(2003年)

ノートル・ダム

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目次

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空港ノートルダムルーブルコンコルド広場シャンゼリゼ周辺凱旋門エッフェル塔周辺宿泊

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H O M E > 体験編 > 旅行記 > パリとエトルタ(1)

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出発  旅は、多様性と非日常性を求める。もし自分の住んでいるところと似たり寄ったりだったら、わざわざ時間と金をかけて遠くまで出かける価値がない。ところが、 現代世界は、日毎に画一性を増し、旅の楽しみが急速に失われている。特にアメリカ文明に汚染された地域は、目隠しをはずされてどこだか言い当てることが難 しいくらいお互いに似てきている。

フランス、特にパリの 町に焦点を当てたのは、ずっと昔にフランス語を学習したからだけではなく、ヨーロッパ文明の独自性を今でも保っていることを期待したからだ。もちろん市内 にはマクドナルドの支店はたくさんあるが、頑固にも12世紀やそれ以上前の時代からの建物を守ってきたこの町の魅力を味わってみたいと思ったのだ。

季節は冬の12月。観光客であふれる夏と違い、木々は木の葉を落としてまだ雪は降らないものの、素顔の町の姿をより鮮明に見せてくれるかもしれない。こう思いながら成田空港を旅立った。エールフランス航空の機内は、予想に反して座席の99%が埋まっていた。冬季は運賃の価格が下がり、ノエル(クリスマス)の準備にかかるパリの町を見たい人は多い。

エールフランスはいま1日に早朝便、昼便、夜便と三種類の出発時間を設定している。成田からパリへ向かう場合は冬季は偏西風に対する向かい風になるため、14時間かかる(逆向きの場合は12時間で済む)。夜行便に乗れば翌日の早朝4時半頃にド・ ゴール空港に着いてしまう。だがおかげでその日はまるまる有効に使えるのだ(機内でよく眠れた場合は)。

帰りも夜便にする。これはド・ゴール空港を夜の11時15分に出て、翌日の午後7時に成田に着く。この場合も昼間は目一杯遊んで、くたくたに疲れたところで夜の飛行機に乗るのだから、時間の無駄がない。

これに5日を加えて合計7日間、フランスに滞在することにした。これは平均的なツアーに比べるとかなり長い。よく見かける「パリ5日間」とはいうものの、本当に完全に一日を使えるのは実質2日ぐらいしかないのだから。着いた日と帰る日は、空港内をうろうろするタイムロスが実に多い。しかも一人旅とあれば、「一人部屋料金」たるものを徴収されるのだからたまったものではない。

かくして、往復切符だけは買い、ホテルは着いたその日に適当に見つけることにした。そのためには荷物は最小限、リュックサック一つにまとめる。トランクを持っていくと、到着した空港での受け取りのために、ベルトコンベヤーに運ばれてくるのを延々と待たされる。旅は身軽がいい。

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観察日記(1)
メトロ;パリ交通公団 RATP は地下鉄網をパリ市内に縦横にめぐらせているが、路線が複雑で地元の人さえ路線図とにらめっこしている。ドアは自動的に閉まるが、開けるときはレバーを押すか、ボタ ンを押す。なぜだろう。混んでいるときは面倒だ。奧から入り口に向かうときは必ず「パルドン( Pardon )」と声をかけ、黙って押しのけることはない。
メトロの切符
メトロの切符

携帯電話は禁止されていないが、大ぴらに話す人はいない。車輌はぴかぴかのもの、幅の狭い古めかしいもの、ゴムタイヤをはいたものなどさまざまだ。

切符はすべて自動改札だが、出るときは使用済み切符が戻ってくる。だから出口のまわりは捨てた切符が散らばっている。下手に持っていると使用済みかそうでないかわからなくなるので早めに捨てることだ。

自動改札はまず穴に切符を入れ、もう一方の穴から出たのを抜き、ターンスタイル(回転棒) を押して回し、さらに「顔面板」を押して構内にはいる。「顔面板」とは無賃乗車をする若者が飛び越えないようにするためか。(この板がないところでは彼らが飛び越えているのを何度も見 た)

