多言語学習への基礎

超初心者のための外国語入門

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果たして、10カ国語以上を覚えることは可能か?いやどの程度まで可能か?自分を実験台にして調べてみたい。

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内容目次

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世界のこんにちは 第1章 英語以外の言語への挑戦

 第2章 音声学習  第3章 基礎構文

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 第4章 文法  第5章 各国語文法拝見

 第6章 応用 第7章 終わりに  追章 なぜ多国語をやるのか

      

音声できく世界のこんにちは・ありがとう
ロシア語 朝鮮語
フランス語 スペイン語
中国語 アラビア語
トルコ語 英語
エジプト・アラビア語 スワヒリ語
ヒンディ語 Japanese

第1章 「英語以外の言語への挑戦」篇

文化の画一化 世界には実におびただしい数の言語が存在しますが、20世紀に入ってからは、イギリス、アメリカの経済的影響があまりに強かったために、英語が世界の共通語のような感を与えます。しかし、経済的な効率を追求するあまり、文化面での画一化の傾向が目につきます。世界のどこにでもあるハンバーガーショップ、コンビニエンスストア、ドラグストア、銀行などは、なるほど我々の生活を大変便利なものにしてくれましたが、一方で地方色豊かな伝統的な財産が日々破壊されてゆきます。

もう一つの外国語 このような画一化の流れで特に目立つのは英語による「言語帝国主義」と呼ばれるものです。特に、このインターネットでは英語で書かれなければ、その情報は国内にとどまり、世界に出ることはできません。英語で伝達できる効率のすばらしさは認めるものの、これに対立する言語が少なくともあと2つぐらいあってもよいのではないでしょうか。昔から「鼎立(ていりつ)」と呼ばれ、三権分立もそうであるように3つはバランスのをとるのに理想的な数です。言語はそれぞれに豊かな文化遺産を抱えています。小説、詩、演劇、歌などはいうまでもなく、絵画、器楽曲でさえもその言語の大きな影響下にあるものです。また、海外への旅行はなんといっても地元の人々との直接の交流があってこそ、出かけた甲斐があるというものです。そこで私は英語以外の言語を少なくともあと一つ(できたら2つ)を選んでみることを提案します。

現地語を一言! 小田実の「何でも見てやろう」という青春まっただなかの世界紀行では、ギリシャ語を専攻する筆者がギリシャのタベルナ(食堂)でギリシャ語を口にして、このアジア人がギリシャ語をしゃべるというので、地元の人々の間で大騒ぎになるくだりがありますが、その地を旅行したら、たった一言でも現地語(ホスト言語)をつぶやくことで現地の人とつながりができるのです。もちろん同行の日本人とばかりしゃべるようなツアー旅行では無理でしょうが。アメリカ駐留軍放送(FEN)でもA LITTLE LANGUAGE GOES A LONG WAY(一言が大きく広がる)といって、日本語の片言をラジオ放送の合間に流していました。

多言語効果 しかし、「英語でさえ満足にできないのに、さらに外国語をやるなんてとんでもない」という声を必ず聞きますが、果たしてそうでしょうか。答えはノーです。新しい言語を覚えることは外国語学習に必要なコツを自然に身につけることになり、むしろそれまでも英語学習をより効率的にするのです。別の言語の違った文法構造を学ぶと、英語との相違点だけではなく、言語共通の特徴のようなものが見えてくるのです。するとその外国語を学ぶのが、英語を初めて学んだときと比べるとはるかに楽に感じられるのです。それは言語学的にうまく説明はできなくとも、昔からマルチ・リンガルとして活躍した人々には暗黙のうちに認識されていたことです。

記憶力を刺激 また、「私は記憶力が悪いから、無理だ。さらに新しい言葉を覚えたら、私の頭はパンクしてしまう」という人もいます。しかし人間の頭が、現在のコンピュータにはお呼びもつかないほどの記憶容量を持っていることは周知の事実ですし、何よりも大切なことは新しい単語を「どのような方法で頭に収容するか」なのです。最初の10個の単語を覚えることは苦痛だが、100個をすぎたあたりから、覚えることが何となく楽になってきた、という経験をした人は少なくないと思います。人間が一生の間に取り込む情報量のすさまじさに比べたら、多少の単語なんてものの数ではありません。むしろぼけ防止に役立ち、日常生活とは違ったリズムでの頭脳の活動を促すのです。

