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PAGE 2 リュクサンブール周辺 / アンバリッド→ロダン美術館→オペラ座周辺→サンミシェル大通り / ベルサイユ宮殿→ランブイエ城→モンパルナス周辺H O M E > 体験編 > 旅行記 > パリとエトルタ(2) ・・・外部リンク 宿泊 3時頃リュクサンブール駅に到着。地面に出るとそこはノートルダム寺院から伸びているサン・ミシェル大通りだった。通りからわずか500メートルぐらい奧に入れば、高校生の時にあこがれていたソルボンヌ大学があり、まわりは本屋とかCDの店が多く並んでいる。パリの他の部分と同じくここも大通りはまっすぐで広いが、いったん中に入ると迷路 のように小路が錯綜している。つまり中世の時の道がそのまま現代に使われているのだ。表通り以外は拡幅なんてことはまったくない。 さ て、最初に目に入ったホテルは、最低の一つ星、いや星がつかないレベル(流れ星というそうだ)で、一泊31ユーロ。パリでこれ以上安いシングルルームを見つけるのは不可能ではないか?便所もシャワーも共同だが、頻尿や下痢でない限り問題ない。部屋の中は古いことは古くガタピシだが、ベッドのシーツが清潔でノミやシラミに悩まされないなら問題なし。いったん寝てしまえば安ホテルでも最高級のスイートルームでもまるで同じなのだ。ホテルの管理人は(何人かいて時間帯によって違う)イタリア系のような初老のおじさんだった。 「今晩シングル・ルームがあいていますか( Avez vous une chambre á un lit ce soir? )ではじめて交渉にはいるが、まずは部屋を見てこいという。値段が期待通りだったし、場所的にも理想的だったのですぐOKした。最初はタイ人かと思われた。 日本人がこの地区にはあまり来ないらしい。英語は単語ぐらいしか通じない。まずはここで3泊することにする。同宿人は学生風やバックパッカーばかり。 間口の狭いホテルで、5階建であるが、階段の幅は40㎝あるかないか。火事があったらどうやって逃げるのか。トイレは2カ所にある。シャワー( douche )は最上階にある。バスタブはない。室内にはお湯のちゃんと出る洗面台やビデもあったし、なんと今はふさがれているが暖炉の穴があり、かつてはここで薪を燃やし ていたのだろう。代わりにスチームがちゃんと効いているから、室内は暖かい。要するに古いだけで、かつてはまあまあのホテルだったのだ。古びても改装に金をかけなかっただけだ。 カルチェラタン 宿が見つかってようやく一安心。周辺の探検に出る。すぐとなりにコインランドリー。そしてその横には日曜でもあいている、初老のおじさんが経営する小さな食料品店。その他、間口の狭いレストランというか食べ物屋があちこちにあり、その間にビデオ屋とか薬局などがそろい、生活をする上ではまことに快適である。まさに下町気分。 そしてなんと言ってもコンビニがない。スーパーもない。個人経営の肉屋、酒屋、八百屋(というよりくだものや)が軒を並べ、通りの活気を生み出している。実はこのホテルの前の通りは、バスがやっと一台通れるぐらいの広さしかないが、サンジャック通りと言ってかつてローマ時代には重要な街道の一つだったのだそうだ。ちょうど東海道旧街道のようなものだ。 近くにコンビニまがいの店はあったが、いわゆるチェーン組織としての店は一軒もない。あの巨大スーパーのチェーンである「カルフール」もない。これらはみな郊外の団地にあるのだろう。従ってこのカルチェラタンは、いかにも下町風で東京の神田のような雰囲気だ。昼間は大勢の学生風の若者が行き交い、彼らを相手にした食べ物屋が繁盛している。 サンジャック通りを北へ向かうと、右手に巨大な建築物が見えた。パンテオンである。パンテオンといえばギリシャを思い出してしまうが、カトリックの教会堂だらけのこの街 で、このパンテオンのみが、非宗教的建物である、というか学問の神様を祀ってあると言ったらいいのであろうか。まわりにはパリ大学の施設がいっぱいある。 高校時代にはソルボンヌ大学に留学したいと密かに思っていた。 サン・ミシェル通りに出ると、ここは新刊書、古本、新品CD、 中古CDの店と並び、さらに中古電気製品店、自転車店、インターネット・カフェ、普通のカフェがある。さすがにシャンゼリゼにあるような有名かつ高級なレストランはほとんどない。まさに気のおけない地域だ。