

なお、まえがきで述べましたように本書では日本語を説明するときは学校で教えている「国文法」ではなく、外国人のために使われるようになった「日本語文法」を使っていきます。その理由は将来において他の外国語ともさまざまな角度から多元的な比較検討ができるようにするためです。これを機会にみなさんにもぜひ日本語文法に親しんでもらいたいと思います。外国人でも理解できる文法用語で私たちの母語を客観的に理解するようにしましょう。

主語について

例1;これが欲しい I want this.

例2;これが欲しいですか。 Do you want this?

例3;アイスクリームを欲しがっているよ。He / She wants ice cream.

「欲しい!」というときその主語は話者(1人称)のはずです。ところがこれが疑問文になると相手(2人称)になってしまいます。さらに「欲しがる」となれば私、あなた以外の人を指しています。こんなことは日本語話者にとっては当たり前でも、日本語学習者にとっては頭痛の種です。このタイプは動詞の「望む」と異なり、<感情形容詞>といっていますが、使い慣れている人にとってわざわざ主語をつける必要もないわけです。

他の場合でも、「ああ疲れた!」というふうに日本語では主語を省きます。というよりは主語の概念がないのだという人もいます。しかし現代日本語の観点からすれば、<主語>は省略されているのだと考えるのが自然です。聞き手は誰が「疲れた」のかをちゃんと理解しているのですから。はっきりと示されるのであれ、暗黙のうちに理解されているのであれ、主語と動詞の<一致>が存在しないと、論理的な文章の進行も困難になります。

問題は主語がなくとも主語が何であるかを容易に推定できる仕組みがあるかどうかです。その一つに文末の口調があります。「疲れていますね」と言えば自分ではなく相手が疲れていることを示しています。「疲れていらっしゃいます」といえば話者からみて敬意を表している3人称の相手だろうと想像がつきます(あのかたのことだな・・・)。ですから主語を想像することは(たびたび困難なことはあっても)不可能ではないわけです。

この点、英語では語順が厳格ですし、省略していいものといけないものは会話の場合を除いて明確に決まっています。必ず主語を動詞の前におくし、疑問文の場合はきちんとしたルールで倒置するので、たとえ単語の意味がわからなくとも、どの単語が主語でどの単語が動詞なのかは経験を積むにつれ、容易に察知できるようになります。従って主語のない日本語を英語に移すときは必ず正しい主語を加えることが必要です。

一方、英語から日本語に移すときはわかりきっていていちいち言うまでもない主語であれば省略してしまえばよいのです。それでも日本語に移し替えたとき主語がないことに不安を感じた一部の人々が he と she に「彼」「彼女」という語をあてはめました。これらは時には便利ですが多用するといかにも翻訳調だという感じがします(ただしこれからの若い人はそういう感覚なしで使うようになるでしょうが)。

_

<コラム>主語をどうやって推定するか

日本語の主語が省略されやすいことはよく聞く話ですが、ただこれは学術書ではないので深く追求せず、より軽快で明快な文章づくりに役立てるための考え方を提示しましよう。スペイン語などに見られる主語の省略とは少し性格が違うと言われています。というのも西欧語の場合、1,2,3人称、単数・複数によって動詞の語尾変化の形がしっかりと決まっており、動詞をみただけで容易に主語(少なくとも代名詞)を推定することができるからです。

英語はといえば、3人称単数現在の場合にのみ動詞の後に s をつけるというルールがあり、あとはみんな同じなのでそれだけでではとても頼りないと思うでしょう。しかし英語の場合には主語+動詞の語順が厳しく決まっており、二つの文が並んでいて主語が前と同じでない限り、主語を省略する事が許されていません。

ところが日本語の場合はご存じのように人称による動詞の語尾変化がありません。にもかかわらず語順は比較的自由でありながらしょっちゅう主語が省略される。これできちんとコミュニケーションできるのか?外国人の日本語学習者が心配するのも無理もないことです。確かに平安時代に書かれた作品を読むと、この部分はいったい誰がやったことなのかとわからなくなる場合も少なくありません。主語は大部分が文脈に依存している。だからもし当時の作者に抗議したら、「おまえは察しが悪いな!」としかられそうです。

