トレーニング指南

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私の友人が、ある日突然小腸から出血して緊急入院した。幸い癌ではなく、なにかの原因で小腸に潰瘍が生じてそこから出血したのだが、そこを切り取って継ぎ合わせることで、回復することができた。退院して10日後、今ではおかゆから始めて、少しずつ普通の食事に戻ろうとしている。

だが、原因は何であれ、これまでの不摂生な食生活のツケがあらわれたのは間違いない。10種類に及ぶ血圧関係の薬を飲み、朝食は抜き、昼食と夕食には必ずビールを飲み、塩分過剰で、まるっきり運動をしない。これで病気にならない方がおかしいのだが、63歳になってこのような手痛い経験をして、やっと健康維持の重要性に彼は気づいたようだ。

そもそも、それまで自分の体をコントロールするという発想はまるでなかった。自分でコントロールしなければ、結局のところ他人(ここでは医者)にコントロールされることになるのだが、そこまで将来を見通していかった。しかし、もっと恐ろしいのは知識の欠如であろう。

誰でも医者がいれば病気を治してくれると思っている。病院に行けばありがたい薬をくれて、あっという間に回復するものだと思っている。しかも日本は世界に誇る皆保険の国だから、よほどの病気でないと費用を心配する必要もない。

だが、誰でも医者とは”修理屋”であるという大切な事実を忘れているのだ。なるほど、伝染病や外傷、栄養失調が絶えることなかった時代にはそれでよかっただろう。だが少なくとも、日本のような恵まれた社会では、まったく事情が異なっている。実際のところ、食べ物に関しても、運動に関しても普通の生活をしていれば病気になるはずがないのだ。

それなのに日本の病院に患者が満杯なのはなぜなのか。それはひとえに人々の健康意識が低すぎることにある。仕事で忙しいうえに、欲望の向くまま、広告の勧めるまま、好き勝手な生活を送り、それがどのような結果になるかを考えようとしないのだ。自分で自分の体をコントロールしようとする発想が皆無で、病気になったら直してもらうだけという、ていたらくなのだ。

これを車の維持と比較してみよう。誰でも新車を買ったら慎重に運転するし、掃除もまめにするし、定期点検をできるだけ受けて快調な状態に維持しようと努力するだろう。事故でも起こさない限り、よっぽど不注意な扱いをしない限り、買ってから5年ぐらいは修理工場に持っていくことはあるまい。

自分の体のほうが、車より重要なはずなのに、日本人の健康意識がゆがんでいるのだ。そのくせ、清潔には気を使い、家に帰ったら石鹸で何度も手を洗ったりしている。自分の体を常に快調に保ち、ちょっと変調が出たら、すぐさまそれを調整するにはどうしたらいいのかについての知識がまるでないのだ。

まずは「栄養学」の知識がない。栄養学とは、食品にどのような栄養が入っていて、それが人体のどの部分に、どの場合に役に立つかを調べる学問だ。実はこれは医学より難しい。なぜならこれは修理技術ではなく、自然界の仕組み、例えば何で柑橘(カンキツ)類にはビタミンCが多いのか、といった問題にまで立ち入って調べなければならないからだ。

また、世間では「野菜をいっぱい食べましょう」などとと盛んに言っているが、”いっぱい”とはどのくらいのことなのか。お相撲さんは何百グラムのほうれん草を食べれば”いっぱい”といえるのか、小学1年生でたった15キロしか体重のない娘はどのくらいが”いっぱい”なのか、何もはっきりしたことはわからないのだ。

その理由は、栄養学が医学に比べてまったく軽視され、しかもまるで”金にならない”ことが原因なのだ。将来の給料がいちばん気がかりな学生たちにとって、栄養学なんて何の魅力もない。それよりも薬学部に入り、何にも知らない患者たちに、役に立たないとわかっていても、どしどし薬をわたすことのほうが、はるかにいいのだ。

