政治時評

杭州・西湖

日本人はなぜ怒らないのか?

財界になめられている世界一のお人好し

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フランスの学生運動は、またもや政府の方針を覆した。1789年の革命以来、自分たちの政府の方策が気に入らないと国民ははっきりと意思表示をし、歴史の流れの中で数え切れないほどの流血や破壊を伴ったけれども、社会は行きつ戻りつ、何とか前進してきた。

このようなやり方に対して好意的な見方をしない人々が大部分であろう。なぜならそのような人々は保守的で秩序を重んじ、穏健な変化を何よりも好むからだ。だが、この日本国における国民の行動はどう見ても世界の標準からはずれているーあまりにおとなしいのだ。

なるほど日本の歴史をひもとけば、「一揆」や「島原の乱」というような人々の蜂起がなかったわけではない。だがそれは大勢の人々の連帯に発展はしなかった。散発的な反乱はどこでも起こるものであり、有能な指導者のもとに組織的な抵抗が行われることはまれであった。

この伝統は例えば徳川家光以降の、国民を押さえつけ政治への参加を徹底的に妨げる政策の成果だともいえよう。「百姓は殺さず、生かさず」というような方針は、明治になっても戦後になっても変わっていない。たしかに大正時代には自由民権運動が高まった時期があったが、圧倒的な軍部の権力増大はそれは完全にうち消してしまった。

敗戦による、アメリカ占領軍の力の政策の前に、国民は完全に服従した。途方もない犠牲を払った第2次世界大戦の結末は、これまで比較的声を高らかに上げていた人々さえも圧殺した。日本人の無気力はここに始まるといってよい。

その典型的な例は、60年代の「安保闘争」であろう。マスコミに取り上げられ、まるで日本中がアメリカの安全保障条約に反対であるかのように思いこんだ人々もいた。特に学生たちは。だが事実はそうではなかった。国民の大多数は保守的な政府の政策をただ黙認していたのである。

その証拠に、あのいかにも大がかりなデモが去り、国会で議決されると直ちに世の中は平静になった。騒ぎまくった学生たちは挫折し、卒業して高度成長経済の最も有能なる兵士として出陣していった。そこには理想や権力への対峙といった若き情熱はみじんも残っていなかった。

普通の学生の「ノンポリ」が当たり前とされ、何らかの政治活動に取り組む学生は異端視される。会社では労働組合を結成することは、反逆者の行為であり、経営者たちとは「個別に」「信頼関係を持って」友好状態を保つことが最上とされる。

このような雰囲気のもとで、高度成長社会は悲惨な公害をはじめとしてさまざまな矛盾を産みだしたが、その中にある明らかな政府の施策の誤りに対し、大きな声を上げてつぶす運動は結局この60年間一度も起きなかった。さらにソ連は潰れたのに、日本の保守系の政治家によるほとんど一党独裁体制といってよい状態は今も続いている。裁判所もおそらく意図的に公判を遅らせ、公害患者のほとんどが死に絶えてから企業を有罪判決にしたりしている。

野党は次第にその支持を失い、国会で大きな影響力を示すことができなくなった。人々はますます非政治的になり、右よりまたは左寄りになること自体が、画一性を重んじる社会の風潮に合わないかのようだ。かつては日本にも2大政党体制ができるのでは、という期待があったが、「よれば大樹の陰」のことわざの通り、反対党である民主党は未経験で無能な政治家のたまり場となってしまった。

現在も日本の各地にアメリカ軍の基地がある。これらは実質的に敗戦当時のGHQと何の変わりはない。彼らは、日本の上空を思うままに飛行訓練し、住宅地の真上に騒音をばらまこうと、兵士が町で犯罪を犯そうと、すべて「治外法権」といっても差し支えない権力によって思うままである。

彼らは第2次世界大戦後日本に進駐してきたとき、狂信的な日本人が復讐として襲いかかるのではないかと非常に恐れていたという。戦時中の特攻隊員のことがあったからなおさらであろう。ところが日本人の反応は友好的で、そのような暴力事件はほとんど起こらなかったという。アメリカ兵たちはあっけにとられた。世界の他の場所と非常に違っていたのだ。

それ以後彼らは日本人にはどんな強硬な要求を突きつけても大丈夫だと自信を深めている。基地の維持費も払わせよう、轟音は我慢させろ、アメリカ兵に対する特別待遇を続けよ、アメリカ兵が犯罪を犯しても日本の警察に引き渡す必要はない・・・等々

日本の国土におけるガン細胞のような基地の存在に対して声を上げる人々は非常に少ない。真上から響くジェット戦闘機の轟音にもただ耐え忍ぶだけである。高射砲を用意し、これらの飛行機を撃墜しようと考える人々はいない。技術的には不可能ではないのだが。基地周辺の自治体は少しでも人々の怒りを和らげるためか、「防音工事」を行っている。まさにこれは「ミザル・イワザル・キカザル」という言い回し通りのカリカチュアになっているのだが、誰もこの問題をさらに突き詰めてみようとする人は現れない。今すぐ防音装置をはずし、周辺住民の怒りを最高潮にまで高めるべきなのに。

