政治時評

杭州・西湖

法制度や行政によって社会に実現するべきだと思われる具体的方法

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NHKの総決算

NHKの会長が3期目を迎えた。それ自体は問題ないが、これからの公共放送の行方についてさまざまな課題が山積している。一見安定した運営を行っているように見えるNHKだが、かつてのように素朴な価値観では割り切れない状況が新しく生まれていることに注目しなければならない。

まず第一に、あのイラク戦争に見られたように、戦争当事国、アメリカとイギリスのマスメディアが、戦争に対して目立った批判的姿勢を示さなかったことがあげられる。BBCを除いては、どれも戦争遂行に対しては黙認する雰囲気であったし、英米が国連決議を無視したことや大量破壊兵器の有無に対するそれぞれの政府のインチキを大きくとがめ立てするメディアがなかった。

ジャーナリストの勇気がこれほど問われたときはない。イラク戦争が泥沼になっている現在(2007年10月)ならだれもアメリカの蛮行を大声でとがめることができる。だが同時テロからイラク侵入の中でいったいどれほどの人々がきちんとした反対の態度を示すことができただろうか?あの時に無数のバッシングにも負けず自分の主張を通したごく少数のジャーナリストに心から敬意を表したい。

情報社会となった今、ジャーナリストたちの勇気の欠如は恐るべきことである。いくらインターネットが発達しようとも、メディアの持つ指導的地位と社会の公器としての責任はそう低下するはずもなく、娯楽産業だけに没頭するならともかく、政治的に重大な問題について強力な切り込みをしなければ、三権分立に続く第四の政府としての役割を全うできなければ、あるいは全うしようとする努力がなければ存在価値がないからである。

さらに、これと関係するのは、各メディアの系列化のいっそうの進行である。マードックに代表されるような俗悪メディアが、その金の力にものを言わせてこれからもはびこるとすれば、公正な報道に未来はない。特にFOXテレビなどは要注意である。白痴番組の連射によって、視聴率を上げ、これに多数のスポンサーが付く。

公共放送がこれほど重大な役割を負わねばならないときはかつてなかった。今や民放の報道は決して信用できない。なぜなら必ずスポンサーの絶大な影があるからだ。たとえば交通事故の悲惨さを強調したドキュメンタリーを、自動車会社が、どんなに太っ腹でもそれを快く許可するわけがあろうか。

NHKがどんなにお堅いとか、いろいろ言われようとも、今後も継続させていかなければならないのだ。問題は、デジタル化の行方である。これから開発されるであろうさまざまな技術は、単なる伝達手段の改良に過ぎない。高品質テレビが登場したからとて、理想のメディアが誕生するわけではない。

技術面での開発はそれこそ内容のない民放にまかせ、NHKは無駄な投資をするべきではない。そんな金があったら、世界中の特派員網の整備とか、内容の向上に全力を挙げるべきで、もっと身軽な態勢を続けるべきである。

娯楽番組の最小限にとどめ、スポーツ番組は民放の最大の収入源なのだから、そちらに譲り、こちらは直接金儲けに結びつかない番組づくりに専念するべきである。また、たいていの放送局が、24時間放送になってからというもの、質の低下が著しいが、そもそも量を増やせば、目が行き届かなくなるのは当然で、かつてのように、深夜におけるテスト・パターン(放送中断)を復活し、量よりも質の向上を図っていくべきなのだ。

組織は巨大化することによって、その融通性を失い、内部での改革機能が失われる。会長が満場一致で選ばれるような事態は、実に憂慮すべきことだ。満場一致とは、そもそも民主主義が働いていない証拠である。誰も異論を唱える人がいないなんてそんなバカなことがあるだろうか。

これは危険な兆候なのだが、民主主義の経験に乏しい人は、みんなが賛成するということは日本の「和」が実現していると思いこみ、問題追求や解決への意欲を弱めてしまうのだ。そろそろ報道部門と技術部門への、「分割」が考えられてもよい頃だ。

2003年7月初稿2007年10月訂正追加

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