都心からも近いが学生街独特の雰囲気で日本人観光客もまったく目にしない、パリ市民の生活の観察には大変適している。 夕方になると気温が下がり、小雨が降ってきた。夕食は近くのトルコ系の店で食べる。パリでは、トルコや中近東からの出稼ぎや国籍を取得して居着いた人が非常に増えている。トルコ料理をやっているところでは、店の前のショーウィンドウに、まるで巨大な糸車のよう な肉塊をつり下げておく。これをそぎ落としてサンドイッチにはさんだりするのだが、おそらくこれは羊の肉を使ったケバブとよばれる焼き肉の一種だろう。 今晩の食事は、トルコ風ハンバーグ、つまり独特の香辛料を入れて串焼きにした挽肉のようなものを味わう。これをメインディッシュにして、添えて出てくるフラ ンスパンを食べれば満腹だ。注文すると材料の在庫が切れていたらしく、大急ぎで近くの肉屋に買いに行っている。このあとキッチンでトルコ独特の香辛料を混 ぜてできあがり。これを目の前の肉焼き器で焼いてくれた。はじめメニューの写真からてっきりアメリカ風のハンバーグかと思っていたのだが、聞いてみると、 「チュクチェ」というものだから、それで中央アジアからトルコにかけての料理だとわかった。 食事後、例の食料品店でワインと カシューナッツを買い、ホテルの部屋で飲むことにする。さすが一般向けのワインは安いし、それなりの味だ。しかし部屋に戻ってワインのコルク栓をあけるこ とができない。もう一度店に戻りのおじさんから栓抜きを貸してもらった。「開ける(ouvrir )」の単語を知っていたから助かった。 もちろん部屋にテレビは備えていない。それを予想してラジオを持参した。AMも FMも実にたくさんの放送局があるだけでなく、言語もさまざまだ。フランス語以外ではドイツととスペイン語が多い。国境を越えて入って来るというよりは、 市内にそれぞれの専門の言語の局があるようだ。 驚くべきことにいつも日本にいるときに聞いていたインターネットラジオ局 RFI (エレフィー)が、FM放送(89 メガヘルツ)で聞こえてきた。正式名を Radio France International という。まったく同じ内容を海外向けに流しているらしい。
朝食 2日目は、8時半が過ぎて外がようやく明るくなって出かける。まずは朝食( petit déjeuner プチ・デジュネ=小さい昼食))をカフェで食べよう。たいていのカフェでは二種類の朝食を用意している。パンとコーヒー、ジュースだけのコンチネンタルタ イプと、さらにバター、ジャム、ヨーグルトやら卵焼きなどを加えたコンプレ( complet =完全な)タイプだ。昼間大いに歩き回り、昼食にあまり時間をかけられない観光客にとっては後者の方が効率的だ。 特にヨーグルトがうまい。こってりしてなめらかだ。砂糖を入れなくともそのままでも十分に食べられる。パンに関しては、焼きたての香ばしさのおかげでどれを食べても旨い。フランスでももちろん消費税(売上税)がかかっているが、みな内税方式なので、面倒な計算はいらない。チップもこみということになっているから、請求書通り払えばいいだけである。勤め人が急ぐ歩道を眺めながらゆっくりとコーヒーを味わうのは実にいいもの。カルチェラタンでは、パンを口にくわえたまま職場 や学校に急ぐ人の方が多いようだ。 アンバリッド まずはロダン美術館へ向かうが、駅を降りると目の前にアンバリッドがあったのでまずそこを見学してからにする。アンバリッド(兵器博物館)はかつて日本語では「廃兵院」とよばれていた。ナポレオンの墓があるからである。しかしこの訳はちょっと「廃人」「廃物」「廃棄物」を連想させイメージが良くないこともあって最近は聞かない。 これまた巨大な建築物だが、正面から見ると一見高級ホテルのようだ。内部はこれまた巨大な中庭があって、そこに「老兵」たちが集まって何か儀式をしている。兵器博物館があり、また通路には昔の大砲や戦車が並べられている。