切符は一律1.30ユーロで、10枚のカルネ( carné =回数券)なら10ユーロでずっとお得。(これは2003年の時点であって、これから先は毎年際限なく上がってゆくであろう!!)窓口でも自動販売機でも買える。地下道が縦横に走り、一方通行の部分が多くもうけられて、混雑時に人々が スムーズに流れるように工夫されている。一方通行を逆走したら、たちまち人々と衝突しそうになる。

東京の地下鉄と、路線図と駅周辺図のデザインがそっくりなのに驚いた。かつてパリまで調査に行ったのだろうか。ついでに一方通行も取り入れてほしかった。東京の方がはるかに人々の流れが激しいのだから、ぶつかりあう危険がないとどれだけ歩くのに楽だろう。

東京の地下鉄だとまず路線名を覚えることが先決だが、パリではそれよりその路線の両端の駅の名前を覚えるべきだ。乗換駅での表示は、みなこれなのだ。ちょっとした工夫で、うろうろせずに済む。

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到着  シャルル・ドゴール空港(CDG)はパリの北にある。南にあるオルリー空港より広く近代的に造られた。到着すると、滑走路は雨に濡れて光っていた。。入国手続きなんて何もない。日本人だということもあるのだろうが、係員はパスポートを見もしない。もちろんスタンプも押さない。パスポートには成田で押された出国のスタンプがあるきりで、どこに出かけたのかなにも記録が残っていないのだ。

早朝4時といえばまだ外は真っ暗で、到着ロビーでトランク を受け取るために待っている人々を後目に、まだ誰もいなくてがらんとした空港の建物内を中距離通勤線(RER)の駅へ向かう。到着したところからかなり距離があるため、ところどころに「動く歩道」がもうけられている。

パリ中心部(クリックして拡大)
パリ中心部

ようやく駅の待合室について自動販売機で切符を買おうとした が、旅人が最初から小銭を持っているわけがない。お札を使うには有人窓口を探さなければならない。さんざん歩き回った末にようやく見つけ、7.75ユーロのパリ市内行きの切符を買う。ちょうど東京の山の手線内と同じように、市街地域のどこにでも下車できる切符だ。

ホームはさほど寒くなかったが(摂氏8度)、実に暗い。まだ5時台だから乗客の数は少ないものの、列車が入ってきた。ここを始発にしている電車だ。このRER線は決してぴかぴ かの最新車輌でもなく、スプレーされた落書きを消したあとが生々しいが、列車の本数も多いし、ほぼ40分で都心にはいる。市街地にはいると地下に潜る。

町歩きの出発点はノートルダム寺院と決めた。というのもこのRER-B線は空港から南に向かって延び、町中を通り抜けてちょうどパリを串刺しにするように走っているから、パリ発祥の地であるシテ島にあるこの有名なNotre Dame (我々の婦人=マリア様)寺院に降り立つのが最もふさわしいと思えたからだ。

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観察日記(2)
フジタ;カフェの女カフェ: 市内に無数にあるカフェは、疲れたときにコーヒー一杯を飲むには最適。1.5ユーロぐらい。朝食、つまりプチ・デジュネ( petit déjeuner )が用意され、夕食は一人旅でも肩身の狭い思いをせずに一人でちゃんとした食事ができるところでもある。

つまり家族連れや友人同士で食事するレストランに 比べて、こちらは一人用の小さいテーブルが用意されていることだ。メニューを見ればちゃんとアントレ( entré =主菜の前の料理、サラダなど)、プラ( plat =主菜、肉か魚料理)、デセール( dessert =デザート)と3段階はそろっており、味も決してレベルが低いわけではない。

10~15ユーロ,奮発すれば20ユーロで食べられる。たいていはレジがない ので、請求書の入った皿にお金を入れて渡す。チップ不要なのは助かる。ベルサイユ宮殿のインテリアの影響か、カフェにはなぜか非常に鏡が多い。間違って突っ込んでいきそうだ。なお、街には公衆便所が非常に少ないので、ここで済ませるのが一番。

