政治時評

杭州・西湖

自動車が増えるにまかせていいのか

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最近の報道では「バイオエネルギー」がもてはやされたと思ったら、世界各地で食料品の値段が高騰し始めたという。バイオという名前に踊らされる人間たちの浅はかさが一気に表面に出てきた感じである。

たとえばサトウキビ。これが燃料として高く買い取られれば、食品として売りに出すよりもはるかに儲かる。日本の米生産を休んでいる地域では、米をどんどん栽培してこれをアルコール燃料に使用という動きが始まっている。

彼らの理屈は、燃やすものであってもその原料が植物でその成長過程では炭酸同化作用により、空気中のに酸化炭素を取り込んで酸素を吐き出すから、地球温暖化に関係しないというものだ。その植物を大量に栽培するには大量の水や肥料がいることや、その後燃料にするプロセスで、途方もなく二酸化炭素を消費することにはまるで頭がいっていない。

ここまで人間たちを駆り立てる自動車とは何者だろう?心理的な面で言えば、自分だけのスペースが確保できて、目的地までプライベートな空間が守られるというのが、スピード感、加速間に加えてたまらない魅力になっているらしい。

しかし大部分の日本人が自動車を買う理由はなんと言っても「便利」という言葉につきる。大きな荷物を抱えずに済むし、子供がいてもスムーズに目的地に運べるし、(最初に買ったときの価格のことを忘れていれば)相当安価に旅行できる。

しかし自動車は便利ではないのである。不便そのもので浪費を重ねる地球の破壊者である。問題は、社会的費用(つまり自動車会社が負担しない)で次々と道路を建設し、流れをよくするために道幅を広げ、駐車場を至る所に作り、ドライブ・インに代表されるように自動車から降りなくても用が足せるシステムを次々と開発してきたことである。

これによって人々は自動車を取り巻く環境が大いに改善され「便利」になったと思いこんでいる。ところがこの結果おきたことは、毎日の食糧の買い出しに使うような商店、通う学校、生産工場と消費地との間隔がひどく広がってしまい、分散してしまい、徒歩圏での生活が不可能になってしまった。またやたらに駐車場の土地が必要なために、都市部での住宅の有効利用が進まず、経済的損失が甚だしくなっている。今時駐車場のないコンビニではすぐ客足が途絶えてしまう。

つまり、「車は便利」というのは実は洗脳された考え方で、現実は「車がないと不便な社会」に作り替えられていることに気づかないだけなのだ。これは人間が自らを家畜化して人工環境の中に閉じこもろうという傾向と大いに関係がある。自然発生的な集落を作らず人工的な計画で都市づくりをすすめて行くとこんなことになる。

たとえば、名古屋とか仙台の都市構造がいい例だ。次々とスペースたっぷりの自動車道路を造り、車はかなりスムーズに流れているが、小規模で密集した商店街はどんどん衰退し、郊外の「モール」や「アウトレット」に人々が集まるようになっている。

これらの都市の最大の特徴は、江戸時代以来の密集した住宅地域を大規模に買収しておおきな道路を見境なく建設した。おかげでそれらの地域における都市生活は破壊され、単調なビルが林立するだけになってしまった。そして広い道路には車が単調に流れて行く。

これらの都市では公共交通がどんどんその乗客を失っている。流れのいい道路を造ったために人々はバスに乗るよりも自家用車で行くようになった。バスが市営の場合、自ら道路を整備してその結果バスの客が減るという皮肉な結果を生んでいる。

もしバス会社が収入を上げようと思えば、バスレーンの整備や、自家用車に対する強力な規制を行い、場合によってはひどい渋滞を作り出して自動車を運転する気をなくすようでなければ、その未来はないのだ。

しかしながら日本のほとんどの自治体では、自動車交通におもねり、道路を増設することは公共の利益になると信じて疑わない。その態度がありありと出ているのが、そのような道路に併設されている歩道のひどさである。ある時はとぎれ、ある時は穴凹だらけで、ある時は不法駐車のスペースになり、危険を感じた歩行者たちは自然そんな道から足が遠のき、ますます車の増加に拍車をかける。

一方で車道の方は舗装は分厚く、車の通行に支障がないように十分なスペースがとってある。文明国でこれほど野蛮な道路行政がまかり通っている国が他にあるだろうか?

さらに日本は京都議定書では二酸化炭素の排出量を減らすと公言しながら、実際には少しも減ることがなく、目標は守られる見込みがない。アメリカのように公然と排出の減少はできないと主張する方がまだ正直だといえる。次々と絶え間なく道路を建設しているのだから、そのときに必要な二酸化炭素も含めて、減らす気持はまったくないのだ。

結局自動車が「一家に一台」という目標を地球のすべての所帯が実現するようになれば、間違いなく地球は破滅する。今ほとんどの車の重量は1トンを超えている。単なる燃料の消費だけでなく、一台を作るのに必要な鉄、プラスチックその他の膨大な資源のことを人々はあまり口にしていないようだ。一台の車が資源をどれだけ浪費しているかを知る一番いい方法は、衝突してめちゃめちゃになった車を眺めるか、スクラップ工場で直方体にされた鉄の塊を見ることである。

今一番現実的な方法は、駅から歩いて30分以内にある家庭での自家用車の所有を完全に禁止することだ。自動車は宅配用、農業用、輸送用に限定されるべきであり、これだけで道路はがら空きになる。

人々の生活習慣も変える必要がある。エネルギーの少ない買い物のやり方としては、加工品はネットショップで注文して宅配(自家用車で買いに行かない)を頼み、生鮮品は(肉・魚・野菜)は近所の小さな店で買う。

タクシー料金は高いと人々はいう。だが彼らは最初に自動車を買ったときのまとまった金額や車検、税金、保険、高速代に必要な支出のことを忘れている。10年自家用車と使うとしてほとんどの人々がタクシーを使った方がはるかに安価だということに気づくはずだ。

荷物がなければバス、荷物や幼い子供があればタクシーと使い分け、道路がすいていれば公共交通機関もスムーズに走れるから、何の問題もない。すでにこのような施策を実行している都市が欧米にはいくつかあるが、日本では行政の実行力がきわめて弱く業界の意向に振り回されているのでこれは夢物語に終わる可能性が大きい。

これを地球規模の問題として捕らえれば、ますます絶望的である。インドと中国に代表される国々は二酸化炭素の削減どころのさわぎではなく、車の台数を倍々ゲームにしなければ経済そのものがたち行かないのだから。

2007年4月初稿

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