ここも多くの観光客が来ていたが、寺院や教会とは違い、祖国のために命を捧げた人のための建物であるからいささか趣を異にしている。今でもフランス国軍がれっきとして存在し、アフリカなどでは死者も出ることもあるから戦争をしないことになっている日本の自衛隊とはまったく兵士に対する態度が違う。 裏手に小さな教会が付属しており(ドーム教会)、そこにナポレオンの墓が置かれている。つい200年前にこの軍事の天才がこの国に生きていたとはなんか信じがたい。しかしナポレオンの銅像や絵があちこちにあり、今でも国民的な英雄なのだろうか。 ロダン美術館 パリにはルーブルやオルセーといった巨大美術館もあるが、一方で普通のアパートと見間違えてしまうような小さな美術館や博物館も少なくない。そちらの方が本当のパリのおもしろさがあるという人もいる。ロダン美術館もロダンに専門化した個性的な施設である。と言うよりは、自分の作品だけで美術館を作れるほどロダンが偉大なのか。 美術館の場所は一見目立たないところにある。アンバリッドがあまりに壮麗な建物であるばかりに、そこからちょっと「横丁」へ入ったところ、というのがロダン美術館の場所だ。もしそこへ向かう高校生たちのグループに出会わなかったら、気づかずに通り過ぎてしまうような住宅地の一角にあった。 彫刻はやはり野外で見るべきもの。ロダンの作品もみな広大な庭に展示されていた。彫刻は、絵画と違い、360度ぐるっと回って自分の一番気に入った角度を見つける必要もある。あの「ミロのビーナス」が典型的であって、どの角度がいいかは気分や光線の具合によってずいぶん違うものだ。。 東京・上野の西洋美術館にある「考える人」もあったし、「カレー市民」もある。「考える人」の像は台に乗って相当高いところにあった。従って見る人は上から見上げる格好になる。これは水平で見るのとだいぶ違った印象を与えた。 美術館の建物内部には、素描や、大作のための習作が数多く並べられてある。たとえば「カレー市民」の作品を造る前に、手を振り上げる、怒りの表情を出す、などそれぞれの市民の体の動きを綿密に調べ上げ、それぞれの人物だけでも完成された作品を造っている。最後にこれらを合わせてあの全体像を造った。 建物そのものはそれほど大きくないが、前日の海洋博物館と同じく、収集が徹底しており展示物が非常に多い。一般の観客のみならずロダンの専門的な研究をする人も満足させなければならないレベルが求められているからだろう。
オペラ座周辺 ロダン美術館から、前日の徒歩コースからは北の方に外れていた一大繁華街であるオペラ座周辺に改めて出かけることにする。この時初めてメトロ(メトロポリタン metropolitan =大都市の)を利用する。これまですべて駅間隔の長いRER線だったが、今度は市内地下鉄網を乗りこなさなければならない。 何度かの失敗の後、ようやくオペラ座に たどり着いた。ここも観光客でいっぱいである。カメラを抱えた男がいきなりスナップを撮り、その写真代を観光客からせしめようとしている。オペラ座の正面にはモーツァルトやベルディやらの像があり、かつて彼らもこの劇場に来ていたのだ。内部をのぞくと、立ち見席、バルコニー席などへつながる階段が縦横に走っているのが見える。 オペラ座の前は広場になっていた。つまり凱旋門やコンコルドのように、ここを中心にして交通が流れている。オペラ座もパリの中心の一つなのだ。裏手にはラファイエットとプランタンという二つの大百貨店がある。この時間にはそろそろ空も暗くなってきた。目の前で運よくラファイエットのノエル(クリスマス)用の何万という電球が一斉に点灯した。街は買い物客でごった返している。しかも今日は土曜日だ。 デパートの中に入ってみると予想通り日本人の若い女性たちがいっぱい歩いている。顔を見なくても、時々「キャー」という奇声が聞こえてくるのですぐわかる。髪の毛は金髪に染めたりしていても顔は白人ではないのだから奇妙な感じだ。 ラファイエットでは、「特選品」を売っている。自分のところで選んだ独自のデザインだ。特に手頃なのは、女物の傘で、30ユーロぐらいで雨の日が待ち遠しくなるようなあざやかな柄がそろっている。 屋上に上がってみた。パリの市内ではこのデパートは比較的高層なので、見晴らしがいい。北にあるモンマルトルの高まりと、南にあるひときわ高いモンパルナスタワーとエッフェル塔の3つがよく見える。パリは蛇行するセーヌ川の造った広々とした平原にあるのだ。多少の河岸段丘はあるものの、ほとんど地平線が見 えるほどの平らな土地でできている。 オペラ座を中心にして十字型に繁華街が広がっているので、その一部を歩いてみた。中でも生活用品を売っている「habitat (アビタ)」という店は、家具やら食器やらなかなかおもしろいものがそろっている。無駄がなくシンプルなデザインのものが多い。特にコーヒーカップが気に入った。
