香川・高知・徳島

(2005年3月)

H O M E > 体験編 > 旅行記 > 香川・高知・徳島

関東から四国高知まで片道2.300円で行ける。あのJR共通の「青春18きっぷ外部リンク」のおかげなのだ。しかも誰かの押しつけでない、自分で作った旅の楽しさを教えてくれる。まずは春、夏、冬の3回発売されるこの切符を1.1500円で買おう。有効期限は約1ヶ月だから、その間好きな日5日間は普通列車の乗り放題だ。

この普通列車というのがよい。新幹線、特急、急行列車にはそれぞれ特急券や急行券を払っても乗れない。あくまでも「鈍行列車」だけを認めている。しかも国鉄が分割されてできた、地方JR各社のいずれにも共通だというのがいい。(ただし私鉄や第3セクターの路線は除く)

遠距離に行く場合にはいきなり普通列車で行くのは効率が悪い。だから大都市圏出発の場合にはできるだけ「夜行普通列車」を利用する。首都圏の場合、臨時列車を含め、大垣行き、新潟行き、仙台行き、穂高行きなどがあるが、今回は「臨時ムーンライト大垣行き(指定席510円)」で出発した。

出発~琴平~阿波池田~

第一日目(月曜日)は快速ムーンライト号に乗り込むため、東海道線平塚駅で午前0時48分発を待つ。この列車は9両編成で新幹線の「こだま」とほぼ同じ停車駅で夜中を突っ走る。予想通り、乗客の99%は10代、20代の若者ばかり。しかし昔の車両と違い、リクライニングシートなのでかなり楽だ。それでも夜行バスに使われているような人間工学に基づいた設計ではないので、長く座っていると腰が痛くなってくる。

大垣には午前5時55分に着く。その途中の名古屋で多くの乗客が降りた。信州に行くのかもしれないし、名古屋地区で開かれている万博見物のためかもしれない。大垣から米原まではわずか4両編成の列車だ。普段はそれで十分なのだろうが、春の旅行シーズンだからとても込んでいて、こんな早朝でも立ったまま30分ほどを過ごす。ようやく空が明るくなってくる。

実は四国に渡る列車の本数が限られているので、京阪神を急いで横断してもしなくても到着時刻はあまり変わらない。そろそろ通勤通学時間帯にさしかかる頃なので列車の本数が急激に増え、しかも「新快速」という停車駅の少ない列車が多数出ており有り難い。2時間ほどで一気に関西の西の端、明石に着いてしまう。駅で食べたうどんは関東のとはまる出違う味。そして腰の強い麺だ。

関西弁が久しぶりに聞けるかと楽しみにしていたのだが、誰もがみな疲れたような表情。みな黙りこくって吊革にぶら下がっている。サラリーマンは残業による労働強化が効いているのだろうか。朝の通勤時間帯はみんなこんなものだろうか。それほど混雑がきつくないにも関わらず、このような重苦しい雰囲気には驚かされる。結局陽気な関西言葉が聞けたのは明石駅を降りてからだった。

さらに西進して相生に着く。実はここがボトルネックとなっている。なぜか相生から先の山陽線は岡山への便が極端に少ない。並行して走っている赤穂線も本数は少ないし時間はかかるし、途中の播州赤穂駅止まりだ。そのせいかすでにラッシュアワーを終わっているのに、少ない車両編成に大勢の春休みの学生が乗り込んできて満員電車並となってしまう。これはおそらく新幹線を使わせようという鉄道会社のねらいがあるのだろう。

しかしローカルの客は大事にしなければならない。そうしないとますます鉄道離れを起こし、若い世代は特に無理をしてでも自家用車を買い、地方交通の悪化が進む。一家に一台とか、ガソリンが100円代前半で買える時代はもうそろそろ終わりに近づいているのだから、鉄道会社も人々の動きをもっときめ細かく研究しておいてもらいたいものだ。

岡山に午前11時34分到着。ここは瀬戸大橋の開通以来、重要なハブ駅となったようだ。かつてフェリーに乗る人でにぎわった宇野線はただの盲腸線になってしまったがそのかわり、瀬戸大橋線は高松、高知、松山への特急、普通列車が頻繁に通過するようになった。

