(1999年)

雨にかすむ西湖

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目次

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第1章 街を歩く 第2章 名所めぐり

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第3章 中国人の生活 第4章 記録

上海再訪2015年

第3章 中国人の生活 

自転車 なんと言ってもこの国での都市における庶民の交通機関といえば自転車だ。通勤時の自転車の流れは実に壮観だ。実は蘇州に行ったときレンタサイクルを借りて、実際にその流れの中で自転車をこいだのだ。こんなにたくさんの自転車の中で進むのは初めての体験だった。まるでレースの出発の時のようである。自転車は基本的には不安定な乗り物であるから、もし接触したらただでは済まない。歩いていて袖が触れるのとは訳が違うのだ。でもみんなゆっくりこいでいる。次々と追い越して行く。変速機をつけた車が少ないせいか、せかせかする必要は全くないせいか、みんなのんびりこいでいる

主要な道路には車道と舗道の間に自転車専用道路が設けられている。上海でも杭州でも蘇州でも道路は広々としているので、かなりゆとりを持って作られているのだ。自転車が極度に虐待されている国から来た者にとってはうらやましい限りだ。ただしそこはモーターバイクも通れるし、人力三輪車も通れる。感心なのは車と同じく右側通行が整然と守られていることで、逆方向に走ってくる不心得者はほとんどいない。だから流れに沿って走っている限りはきわめて快適である。

問題なのは自転車の品質である。自転車は簡単な構造でありながら、基本的な技術の差が著しく出る機械である。それはまず車体の微妙なゆがみ。これがあると自分の力が効率よく伝わらない。もう一つは車軸の摩耗部分の精度。インチキ品はちょっと使い方が激しいとすぐにガタガタになってしまう。残念ながら中国製の自転車はこの点をクリアしているとはとても言えない。見たところ、かなり台湾製品も出回っているようだが、これも耐久性において1級だとは言えない。

自動車、バイク、テレビ、パソコンなど日本製品の品質は広く知られているが、自転車の優秀さもここで付け加えたい。ただ、軽量であること以外は、買ってすぐには分からないのだ。優秀かどうかは最低5年走ってみて、そのときにガタやゆがみが出るかどうかで分かる。私が蘇州で借りたものはひどいものだった。タイヤがリムからはずれそうになっているわ、ペダルはひん曲がっているわ、フレームが歪んでいるわ、いつパンクするかひやひやものだった。まさか走行中にわざと故障を起こさせて弁償金を取るというのではあるまいな?まさか。貸してくれた若夫婦はとても感じのいい人だったから。

自転車の製造技術はあらゆる工業の基礎だと思う。中国が自力で優秀な工業製品を作るつもりなら、このように地味なところから積み重ねて行かねばならない。安いが実用に耐えないものを輸出して、高価な工業製品を日本や欧米から買うことより、物を正確に丁寧に作り上げるという雰囲気を中国の中小の、いや零細の製造業の中に作り上げるべきだ。日本も戦前は安物で壊れやすいことで有名だった。しかしこれははっきり言って資源の無駄である。品質のいいものを作るのには、手間はかかるが多量のエネルギーはいらない。必要なのは器用で精密なものを作れる技術者であり、職人なのだが、この点で中国は未だに未成熟だと言える。

上海での最後の日はしとしと雨の降る日であった。みんな同じ形のポンチョを羽織っている。黄色あり、紫あり、赤あり、色とりどりだが、みな同じカットのデザインなのだ。さすが自転車王国らしく、こぎやすく、使いやすくできている。日本のポンチョはただ正方形のビニール布を半分に折って、真ん中にフードを取り付けただけだが、こちらのは燕尾服のように後ろを長めにして泥の跳ね返りを防ぎ、前のほうはハンドルがうまく覆えるようにエプロン状になっている。買って帰りたいが、どこで売っているのだろう?自転車屋だろうか。こんなに歩き回っても実は自転車屋が一つも見つからないのだ。だが幸運にも、たまたまある衣料品屋にあった。雨の日なので、ポンチョを店の前の見やすいところにつり下げてあったのだ。19元。