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西側から見上げたノートルダム。この建物はどの角度からが最も美しいのか?
ノートルダム

ノートルダム サン・ミシェル・ノートルダム(St.Michel Notre Dame)駅から地上に出ると目の前にはには月光の中にあのノートルダム寺院の優美な建物が冬空の中に浮かび上がっていた。まだ早朝のこともあり、通る人もほとんどない。これがパリとの最初の出会いである。12世紀からのそのままの姿で立っていたのだ。

ここはセーヌ川の真ん中にある小さな島だ。何本もの橋でまわりの街区とつながっている。ここからまだ真っ暗で曇り空でもあるが、雨は降っていないので、市内を徒歩で歩き回ることにした。

シ テ島を一周する。まずはノートルダム寺院の敷地の周辺をぐるっと回ってみる。夜間はフェンスが閉じられており中に入れないので、セーヌ川の遊歩道に出て歩 く。すべての石が古く、すでに浸食が始まっているかのようだ。寺院の裏手に出ると、街灯の並ぶ狭い通りに出る。街灯は昔懐かしい白熱球である。車がやっと一 台通り抜けれられるぐらいだ。

街灯のともる、ノートルダムの裏通り。すでに午前7時半を回っている。
ノートルダム裏通り

ようやくジョギングの人にすれ違ったりするようになるが、相も変わらず空は真っ暗だ。島といっても長さわずか1キロあまり。幅はずっと狭い。30分もしないうちに島の先端(下流側)に出る。そこには遊覧船乗り場があった。ここから最も古いと言われるポン・ヌフ( Pont Neuf =新橋)を渡ってセーヌ川右岸に出る。あたりは暗くても街灯がついているからうまい具合にライトアップされて町並みがよくわかる。

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ルーブル宮  渡った先はすぐ下流へ伸びている細長い建物が見えてくる。ルーブル宮だ。この美術館を納めている巨大な建物は長方形をしているために、セーヌの川岸沿いか、繁華街側かのどちらかを選ばないといけない。それほどの巨大な建築物であり、石造りであって様々な装飾が施されていることがいよいよもって見る人に圧倒感を与える。これは現代的な鋼鉄とガラスの建物にはないことだ。

繁華街に沿って歩くことにして、そろそろ朝7時もちかづき通りの交通量も増えてきた。だがまだ空は真っ暗で夜が明ける気配はまったくない。ルーブル宮全体の中間点あたりで、この「コ」の字型をした建物の中庭に入ることにする。するとあの有名なガラス張りのピラミッドが真ん中にそびえているのが見える。

このピラミッドについては、まわりの壮大な石造りの建物と調和するはずもないが、あえてそのようにしたのかもしれない。とにかくこれは巨大な美術館の入り口であり、地下通路を通ってそれぞれの部分に達するようになっている。

この広大な敷地は外部からの出入りは自由であり、中庭を大きな通りが突き抜けている。通行人が次第に増えてきたが、その中で北アフリカ系の女性が小さな子供を連れて近づいてきて、私に英語で道を尋ねた。

到着してからわずか3時間で人から道を聞かれるのはまさに新記録である。パリはどんな人種でも市民に見えてしまうほどの国際都市なのか。彼女は近くの繁華街にある旅行社の住所を聞いてきたのだが、幸い私の持っていた地図でだいたいの場所の見当がついたので、その方向を教えてあげた。もっとも心配でそのあとその場所まで行き一応正しい方向であったことを確かめたのだが。

セーヌ川と平行してさらに下流方向へ歩く。巨大なルーブル宮の建物が終わると、冬になってすっかり葉を落とした広大な公園、カルーゼル庭園が見えてきた。夏ならさぞ緑が生い茂ってきれいであろう。今は見通しが良く なってなおさら広大な敷地を遠くまで見下ろすことができる。前の日に雨が降ったらしく、ところどころに水たまりがあるが、幸い雨は今のところ降ってこない。