岡山駅から大橋を渡り始めるまで結構距離がある。途中は鷲羽(わしゅう)山を横に見ながら一戸建ての家が延々とスプロールしている地域だ。3階以上のビルが一つもなくただはるか彼方まで平屋で埋め尽くされているのは壮観だが、土地の無駄でもある。かつては青々と波打つ田んぼだっただろうから。

大橋にさしかかる。この日は日本全体に低気圧が覆い、名古屋からずっと冷たい雨が降っていた。おかげで橋の上からはただ右も左も濃い霧ばかり。霧の切れ目からわずかに瀬戸内の波が見えるだけだ。

二階建ての上を走る自動車道と違って鉄道の場合は料金の上乗せということがないから快適だ。「マリンライナー」という快速列車が一日に何本も通過する。造船所がかすかに見え、四国の土地が迫ってきた。四国側の分岐点、坂出(さかいで)駅でいったん降り、東へ向かう高松方面への高徳線でもなく西へ向かう松山方面への予讃線でもなく、南の高知へ向かう土讃線の列車に乗る。

県境でまたダイヤのネックがあるので急いでも仕方がない。午後1時5分琴平駅で下車。次の列車までちょうど一時間の間があるので、その間に金刀比羅(こんぴら)外部リンク様にお参りをすることになった。これが思ったほど楽でないことがわかった。前もってその地形は頭に入っていたのだが、何しろ急坂で有名な石段である。まわりの人々がぜいぜいいいながら杖をつきながら登って行くところをこちらはほぼ駆け足のペースで登っていく。だが2段跳びで登るのでは金比羅様に失礼にあたるだろう。一歩一歩踏み締めて登る。

金刀比羅本宮
金刀比羅本宮
金刀比羅
金刀比羅本宮を左より見る
金刀比羅
「しあわせさん、こんぴらさん」と言う看板のかかる鳥居
金刀比羅
飼い主に代わって参拝したという賢い犬
金刀比羅
参道沿いにある江戸時代からの石の柵
金刀比羅
もう桜が咲いている木もある

駅から500メートルぐらいは大きな店構えのおみやげ屋が並ぶ。参道にはいると急に道が狭くなり、それにしたがって店も小さなものになる。ありとあらゆるものを売っている。ワラジもあれば、杖も売っているし、蓑ガサとかもある。もちろん何といっても中心は饅頭だが。訪れる老若男女、話す言葉は関西弁とは限らない。遠く関東、東北、九州からもはるばるやってきている。

心臓が破裂しそうになる頃ようやく本殿に到着。願い事を告げるとすぐ下山した。登りに必要だったのは25分だ。ということは下りは20分を切るであろう。帰りは少しゆとりを持って降りていった。こけむした灯籠や石垣が、この神社が古い歴史を持っていることを物語る。

時計とにらめっこでぎりぎりで駅に帰り着く。ここからさらに南下して阿波池田駅に向かう。香川県と高知県を結ぶ土讃線の中央部には実は徳島県がはさまっている。その山中の中心都市が(阿波)池田外部リンクだ。琴平との間には讃岐山脈が横たわる。列車はディーゼルのワンマンまたは2両編成。大した勾配ではないが、エンジンがぜいぜい音を立てながら登って行く。

四国の中央部にある山々はそれほど高くはないが、きわめて斜面の勾配が急だ。45度でも上から見るとほとんど垂直にみえるのに、ここでは70度、80度の急斜面はざらだ。阿波池田の先に大歩危(おおぼけ)、小歩危(こぼけ)と呼ばれる急流が作った見事な渓谷があるが、鋭くV字型に切れ込んだ狭い谷の両側に道路、線路、そして民家がひしめく。

阿波池田はちょうど丹波の福知山盆地を思わせる山に囲まれ静かな環境にある。ヒエ、粟、ソバなどの雑穀が名産で、それによって作った粥、祖谷(いや)そばなどが有名だ。ここから分岐して徳島方面へ向かう徳島線(よしの川ブルーライン)がある。しかし街は静まり返り過疎化が進んでいるようだ。唯一人の入っている店は駅前のうどん屋だけだった。

池田で約30分の待ち合わせの後、高知行き普通列車がやってきた。ワンマンであるが、結構客が乗っている。この路線は「南風」という特急列車が1時間に一本ぐらいの割合で頻繁に岡山と高知方面を往復している。だから当然単線を走る普通列車はそのとばっちりを受けて、至る所で待ち合わせしなければならない。池田と高知の間で少なくとも6回の待避があり、そのほとんどが10分を越えた。実質的な距離は80キロほどしかないのに。所要時間は約2時間半である。