人々の怒りはどこへ向かっているのか?それとも日本人は怒りを抑えてもストレスが溜まらない特殊な人種なのか?外部に発散できないとしたら、おそらく内部に向かうのであろう。いちばん手軽な解決方法は自分より弱いものをいじめることである。部下を、妻を、身体の動かないホームレスを、幼児をとありとあらゆる陰険な方法でいたぶることが大流行になっている。これによって自らの緊張状態がいくらかでも解決されると思いこむ。

犯罪のスケールも小さくなった。単なる物取りが多い。しかもその額は少額で冒した危険と少しも見合わないものが大部分だ。大政治家を襲うとか、何か政治目的をはっきり掲げた犯罪が驚くほど少ないのはなぜか。日本のニュースを騒がせる刑事事件は小さな自己利益を求めるものばかり。

老婆の住むアパートに押し入り、金ほしさに殺したが奪った金額はわずか2万円だったりする。かつて白バイ警察官を装った男が3億円を奪ったことがあった。もう時効になってしまったが、そのような綿密な計画に基づく犯行は滅多に起こらない。

自分たちを押さえつけている社会の欠陥を見ないとき、あるいは気付かないとき、怒りは「同士討ち」という方向に向かう。これは権力者にとっては大変都合のよい事態だ。かつてイギリスが「分割統治」という方法で植民地経営を行って成功したが、怒りが自分たちに向かないようにするには最高の方法なのだ。

国民は、まただまされやすい。そして国民は「永遠に成熟しない」ー小泉首相の演説に、ふだん政治的な定見を持っていないのに歩道橋の上から熱狂する人々。ナチス時代を彷彿(ほうふつ)とさせる。「有能」な政治家たちはそこのところを実によく心得ている。

人々はさまざまな社会問題について深く、しかも自分の力でいちいち考えることはしないし、その時間もない。政治家たちは、自分たちが政治を「代理」していることをいいことに、ますますプロフェッショナルの領域に国民を立ち入らせない。そして日本国民はそれでいいのだと信じ切っている。あるいは何をしても無駄だとあきらめきっている。何しろ彼らはみな「暴力反対」なのだ。

国民は自分たちが巧妙に搾取されていることもほとんど自覚しない。この10数年間は「不況」だと喧伝され、みんながそうであると信じてきた。だがそれは小規模な零細企業の話であり、大規模な会社はそんなくらいでは少しも揺らぐことはない。しかもアメリカ式に社員の数を自由自在に調整する方法を学んだのだからますますもって好調である。

銀行が不良債権を抱えて潰れそうだとマスコミが報道したのはつい10年ほどの前の話だ。政府の超低金利は、実に巧妙な方法である。銀行の利率が低いことは銀行が人々の預金を泥棒しているのと同じなのだが。人々は自分たちが受け取るはずの利子を銀行に寄贈させられている。逆に借金の利率は相変わらず高く、むしろ苦しい低所得者の懐を狙っている。

銀行はこの10年間の間に、猫の目のように名前を変えて合併した。富士銀行も第1勧業銀行も、太陽銀行もすべて「倒産」したのが実態なのだが、誰も潰れたとは言わない。名前の呼び換えによる詐欺行為。利息を払わなくてもいいものだから、その間に銀行は多くが増収を記録した。だが国民は誰も怒らずノホホンとしている。

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今の日本で抗議運動が効果的に機能しているのは、「拉致被害者グループ」ぐらいなものである。これは指導者が有能であり、攻撃目標も解決目標もきわめてはっきりしているからだ。このような場合国民の関心を集めやすい。しかもマスコミがこれに否定的な報道はまずしない。

だが、他の分野での抗議運動は絶望的だ。力が分散してしまい、エネルギーが希薄になって最後には消滅するものがほとんどだ。しかも同時テロの宣伝のせいで、暴力はいけない、テロはいけないという社会通念がすっかり固定化してしまっている。

歴史の中で暴力やテロなしで社会の前進が行われた例は、探すのがきわめて困難だ。デモは暴動になる。暴動はいくらかの犠牲を払いながらも何とか目標を達する。そのあとグループの内部で分裂が起こり、運動は後退する。だが新たな指導者が現れて再び新たな方向に向かう。社会の進歩はジグザグコースを取るしかない。

フランスにおける第2次世界大戦中におけるレジスタンス、イラクにおける止むことのないテロの続発、中国で経済発展に取り残された人々の引き起こす暴動、これらは不条理な外の力に対する人間の自然な反応である。これなくしては社会は閉塞し内部から腐ってゆく。

21世紀は、過去の人々が予想したような理想社会にならなかった。それどころか逆に「弱肉強食」が賞賛され、社会の進歩がアメリカを中心として逆行し、一方で露骨な金儲けが横行する社会になった。誰がこんな無法社会になると期待しただろうか?人類をまともな進路に戻すには「人々の怒り」しかない。

2006年4月初稿

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