国連公用語
  1. 英語
  2. フランス語
  3. ロシア語
  4. 中国語
  5. アラビア語
  6. スペイン語

どんな言語がいいか さて、「新しい言葉を得ることは新しい恋を得ることだ」に待つまでもなく、他の言語の探求をしてみましょう。まず、それぞれに思い入れを持つ国のある人はその国の言語を満足するまで勉強すればいいと思います。たとえば、イタリアの文化に惚れた人はイタリア語を、アンコールワットの謎に憑かれた人はカンボジア語を、といったように。それぞれの持つ固有の文化を味わうにはその国の言語、それもローカルであればあるほど、親しみがもてるはずです。これこそ「言語帝国主義」に対する最も痛烈なパンチなのです。特殊な言語であればあるほど、日本中探しても数人しかいない同志、というのもすてきなものです。

環日本海語 私が選んだ世界の言語はまず、私の研究室の名のもとである、日本のまわりの国々、つまり、中国語朝鮮語ロシア語です。日本海を取り巻く国々はヨーロッパの国々がそうであるように、我々の隣国です。現在はともかく、将来に人、もの、文化の交流が盛んになるのは当然のことです。特に、日本が経済的な超大国の地位を降りようとしている今、地球の裏側より、水中翼船で2,3時間の所の方が、関係を深く持つべき理由があるに決まっています。

日本は今まで隣との関係が驚くほど希薄でした。これはバンクーバー付近のアメリカとカナダの国境(車による往来)、デンマークとスウエーデンの国境(フェリーによる往来)などと比較してみるとよくわかります。博多、新潟、根室などの町は将来、それぞれに近い国の人々の、大きな居住地域ができるほどになるべきなのです。ただし、日本人は外国人を受け入れる伝統がまるでないので、いったんこの高齢化社会が終わって、まったく新しい世代の日本人にならないと無理かもしれません。

言語の獲得4原則
  1. ある言語で使い分けられるの獲得(音声の種類、音声の組み合わせー音韻・音素)
  2. 単語の意味の獲得(特定の音声と意味との結びつき)
  3. 文の構造の獲得(語と語とを連結して文を作る規則ー統語)
  4. 語や文の用法の獲得(場や相手との関係で語や文の使い分けー語用・プラグマティックス)

旧植民地の言語 今度は日本海から外に目を向けてみると、国連の公用語として使用されている言語が重要だとわかります。中国語とロシア語が広大な地域と人口を抱えることはその地位を確実なものにしていますが、これと同程度のものが、フランス語スペイン語です。両国語は残念ながら旧植民地時代の影響が大きいのですが、それぞれフランス語は西アフリカ、スペイン語は南アメリカでの重要性を否定することはできません。これらの地域は人口が密集している上に、移民や部族による言語の相違が甚だしく、共通の言語を使用しなければ、生活、政策いずれの面でも支障をきたすと思われるからです。

イスラムの言語 そして最後にアラビア語。この日本人にはあまりにも距離的にも、文化的にも遠い言語であり、その右から左へと進む、文字の複雑さだけでも、誰でも尻込みすることでしょう。しかしアフリカ大陸の西端からインドに迫る、広大な地域、その宗教的な統一性、そして砂漠に発する独自の文化など、どれ一つをとっても重要な要素を含んでいます。石油の供給の大部分を占め、イスラム教の過激派がこれらの国で台頭する時代に、これらの国を無視して、世界は21世紀を生きてゆくことはできません。