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観察日記(3)
自動車: いうまでもなく車の洪水である。だが市内の駐車に関しては、パーキングチケットを買わされるが、場所によってはとても規制が緩い。歩道と車道の間に駐車帯があって、真ん中の通路をはさんで2列、さらに車道にも並べて合計3列駐車ということもある。

たいていは日本では1000cc前後になるコンパクトカー。 ルノーかプジョーがほとんどで、日本車はとても少ない。ドイツ車はかなりある。横断歩道を渡るときは歩行者優先がかなり守られており、渡っているときに脅すように突っ込んでくるマナー違反は少ない。

歩行者の方は、世界の大部分と同じく、車が来ない限りは赤信号でもわたっていく。市内は大通りを除いてほとんどが 一方通行であり、ロータリーでの車の出入りはきわめて難しそうだ。

いったいロータリーは信号機システムより優れているのか?都心の混雑したロータリーではどうも渋滞がひどくなるような気がするが、信号待ちの車がたまらない地方の交通量の少ないところではスムーズに流れて気持がよい。暴走車もロータリーでは必ずスピードを落とす。

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コンコルド広場  巨大な噴水のところでは修理作業が行われていた。冬は建造物や記念碑の修理・修復が一斉に行われる。おかげでせっかくの景観も足場などによって台無しになって しまう。噴水を最後に庭園がつきると、そこはコンコルド広場だった。ギロチン台が置かれ、フランス革命で流されたあまりに多くの血を吸ったこの広場は、 その後 concorde (調和)という名前を与えられた。

コンコルド広場の真ん中に立つオベリスク
オベリスク

ギロチンの露と消えたロラン夫人の言葉、「自由の名においてなんと多くの罪が犯されることでしょう」を生んだ流血は今でも世界中ですこしも変わることなく起こり続けている。 真ん中に石の塔(オベリスク)が建っているが、近づいてみるとエジプトから運ばれてきただけあって、一面にエジプト特有の象形文字が彫られてある。

そ してここは巨大なロータリーになっていて、車の洪水である。広場の真ん中に建つと、車がいつまでもぐるぐる回っているように見える。ロータリーに入ってくる車、出ていく車、なかなか入ったり出ていくタイミングが見つからなくてぐるぐる回り続ける車と、普通の信号つきの交差点とはまるで違う光景だ。ここにギロチン台があって大勢の見物人がいたなどとはちょっと想像ができない。

ここでようやく夜が明けてきた。コンコルド広場の街灯の電気が一斉に消えて8時半過ぎ。曇っていることもあるが「明るくなった」という夜明けはこのくらい待たなければならないのだ。緯度が樺太と同じなのだから致し方ないが、これでさらに北のロンドンではもっと暗い冬の日が続くのだろう。人間の肌の色が白くなるわけだ。

ルーブル宮からセーヌ川に平行して歩いてきたが、ここでセーヌ川は左の方へそれていく。だが道はまだ直線のままだ。コンコルド広場から両脇を森に挟まれて大通りが広がり、どこまでも続いていく。その名前はシャンゼリゼ通りという。そしてはるか彼方にぼんやりと凱旋門が見えている。実に雄大な都市計画だ。曲がりくねって車の通行もままならない小路が錯綜する一方 で、2キロ以上先の巨大な建築物が一望できるドラマチックな設計は確かにこの町独特のものだ。

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観察日記(4)
特大トイレットペーパー入れ
特大トイレットペーパー
建物/室内: 昔の城壁の内側にあたる市内では、モンパルナス・タワーを除いてはみな4,5階建てである。厳しい規制が功を奏して街全体のバランスは非常によく保たれている。

また生まれたときから高齢になるまで町の様子が変わらないので、ここに愛郷心が育つ。(日本では、フランスに出かけた一週間のうちに近所のアパートがまるまる4棟も取り壊されて姿を消した。こんな土地に愛着がわくわけがない。)外側が変わらない代わ

中央丸いボタンに注目。所変われば品変わる。
便槽
り、 内装は盛んに行われている。窓から外のトラックにシートを垂らして部屋の中のがれきを外に落としていく。

トイレでは、特大サイズ(直径40㎝以上)のトイ レットペーパーロールが用いられている。また水を流すのはレバー式ではなく、半月状になった押しボタンである。小さい半月は小便を、大きい半月は大便を流 すためのもので、タンクに水が再びたまると、ボタンも上に上がってくる。