現代日本語における主語の省略はいくつかの手段であいまいさを防止しているように思われます。

(1)会話体では「だわ」「なの」「だぞ」「のさ」のような文末に現れる男言葉に女言葉、老人言葉に若者言葉、などで知る手がかりを得る。

(2)会話、文中いずれでも普通体、謙譲語、尊敬語の使い方を聞き分けることによって誰が主語であるか、又は誰に向かって言っているかを知る。

(3)<やりもらい>表現によって「してやる」「してもらう」などから各自の立場を推定してその主語を決定する。

(4)「うれしい」「つらい」「悲しい」「欲しい」などの<感情形容詞>はおのずと話者(1人称)の発言とわかるし、「うれしがる」「つらがる」「悲しがる」「欲しがる」によって主語が3人称であると推定できる。

(5)場所を表す言葉の「ここ」「そこ」「あそこ」「どこ」<コソアド>を使い分けることによって、話者や話者のおかれている立場が明確にわかる場合がある。

(6)「うち」のように<話者(の所属する集団)>を表す表現が発達している。

このようなシステムがあるので、主語がなくてもなんとかコミュニケーションが成立しているわけですが、これは英語をはじめとして世界の言語に置き換えるときは、これらすべてが通用しませんから、日本語の感覚からみて多少くどいと思っても、それぞれの文に律儀に主語をつけてゆくしかありません。そこのところに発想の転換が必要なわけです。

_

コピュラ動詞

例文1;「あきらは学生です Akira is a student.」(名詞文)

例文2;「洋子は賢い(です) Yoko is wise.」(形容詞文)

この二つの文を比較してみますと、いずれも文末が「・・・です」か、それに類する表現「・・・である」「・・・であります」「・・・だよ」「・・・なの」で終わっています。形容詞「賢い」(イ形容詞)のようにそのまま終わることのできるタイプもありますが、これらの文末表現の一部を追加することもできます。日本語では主語の後にそれを説明する部分(補語)がつくと、このように何らかの文末表現がつくのです。これらは動詞でしょうか?「走る」とか「止まる」というような意味での一般動詞とは考えにくいですが、文に最後が来たことを知らせる目印になっていることは間違いありません。これを<コピュラ動詞(注)>とよぶ人がいます。

これに対し、英語ではそのような文末表現はなく、そのかわり主語とそれを説明する部分(補語)との間に is などの BE動詞がはさまれています。BE動詞は前後の単語を結合しているようです。この BE動詞がやはりコピュラ動詞の一種で、「・・・です」のような働きをしているとも考えられますが、主語が単数か複数、現在か過去などの時間を示すためにいくつか種類があるだけで、日本語のように女言葉、遠慮がち、などさまざまなニュアンスを表すほどではありません。それでもこれらを公式化するとだいたい次のようにまとめることができるでしょう。(左が英語、右が日本語)

主語+(結合)コピュラ+主語の説明部分→←主語+主語の説明部分+(文末)コピュラ

日本語の場合、主語を説明する部分(補語)が名詞であれば<名詞文>、形容詞であれば<形容詞文>とよぶことになっています。この程度の比較的単純な文ならばたいていこれで英・日、日・英を入れ替えることができそうです。

注;日本語の「です」にあたるものは、ヒンディー語では<コピュラ動詞>の名が一般的だが、スワヒリ語では<繋辞(けいじ)>といい、ほかに連辞、判定詞ともよばれる場合もあり、それぞれの言語の研究者によって一定しません。同じ機能の文法用語はみんなで会議を開いて一刻も早く統一することが望まれます。

_

動詞の位置

例文1;「トムは速く歩く Tom walks fast. 」

この文には明らかに動詞が含まれています。「歩く walk 」です。日本語では途中いかなるものが含まれようとも最後の部分に来るのが動詞です。これは鉄則です。簡単な文も、哲学書の一節も皆そうです。これに対し、英語では主語の後に動詞が来ます。もっとも助動詞(相当語句)というのがあって動詞の前についたり、副詞の中にもわざわざ動詞の前に持ってきたりするものも少なくありませんが、これらは主語と動詞の間に<挿入>したものだと考えると、疑問文その他を作るために倒置する場合をのぞき、SVの語順は鉄則だといえます。

これを公式化してみましょう。<動詞を説明する部分(目的語)>とあるのは、<主語を説明する部分(補語)>と区別をするためです。これにはさまざまな種類があり、その並べ方も複雑です。(左が英語、右が日本語)