そんなことで、食材についての栄養組成、適量、摂食頻度、これらについてすべてはあいまいなままである。だから食べ物についての偏りがあっても気にする人は少ないし、外食産業では、ひたすら安くすることだけが目標だから、「野菜サラダ」といっても、ネズミ一匹に十分なくらいしか出してくれない。

そしてもう一つは「疫学」についての知識である。栄養学が”個体”についての研究だとすれば、”疫学”は集団についての研究である。徳川幕府の末期の将軍たちは、そのほとんどが短命だったのは、「銀シャリ」を食わされて、まるでビタミンB類が足りず脚気になって、心臓発作を起こしてしまったからだ。

愚かな食品知識が流布すると、このようにろくなことが起こらない。この情報過多の時代でも、「…は…に良い」方式の広告が後を絶たず、薬事法による取り締まりも甘いものだから、大勢の人々が騙されて、効きもしない薬や”健康”食品を買っている。しかも疫学的研究は難しい。ほかの要素がたくさん入ってくるからだ。

例えば、プラシーボ効果。「これは大変効きます」と信頼を寄せている人に言われて飲めば、その薬がうどん粉であっても、なんらかの良い効果があらわれることが知られている。「みんなが買って飲んでいる」と言われれば、取り残される不安感の方が健康に悪かったりする。「砂糖が体に悪い」といわれれば、翌日から、完全に砂糖抜きにする人が後を絶たない。

疫学も栄養学同様、地味な学問であり、研究費の支給は実に貧しい。だから学者の質も下がっていく。今日のように資本主義が野放しになる傾向が強いとき、「儲からない学問」はいち早く切り捨てられるのだ。集団を対象にするだけに、統計的手法を用いることもあって、結論を人々を納得させるのにえらく時間がかかる。たばこの害が社会に認められるのにかかった時間を見よ!

3つ目は、「運動生理学」である。これまた人々に目を向けてもらいにくい学問で、スポーツのコーチにとっては欠かせないが、選手たちは、自分でそれを詳しく研究するものは少ない。これは運動によって、体がどのような変化をもたらされるかを調べる学問である。

この学問は、ウィキペディア日本語版にはまともな項目がない(2014/05/14現在)。ただしウィキペディア英語版外部リンクにはある。こんなお寒い状況だから、栄養学や疫学よりもっと虐待されている。一般人も「最近運動不足だから、ちょっとジョギングでもしようか」程度の発想では、それ以上詳しくジョギングの功罪について調べたりしないだろう。

誰でもふだん、運動していれば、素朴な疑問がわく。例えば、足を使う運動でも、徒歩、走り、自転車では、使っている筋肉が微妙に違い、筋肉痛になったとしても、それぞれの運動では痛む部位が異なる。ということはトレーニングをしていても、強化する筋肉をいろいろ調整する必要が出てくるわけだ。スピードスケートの蹴りだす力と、自転車でペダルを踏む力は、同じ筋肉を使っているという(橋本聖子外部リンク)。したがってその成果を利用すれば、走っても歩いても自転車に乗っても、抜群の成績を示すことのできるサイボーグ的肉体を作ることも不可能ではない。

しかし何と言っても、先の友人の病気も、もとはといえば運動不足によるといっても過言ではない。中学校の時は50キロに満たなかったのに、入院直前には、85キロに肥満していたのだから。運動不足が体に良くないことは誰でも知っている。だが、先の野菜の量と同じく、いったいどのくらいの量、激しさで運動をしたらいいのか。

個人についてのその適切な値については、非常に難しい。管理の厳しいといわれるオリンピック出場予定選手でも、しばしば故障を訴えるのは、その人の弱い部分が十分に把握されていないためである。ましてや運動に何の関心もない人々は、でたらめにやっているといってもよい。

適切なトレーニングは、現代人にとって欠かすことのできないものだ。それは食事、運動、そしてその2つの間の絶妙なバランスによって実現される。「医者いらず」もこのようにしてできるのだ。我々自身の努力で、日本中の医者を閉店させようではないか!

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© 西田茂博 NISHIDA shigehiro

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