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17年後、上海を再び訪れる。今度は自由旅行ではなく、ツアーの一員としてだ。自由行動はないものの、食事は三度ともついているし、前回訪れたところとは大部分が異なっている。南シナ海に面した、市東部にある浦東空港に昼過ぎに到着後、さっそく町の南を西へ向かう高速道路に乗る。車窓の風景は、香港と同じく異常に増殖した高層ビル群だ。低層ビルは前からあったもの、これに対し最近作られたものは、みな途方もなく高層であるのは、この地域には地震がほとんどないせいだろうか。 高速道路は片道3ないし4車線なのだが、朝夕のラッシュ・アワーでなくとも、慢性的な渋滞を引き起こしている。17年前の記憶はないが、今回の上海の空は常にスモッグでおおわれていた。北京ほどひどくないにしても、これだけの人口と自動車の台数があれば、一年中大気汚染に悩まされているといってもいい。 |
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都会の中心から離れ、郊外に出た。バスを降りると、それまでの高層ビル街とは異なり、昔ながらの町並みが現われる。小さな商店や食堂が並び、コンビニはまだまだ少ない。 |
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中国人は、ありとあらゆる種類の料理を作り出す。世界的に有名なレストラン料理のみならず、”屋台料理”の豊富さでもどこの国にも負けない。この光景は17年前も今も変わらない。 |
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50キロほど西へ、つまり内陸部へ進むと、ようやく上海市のはずれに出て、古くからの「朱家角古鎮」に到着。揚子江の南(江南)は、湖や沼や小川だらけで、町はベネツィアのように縦横に走る運河、無数の橋、狭い路地が特徴の美しい街並み、つまり”水郷古鎮”を形成した。 |
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車の騒音・排気ガスがどこにもないのが、素晴らしい。橋の形はそれぞれに工夫を凝らし、わざわざ川筋に沿って離れてみると、アーチや様々な形式の橋が見られる。ここは「放生橋」。生きた魚をここから”放つ”と縁起がいいのだという。橋のたもとには金魚売りのおばさんがいた。 |
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そこから無数の湖沼を通り抜けると、無錫(ムシャク)市に入る。ここは上海の東の端にある空港から西に200キロ近くも離れている。無錫駅の近くを古い運河が縦横に通り、ここはライトアップされて、大勢の人々が見物やショッピングに集まっている。 |
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古運河にかかる「清明橋」。この時はかなり雨が降っていて、傘が必要なほどだったのだが、そのほうがかえって運河の雰囲気を盛り上げてくれたようだ。 |
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ホテルに入る。かつては流行っていたが、今ではすっかり老朽化したために、料金が安くなってしまったホテル。部屋の各所に補修のあとがある。中国では、上のように四角形の洗面台をよく見かけた。また、蛇口のところに金属の棒が出ていて、それを引いたり押したりすると、洗面台中心にある栓が上下し、水をためたり排出したりできる。泊まった部屋のバスルームは、まわりの壁がスリガラスでできていて、中に入って電気をつけると、寝室側からその明るいのが見えるという変わったつくりだった。 |
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翌日、「太湖(タイコ)」に向かう。琵琶湖の3倍以上の大きさであるだけでなく、中小の付属湖を抱えている。ここはレイ湖(lihu)といい、湖岸にたくさんの公園が設置されている。ただし乗用車でないと、そこを行き来することは難しい。水郷地帯の自然はよく守られているが、上海のベッドタウンともいえる、高層マンションの林立する地域に入ると、まっすぐな3車線の道路が縦横に走るだけで、歩く人は見えず、面白くもなんともない。車がなければ外出もままならない。中国では、少なくとも大都市周辺はアメリカ式の無味乾燥な”車社会”を目指しているようだ。 |
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屋根つきの「石塘橋」。これも渡ってみるより、横から離れてみると、漢詩の世界が実感できる。この後、真珠研究所へ寄った。そこでは太湖の淡水で育つカラス貝から、真珠を取り出して製品にしている。 |
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無錫市内で、 西にある山のふもと、「恵山古鎮」を散策。ここは山沿いの古い村。これらの家々の白壁と特徴ある屋根の形は、これからできる新しいマンションのデザインに採用されている。 |
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無錫から、南東にある蘇州市に移動。中国のピサの斜塔、「虎丘」。わずかに傾いている。 |
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上海地域では、排気ガスを出すオートバイは禁止されている。代わりに登場したのが電動バイク。充電が大変だろうが、まるで音がしないので、警笛をじゃんじゃん鳴らさないと、近づいてくるのに気付かない。日本の電動アシスト自転車と違い、ペダルがないので、ただ乗っかっているだけだ。だが写真のように、いかにもアジア的な”3人乗り”が堂々と行われている。ピンク色の袋は布団だ。人間はいったん肉体的に楽な状態に慣らされると、もはや汗水たらすことが馬鹿らしくなる。17年前には道路にあふれるほどだった自転車が、ほんの少数派になってしまった。なお、上海周辺の大通りでは、歩道と車道の間に自転車専用道(電動バイクも可)がかなりきちんと整備されている。 |
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蘇州市内の運河ナイトクルーズに乗船。ここら辺の人々は水際のライトアップが大好きなようだ。大小の屋形船を出して建物や、古代の城壁の眺めを楽しむ。 |
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上の右端に見える、このきらびやかな建物のそばの船着き場に上陸。 |
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ここからは引き続き運河沿いの道を散策する。提灯をつけてそれが水面に反射する。 |
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このあたりは「山塘街」と呼ばれ、蘇州市内の新たな観光スポットだ。 |
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翌日は「平江路」に行く。きらびやかな現代風の街並みからすぐ近くなのに、水路とそれに沿った白壁のおかげでゆったりした気分を醸し出している。 |