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シャンゼリゼ周辺 シャンゼリゼ通りははじめの3分の1ぐらいは周りが樹木に囲まれた公園の中を通っているので、とてもあの華やかさは想像できない。従ってちょっとコンコルド広場から北へあがってレストラン「マキシム」や、有名ブランドが軒を並べる通りへ寄り道をすることにする。

凱旋門広場からコンコルド広場の方向にシャンゼリゼ通りを見る。もっと晴れていれば・・・
凱旋門から見たシャンゼリゼ

よくもまあこれだけブランドの店が集まったと感心するほど次から次へとそれぞれのデザインを誇示するショーウィンドウが並ぶ中を通る。まだ早朝だからどこも開いていないが、展示物を眺めているだけでそれぞれのメーカーがどんな個性を目指しているかが一見してわかるようになっている。

そしてその通りのはずれに、大統領が仕事をするエリゼ宮がある。とは言っても普通のアパートをちょっと大きめにしたぐらいのもので、これが大統領のいるところ?と不思議に思うほど質素な建物である。ホワイトハウスのようなおこがましさはどこにもない。

エリゼ宮の手前には、近くにあるアメリカ大使館の分館みたいな建物があり、アメリカの旗が掲げてあったが、テロ攻撃を極度に警戒しているらしく、警備員は入り口前の歩道を通らせてくれない。わざわざもう一方の側の歩道まで回り道をさせられた。フランスにはイスラム教徒が大勢いるから、アメリカ大使館もいつ攻撃さ れるか心配でならないのだろう。だが今のところフランスでそのようなテロは起こっていない。

エリゼ宮のかどでそろそろシャンゼリゼ通りに復帰しようかと地図を広げていると、出てきました。赤ら顔でいかにもワインの好きそうなおじさんがやってきて、親切に教えてくれる。これがエリゼ宮だよ、これが・・・の教会だ。困っている人がいたらすぐに手を貸してくれる人情のある典型的なパリッ子だろうか。

機内で朝食が出たにもかかわらず、歩きすぎで空腹を覚え、目の前にサンドイッチ屋があったので、中で薫製鮭を挟んだものを注文する。これが実に美味で4.8ユーロ。確かにハムやチーズを挟んだものも旨いが、鮭の持つ脂っこさが実にパンによく合う。今まで知らなかった味だ。

コ ンコルド広場と凱旋門の間のうち、商店の並ぶ部分はロン・ポワンとよばれるロータリーから凱旋門よりの半分で、ここからゆっくりとした上り坂を歩いていく。 すでに周囲は明るくなり、大勢の勤め人が忙しそうに行き交うようになっている。もし普通の都市であればこのような繁華街は高層ビルが建ち並ぶところだが、 ここではすべて4,5階建ての建物にそろえられている。そびえ立つビルに慣れた目には、非常に目新しい光景だ。

このシャンゼ リゼは、表通りにはもちろん大きな店舗が並び、ありとあらゆる種類のものが売られているが、ところどころに「アーケード」のようなせまい入り口がある。これは裏通りとも違い、建物の中に造られた小路なのだ。まるで迷路のように奥へ伸びており、決してまっすぐではない。右に折れ左に折れ突然噴水のある中庭が 現れたりまるで別世界が出現する。このようなアーケードがたくさんもうけられており、表通りだけでなく、得体の知れないさまざまな小さな店を含んでいるのもシャンゼリゼの特徴なのだ。

車道も広いが、歩道は両側とも十分なスペースがとってあり、ところどころにベンチがあって休憩をしたり寄り道をしたくなるような作りになっている。まっすぐ歩かなくとも、道の真ん中でボォーッと立っていても十分に楽しめる。