その他の広域言語 ほかにも、今のところはさほど目立たないが、広大な面積にわたって、少数の言語を話す人々が散在していて、その間にある程度の共通文化が存在する場合、一種の共通語ができあがる場合があります。一つはヒンディー語。これはインドの国語であるし、隣のパキスタンで話されているウルドゥ語などと近縁関係を持っているわけで、将来の「南アジア語」になる可能性が高い。もう一つは、ケニア、タンザニア、ルワンダ、ザイール、ブルンジ、ザンビア、モザンビークにまたがって使われているスワヒリ語。アラビア語で<海岸>を意味するこの名前の通り、「アフリカ東海岸語」になる可能性を持っています。さらに、かつての帝国の活動が、モンゴルやシベリアまで及んだ時に広がったトルコ語。中央アジアには、ウズベク語、ウイグル語をはじめとして、トルコ語の「方言」と言ってもいいくらいの近縁の言語が多数あります。この地域では「シルクロード語」といえるかもしれません。

より効率的な学習法へ このように英語以外の9カ国語が多言語学習の魅力的な目標になることができます。これらのどの言語を学習するか決めたとしても、共通の言語としての特徴があり、学習者は限られた時間の中で最高の効率を上げるために、いくつかの注意点を守らなければなりません。すでに日本人は中学一年生から英語を学んできましたが、大部分の人がそのときの学習方法に問題があったために悔しい思いをしていることを考えると、二度とそのような過ちと、時間の浪費を避けなければなりません。また、一時的に外国語を教える学校に通って、ある程度の力が、ついたとしてもその後使う機会がないために、元の木阿弥に戻ったという話に枚挙のいとまがないわけですが、それを防ぐ方法も考えなければなりません。
超初心者の正しい学習課程
第1段階 音声を発音、聞き取り共、完全にものにする
第2段階 基礎構文を暗唱できるようにする
第3段階 初心者用辞書で毎日重要語を覚え、例文を読み解く

第2章 「音声学習」篇

ことばは音 言語学習の根本はまず「発音ありき」です。どんなに深い学習を目指そうとも、どんな分野を目指そうとも、言語がまず「声」から始まったという歴史的事実から、言葉を音で覚えるという点から出発せねばなりません。学校教育の英語はそもそもその点から間違ってしまったのです。日本では特に江戸時代からの漢文学習の伝統があり、元の中国語の発音は全く無視され、日本語の読み方に完全にはまりこんだ解釈が中心に進められていたため、英語も明治時代からその方法が子供たちに対して行われたという経緯があります。

口を慣らす このような過ちを二度と犯さないためにも、新しい言語の学習は音声から始めなければなりません。それには自分の「発声」と誰かの話すことの「聞き取り」がありますが、まず口や舌を慣らすことが第一です。その言語独特の、日本語にない音声を取り出して、その音の特徴を納得ゆくまでつかみ、それを今度は口に出して言って見る、その過程が絶対になおざりにされてはなりません。たとえば英語では、thの音や、rとlとの区別、中国語ではそり舌音zh、韓国語では鼻音ng、などが挙げられますが、最初の段階でこれらをおろそかにせず、満足がゆくレベルに達したら次へ進むべきです。しばしばこれらの発音が困難なため、とばしてしまうため、後になってより高いレベルに達したときに、聞き取りの区別がきかなくなるのです。

耳を慣らす 幸いなことに、「万国音標文字」というのがあって、人類の発声に関しては世界の共通語が用意されており、文字体系がアルファベットでない言語ではこれらだけで当分の間重宝します。さて、語学学校に通い、舌に手を突っ込んで矯正してくれるほど、よい指導者に恵まれるならば、あるレベルまで達することができます。また独学でも教科書と首っ引きで、根気の続く人であれば、何とかなるでしょう。ただ問題なのはいったん覚えた音を今度は聞く段になると、とたんにお手上げという人が少なくないのです。聞き取りは自分の耳の問題です。どんなに優れた語学教師でも、あなたの音を直してはくれても、代わりに聞いてくれるわけではありません。そういう音なんだと言われてしまえば終わりです。ここに聞き取り能力が歩まなければならない、遠い道があります。考えてみれば、たとえ聞き慣れた日本語でも、違った方言を聞いたり、地下鉄のすさまじい轟音の中で聞いたり、知らない単語を立て続けに言われたりするならば、聞き取れないのは当然であり、これはもう、我々の側の「慣れ」の問題だというほかありません。

