政治時評

法制度や行政によって社会に実現するべきだと思われる具体的方法

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杭州・西湖

兼業を禁止するな

いつからなのだろう。どこの会社の就業規則にも「この会社での就業を本業とし、他の業種との兼業を禁ず」と書かれるようになったは。戦後の高度成長時代、ほとんどの日本人サラリーマンはそのことを全く疑問に感じないまま過ごしてきた。

しかし時代は変わりつつある。定年制や年功序列が、不況やグローバル化のものとに解体され、被雇用者の立場が大きく以前とは違ってきているのだ。かつては特殊な層にしか存在しなかったフリーターがごく普通の存在として広がりはじめた。

この中で、企業は以前よりもはるかに気軽に、平気でリストラをおこなうようになって、サムライ社会から続いてきた、「集団への忠誠」を自ら取り壊す動きに出たのだ。

もうこの動きは止まることを知らない。究極的には、全被雇用者のフリーター化が未来に待ち受けているのだろうか。だがフリーターの激増は、社会におけるアノミーを増やし、ますます社会を不安定なものにしてゆく。

しかも熾烈な競争に曝されている企業は、技術的にも知識の上でも不安定要素の多いフリーターだけを雇っていたのでは、長期的な商品戦略を練ることすらできなくなる。やはり正社員は、たとえその数は絞っても必要なのである。しかも成人が家庭を持ち、子供を産むとなれば、不安定な雇用では長続きしない。

単なるアルバイトではなく、中・長期的に仕事を続けていくためには、やはり単なる給料支払いだけではなく、ある程度の医療保障、社会保障というものがどうしても必要になる。

だが、会社が被雇用者にそのような保障を与えるからその引き替えに忠誠を要求するのはいいが、現金収入の手段として、100パーセント依存させるというのは、奴隷状態に近いのではないか?

最小限一日8時間、5日労働をするとして、1週間のうち40時間を会社に捧げているわけだから、残りの時間を休息や気分転換に使うことはもちろんかまわない。

だが、ますますもって不安定な競争社会の中で、単一の収入源だけに限定させることは、きわめてその個人の家計にとっての危険を押しつけるものになるのではないか?倒産の危険のない会社など、この世に存在しないのだ。

株式投資の方法としてヘッジ・ファンドがあり、預金は、たくさんの銀行に分散して預け、競馬ですら、多くの組み合わせに賭けるのであるから、その人が複数の収入源を持って将来に備えるのは当然の権利である。

それを会社だけの都合で制約しようというのは何様のつもりなのだろう。企業秘密が漏れるからか?漏らす人は別の職業に就いていたって漏らすはず。他の分野で働くことによって疲れるため、本業に集中できないからか?健康管理は個人の問題だ。業績が落ちたならクビにすればよい。

むしろ、極端な話、ライバル会社間の兼業を積極的にすすめるべきだ。たとえばある車の開発ににしのぎを削っている二つの会社に販売員として兼業し、同じような営業業務に勤めるというのはどうだろう?雇う側は、おいそれと彼らを粗末に扱えないだろう。有能な人間であれば、買い手市場の就職戦線に強烈なパンチを与えられる。

そもそも「専属契約」というのは、人間の優れた才能を独占的に買い取る、つまりもの扱いにした悪しき商慣行なのだ。ただ、宣伝効果も兼ねて、これに多大に契約金が支払われるから、深く考えない人々は、これを「ドリームの実現」と勘違いをしている。

それほど才能がある人でない場合では、兼業を許されることには実に大きなメリットがある。それは「専門バカ」の発生を防止してくれることである。永年勤め上げ、定年退職したあとにその職種しかできない幅の狭い人間が生まれることは、その個人にとっても決して幸福なことではない。

全く違った分野での兼業をすれば、経済的な安定だけでなく、そこに人間の幅も生まれる。ボランティア活動もいいが、少しぐらいは収入が欲しいところだ。いずれにせよ、積極的に兼業をすすめることは、バランスのとれたマルチ人間を増やしてくれることになるかもしれない。

そこまで楽観的にならなくとも、兼業によって得られる気分転換は、大いにプラスになる。3日ある職種で働き、そのあと2日間別の職種で働くことは、同じ職種を5日間通すよりも疲労回復効果が大きい。

これはヨガの考えに基づくものである。前向きの歩行に疲れたらうしろ向きに歩く、立っているのに疲れたら逆立ちをする。これらの「逆向き行為」は、疲れて寝そべるよりもはるかに健康的である。

すでに兼業を解禁した企業が、外資系を中心にいくつか現れている。もっともそれは週5日ではなく、3日ぐらい働いてもらえれば結構です、というような人件費節約の動機が含まれているのだろうが、停滞した労働市場に風穴をあける試みとして大いに歓迎したい。

だが、日本の保守的な風土では、リストラのように企業にとって都合のいいことはすぐに実行されるくせに、長期的な展望に基づく人材育成についてはとんと興味がないようだ。

これは政治の、行政の仕事である。兼業が増えるとイタリアのように収入状況が捕捉しにくくなって脱税が増えるという点は、政府を尻込みさせるだろうが。だが実体経済はむしろ豊かになるはずだ。

兼業の禁止を企業に任せておくのでは、その実現に数百年を要するだろう。「兼業禁止」を禁止する法案を作って、各会社の就業規則を強制的に変更させるしかない。

2002年2月初稿

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