政治時評

杭州・西湖

行きすぎた民営化

今こそ揺り戻しの時

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1980年代にアメリカのレーガン大統領とイギリスのサッチャー首相が大々的に行って有名になった「規制緩和」はたちまち世界の流行となった。これはもちろんその前に多くの経済学者が唱えた理論をもとにしたもので、アメリカとイギリスの当時の膨大な財政赤字と経済の行き詰まりを打開するために試みられたものだ。

これによって企業間の競争が今までよりもおおっぴらに行われるようになり、それまでの沈滞していた業界の中には息を吹き返したところもあった。特にイギリスでは長年の「英国病」がすっかりイギリス経済をむしばんでいたから、サッチャー首相のやり方は大いに賞賛された。

しかし世の中にはちょっとうまくいくと、これが真理であるかのように思いこみその他の側面にも何もかもそれを当てはめようと言う輩(やから)が必ず出てくる。人間とはこのように浅薄な生き物なのだ。おかげでそのような「狂信的」連中によってまわりの人々は多大な迷惑をこうむることになる。

ちょっと考えてみればわかるが、世の中の人間活動のうち、私企業が取り仕切ることによって円滑に動き出し効率も向上する分野もあるが、一方ではそれに適さない分野もあることぐらい子供でもわかることだ。それなのにすべての分野に一律に「民営化」を押しつけようとする人々がいる。彼らにとっては規制緩和は一つの信仰であり、イデオロギーとなっているのだ。それはちょうどかつての資本主義やマルクス主義の場合とそっくりである。

小泉首相の「郵政民営化は改革の本丸」といい、この『本丸』という言葉遣いからも、あまりにけったいな彼の思いこみがにじみ出ている。宗教団体の場合と同じく、狂信者ほど取り扱いに困る人々はいない。彼らが退場したあとには、残骸が累々と転がることになる。例えば途方もない貧富の差、町にあふれかえる失業者などだ。後始末に追われるのはあとの時代をバトンタッチさせられた人々だ。

航空業界は規制緩和によって各社の競争が激しくなった。かつて「パン・アメリカン」という老舗(しにせ)もあったが、あえなく競争に敗れあの独特のデザインの飛行機はことごとく塗り替えられてしまった。運賃はどんどん下がった。これはコストを削ったからということになっているが、これには労働者の低賃金化、長時間労働による労働強化も含まれている。

各航空会社ははじめのうち機内食の豪華さを競った。だがそのうちどこも同じようになり、乗り継ぎの良さ、便数で競争をするようになった。値段は各航空会社のプレスティッジによって決まる。また、ビジネス客にとって時は金なりだ。したがって「定時運行」が至上命令となる。そのためにはどんな犠牲を払っても提示の信頼性を維持しなければならない。その犠牲の中には飛行機の丁寧な点検ということも含まれる。規制があまりに緩和されたために安全という面がおろそかになるのは一度や二度のことではない。

郵便局の民営化はどうか。日本のように田舎のもっとも奥深いところでも確実に郵便物が届けられるということは、義務教育と同じく文明国にとっての最低の条件の一つである。なるほど宅配便も今では日本中どんな地域にでもいやな顔ひとつせず届けてくれる。

だが、クロネコヤマトも佐川急便も今のところ商売がうまくいっているからサービスがいいに過ぎない。不況の嵐が襲ったり、会社の運営にとって大きな障害が現れたとき、彼らはそのサービスの一部を遠慮なく切り捨てる。会社を生き延びさせることが至上命令だからだ。またその下につく無数の「下請け」はハラキリを強要される。

私企業が未来永劫にサービスを提供してくれるなどと素朴に信じてはいけない。繁華街の飲み屋を見よ。半年も経たぬうちに次々とテナントが変わる。これが企業の宿命なのだ。彼らに生活の基本となるもの(水道、電気、交通、郵便、電話、)を任せていたのではいつひどい目にあうかわからない。ましてや最近では企業買収が大流行。新しい社主は経営方針を180度方向転換するかもしれないのだ。

また、鉄道や電話、電力のように、民営化が地域分割になると実に不便だ。鉄道の場合それぞれの切符の販売システムが違い、さまざまな慣行も違う。首都圏から関西へ行ってみるとよい。東京駅の構内ではJR東日本の旅行代理店とJR東海の旅行代理店はお互いの疎通もない。

北海道、四国での鉄道経営は他の地域に比べて圧倒的に不利だ。大都市圏での私鉄のスピード競争も実にばかげている。別に平行して走っているわけでない。それぞれの沿線にそれぞれの住民がいるわけだから、もっとも地域に密着したサービスさえ行えばいい。5分や10分の差を作るために安全を無視されたのではかなわない。

経営の観点から見れば、地域別分割でなく、大都市交通会社と、地方交通会社のふたつに分け、前者は儲けることよりもどうやって大量輸送を安全確実に実現するかに集中すればよいし、後者は車その他の交通機関とどう折り合いをつけて、待たされることのない円滑な流れを作るかに専念し、当然生じる赤字は政府が補填すればよいのだ。

電話会社が東西に分かれて何の意味があろうか。そして携帯電話会社の乱立。かける相手が違った電話会社に属するために接続の手間がかかり、余計なコストを利用者は払わされる。技術の進歩の程度がそれぞれ違っているから統一したシステムを作りにくい。日本全国で固定電話も携帯電話もすべて同じ国営会社に属しておれば地震などの安全管理にしても、料金徴収にしても大幅に無駄を省くことができる。

世界には都市の水道事業を民間に任せるという愚行を行っているところがたくさんある。貧しい住民は水道料の値上げで真っ先に生活必需品である生活用水が使えなくなる。これはのっぴきならぬ人権問題である。その会社が倒産でもすれば社会問題は深刻さを増す。

私企業というものはまず株主の儲けしか考えない。とうてい社会的使命とか責任を負う気はない。そう言っている企業があるとすればそれは偽善に過ぎず外部向けの宣伝に過ぎない。彼らに生活必需機能を任したのでは、いつ夜逃げされるかわからないのだ。そこまで行かなくとも生活基本機能は独占的になる傾向が大きいから勝手に「値上げ」を言い渡されることが多い。

これらは公的な機関がぜひとも担当する必要があるのだ。だが単なる国営では、役人の怠慢と腐敗や官僚化の弊害が出る。人類はそのために何千年もの間悩んできたのだが(中国史を勉強せよ!)、なかなか効率的な方法が見つけだせないでいる。

儲けを得ることなく地域の人々の福祉向上には、どうしても人々の「連帯」がいる。私企業にその未来がなければ、他の手段に求めるしかない。例えばNPOが考えられる。人々が金さえ払えばサービスが受けられると言う考えを棄てない限り、そして自らが参画して事業を進めていく考えがなければ結局どん欲な連中の餌食にされてしまうのである。→NPOの将来については、別項で論じる予定。

2005年8月初稿

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