わずか5分 ここで登場するのが、学校に通っている人も、独学でやっている人も実行しなければならないのが、テープによる、「寝る前5分間」です。俗に「耳にたこができる」と言いますが、外国語の音はそうならなければ身につきません。寝る前のテープはむしろ睡眠薬として役に立つでしょうが、これを欠かさず1ヶ月続けた場合の効果を想像してください。文法ドリルを毎日続けるには強い意志がいりますが、「寝る前5分間」なら、枕元にウオークマンを置いておけばよろしい。もちろんテキストは見る必要はないし、むしろ初回以外は見てはいけない。なぜなら多くの初心者向けの語学教科書は(英語を除いて)カタカナ表記が多いからです。むしろ好きな歌を何度も繰り返し聞いて、メロディを自然に覚えてしまう要領で続けるべきです。

聴覚教材 ところでまともな教科書なら、聴覚教材がついています。しかし最近の新書タイプの語学指導書の中にははじめからついてないものも少なくありません。もちろんこれらは海外旅行のアクセサリーと割り切って手を出さないことです。また、ネイティブがいい加減に本文を流し読みにしているものや、単語だけを切れ切れに言っているだけのものが多いのには驚かされます。最初の「無味乾燥」な発音練習をきちんとやってくれている教科書を、そして語学学校を選んでください。また、テープの代わりに CD を出してくれると便利なのですが、最近出たものはほとんど CD 化されています。 MD などといったらまるで皆無と言ってよいですが(2000年7月現在)。 CD や MD は繰り返しが何度でもできるので非常に重宝します。

あいさつはおあずけ はっきり申し上げます。発音とその音に十分になれるまでは「こんにちは」も「さようなら」にも手を出すなと言うことです。いきなりカタカナで覚えた「アンニョン・ハシムニカ」や「ボンジュール」ほど始末が悪いものはないのです。挨拶言葉はその言語の命ですから、もし現地の人が聞くときに、聞き返すようなへたくそな発音では困るわけです。「まず音声ありき」であるとともに、「言葉は歌であり、詩である」ともいえます。美しく、スマートにいきましょう。

カタカナは有害か? これは非常にむずかしい問題です。たとえば英語を学ぶ中学生たちに対して、カタカナ有害論をぶつと、かえって発音への興味を失い、発音記号も学ばぬままに「音なし言語」への道を突っ走ってしまうのです。いろいろな語学入門書を見ましたが、どの言語も特に低いレベルではカタカナ表記に頼っています。有害とわかりつつもそれ以外に方法がない、というのが現状です。妥協策としては日本語の音とほぼ同じものに関してはカタカナを許し、それ以外については、別の表記方法を考えることです。たとえば英語での、th, v などの音は日本語に存在しないので、アルファベットそのままで書く(中にはひらがなを利用してそのような音声を出す約束を決めている参考書もあります)。カタカナの中に違った書体を交えることは学習者に注意を促し、日本語流発音に陥る危険から救ってくれるかもしれません。

言語がはぐくんだリズムに逆らわない 英語以外の言語では一番悩まされるのは語尾変化です。いくら嫌いでも最終的には覚えるしかありません。どんな言語でも語尾変化がついて回るのは、一説によると語尾変化専門の遺伝子があるからだそうです。初めて覚えるときに機械的に覚えようとするから大変な心理的抵抗を感じます。しかし現地の人々が何千年もかけて作り上げたリズムが必ずそこには含まれており、素直な心で受け止めると、実に納得のゆく構成になっていることがわかるでしょう。フランス語の活用で、「J'ai, tu as, il a, vous avez, nous avons... 」という具合に覚えると「なんて面倒なことを考えついたんだ!」と腹が立ちますが、実際に文の中で読んでみると、いかに自然に流れるように作られているか驚かされます。歴史的な蓄積と、人々のリズム感には逆らえません。自分がネイティブになったつもりで吸収してゆくと、実に効率よく頭に入ってゆくものです。