公安 警察は「公安」と呼ばれ、ほとんどの街角にいるのではないかと思うほどあちこちを巡回している。何となく不気味だ。(幸い)今回は関わり合いになることはなかった。もっとも交通整理をしている婦人警官に、自転車で歩道を走るなと言われてしまったが。台北の街角にいる警察官の数と比較すると、やたら目立つ。しかし、これほど大きな国のこと、貧富の差が拡大し、社会的な不満が高まりつつある中では必要最小限なのかもしれない。

主要な通りで信号のない交差点には昔の日本と同じように踏み台に立った警察官が排気ガスの雲の中で必死に交通整理をしている。夜の街は11時過ぎでも小学生や若い女性がうろうろしているが、これも公安の徹底的巡回のおかげかもしれない。かつてのニューヨークのように、凶暴な事件が起こるような雰囲気は、この町には今のところない。

ことば 今回最もおそれていたのは上海特有の方言、いやほとんど独立した言語ともいえる上海語しか通用しなかったらどうしようかということだった。何しろ日本の書店でも上海語とはっきり示してあるテキストも売っているのだ。しかしこれは杞憂に終わり、街の人々は誰でも普通の標準語(プートンホワ)をしゃべることができることが分かった。これはたぶんにテレビ・ラジオの普及や映画のおかげだろう。最後の日に見たジャッキーチェンの映画「Gorgeous」も標準語だった。彼の初期の作品はみな広東語だったのだ。ただし地名については標準的な発音とかけ離れているものが多いようだ。

ホテルのフロントの人は言うまでもなく(英語のほうが手っ取り早かったが)、夜の女の客引き、弁当屋、タクシーの運転手、食堂の娘、定年退職したおじいさん、人力三輪車の車夫、いずれにも標準語で通じたし、向こうも同じ標準語で発音してくれた。特に客引きは言葉のプロだ。発音はきれいで、最もわかりやすい。インドでも、台湾でも、そして上海でも人々は話し好きだ。外国人と見れば、好奇心からかすぐ近づいてきて根ほり葉ほり質問する。ましてやこちらが片言の現地語をしゃべる場合はなおさらだ。

少しでも中国語を口にすると相手はびっくりして態度が一変する。きわめて珍しい存在だと思われるらしい。困ったことに急に早口になって畳みかけてくるものだから、聞き取れなくて困ってしまう。でも話すほうについて言えば、去年の台湾での体験に比べると、格段に相手の言っていることが分かるようになった。第一、語彙が増えたし、構文の中にそれをはめ込んで言い換えることにもだいぶ慣れた。これで3ヶ月ぐらい缶詰になって中国語だけで暮らしたら、ずいぶん上達することだろう。

現地駐在のビジネスマンを除いて、日本人観光客で中国語をしゃべるのは中国語コースを専攻している大学生ぐらいだろうし、欧米の観光客はどこまでも英語で押し通す。各国の観光客が乗り合わせる遊覧船の上で観察していると、英語の得意な中国人のガイドや通訳がいつもそばにいて相手をしている。この言語帝国主義には辟易する。確かに英語で世界が旅行できるのは便利だが、それでは英語を母国語とする人々だけが有利になってしまう。しかもそれだけ世界の文化の画一化を促進するものだ。やはり英語だけが一方的に発展するのは好ましいことではない。中国語やロシア語も世界語として通用するようになってほしいものだ。

書店へ行って英語のコーナーを見ると、あるわ、あるわ、日本と同じく、英会話、英語の検定、留学、そして大学入試の参考書、全くそのままに山のように並んでいる。ただ解説が日本語でないというだけの違いだ。試しに何冊かの大学入試用の文法書を読んでみると、全く同じ内容、同じ構成なので笑ってしまう。英語関係の本の多さを見て、ビジネスマンとして成功するためには上海人も英語習得に必死なんだなと痛感する。

