政治時評

法制度や行政によって社会に実現するべきだと思われる具体的方法

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杭州・西湖

日本農業の将来

日本の農業のことを語れば、たいていの人は、離農、後継者難、農薬、化学肥料、暴落、などとあまりうれしくないことばを連想することだろう。

だが、状況は変わりつつある。確かにアメリカ方式の農業が世界の農業を工業化し、それによる環境悪化を招いていることは否定できないが、こと日本に関する限り、国内経済の縮小が農業にとって明るい展望をもたらしているのだ。

一つは失業問題である。これからの失業率は5パーセントから10パーセントへと急激に増加し、10パーセント代に乗ったとたん、巷は失業者の群であふれるようになる。

これは第2次、第3次産業の雇用がもうこれ以上できなくなってしまったことによる。1億2千万という過大な人口は、残念ながらすべての人々を仕事に就けるにはどだい無理なのだ。

この失業者が何とかたどり着くのは過疎に悩む農村地域での第1次産業である。もちろんその仕事に向き不向きがあるからすべての人々にとっての福音とはならないが、少なくとも都会の生活を離れる覚悟のできている人には一つの光明となろう。

ふたつめに、どんなに不況が進んでも、車を手放したり、高級調度品を買うのをやめるひとはいくらでもいるけれども、キャベツや米や豆腐を食べるのをやめる人はいない。すなわち食料の需要は他の産品と比べて不滅であるということだ。

この観点からすると、日本で農業をがんばって続けてゆくことは、たとえつらい時期があったにせよ、長期的に展望のもてる唯一の職業だとわかる。残念ながら漁業はそうはいかない。沿岸の魚は汚染と捕りすぎによって枯渇し、遠くへ捕りにゆくためには燃料代をはじめとする莫大な経費がかかるからだ。

みっつめは大きな援護射撃が昔から存在することだ。つまり日本は温暖で、世界でも有数の降雨量の多い国で、肥沃さはさほどではないにしても、あっという間に雑草がはびこる、植物天国だということだ。何を植えても適切な育成さえおこなえば、世界のどの国よりも恵まれている。それも南から北まですべて条件は整っており、しかもそのおかげで無類の多様性を誇っている。外国のように延々と灌漑用水を引かなければならないような場所はきわめて少ない。

よっつめに、日本の経済的沈下が、国際競争力を強め、自給率を維持するのに有利になっていくことだ。なるほどいまは、中国などの格安の野菜が猛烈に流入し、一時的な輸入制限をしなければならないほどに追い込まれているのは事実だ。

だが、それも長くは続かない。辛抱強く待っていれば、日本経済の途方もない債務と赤字産業のおかげで、株安と円安は進み、デフレ・スパイラルは止まらないから、価格が近隣諸国と比較して、どんどん下がってゆくのだ。

これに引き替え中国などは、これからいっそうの経済発展をすすめてゆくだろうから人件費は上がり、貨幣の切り上げが進めば、かれらの輸出品の値段はどんどん上がってゆくのだ。

かくして、日本の農産物の価格は下がり、中国などの農産物の価格は逆に上がってゆくから、ごく近い将来に両者の価格はほとんど均衡状態に達することとなろう。そうなれば相手が産出できない製品を除いては、農産物を輸出入するうまみはほとんどなくなるのである。

この時点で日本の農業者は、アジアの他の農業者とだいたい対等な価格設定で生産を続けることができるようになる。決して高度成長するような産業ではないが、それぞれの自国の経済圏での自給を永続的に続けてゆくための地盤が整うのである。

もちろんそのころには、各地で深刻な食糧不足や飢饉が発生し、アメリカのように技術任せで土地からはげしい収奪を続けてきた国は、土壌の死を招いて大幅な減産に陥ることも考えられるが、世界的にみると、こと食糧の国際貿易に関する限りは、緊急援助向け以外はほとんど必要もなくなるだろう。

いま必要なことは耐え抜くことだ。いったん畑や田圃を原野に戻してしまったらそれを再び耕作地にするには大変な費用と労力を必要とする。少なくともいつでも耕作を再開できるように準備しておくことだ。農業が国の、いや人々の生命維持にとって最小限のシステムである以上、決してこれを放棄してはならないのだ。

2002年1月初稿

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