自然言語はリズムとイントネーションによって造られた どんな国語を見てもわかりますが、言語のリズムは文法の原則に優先します。しゃべりやすさは規則を超越するのです。誰でもよりリズミカルで、よりなめらかなしゃべり方をしたいと願っています。立派な理論構成でできあがった人工語があるとすれば、こうはいきません。気の遠くなるような長い時間をかけてできあがった、無数の人々の伝統的な蓄積が、現在の諸言語の姿なのです。自然に形成されたものには逆らわず、あるがままに受け入れるのが一番です。いろいろな動詞活用を覚えようとすると、「どうしてこんな面倒なものを発明したんだ?」と腹が立つこともありますが、ネイティブたちが、それをまったく自明の理として受け入れている以上、それには毎日の使用に役立つ、なんらかの合理性が含まれているものと思われます。

シャドーイングとは

”すぐれた”語学教材を再生機にかけて、朝から晩まで大音量で流しておき、その中で暮らしていたら、リスニングの力は伸びるでしょうか?「音漬け」にしておけば効果があると昔から信じられてきました。これはほんとうでしょうか?

いま、NHK の語学講座では、英語であれ、ロシア語であれ、どれを聞いてもシャドウイング練習が行われています。これはそんなに効果があるものなのでしょうか?学習者の方は今までこんな体験をされてきたはずです。一生懸命聴こうとしているが、どうもわからない。わからないところが立て続けに出てきて疲れてきた。そのうちウトウトしてきて眠ってしまった・・・

そうなのです。リスニングには多大な努力が必要なのですが、集中を常に続けることは至難の技です。夜中に深夜のラジオ放送をつけたらいつの間にか、その快い音楽やアナウンサーのやさしい声で寝入ってしまった・・・という経験は誰でもしていることです。理解できる母語の場合でもそうなのですから、外国語では少しでもわからないところがあれば、すぐに集中度が落ちてしまうことは避けられません。

「聴く」というのは受身的な行為ですから、大変興味深いとか、必要に迫られている場合を除き、どうしても眠くなってしまうのです。一方、「話す・しゃべる」というのはたいへん能動的な行為で、話しているうちに眠くなった人のはなしは聞いたことがありません。それどころか、冬山で遭難して凍死してしまうのを避けるためにテントの中で一晩中話し続けたなどということがあります。

発声することはエネルギーを必要とするだけでなく、脳みそをフル稼働させなければならないのです。これは「読む」と「書く」との間にもいえることです。したがって、リスニングをするときに集中度を保つ方法は、聴きながら、同時に発声することだという、ごく”常識的”な結論に、語学教育界はたどり着いたのです。

ではどのようなリズムで発声するのがよいでしょうか?もし聴くことになっている文が、自分にとって完全に暗記されているものであれば、歌におけるデュエットのごとく、模範朗読をしてくれる人と、完全に声をそろえればいいわけですが、これではリスニングの効果は期待できません。

かつて、語学講座では講師が「あとにつけて言ってください Repeat after me 」と指示して、ゲストのネイティヴが適当な間隔をあけてくれました。その間に学習者は次の文が始まらないうちに大急ぎでオウム返しをしたわけです。これは悪くはありませんが、ただでさえ短い放送時間で、このような間隔をもうけることは無駄であります。それに学習者のほうとしては、オタオタしているうちに次の文が始まってしまったときのアセリがたまりません。

そこで、次に考え出されたのが、聴こえる片端から、それを声に出していってみるという方法です。しかしもとより知らない言語ですから、長い文を溜め込んで暗誦し、それを吐き出すわけにはいきませんので、1秒前に聴こえたものをすばやく脳内で処理して、1秒でそれを声に出していってみるという方法しかありません。

つまり、相手の発声の後に、「影 shadow のように付きまとう」という方法がベストだとされるようになったのです。こういう方法をとると、学習者は非常に忙しい。しっかり聴き取らなければならないし、それをまた忠実に自分の口で再生しなければならない、そしてその再生しているのと同時に、次の模範文を正しく聴いていなければならない・・・とても眠くなる暇はないのです。