人手の多さ 世界一の人口を(誇る?)中国ではあらゆるところに人力が利用されている。これは単に機械化が遅れているというだけでなく、失業対策にもなっているのだと思う。博物館の裏手では土を掘り起こしていたが、巨大な溝を作っているにもかかわらず、鶴嘴、もっこが主要な道具になっていた。バスでは車掌というよりも切符売りが、ほとんど必ずといっていいほど乗っている。ワンマンバスはあるらしいが、今回見た限りでは一度も出会わなかった。街角には必ずと言っていいほど清掃員が待ちかまえていて、少しでもゴミがあるとせっせと掃き掃除している。たいていは17,8歳ぐらいの若い女の子が多く、おかげで街はとてもきれいで、ゴミを捨てるのが恥ずかしくなる。

日本の標準サイズのファミリーレストランではウエイトレスが二人、下手すると一人でやっているところが少なくないが、あちらでは小さな個人レストランでテーブルが5つぐらいでもウエイトレスは4,5人もいる。余り多いから暇なのだろう。あくびをしている子も少なくない。デパートといえば、日本でもあれだけ売り子が多いのだから、想像がつくだろう。ちょっと売れ行きの悪いデパートでは明らかに客より人数が多い!かみそりを買いに駅の旅行用品コーナーに行ったら、担当の店員がぐーぐー寝ていた!

傑作なのは鉄道の車内だ。上級車両だけでなく、一般客のための車両にも、一両ごとに「服務員」がいる。みんな若い女性で、愛想は悪くない。その仕事とは、ホームで客が乗り込むときの検札(全席指定)、列車が動き始めると、大きな大きな薬缶を抱えて通路を歩き、インスタントラーメンを食べたりお茶を飲みたい乗客のためについで回る。4人掛けボックスの中央には大きなテーブルがあって、その上には食べ滓、たとえばカボチャの種の殻などを入れるバットが置いてあるが、彼女は定期的に巡回してそのゴミを大きなポリ袋に集めて回る。その他、質問に答えたり、網棚を点検して、落ちそうな荷物を見つけると注意したり、置き直したりなど、実にこまごまとした業務をこなしている。

テレビ ホテルでのテレビのチャンネル数は13,14ぐらいある。そのうち6局ほどは地元のテレビで、残りはCNNやNHK衛星放送、スポーツ専門局など。また日本のトレンディードラマが実に多い。吹き替えでしゃべっているわけだが、「ショムニ」など、どこの社会でも通用しそうなストーリーはすんなりと中国人にも受け入れられるのだろう。たいていの地元の番組には漢字による字幕が付いている。テレビ放送の言語は基本的にはプートンホワ(標準語)だが、発音上、上海語しか理解できない人のために、全国共通である漢字によって補っているのだ。この点、表意文字は便利である。そして中国語を学ぶ外国人にとってはテレビは実際に町中で話すのに次いで、素晴らしい教材である。

明や清の時代を扱ったいわゆる「時代物」も少なくない。日本の時代劇と同じ感覚で見るのだろうか。そして、社会問題を扱ったドキュメンタリー番組も健在である。環境問題が最も大きく扱われているテーマだったが、政治的な面にもかなりつっこんだ良心的な構成のものも多い。これは人のセンセーショナルなプライバシーに鼻をつっこむのが趣味である、自由主義社会のマスコミほどにはまだ俗悪化していないせいだろう。極端な規制もなく、まだ大幅な質の低下も招いていない、今上海のテレビはちょうどいい位置にあるのかもしれない。

貧富の差 言うまでもなく、共産中国では表向きは金持ちと貧乏人の差はないことになっている。乞食はいない。(ホームレスはひとりだけ歩道橋の上に寝ていたが)少なくとも外国人の目の触れるところにはいない。でも杭州の駅前で列車待ちをしていると、子供を連れた女が、それほど服装はみすぼらしくはないが近くまで来て手を差し出してきた。金持ちそうな人を選んで次々と手を出して断られる。公安の目をかいぐぐって潜在的には存在するらしい。