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しかも、この日はカンカン照りではなく、今にも泣きそうなぐずついた曇天であったのが、かえって幸いした。漢詩の世界にぴったりなのである。 |
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「平江路」から左に折れた水路をたどると「ぐう園」に着く。”ぐう”というのは”配偶者”のとは違った漢字なのだが、英訳を見ると The
Couple's Garden とあるので、それに近いと言えよう。中の東園と西園が”対”になっているからその名前がついたそうだが、それが”夫婦”にあてはめられており、塀にある丸い出入口は、夫婦の円満を示すものだという。 |
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建物の中から、このような透かし彫りをとおして庭の風景を楽しむという風流さがある。また、「観月亭」はそこから直接に月を見るのではなく、池に反射した月の姿を楽しむのだ。ここは世界遺産だ。帰りは運河を横切る渡し船に1分間乗ってからオカにあがるのだが、漕ぎ手の爺さんが、なんかとても威勢のいい歌を聞かせてくれた。 |
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シルク工場へ寄る。入口には絹の製法を発明したという黄帝の后である西陵の像が飾られ、両側には繭(マユ)の山が陳列されている。紀元前6000年も前のことだ。ほかの国では製造不可能だったから貿易が興り、「シルクロード」ができたのだ。実際に繭から糸を引き出す実演を見せてもらった。 |
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蘇州を出て上海市内に入った。「七宝古鎮」へ行く。 |
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鶏の頭も足もつけたままの丸焼き。このように串に刺して、束ねて陳列している。 |
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上海市内の最近流行で、おしゃれな店の並ぶ一角は「田子坊(デンシボウ)」。右側に見える煉瓦は、かつてフランスの租界(ソカイ)だったことを示す。建物はそのままに、中を店やレストランに改造しているのだ。迷路のように広がる、非常に狭い通りで、肩と肩が触れるくらいなのがモールらしくなくていい。 |
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かつての建物が保存されているだけでなく、フランス本国から持ち込んだ街路樹(マロニエか?)まで残っている。この後、夜には上海雑技を見に、「上海商城劇院」にでかけた。以前見たものより大規模で、スリル満点。ただし撮影不可。 |
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夜の上海駅北口。駅前広場は広大で、この地下には地下鉄が3本とおって乗換駅になっている。なお、中国での安全チェックは厳重を極め、博物館などの公共施設への入場はもとより、上海駅北口から南口へ抜けるだけでも、荷物をエックス線に通し、身体検査を受けなければならない。だから人々が駅に出入りする賑わいは今のところない。 |
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それでも17年前と同じく、公園でもここ上海駅前広場でも、太極拳その他の武芸やダンスをする人々がいつも大勢いる。 |
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魯迅(ロジン)公園。公園と記念館がセットになり、いまだに魯迅は多くの人々の注目を集めている。上の緑色のものは芝生ではなく、水に浮いた苔(コケ)である。この風景も晴天より、曇天が似合う。 |
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魯迅先生が弟子たちと話をしている。見事なロウ人形の展示。魯迅記念館にて。 |
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上海の浅草が、この庭園「豫園」界隈であろう。今回は庭園内に入らず、外の賑わいだけを楽しんだ。17年前に食べたシャオロンポーの店では、相も変わらず長蛇の列だった。 |
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豫園入り口近くの池。多数の鯉が生息している。 |
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17年前にも訪れた上海博物館に入った。今度は見方を変え、何でもまんべんなく見るのではなく、造形的な観点から、ユニークなものを探して歩くことにした。というのも古代人というのは、ワンパターンに陥りがちであり、様式に縛られる作品が多いために、面白みがないと、常々感じていたからだ。今回は興味を引いたものだけを撮影した。上の”枕”は寝ている人間をかたどったもの。 |
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この猫だか、豹だかわからない生き物は、金属製の鉢に何とか這い上がろうともがいているように見える。取っ手にユーモアを含ませた例。 |
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このヤカン(急須?)は、ラクダの首を注ぎ口に、ふたをコブに、足を脚として利用した。こうやってみると、古代人の中にも、遊び心を持ったなかなかセンスの良い者がいたということだ。 |
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「田子坊」と似ているが、もっと規模の大きいのが、「新天地」だ。並んでいる店の名前を見ると、世界中に蔓延している”モール”と変わらないのだが、これまたフランスの旧租界を利用した部分がある。この銅像が中心になって、南北に広がっている。何しろ上海の人口は巨大だから、こんな商店街はいくつでもある。 |
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時計のオメガの店が、古いレンガ造りの建物に入っている。「新天地」からちょっと外れたところにあるが、雰囲気をうまく利用している。 |
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いよいよ最後の夜。上海を横切り、揚子江にそそぐ「黄浦江」の右岸はこの「東方明珠塔」に代表される高層建築のライトアップが派手に輝く。ナイトクルーズ船は大勢の観光客を乗せて、ビルの途切れるところまで来ると、Uターンして出発点に戻る。17年前は揚子江の見える場所まで行ったものだったが。 |
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そしてその対岸、左岸には昔からの「バンド」がある。右岸と異なり、こちらは17年前とほとんど変わっていない。上海の街はニューヨークのマンハッタンや、パリ、香港のようにギュッと圧縮されておらず、広いところに観光名所が散らばっているので、それぞれの場所にたどり着くのが大変だ。魅力的な場所は多いのだが。 |