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観察日記(5)
たべものや:なぜかかなりの数の日本料理店が市内で目につく。味はまだ試していない。傑作な店の名前・・・「すしやき」「いただき」「よこらま」(以上はルクサンブール界隈)、またサンルイ島近くで呉服を扱う店があり、それは「KIMONOYA」という。

マクドナルドは市内至る所にあり、ノルマンジーの田舎町であるフェカン( Fécant )駅前にもあった。パリ市内ではあの赤と黄色のどぎつい看板は許されず、地味な M のマークが出ているだけ。だがいったん市外に出ると、日本や各国と同じあの派手な看板となる。

サンドイッチの種類が実に多い。イタリア風の「 Panini 」、トルコ中東風の「ケバブサンド」、鮭の薫製を挟んだもの、そしてハムを挟んだ一般的な「パリジャン」など。量が多いので、昼食はサンドイッチ研究に利用するとよい。。市内どこにでもあるチェーンが「 Paul 」。伝統的なフランスパンをはじめとしていつもたくさんの人々が買っている。

ノエルのシーズンはお菓子類を買うために大変な混雑だ。こんなにお菓子の種類が豊富なところを見たことがない。フランス人はこんなにお菓子好きなのか?だが一方ではハンバーガーチェーンも多く、固いフランスパンよりも柔らかいバーガーに人気が移っているのかもしれない。

日本の食糧自給率は30%を割る。これに対してフランスの方は200%を越える。当然ながら毎日の食事は特に温暖な地方の産物を除いては国内でできたものばかり。これが食品の新鮮さと安全とおいしさ、そして安さを保証するのだ。食いしん坊にとっては本当にうらやましい国である。

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凱旋門 そうこうしているうちにナポレオンが戦争からパリに帰るために造った凱旋門のあるロータリー、エトワール広場に到達した。ここはコンコルド広場をさらに上回る交通量で、広場のまわりを巨大な車の河が渦を巻いている。この広場からは12本もの道が出ているので、まるで étoile (エトワール=星)のようだというわけだ。そしてこの場所にありとあらゆる国籍の観光客がうろうろしているのだ。この9時台の時間でもすでにあたりから中国語やアフリカ語の会話が聞こえてくる。

シャンゼリゼ通りの方から見た凱旋門。左上の白いのは修理中の覆い。
修理中の凱旋門

凱旋門に行くには車の渦の中を横断するわけにはいかないから、地下道を通って行く。残念ながらここも修復工事中で、門の内部に入ることはできなかったが、ラテ ン語で彫られた文字や彫刻を存分に眺めることができた。今来た道を振り返ってみると、直線の下り坂のはるか向こうにコンコルド広場のオベリスクがかすんで見える。都市の壮大さを表す見事な演出だ。

この先、直線道路は続くが、ドゴール通りと名前を変えパリのマンハッタンとよばれるほどの高層ビルがそびえ立つデファンス地区へと続くが、そちらは観光地ではない。ここで左に折れて、いったん離れていったセーヌ川に方に向かうことにする。 この点この町は非常に地理がわかりやすい。いっぺんで全体の様子がつかめるような構造になっている。小路が至るところで入り乱れている反面、大通りはまっすぐで明確な都市構造を持っているという、矛盾する面を実にうまく統合している。

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観察日記(6)
鉄道:ここで言う鉄道とはメトロではなく、近郊線であるRER線と国鉄( SNCF )線のことを指す。いわゆる私鉄はない。RER線のパリ市内での料金はメトロと同じである。郊外に出かけるときは、窓口で買えばよいが、片道( aller =アレ)か、往復( retour =ルトゥール)、さらに人数(...personne(s) =ペルソンヌ)をはっきり言った上で買う。国鉄は、サン・ラザール、モンパルナスなど、各方面別に市内に分散している始発駅のいずれか
Versaille Chatles駅に入ってくる、
各駅停車の長距離列車
Versaille Chatles 駅で
から乗車する。

切符の買い方は同じ。こちらの切符の大きさは長さが20㎝もある。ホームに立ち入るのは自由。入場券などない。乗る前にホームのところどころに立っ ているオレンジ色の打刻機に切符をはさむと、「パチン」と音がする。音がしないときは、切符の4スミを順に入れていくとどれかで反応する。けっこうむずかしい。はじめはうまくいかず、通りがかりの高校生にたのんでやってもらった。