サンミシェル大通り オペラ座からの帰りは再びノートル・ダム駅に降りてそこからサン・ミシェル通りを歩くことにした。古本屋などをのぞくためである。新刊本でも店によって相当値段が違う。フランス語の有名な国語辞典 Le Petit Robert (プチ・ロベール)は大きな店では58ユーロのわずか5%引きなのに、三軒隣の小さな店では30ユーロに引いていた。早速買い物リストに入れておく。 万引きは相当多いらしい。大手の書店では、電磁式の感知器の他に、かなりの数の警備員が目を光らせている。客は彼らの視線をいやでも感じる。CDを売る店では、ケースのみを並べ、はじめから中身を抜いている。買うときになって奧から本物を取り出してくるのだ。 日本の漫画も大流行。ちゃんと「manga 」コーナーがあって、日本でのおなじみのマンガのタイトルが並んでいる。しかし吹き出しは叫び声やかけ声が大部分だから翻訳には大して苦労しないかもしれない。 CDはもちろんのこと、DVDの普及は、日本と同じか、それ以上になっている。「本日のお買い得」のラベルが貼られたものは特に安く、大勢の人々がスーパーのような買い物かごにたくさん放り込んでまとめ買いをしている。 客は日曜を除いては、地元の学生やサラリーマンが多い。またちょっと裏通りに入れば映画館もある。これは日本のような巨大な劇場はほとんどなく、普通のアパルトマンの中に収まっている小規模なものだが、客はかなり多い。また封切りだけでなく、独自の編成(たとえば戦時中のペタン政府を描いたものなど)で専門化しているところもある。 裏通りにはまた数え切れないほどの中小の食事を出す店が並ぶ。その中で特に目立つのが、日本料理店だ。鮨やすき焼きなどを出しているが、その看板のほとんどがへんてこな名前だ。たぶんフランス人自身で辞書かなんかで勝手につけたものらしい。 イ ンターネットの店もある。最新式のコンピュータを備えたところは高いが、サンドイッチ屋をかねたある店では機種は少々古いものの、30分あたり1ユーロで使え、 多くの中高生が詰めかけていた。たいていの店はガラス張りで通行人がちょっと寄ってみようかなという雰囲気だ。私も中に入って日本にメール送信をやってみた。ちゃんと日本語のフォントが入っており、日本のサイトはすべてきれいに読める。ただ日本語入力そのものはできないので、メールを書くときは英語にするかローマ字で書くしかない。
ベルサイユ宮殿 第3日目、日曜日はベルサイユ宮殿に向かう。この日になってやっと明るい晴れた空と太陽が姿を見せた。ルイ王朝が築き上げたこの巨大な宮殿はとてもパリ市内には収まりきれるものではなく、ノートルダムの駅から、RER-C線に乗って、エッフェル塔前の駅を越え、どんどん南に40分ほど行く。一大観光地だからその先へ進む線路から枝分かれして宮殿のわずか1キロ手前に駅を造って観光客をさばいている。 実は最寄り駅は3つもあるのだが、その中で「ベルサイユ左岸駅( Versailles Rive.Gauche )」に直通で到着した。(右岸もあるが、岸といっても河があるわけではない。たぶん窪地なのだろう)駅前を出て右に進みさらに左に折れると、とんでもない大きさの広場が広がり、その彼方に宮殿正面の建物が見えている。まわりは住宅地なのだが、あまりに離れているので、広野だけしかないように見える。 入 り口は予約をした人用、団体用、フリの客用と3つに別れており、入場料はこんな広さでも、7.5ユーロ。建物全体は、「コ」の字型が中心になっている。そ して大きな部屋が連続してつながり、その間に扉がある構造になっている。角部屋や、他の建物との連結部分では、巨大な丸天井がついて、もちろんそこにも緻密な絵画が描かれている。
やはり文化というものは、暇と金をかけるだけでなく、丁寧さと徹底的な入れ込みがないと生まれないことがよくわかる。柱の本当に細部まで彫刻が施され、それらに少しも手を抜いたあとがない。有名な映画監督が自分の気に入るカットを作り出すまで、俳優たちに同じ演技を50回させたなどという話をよく聞くが、見る人は気づかなくとも、絶対に妥協しない姿勢が後世に残る作品には必要なのだ。 だからもしこの宮殿の絵画やら彫刻やら壁画、天井画を本当に鑑賞しようとしたら何ヶ月かかっても不思議ではない。またこのような作品の集合体を、手間をかけることを忘れた現代人には二度と作れるものではあるまい。 宮殿を出ると外は広大な庭園だが、この規模はインドのタージ・マハールのような四角形のプール、その両側の森林、そして様々な形に刈り込んだ典型的なフラン ス式庭園でできている。そして驚くべきことにこの庭園に立つと、森林の向こうには地平線しか見えないのだ。ということは宮殿のある丘からは南の方へは平原がどこまでも伸びているということだ。いわゆる北海道的光景が、パリ中心から40分あまりのところに存在する。
