政治時評

杭州・西湖

右傾化する日本政治

安倍新政権の行き先

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小泉内閣から、安倍内閣へとかわり、日本の政治は新しい段階を踏み出した。しかし、これまでの小泉内閣のやって来たことを振り返ると、これからの先行きに対して誰でも大きな不安を覚えることだろう。

小泉内閣が発足したころは、日本はどうしようもないほどの景気の沈滞に陥っていた。それまでいくつかの内閣が、何とか上向きにしようとがんばっていたが、いたずらに国家財政の借金を多くするだけで、目に見える効果がほとんど上がっていなかった。

小泉総理大臣の登場で、「経済改革」ということばが何度も繰り返され、国民は改革の必要性を痛感した。だが、実際に行われたのは、大企業の救済だけであった。彼の「改革」とは、イギリスのサッチャー首相やアメリカのレーガン大統領が行った一連の政策の踏襲であり、それは実に粗末なものであった。

実はこの10年間、世界中で、「改革」を行うことは政治家の間で一種の流行になっていたのである。「規制緩和」によって、経済のある面の活動が活発になったからだ。だがたとえば、何もかもやたらに民営化を進めた結果、自分たちの住む都市の水道事業までも民営化してしまい、その経営にあたった民間企業が倒産して、市民は生活の根本である水の供給が途絶えてしまったなどという笑えない例が続出した。

小泉首相の民営化は、道路公団では不徹底に終わり、郵便局においては地方に住む利用者の不便を招き、さらにはタクシー業界では無計画な新規参入によって運転手の年収が激減し、大型小売店の増大は都市の中心部の衰退をもたらした。

これらはいずれも十分な計画を持たず、ただ闇雲で粗雑な政策を行った結果である。一方では労働政策を大企業の有利な方向に持っていっている。このため、何の身分保障もない労働者を増やして、これを雇用関係のクッションとし、おかげで企業は人件費という足かせから解放され、空前の利益を上げるに至った。

しかも、その利益を従業員に還元する必要がない。一時雇用に対しては従来どおりの賃金でいいし、そもそもこの国の最低賃金はほとんど変わらないままだ。日本の労働者の連帯が弱く、労働組合の組織率が低く、個々の労働者の意識が低いことを利用して、労働三法を骨抜きにするような政策が次々と打ち出された。

このやり方は、ヨーロッパ方式ではなく、アメリカ合衆国でのやり方にいっそう近づいたことを表す。しかも社会福祉のほうは、人口減少と高齢化を理由に年金制度や、健康保険の弱体化を図り、これらも民間の保険会社に任せようとしている。最近のテレビのコマーシャルで生命保険会社のそれがやたらに多いのはそのせいである。

やがて、国民はこのような状況が当たり前だと思いこまされ、何しろ江戸時代以来日本国民は実に忘れっぽくてお人好しだから、それに対する組織的な抗議も起こらないだろうと行政側はたかをくくってきたのだ。

対外政策では、これまで以上にアメリカ寄りになってしまった。人口密集地の真上をアメリカの戦闘機がカミナリのような音を立てて一日中訓練のために通過してもまったくそれを許容し、住民は自治体の負担による、エアコン設置による住宅の防音工事でなだめすかされている。

アメリカの一国主義はブッシュ政権が終わりに近づくにつれて、破綻したことがいよいよ明白になってきたのに、アメリカに基地を提供し、これからのアメリカの軍事行動を支援、ひょっとして将来的には参戦するかのような姿勢は、多極化する世界においては孤立化する危険をますます高めてしまった。

さらに、ばかげた靖国参拝によって、中国と韓国を無用な冷却関係に持ち込んでしまったし、他の東南アジア各国との関係も、経済面以外では何も密接なつながりをもっていない。東南アジアを EU のような連合体へすすめることへの明確なビジョンもなにも持っていない。

地政学的な関係をしっかり持たずして、日本は立ちゆかないことは分かり切っていることだが、この小泉政権の間にますますそれが理想から遠のいた。最近ではとなりの国々との資源や領土を巡る対立が跡を絶たないことでもわかる。

今イランからの石油輸入が危機に瀕している。アメリカのいうことを聞くならばイランと絶縁しなければならない。だがそうすれば石油の大きな輸入元がなくなってしまう・・・かといって日本には、フランスのように独自路線を取るような外交的手腕は明治維新以来一度も示したことはなかった。

次の衆議院選挙はまだまったく視界に入ってきていない。安倍新総理大臣はこれまでの手法を継承するのだろうか。小泉総理大臣は、今の若い世代が、ワイマール共和国時代の若いドイツ人と同じく、不安定で扇動されやすく無知で「バカの一つ覚え」に弱いことを知り尽くしていた。

残念ながら、21世紀初頭の日本の政治世界は「衆愚政治」で切り抜けられると知っていた小泉の見方は正しい。「この国民にしてこの権力者あり」とはよく言ったものだ。

戦後60年以上がたち、人々の考えにも保守化、右傾化が目立つようになった。一方では左翼的な勢いはどんどん衰えてしまった。しかも第2次世界大戦の実相をきちんと伝えてもらわなかった若い世代に増えている。

歴代日本政府が戦争責任について曖昧にし、前の戦争では自分たちこそが被害者だったのだと声高に叫べば、歴史的なことにはまるで無関心な若者層は「きっとそうに違いない」と思いこむ。安倍総理大臣が、教育基本法に手をつけようというのもそのチャンスを狙っているからである。

ネオナチなどのやり方と異なり、政治家の右傾化は静かに進む。いつの間にか法律の条文が彼らにとって有利なように変えられている。ジョージ・オーウェル「動物農場」の教訓が生きている。その変化はよほど政治情勢に敏感な者でないと気がつかない。人々がふっと気がついたときには、完全に外堀を埋められてしまっていたというのが歴史の教えるところである。

2006年9月初稿

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