車内検札が厳重 だ。必ずやってくる。中には制服を着ていない車掌もおり、どこかのおっさんと間違えることもある。降りるときは切符の回収も何もない。ただ駅から出ていい。車輌は新品ではないが、スピードはよく出る。在来線の特急( Corail )も、各駅にとまる区間急行( TER = Transport Express Régional)も値段は同じ。

携帯電話は遠慮しデッキで行うのがマナー。とはいっても日本と違って車掌がそのことをマイクでがなり立てたりはしない。客車の車内の壁には<眠っている顔>の携帯電話の絵が貼ってあり、デッキには<ニコニコ笑っている顔>の携帯電話の絵が貼ってある。文字が入っていないのだ。

日本では居眠りが普通なのに、こちらでは車内で寝ている人はまれだ。日本人はビタミンB不足なのか?それとも当地では泥棒が多くて眠っていられるほど平和じゃないのか?なお、各駅停車する列車のトイレはいまだに「穴あき」で線路への垂れ流し。線路にはあまり近づかない方がよい。

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エッフェル塔周辺  エトワール広場から左に折れて、2キロほど直線のクレベール大通りを歩くと、シャイヨ宮に達する。それにしてもこの街にはこの「宮」が実に多い。すべてかつては王家の宮殿や役所があったところなのだが、それらがそのまま現代生活の中でそれぞれの機能を持って生きている。この街では「老朽化したから建て替える」ということがないのだ。シャイヨ宮には海洋博物館と人類博物館が入ってい る。

シャイヨ宮の前にはちょっとした広場があり、その前にやたらに古い石の壁がそびえていた。これはバッシー墓地といい、パ リでは相当古いらしい。門が開いていたので、西洋のお墓はどんなものかと入ってみた。さすがに古く、墓石の中にはすっかり苔むしているものもある。お墓のデザインが様々で狭いところに詰め込まれているのでやたらにごちゃごちゃしている感じがする。

沖縄でよく見られる家族を納 めた霊廟みたいなものもあれば、シンプルな石を載せただけのものもある。中には聖母マリアの巨大な彫刻を建てて、しかもそれを透明なプラスチックで覆った 「作品」まであった。墓のデザインは、日本と違って実に多様であるが、パリの町並みと違って全体の調和がまるでない。

このあと海洋博物館に入ってみた。フランス海軍とその前進の歴史を展示したものだが、古地図といい、これまでに造られた船舶の精密な模型のコレクションといい、 実にマニアックなていねいさで展示されてある。しかも展示作品が膨大な量である。今回は新しく建造されたクイーン・エリザベス二世号が詳細に紹介されてい た。入場料金は7ユーロ。どこでも博物館や美術館はこのぐらいの値段である。さらに高齢者や学生にはさまざまな割引がある。

海洋博物館の前は噴水の見事なトロカデロ庭園になっており、その下にセーヌ川が流れている。そしてその河の対岸にはエッフェル塔がそびえ立っているのだ。残念ながら曇り空のために上半分は雲に隠れてしまっているが、この塔が観光客に人気があるのはそこからのながめが最高によいことと、そのデザインの柔らかさにあろう。東京タワーが赤色なのに対し、こちらは茶色なのである。

上半分が雲に隠れたエッフェル塔(トロカデロ庭園より)
上半分が見えないエッフェル塔

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宿探し 塔 に登ることはひとまずあきらめたが、結局別の場所から市内が眺められたので、結局最後まで登らずじまいだった。ノートルダムからエッフェル塔まで、徒歩で 約15キロ。午前6時頃から歩き始め、午後2時になっていた。これで市の中心部の概要はだいたい分かったわけだ。そろそろ宿探しをすることにする。

