政治時評

杭州・西湖

私有財産の無制限な自由化は何をもたらしたか

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冷戦の終結により、ベルリンの壁は崩壊しソ連や東欧諸国は共産国であることをやめた。この一連の事件は資本主義の勝利とされ、世界中の国家体制はキューバや北朝鮮のわずかな例外を除きすべて自由経済を目指すようになった。

おかげでインドや中国、ブラジルに見られるような急速な経済発展が地球上の各地で起こり、人類がすべて裕福な生活を送るようになると予想された時期もあった。その期待が幻想であったことが明らかになったのは21世紀に入ってからのことだ。

資本主義の暴走が次々と明らかになるにつれ、これまで過去の古びた考えだとされた共産主義、社会主義の考え方が再び姿を現すようになった。これはこれまでアメリカ合衆国による経済支配を受けていた南アメリカの諸国に著しい。

いったい何が起こったのか?これまで経済発展を謳歌してきた国々はもちろん、なかなかこれまでに蓄積された貧富の差を克服できない国々もアメリカやイギリスが提唱した新自由主義、つまり無制限な私有財産の自由化がいかなる害悪を及ぼしてきているかを否応なく実感させられている。

かつて社会主義国においては私有財産の制限が行われた。「公」にのみに重点を置くその壮大な実験は人々の勤労意欲を奪い非効率化をすすめ、巨大官僚の支配する無責任体制を作り上げてしまった。これらの国々はその問題点をいやというほど経験し、この反動から自由主義に飛びついた。

ベルリンの壁以前、これらの国々においては医療は無料で行われ、(少なくとも名目上は)乞食やホームレスは存在せず、貧富の差がなかった。「国立商店」というものが存在しそのサービスの悪さには定評があったが、経済全体が順調なうちは安価な食品が供給されていた。

これが一転して自由主義経済になると、医療は各自の責任となり、ホームレスが町にあふれ、格差がひどくなった。そして何よりも私有財産を無制限に持てるということがいったいどういう結果をもたらしたのか?

富裕層が出現し、「金持ちはますます金持ちに、貧乏人はますます貧乏に」と言われているように、金を持っている人はそれを「投資」することによってますます多くの金を生ませようとする。ふしぎなことにひとは金持ちになったからといってそのまま満足することはない。さらなる富を求めて活動する。

一つの店を経営してうまくいけばさらに出店を出して利益を2倍、3倍にしようとする。企業は買収を通じて次々と他の会社を飲み込んでゆく。個人的には使い切れないほどの財産がたまったことがわかっていてもそれで利潤追求をやめるひとはいない。

グローバルなスケールでこれが進むから、ついに北極海の氷も溶けだした。地球温暖化による気候異変がもたらす地球破滅は間近である。しかし人々はそれよりも「もっと大事なこと」にかかわりあっていて目を上げることができない。

「私」が「公」を完全に駆逐したらどうなるか、その壮大なる実験が今行われている。そしてその結果は間もなくあらわれる。社会主義の実験が悲惨な結果に終わったように(新)自由主義の実験も地球の破滅を伴って終了する予定だ。

極端から極端へ。人間がこれまでしてきたことを歴史的に振り返ってみるとどうやら中途半端が嫌いらしい。バランスを取って中間を進むという能力に欠けている。社会主義を「左」、自由主義を「右」とすれば人類はこのいずれの実験も済ませたようだ。

誰が考えるまでもなく、最も現実に即した方針はこのちょうど中間にあるのだが、人間が社会生活を営む中ではその「位置」を決めるのが非常に困難らしい。

それでもこれまでの「経験」によって「左」の弊害も「右」の脅威も知ったとするならば、人類はこれから賢明な道を進めるだろうか?残念ながら楽観するわけにはいかない。というのも今も次々と過去のことを知らない新しい世代が生まれており、彼らにまた一から教え直さなければならないが、教育はその機能をきちんと果たしておらず満足に彼らにその教訓は伝わらない。

ドイツであれほどの惨禍を経験してなおかつきちんとした伝承が行われているにもかかわらずあらたなネオナチが後を絶たない現状を見てみるがいい。人類は健忘症なのである。再び愚かな実験を繰り返すことになる。

2007年10月初稿

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