主語+動詞+動詞を説明する部分→←主語+動詞を説明する部分+動詞

同時通訳者の仕事がたいへんなのは、単語や文化背景の違いを勉強すること以外に、この「動詞+動詞を説明する部分」の配列が逆であるためにそれらの部分が全部そろうまでは一つのまとまったことが伝えられないからです。特に日本に数多くいる演説の下手な政治家のしゃべっている内容を通訳するのは塗炭(とたん)の苦しみであると想像されます。

_

主題とは

例文2;「象は鼻が長い Elephants have a long nose. / Elephants' nose is long. / Concerning elephants, a nose is long. 」

この有名なフレーズは日本語の特殊性を説明するのによく使われました。というのも「・・・ハ・ガ」は一般に主語(らしきもの)を示すといわれているのですが、「象は+長い」と「鼻が+長い」を比べてみるとわかるとおり、「長い」の主語は誰が考えても常識的に「鼻」だといえます。だとすれば「象」は何なのか?いろいろな説がありますが、その中に<主題>だという考えがあります。これから話そうとする内容のテーマだというのです。「象に関して言えば・・・」というような話題開始を示す<副詞句>の形であると解釈することもできます。ここでは聞き手の注意を促すための最初の目印だと思うことにしておきましょう。

英語で表すときは<主題>などというものはありませんから、副詞句などほかの方法で表現することを考えるしかありません。ここでは例2の文の内容に照らし合わせて英文表現の3つのやり方を考えてみようと思います。

一つの方法としては「長い long 」をうまく利用することです。すなわち「鼻が長い A nose is long. 」という文を「長い鼻 a long nose 」という名詞修飾に変えてしまう。言い方が異なっても基本的な意味は同じです(もちろん厳密な違いを追求したらきりがないが・・・)。最後に動詞「持っている have 」を使って文全体を構成する。これなら主語は文句なく「象」です。

もう一つの方法は「鼻 a nose →象の鼻 elephants' nose 」のように象と鼻を<所有関係>で結びつけてしまう方法です。なるほど長い鼻は象の付属器官ですから。少し不自然な表現ながらこのパターンを応用することは可能です。「鼻」を主語のままにして、補語として形容詞「長い」をつける。

そして最後の方法は<副詞句>を作ってみる。ここでは「・・・に関して」「・・・について」という意味を持つ前置詞を使ってみました。これは英語辞書を調べると十数個あるのですが、そのうちの一つ、たとえば前置詞の「 concerning 」を先頭に出し、そのあおとに象という名詞を結びつけることによって文の他の部分とは独立した要素ができあがります(くわしくは前置詞・後置詞を参照)。

おそらく最後の方法が日本語の<主題>の概念にもっとも近いともいえます。従って、この方法を「象」以外の話題に応用できる可能性は非常に大きい。ただ、決して機械的に当てはめてはいけません。言語は生き物でそのたびに姿を微妙に変えてしまいます。ちょっとした言い方の違いで大変違った意味を生み出すかもしれません。

<主題化>に関しては中国語でもよく見受けられますが、文の構造としては絶対に必要な要素ではない場合が多く、それでも先頭にあることで文全体の意味の理解を容易にするという役割を果たしています。そしてもっとも大切なことは、主題のあとにあらわれるのです。それは聞き手や読み手が待ち望んでいる「新情報」です。

「ジョンはフランスに行った」から、「フランスに行ったのは・・・」や「ジョンが行ったのは・・・」という文が作れます。これらの「・・・」の中には話の中心<焦点>が存在することがわかるのです。焦点の提示は、抽象的な文や長い文の理解にとっては不可欠です。この点「ハ」は日本語にとって主語以上に大切な機能を果たすことがあります。

同じタイプの文例としては、「この山は斜面が急だ」「この温泉は水温が高い」「手紙は字をかくのが面倒だ」「京都盆地は夏が暑い」「都会は通勤時間が混雑する」等々、このようにいくらでも例が出てきます。日本語では「主題」が表に立ち、動詞と論理的な関係を結んでいるはずの「主語」の影が薄いのが特徴なのです。

_

HOME > 言語編 > 英語 > 日本語から英語へ  > 03

© 西田茂博 NISHIDA shigehiro

inserted by FC2 system