宿 は、見知らぬ街ではどこに見つけるのがよいか。パリでは国鉄の Gard du Nord (北駅)周辺が安いと聞いていたが、もっと安いところはどこかといえば、それは学生街だろう。学生は常に貧乏だ。住居に金をかけることは少ない(そうでな い学生もいることはいるが)。パリではなんと言ってもカルチェ・ラタン Cartier Latin (ラテン地区=かつて学問用語であるラテン語が話されていた地区)だろう。そう考えてその最寄り駅であるルクサンブール Luxembourg へと向かった。

RER-C線のエッフェル塔前( Tour Eiffel )から乗り再びノートルダムの駅まで行って今度は B線に乗り換えて一つ目だ。ルクサンブールといえば公園があり、「レミゼラブル」の中でジャン・バルジャンとコレットが出会った公園であると記憶している人も多いだろう。

運悪く駅で電車を待っている間に構内アナウンスがあり、ちょっとした事故で電車が遅れるという。やれやれ早速トラブルか。結局電車は20分以上も遅れてやってきて、その間に乗客はたまり、かなり混雑した状態で乗り込んだ。

興味深いのは、構内アナウンスは敏速に、繰り返し、正確に行われていたことだ。普段は行き先もなにも言わないのが西欧の公共交通機関だが、問題が生じるとすぐに伝えてくれる。遅れにいらいらしているのは観光客だけで、一般市民はあわてる様子はない。もしかしたら遅延慣れをしているのかも。

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観察日記(7)
街の様子:歩 きたばこが実に多い。また路上にたばこの吸い殻を捨てる人も多い。禁煙の場所が増えたためにかえって路上で吸う人が増えているのか。

通勤時には人々の歩く スピードが速くなるのは当然だが、ふだんでもめちゃくちゃに早足で歩く若い女性がかなりいる。あまりに早くてとても追いつかない。よほど忙しい用事でもあ るのか、それともただストレスのためなのか。

若い女性の化粧は薄い。日本でよく見られる化けネコのような厚化粧はまれだ。だからたまにそういう人が現れるとすごく目立つ(カフェのガラス窓からの観察より)。逆に日本では厚化粧の女性が多すぎるためにk、目立つためにはさらに一層輪をかけて化粧を濃くしなければならないはめになる。

携帯電話は日本ほど普及していないようだが、持っている人は話はしてもメールのやりとりのために画面をじっと見つめる人はまれだ。冬の服装はさすがに地味。ジャンパー姿が最も多い。デパートなどの扉は、後ろに続く人がいると必ず開けて待っている。開けてもらった人は必ず「 Merci 」と言っている(自動扉にはとんとお目にかからない)。一方、エスカレーターでの立ち止まり車線と追い越し車線の区別はあまり守られていないようだ。

オペラ座近くのメトロの駅の一つに、動く歩道がもうけられているが、おもしろいことにスピードの遅い路線と、高速( rapide ー時速9キロ)の路線とが平行している。これほど人々の必要に細かく対処している例も珍しい。

各銀行のATMは日本のように銀行内ではなく、歩道に向かってむき出しでつけられており、24時間使用可。旅行者でも、VISAかMASTERのクレジットカードと暗証番号があれば現金をおろせる。パリ市内なら至る所にある。

それにしても建物が素晴らしい。ベンチにぼんやり座って「ああ、すてきだな」と思いながら眺めていられる建築物が至る所にある。これと比べると、東京に眺めて楽しい建物がいったいいくつあるだろうか?

壊れたら「惜しい!」と思う建物がいくつあるだろうか?たとえば新宿の東京都庁なんか、粉々になっても何とも思わない。ニューヨークの同時多発テロで崩壊した貿易センタービルもそうだ。あんな鉄とガラスだけの素っ気ないデザインのビルは、なくなってもアール・デコのデザインが主流であるマンハッタンの風景に少しもマイナスになっていないではないか。

また、彫刻の多いこと。ちょっとした公園、グリーンベルトには、古典的、現代的、ありとあらゆる種類の彫刻が置いてある。中には鳥のフンで頭が真っ白になっているものもあるが、それぞれが学校の歴史の時間に習った名前が彫ってあるものが大多数なだけに、そのまま通り過ぎるのはもったいない。

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