これが脳にとっていかに大変な作業かは、過労時や、二日酔いのときにこのシャドウイングをやってみるとよくわかります。脳の調子が悪いときはてきめんに作業能率が落ちるのです。シャドウイングの利点はほかにもあります。間に長い間隔をおかなくてすみますから、録音されたどんなものでも使えます。別に語学教材でなくとも、外国語のニュースとかレポートを使ってもできるので、初級者から上級者まで幅広く利用できるのです。

まずは自国語で試してみましょう。ラジオかテレビをつけて、アナウンサーのあとを忠実にたどってください。あなたが日本語のネィティブならもちろん楽々とできるはずです。そのときに音声に集中している自分に気づくでしょう。これで要領がわかったら、さっそく自分の勉強する外国語にも適用開始です。インターネットラジオで、 BBC や VOICE of AMERICA を聴いて、それをそのまま podcast して mp3 として録音しておけば、直ちに利用できます。スピーカーで聞くよりも、イヤホンやヘッドホンで聴いたほうがよく集中できるようです。

(「英語リスニング」より転載)

第3章 「基礎構文」篇

暗唱から 物事には順序があります。語学の学習も、発音を優先させ、さて、その次は何かというと、それは暗唱です。あなたは発音が大体できるようになった。そのおかげで第1課の挨拶言葉は難なく覚えられたことでしょう。第2課に進みます。あるものを指したり、彼や彼女が何かであることを示す文例が載っているはずです。ここからいわゆる文法的説明が入ってくるわけですが、そこの所はなるべくあっさりとやり過ごして、テープの音の通りに発音できることを優先し、(必ずついているはずの)日本語訳だけを見て、その文が口をついて出てくるレベルに覚えてしまいます。完全にそらで言うのではなく、日本語の訳を手がかりに、文が思い浮かぶぐらいでよい。テキストによって、言語によって、覚えるべき文は量は違うと思いますが、大体すべてを唱えるのに、15から20分ぐらいかかる分量が適切だといえます。

文法的知識はどうなるのか? これらの構文を暗記するときはなるべく深入りをせず、大体の模様眺めぐらいにとどめておくのがよいでしょう。というのも、文法的知識をきわめ、複雑な語尾変化などを覚えようとするととてつもない時間がかかり、基本構文を覚えきるまでに計画が頓挫してしまう危険性があるからです。昔は、漢文の勉強に子供たちは「素読」をやらされていました。これは意味や解釈の説明なしに、ひたすら文を覚えきってしまうことです。記憶力の旺盛な子供ならともかく、しっかり大人になった人間には、素読による暗記だけでは耐えられませんから、ある程度の意味と、ルールの説明は必要ですが。というのも、暗唱してしばらくすると、どうしても同じ所をつっかえるようになってくるものです。その場所を点検してみると、実はそのように言う「(文法的)理由」がはっきりしていなかったために、記憶に残らなかった場合が多いのです。たとえば、そこは「動詞の未来形」だからそうなるのだというような納得が得られれば、次回からそこをスムーズに暗唱できるようになります。

短い文章の暗記のコツ
機械的に覚えようとすると、労多くしてすぐ忘れてしまいます。次のようなことに注目しましょう。
  1. 短い文章であってもできるだけ細かく分割し、その単位ごとに覚える。たとえば長い主語、動詞句、前置詞+名詞などのかたまりにして。再生するときは必ずそのかたまりのことだけに集中し、ほかの部分のことを考えないこと。
  2. 使われている時制や文型に注目し、たとえば「現在完了進行形」「第5文型」というように口で唱えて確認する。
  3. どうしても覚えにくい部分は”語数”をチェック。思い出すときにたとえば7語ならば、主要な単語を中心に順に埋めていく方式をとれば、必ず全部再生できる。
  4. 音声だけで満足せず、ある程度覚えたら実際に書いてみて、綴りも同時に確認する。
  5. 品詞の知識は必須。その例文の中に不明の品詞が一つとてあってはいけない。理解なしに暗記なし。どうしてそういう文になるのか理屈がわかっていないのに暗記すると、すぐ忘れてしまう。
  6. その単語の語尾記号(複数、人称語尾、時制を現す語尾など)を必ずチェックする。その他わずかなことにも注意して正確さを期すこと。
  7. いったん覚えたと思っても定着して固まるまで何度も繰り返す。普通の成人ならば最低3回は必要。それも、2日、5日、10日と次第に復習する”間隔”を広げてゆくこと。
  8. 暗記の最大の落とし穴は、何度も言っているうちにたいへん”流暢”になり、そのときから意識的な作業が無意識的な惰性に変わってしまう瞬間が訪れるとき。常に上記の1番から7番を心がけていなければならない。