上海にきて買い物をするとまず気づくのは2つの階層に分かれた価格である。一つはエリートや外国人のための価格、そしてもう一つは庶民の価格であり、ふたつの世界は厳然と分かれていて、庶民にはとうてい乗り越えられない境界線が横たわっている。これが中国社会の現実になっている。結局、毛沢東があれほどの血を流して破壊しようとしたものがすっかり今では国の流れの中心になっているのだ。

100元(約1500円)というお札を考えてみよう。外国人が3ツ星(中流)以上の宿に泊まると、これが最低4、5枚いる。揚子江の河口まで連れていってくれる遊覧船では1枚いる。これで特 A船室に入れてもらえる。空港近くには成功したビジネスマン向けの100万元という「邸宅」がずらっと並んでいるのだ。為替相場という化け物のおかげで日本人はここでのエリート階級の財力を持てるわけだが、中国は大きい。個人的に日本人の小金持ちをはるかに凌駕する人々が数多く存在することはテレビで、超高級マンションの宣伝が盛んに行われていることでわかる。

一方、普通の商店で買い物をして2,30元使ったとする。大きなスーパーや百貨店なら何とかなるが、小さなところ、露店、タクシーなどではお釣りがないか、困った顔をされる。第一、庶民はたいてい「財布」というものを持っていない。ポケットに小銭をつっこんでおくだけで事足りる。「裕福な」日本人が知りポケットから財布を取り出すのを見られると、たちどころに貧富の心理的な壁ができてしまうのだ。100元とは庶民が手にすることはきわめて少ないお札なのだ。麺類一杯5元から20元、バスや地下鉄が1元から3元という世界ではそんなお札は必要ないし、不便きわまりない。そして街の安食堂で食事をする個人旅行者もそうだ。この国に入って元に両替してもらったら、近くの中国銀行を見つけるたびにこまめに100元を10元札にくずしてもらわないと、食事すらできなくなる。デパートの最上階にある食堂に出かけたとき、ほかは満員なのに「日式しゃぶしゃぶ」のコーナーにはお客がほとんどゼロ。何しろ60元から80元もするのだ。そんな高い昼食を取る庶民はいない。

香港を別にすれば、上海は中国での最先進地域だから、ほかの地方もこれからどんどん収入の高い層と低い層との分化が進むだろう。経済発展のおかげで最低貧困層の底上げがかなり進んでいるものの、自由競争の容赦ない原理は下の層に襲いかかるだろう。中国版「怒りの葡萄」が出てきても不思議ではない。今は共産社会から自由競争への時代への中途半端な移行期である。これから国営企業の廃止や保障制度の伴わない大量首切りの未来が待っているのである。

これに引き替え、日本はなんと貧富の差の少ない国だろう。中国も、インドもそしてアメリカ合衆国も、国が大きく、民族が多様であればあるほど、この問題は顕著になる。そして為替相場のまか不思議さ。日本から来た人は一杯5元のラーメンを「安い、安い」と騒いでいるが、中国人の平均収入から見れば、少しも安くない。たとえば日本人の平均年収と10キロ4千円の米とを比較して見よ。これこそやたら安いではないか。海外旅行者にとって、為替相場は相対的な金銭感覚を狂わせる魔物である。

毛沢東と共産社会 帰国も近づいた頃、大きな書店によって毛沢東自身の著作や彼の歴史的地位についての書籍がどのくらいあるか調べてみた。やはり思ったとおり、この町の外観が示すように、管理経済学、マーケティング入門、コンピュータ管理の本が大いばりで本棚の大部分を占め、毛沢東については伝記のコーナーに目立たず置かれているだけだった。今の若者にとっては、彼の理論は清や明の時代と同じくらい遠いものなのかもしれず、彼や彼女の目下の関心はコスト計算か何かなのだろうか。

