政治時評

杭州・西湖

70億分の1運動を始めよう

京都議定書では不十分

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誰でも実感しているとおり、世界の平均気温はどんどん上昇し、大規模な干ばつや大嵐がこれからますますひどくなることが明らかになった。だが、依然としてアメリカは地球温暖化を防止するための対策に参加するつもりはない。

世界の二酸化炭素の消費量の実に4分の1も作り出している国が他の国に協力せず、あくまで自分たちの経済の成長だけを望むのなら、残念ながら人類の将来は、21世紀の半ばで終わりだ。これは少しも悲観的な予想ではない。

これまではどんな強国がわがままを言っても時間がたてばその国は滅び、問題は解決した。だが今回はそうはいかない。温暖化のスピードと、人口増加や産業化のスピードがあまりに速すぎるために、このままではとても間に合わないのである。

アメリカが本格的に温暖化の問題に取り組まないことが明らかになった今、残念ながら今年2005年に産まれた子供は2050年以降まで生きられる可能性は非常に薄い。彼らの前には餓死、祖国の水没、汚染によるさまざまな病気の未来が待っている。

そしてこの傾向に拍車を掛けるのが中国やインドの経済発展だ。これらの国々の人口はアメリカを遙かに上回る。もし彼らがアメリカ並の生活水準を求めるのなら、地球には完璧な破滅が訪れることは素人の目にも明らかだ。すでに日本の大気中には石油や石炭の燃焼が原因と思われるオゾンの量が増加している。言うまでもなく日本海を横切って流れてきたものだ。

今の中国では世界中の自動車会社が群がっている。どの会社も新しい市場を求めて一台でも多くの車を中国に売り込もうとしている。これでは京都議定書は何の意味も持たない。彼らの販売攻勢を止めることができるものは誰もいない。中国人たちは新しく目の前に置かれた経済的豊かさへの展望に夢中になっている。

しかし日本人としては世界第2位の自動車生産量を作り出しておいて、彼らにむかって車を買うな、それは世界の大気を汚染し二酸化炭素を排出するのだからといえる立場にはもちろんない。しかしもう時間はない。このままいけば21世紀の前半のうちに地球は破滅的状況になる。そうなってからあわてて施策をとってももはや間に合わない。

もう精神論や思想を言っている場合でもない。そのような時期はもう過ぎた。最大の問題は先進国があまりに多くのエネルギーを浪費し、一方では貧しい国ではまともな食事ができない状態が続いている。一方国連などの試算によれば、世界的に食料やエネルギーは決して深刻な不足状態ではない。

最大の問題は富の偏りである。アメリカでブヨブヨに太った男や女が、わずか500メートル離れたコンビニに買い物に行くために1リットルあたり3キロも走らないエンジンを回して運転してゆく。このような状態が続く限り決してエネルギー問題は解決しない。しかもこんなにひどい富の偏在は社会発展の原動力にはもはやなり得ず単なるあきらめや羨望のもとになるだけだ。

現在の世界の人口は約70億人である。世界中にある環境をそれほど破壊せずに利用可能な食料、エネルギーの量を計算し、これを人口で割れば、一人あたりの適正な量が割り出すことができる。それはどの程度になるだろうか。それは一人の人間が一応暮らしていける程度にはなるだろうか。

正確な数字は専門家が知っているだろうが、確実なのは、一人あたり1台の車はもちろんのこと、一家に1台でもこれは無理だろう。テレビやパソコンの場合は、より小さく高性能な機種が開発されれば可能かもしれない。食料に関してはその土地に向く一応バランスのとれた食事がとれるぐらいの値であることを祈る。

地球の一人一人がその値を超えて暮らすことがないようにやっていくことを「70億分の1運動」と名付けよう。これは平等主義というわけではない。単に地球を破壊から守るための緊急処置である。もし人口が世界全体で1億ぐらいであればこんな運動は必要ない。しかし今となってはこれ以外に地球を破滅から救う道はない。

この意味では「70億分の1運動」は政治的な問題だというだけでなく、地球市民一人一人の義務でもある。すでにドイツなどでは排出物をできる限り押さえ、エネルギー使用量も最低限度まで下げようという研究と実験が行われ、そのうちのいくつかはすでに現実化している。

「普及率」という言葉がある。自動車、冷蔵庫、テレビ、電気洗濯機、乾燥機、などと新製品が開発されるたびに、製造する企業は互いにそのシェアを競い合い、普及率100%を目指してやって来た。だがその先にはなにがあるのか。地球上に70億台の自動車は存在できるのか?それに供給する燃料はあるのか?

そのようなことを考えていけば、目標はあまりに非現実的で無意味であるだけでなく、人類の存続そのものが否定されるというのに、それらをまじめに取り上げる企業も、研究機関も、政府もほとんどない。

そもそも人々は、自分のためだけに生きる「個人主義」をそろそろ卒業してもいい頃ではないだろうか?ある程度の生活水準が保証された人々は、「自分のためだけに生きる」むなしさを感じ始めている人々も少なくないはずだ。

一方で、持てる金ではまだ足りずさらに投資を重ねてもっと儲けてやろうという人々も少なくない。アメリカ合衆国のインディアン迫害の歴史を見ると、「所有欲」にとりつかれた人間たちは、無防備な原住民の頭の皮をはぐことに何の痛痒(つうよう)も感じていない。

その結果が現在のイラクやアフガニスタンにおける米軍の蛮行と直結しているのだが、長年の間に培われた欲の際限ない膨張は、ついに地球全体を脅かすほどになったのだ。今このまま手をこまねいて終末を待つのか、新たなライ伏す隊を探求するべきなのか、その岐路に人類は立っているのだ。

2007年10月追加 2015年12月修正

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