2010年2月初稿

大切なことは なるべく早く、基本構文を暗記してしまうことです。つまり、その言語の音とリズムを頭にたたき込んでしまうことです。ただ、初めて聞く音とは無意味な音声の連続ですから、日本語の音に近いものを見つけて、それを記憶の「手がかり」にしておかなければなりません。これは中学生が1868年の年号を覚えるときに「(イ)ヨーロッパ君、明治だよ」のように、恥ずかしながら語呂合わせをするしかないということです。たとえばロシア語で「すばらしい」を「プリクラスニュイ」と言いますが、(残念ながら使用フォントの関係で、ここにロシア文字を書くことができません)このときは並んで写真に写る、例の「プリクラ」を思い浮かべるといったように。傑作なのは「火曜日」で、「太る肉」で、「フトールニク」を覚えれば忘れる人はいないでしょう。またスペイン語で「イセ」hice(「作る」hacerの完了過去)は「伊勢」を連想するとか。ただし注意すべきことは、文を覚えたあとでテープで聞いて確かめ、できるなら自分の音を録音して、並べて比較してみることは絶対に必要です。これをしないと自己流の癖がついていて、ある日何かの機会に確かめていたら、元の音とは全くかけ離れていた、などという悲劇が起こりかねません。

基礎構文はどんなものであるべきか?単なる挨拶言葉の羅列であれば、海外旅行のアクセサリーにしかならないことは、先に述べました。すべての時制、理由、条件の作り方、動詞の活用についてはほとんどが網羅されていなければなりません。英語にたとえて言えば、中学3年レベルに高校1年の内容を足したぐらいになります。構文の内容はとりとめない世間話でもかまわないのですが、それが短い文でも、将来それを複雑に組み合わせて長い文に構成できる「材料」になっていることが肝心なのです。その点、英語の中学校の教科書は理想的な基礎構文を各ページの文頭あたりに掲げているのですが、中学生向けだけに、また本文の内容に合わせてあることもあって、大人には少し物足りない気がします。なお、既成の基礎構文以外に最低、1から20までを毎回唱えることをお奨めします。というのも、それぞれの言語が話されているときに最も「即戦力」が要求されるのが買い物における値段のやりとりだからです。あちらの国で、頭の回転の速い商人に、考えながら値段の数字をいったのではカモにされてしまうこと請け合いです。数字だけは寝不足でも酔っぱらっていても即座に出てきて、相手から正確に聞き取れるようでなければなりません。

忘れてしまっていいのか? とんでもありません。あなたがこの世に生きている限り、頭の中に保っておかなければなりません。特に今すぐにその言語を実地に使う機会のない人はなおさらです。この程度の量の記憶は1週間に一回チェックすることによって新鮮に保つことができるはずです。スポーツのトレーニングでいえるように、一般に、週2回以上練習すると力が伸びるが、1回なら現状維持、それを下回る頻度になると、力は次第に落ちてゆく。基礎構文の記憶がまだおぼつかない時期は毎日、それも朝夕復習し、そのあと大体口をついて出てくるようになったら一日おき、そして3日おき、と間隔をあけてゆき、最後に週に1回のペースに落ち着いたら、それで維持してゆくのがよいでしょう。忙しくてなかなか勉強の時間を見いだすことのできない人は、いつか暇なときに基礎構文を一気に覚えてしまい、(それでも少なくとも1ヶ月はかかるはず)そのあと、その他のこまかい知識を、少しずつ加えてゆくことができます。それまでは、トイレに入っているとき、満員電車でふと手持ちぶさたになったとき、のんびり散歩をしているとき、自然に基礎構文の中のどこかのフレーズを口ずさむのがよいのです。これでその言語の自然なリズムと発音特性が無理なく身に付くことになり、後の文法学習に大いに寄与することになるのです。