ランブイエ城 少し時間的余裕があったので、さらに南にあるランブイエ城( Chateau de Rambouillet )にも足を延ばすことにする。ただ、ベルサイユの駅が引き込み線の末端なので、ちょっとの利換えが面倒だ。いったんRER-C本線の方に戻らなければなら ない。ベルサイユの観光案内所に聞いてみる。ただしフランス語でまくし立てられても理解できないだろうから、英語でお願いする。 ちょっと連絡が悪く30分ほど待ったがようやくランブイエ方面の列車がやってきた。誰も見に行こうとしないのか、乗客の数は停車駅ごとにどんどん減ってゆく。そしてランブイエ駅に到着したときには数えるほどしか乗っていなかった。 駅前に降り立っても巨大なクリスマス・ツリーが飾ってあるだけで案内板の地図を見てもどうもわからない。この場合ガイドブックを持っていればその地図を見てもいいのだが、現地主義なので何とか地図を読み解いて城の方向に向かう。 途中は、もはやパリの町並みではなく、典型的な田舎町の静かなたたずまい。中世からの曲がりくねった道ではなく、まっすぐで交差点はロータリーになり、建物 もすすけた石造りではなくもっと明るい色の家が多い。ここでパリ市内では見ることのなかった、いわゆる「一戸建て」といえるものをやっと目にする。 住宅地はほとんど人も通らず城に向かう風情の人もいない。冬のシーズンは誰も行かないのだろうか。駅から徒歩約30分で公園の入り口に出た。広々とした芝生の中にこの城がたたずんでいる。目の前には森林があり、池がある。ここはかつては1975年に第1回サミット(G8 : 先進国首脳会議)が開かれたところでもある。 ベルサイユの豪華一点張りとはまるで対照的にこちらの城は質素でシンプル、しかもまわりの自然の風景の中にぴったりと収まるデザインだ。いろいろな角度から 見てみたが、いずれも背景とうまく調和している。城のうしろにある森の後ろには、その何倍もの大きさのホテルがある。リゾートとして人気があるらしく宿泊 客の車でいっぱいだ。
モンパルナス周辺 帰りの列車は、パリ市街の南の端にあるモンパルナス駅が終点となる。快速列車で途中停車駅が一つなので実に早い。日曜の夕方だから、地方に遊びに行った帰りなのか、この列車は混んだ。といっても立つほどではなかったが。モンパルナス( Montparnasse )とはパルナス山とでも言うべきか。セーヌ川を谷とすれば、こちらは河岸段丘として少々高いところにある。 約45分でモンパルナス駅に到着。駅の前にはスケート場があり、まるでマンハッタンのロックフェラーセンターのようだ。そのうしろにはパリでは実に珍しい50階を越える高層ビル、モンパルナスタワーがそびえる。
駅の構内には数多くの売店があり、ノエルのための飾りものを売っていたり、お菓子の類が山のように積まれている。その中にはどぶろくもあった。ウィスキー、 ラム、リキュールに様々な香料やくだものを入れて独自の味を出したもの。ビンの形が実にユニークだ。これも買い物リストに加えておく。 モンパルナス・タワーから、東の方向に伸びているエドガー・キネ通り( Bd. Edgar Quinet )に入ると、ノミの市だ。ちょうど日曜日なので開いていたらしい。大部分は絵画が展示され、それぞれの個性を競っている。実に様々な着想にもとづく絵があるものだ。 ここには美術館とは違ったこれから世に出ようとする画家たちの作品でむんむんしている。テントとテントに挟まれたせまい通路を人の波をかき分けながら進むと、売り手の目がひょっとして買うのでないかと通行人の方に一斉に目が注がれる。 通りの真ん中のグリーンベルトにしつらえられた店舗を全部合わせると長さが200メートルはあるだろうか。これはパリでもかなり大きな規模のノミの市に属するといえる。駅から最も遠い部分では、壊れたスタンド、燭台、コーヒーカップ、古地図など、ありとあらゆるガラクタが売りに出されている。ここにはいつまでいても飽きない。
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