中国では上海が、香港を除く最も先進的な地域である以上、他の地方もみなこれにならってゆくだろう。毛沢東とその成し遂げたことについて高い評価をする気はないが、歴史の教訓というのは必ず将来において役に立つものであり、少なくともごく20年前まではこの国民は歴史の流れに翻弄されたという記憶は次の世代に確実に伝えてゆかねばならないだろう。それにしても1949年の中華人民共和国政府樹立からわずか50年。はじめに目指したことからなんと遠くへ来たことか。たとえば英国と比較してみよう。この国は「権利の章典」以来、権力構造や社会構造の変化は比較的すくなく安定している。これだけ大きな国が、短期間に路線変更をしてきており、これからも急激にどの方向に向かうのか全く想像を絶する限りである。

後戻りのできない日本人 発展途上国に行っていつも思うことは先進国にない、新鮮さと活力に満ちていることだろう。インドでもそうだったが、ここ中国でもまず子供たちの目の光が違う。物質的に恵まれないということは人間に希望や工夫をして暮らしてゆく能力を与えてくれる。日本はその道を通り過ぎてしまった。もう後戻りはできない。エアコンを取り外して暑さの我慢大会をやれば変人になる。除菌されていなければ、すぐ食中毒になる。清潔で衛生が行き届きすぎたおかげでアレルギーになる。同じ人類でも若さを持つ民族と老化した民族とではずいぶん大きな差があるようだ。しかし昭和初期に戻ることができない。文明の進歩とは個人個人から生きる力や工夫を奪ってゆくことなのだ。

バンドの夜景帰国 最後の日、遊覧船から下りて小雨の降る中、バス停に立っていると、若い男が近づいてきて、「・・・ワイタン?」と私に尋ねた。ワイタンとは租界時代の古い建物が建っている地域のこと。即座に方向を教えてやった。地元の人と間違えられて、道を尋ねられるのは、言葉を学びに海外に来ている者にとって冥利に尽きる。いよいよ今度は長距離バスを使って、北京、西安、奥地のチベットやウイグル地区にいて見たい。

どこかの軽薄なテレビタレントに「代理旅行」などしてもらわないで、やはり自分の目と足で確かめるのが一番だ。不思議なことに、現地に来るとしゃべれるようになる。無理矢理自分の意志を伝えようと悪戦苦闘している内に、すでに覚えた単語や言い回しが自然に口から出てくるようになるのだ。聞き取りや読解の練習は日本でもできる、でも会話はやはり実際に現地の人の中に飛び込まないと何も始まらない。

再び空港から成田行きの飛行機に乗る。飛行機というのは人を別世界の存在にしてしまう。ついさっきまではいつくばっていた地表が飛行機が高度を上げるにつれ、どんどん小さくなってゆく。あの客引きもタクシーの運転手も、食堂の娘もみな、あの高層ビルの影にいるのだが、みな私たちと等身大の人間なのに、上海のきらめく街の光の中に消えてゆく。いつも帰国の時に感じる感傷である。

第4章 記録

旅行期間 1999年3月15日より21日まで

3月15日(月曜) 夕方成田発UA837便にて上海へ(所要時間約3時間)揚子飯店にて宿泊(6泊)

3月16日(火曜) 徒歩で南京路経由でバンド地域を散策、フェリーで対岸に。タワー(東方明珠塔)に登る。再びフェリーで戻り徒歩で下町地域を散策(豫園周辺)。徒歩で遊園地(大世界)にゆく。いったんホテルに戻ったあと、和平飯店にジャズを聴きにゆく。

3月17日(水曜) 上海博物館にゆく。フェリー乗り場調査、上海駅調査。南京西路界隈を散策。

3月18日(木曜) 上海駅より列車で杭州へ。レンタサイクルにて西湖を一周。再び上海へ戻る

3月19日(金曜) バスターミナルより長距離バスで蘇州へ。レンタサイクルにて市内を散策。再び上海へ戻る

3月20日(土曜) 豫園周辺を回った後、淮海路を東から西へ散策。午後3時半よりフェリー乗り場より長江(揚子江)との合流点を見る遊覧船に乗る。(往復3時間)再び淮海路に戻り9時より映画館でジャッキー・チェン主演の Gorgeousを見る。

3月21日(日曜) 午前上海発UA838便にて成田へ(所要時間約2時間半)

おわり

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