書取の重要性 英語、フランス語、スペイン語はいずれも細かい点を除いてアルファベットが共通なので、「綴り」を覚えるだけで十分ですが、アラビア語、中国語、朝鮮語、ロシア語はまた別の文字体系であるだけに、この方面の練習も欠かせません。これらに関しては暗唱のみならず、声を出しながら、実際にノートに書き取り練習をする必要があります。特にハングル文字など、形が単純そうに見えながら、なかなか音声だけでは文字が読めるようにはならないものです。小学生が漢字を何回も書くように、毎回少しずつ書いてゆくと、あの難しそうなアラビア文字が、実になめらかに書けるようになるものです。ロシア語に使われているキリル文字も、ラテン系のアルファベットとの違いを思い知らされます。実際に本や看板にある文字を見ても、文字を見てひとりでに音声が出てくるようになります(漢字の場合を除く)。

マンネリ化の危険 ここで誰でもおちいる「習慣化」の恐ろしさを付け加えておきます。毎日、暗唱を繰り返してくると、次第にそれらの文章に対する集中力が減退し、いつの間にか機械的繰り返しになってしまう危険があります。「なぜこうなるのか」という理屈を考えなくとも自然に音が出てくるようになるのは大変結構なことなのですが、いざ実際に使うときの臨機応変さが少しも育ちません。これを防止するには、第1課から始めるところを逆に第20課から始めたり、暗唱に自信がついてきたら、ワンセンテンスづつ逆にたどってやってみるとか、ランダムに文章を選んで暗唱することをやってみるとよい。これは実に頭が疲れる訓練ですが、常に言語に対して新鮮さを保つためには、どうしてもやっておかねばならないことなのです。「即戦力」とは、必要なときに必要な語が自然に飛び出てくることをいうわけですが、毎回同じパターンで暗唱を繰り返していると、自然に運用力が後退し、いざとなっても言葉が出てきません。常に変化をつけ、構文や単語について、「これはどういうことだったかな?」と絶えず自分に問いかけながら勉強を続けることが必要です。また、アルファベットを使っていない言語の場合には特に、ときには文字に親しむために暗唱ではなく、読んでみることも必要です。人間は同じことを繰り返していると、最も楽な精神状態に落ち着いてしまいがちですから、時々変化を付けて刺激を与えるようにしなければなりません。

一つのステップ完了 基礎構文を身につけることの重要性は、その言語の概要の骨格となる部分をものにしたという意識をもてることです。まだ単語、文法の知識は身についていないものの、いつでもここから勉強が出発できるという体制ができあがっていることです。また、どこかでその言語を話すネイティブに出会ったときに、挨拶だけではなく、その基礎構文に含まれる片言を使えることにより、大いなるスリルを味わうことができる場合があります。筆者もとあるスナックに出かけたとき、たまたまロシア出身の女性がいて、「ズドラストビーチェ」(こんにちは)はもちろんのこと、酔いがまわってなかなかろれつが回らないというハンディはあっても、知っている数少ない動詞を駆使したこともありました。言語の勉強が挫折してしまう人の大半は、勉強の完成する地点が見えないことに原因があります。多くの人は「ペラペラしゃべれる」というようなことを漠然とした目標に置いているため、いつまでたっても自分の学習がそこに到達しないことにいらだち、次第に意欲を失ってゆく場合が多いのです。基礎構文をすべて暗記することはその先にある、よりレベルの高い段階への最初のステップになります。そこに曲がりなりにも到達した人は少なからぬ満足感を味わうはずです。

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