政治時評

杭州・西湖

法制度や行政によって社会に実現するべきだと思われる具体的方法

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公的企業を地域別に
分割するな

(NTT,JR、電力、ガス,郵便etc)

  

日本では、このところ、民営化により、公共的な性格を持つ企業が次々と政府の管轄を離れ、独立した企業体を形成しつつある。日本航空は「沈まぬ太陽」でも知られているように、以前は親方日の丸による、非効率、腐敗が蔓延した会社であったらしいが、民営化と友に、贅肉をそぎ落とし、国際的に通用する企業に成長しつつあり、全日空やその他の航空会社との競争が効率化を余儀なくさせている。

ところが、JRの場合はどうであろうか?JR東日本は首都圏という汲めどもつきぬ客の流れを持ち、効率的なダイヤ編成と路線網を完備さえすれば、その営業成績は保証されている。ところがJR北海道やJR四国は、過疎化に悩み、さらに悪いことに不況の追い打ちもあって、ますますその経営は圧迫されている。もともと人口密度の低い地域でありながら、首都圏の企業と競争をしろということ自体が間違っている。

もし、バランスのとれた経営を目指すなら、たとえ本社が北海道であろうと、東京地域での営業が許されるべきだろうが、それは現実的に無理というものであり、それぞれの土俵で勝負する以外に打つ手はないのである。このような状況では、たとえば北海道の鉄道線路は、都市部を除いてますます廃線か、バス路線化が進むだけであり、それでなくとも中央に比べて不利な生活条件を強いられている人々は、ますます自動車に頼らざるを得なくなり、鉄道会社の存在意義でさえ危ぶまれてくるのだ。

各会社は株式を上場すると言っているが、地方のますます減少する路線に対しては、一体誰が投資をする気になろうか?中央と地方の格差はこのような、先見性のない企業の配置によりますます加速されるだけなのである。

同様な事情は分割されたNTTにもある。東京のオフィス街の電話使用量は地方と比べるべくもない。電力会社では、電力を作り出す場所が山間部に多く、消費地は大都会であるだけにますますこの問題は矛盾をはらんでいる。地方で生じた損益を儲かっている会社が穴埋めする制度がなければ、格差は広がるだけなのだ。ただ、安易な穴埋めは民営改善の状態に戻してしまう危険性もある。

やはり民営化は必要だとしても、日本のように列島の沿岸部がメガロポリス化した場合には、分割をすることはかえって非効率化につながるのだ。よりよい競争を目指すなら、地域による格差なしに実現するようでなければならない。

たとえば、JRの場合、非現実的かもしれないが、同じ路線に違った会社の列車が相互に乗り入れする場合である。これは、JR貨物と一般の旅客列車とが実際に行っているし、航空会社では、たとえば東京と福岡間の路線数には一定の枠があるから、その中で、各航空会社がお互いに航空料金やサービスを競い合うことが行われている。

これにさらに、枠の買い取り、それも落札制などを採用すればより幅広い競争が可能になる。電話、電力、ガスも同様な状況の下で、競争が可能であろう。これらに立ちはだかる最大の問題は、路線、配線、配管の協同化であろう。但しこれは技術的な問題であり、早晩実現の可能性は決して低くないはずだ。

ここであげた4種類の業種はいずれも、提供する商品の質的な差異があまりない。航空機もガソリンもそうであるが、結局は価格の問題である。質が同じであるなら、消費者は価格だけが選択基準となる。だとすれば、今のように地方に住む者が不当な「離島価格」や「地方交通線料金」を払わされるのはたまったものではない。

やはり生活の基本的なものはユニバーサル料金でなければならない。人々は鉄道料金の格差に慣れてしまったようだが、これが、3分間10円の電話料金にも及んだらどうなるだろう?これは到底許される状態ではない。水道料金もひどい。全国的に調べると、最も高いところと低いところとでは2倍以上の開きがある。自治体が勝手に決めているのだ。

それにしても民営化とは、鳴り物入りで宣伝されるように本当に必要なのか?競争力の低下や非能率が民営化のきっかけになった訳なのだが、民営化によらなくても、賢い機構改革をすればそのくらいは実現できるのではないか。

むしろ民営化によって、どん欲な株主が現れ、その意向によってよいように振り回されるほうが怖い。基幹産業を国有化したのはイギリスの労働党だった。その後サッチャー首相をはじめとする保守党の面々によってこれが次々と民営化されたが、自動車や食品産業などと違って、鉄鋼、交通、電力、水道などは競争関係になじまない。

これを無理に押し進めることによって、今多くの弊害が出てきている。市場万能主義は極端な考え方である。一方、街のラーメン屋まで国営化するのも極端である。その中間の道を取るとき、これらの業種がどちらに適しているか再考するべき時が来ているといえる。

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郵便局の民営化も同様だ。今日のように歩いていける距離にたとえ小さな局でも地方には存在することを考えると、民営化していわゆる「効率化」「コスト削減」によって特に高齢者の利用が非常に不便になることが考えられる。

大スーパーの進出による商店街の壊滅など、生活に無理矢理車を使わせる自動車会社の陰謀があるのではないかと思われるふしがあるが、郵便局も数が少なくなったら「郵便局前」というバス停が出現するのだろうか。

郵便事業は、旧国鉄のような巨大な赤字を抱え込んでいるわけではない。その貯金を間違った方向に投資しているという批判があるが、それは郵便事業そのものとは別の方面の問題である。

道路公団のように、泥沼のような大赤字のところをまず何とかしなければならないのに、窓口や郵便受けで人々の生活に密着したものをそう簡単に民営化に移行してどうなるというのだろうか。

1999年11月作成、2004年8月補筆

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