これは完全に特急優遇策を採っているためであり、ローカルの利便性よりも特急券を払ってくれるお客に顔を向けたやり方だ。急峻な山岳地帯で自動車交通もままならぬ地域のため、普通列車の客もあきらめているのか、待ち合わせの時間には駅のトイレに行ったり、ホームで煙草を吸ったりとのんびりした風情である。ワンマンカーの運転手も、互いに普通列車がすれ違うときは、しばらく世間話をしてから別れる。

いまや高知と瀬戸内海との間には高速道路が全通したのであるから、高速バスに特急列車の客を譲ればいいのだろうが、バスでは輸送力に限界があるようだ。というのも、特急列車はほとんどどれも満杯だったから。残念ながらこの険しい山地では複線化工事はいまのJR四国の経営状況からいって絶望的だ。電化さえままならないのだから。

線路は狭い谷間を抜けるから、急カーブの連続である。しかもすぐ横が山腹なので、大したスピードを出していなくともジェットコースターのようなスリルがある。短いトンネルが際限なく続く。迫り来る山のせいで、駅舎を作るのにも苦労し、スイッチバック式の待避所兼駅が至るところにあった。列車はいったん逆戻りして駅のある引き込み線に向かう。対向列車が通過すると、再び本線に出て前進するという方式だ。

徳島県から高知県に入っても海岸近くまでこの急な線路は続く。ただし一転して下り坂となる。乗客が次第に増えてくる。高知市に用のある人々であろう。やがて海が見えてきた。山岳地帯から突然平野となる。平野は幅が狭く、左手にはまっさおな太平洋、右手には先ほどまでくぐり抜けてきた急な山が連なって見える。平地は一面田んぼになっている。この風景は台湾の東海岸によく似ている。さすが南国だけあって、3月だというのに田んぼはもう水が張られ、トラクターでしろかきをやっている。東北ではまだ2ヶ月も先だというのに。

平野になったとたん乗客が増え、座席に座れず立つ人が目立つようになった。土佐弁というのはわかりにくいものだと思っていたが、そんなことはない。むしろ関西弁の方がはるかに癖があり特徴的だ。本物の土佐弁をしゃべる人が少なくなってきたのかもしれないが、高校生の会話、主婦同士の会話はどう考えてみても「関西弁風」である。

6時過ぎに高知駅に到着したときもまだ日は明るい。駅前から見る大通りは海の方面へと向かい、広々としている。それはおそらく路面電車のせいだろう。複線の線路を挟んで両側にそれぞれ2車線の道路がある。車だけの交通ではなく、線路の分だけ余裕が感じられるのだ。

すぐに川があり、高知橋がかかっている。ソテツの木の樹勢が盛んだ。ソテツは例えば南伊豆の町にもあるが、冬の間は寒さのために葉先が茶色になっているのが多い。ところがさすが南国土佐では青々としており、あの太い幹に雑草さえ生やしている。

~高知~桂浜~

高知市外部リンクで第1泊目となる。カプセルホテルはこの町には2軒しかない。男の一人旅にとってカプセルホテルは合理性の極致だ。風呂もサウナも完備、格安、町の中心からきわめて近い、管理人一人だけの簡便さ。狭いところに寝るという先入観があるが、ちゃんと1畳の広さは確保されているし、テレビ・ラジオも完備、、室温は適切に調整されている。一泊20万円の豪華ホテルの一室も、カプセルホテルも、いったん眠ってしまえば翌朝まではまったく同じ寝心地なのだ。青春18切符の愛好者やバックパック族はもっと利用すべきだ。

札幌ならすすきの、仙台なら国分町、名古屋なら栄、大阪なら道頓堀、というように高知には「はりまや橋」がある。といっても川に架かった橋があるわけではない。かつてあったのだが、いまはなにやら「模型」の橋がみえるだけ。川はなくなって久しく「日本3大がっかり」の一つと 言われたりしている。

これは平成5年に、はりまや橋公園としてリニューアルしたもの。本体の橋自体は朱色ではなくなり、消えてしまったかのようにみえるが、実は今もそのまま同じように、はりまや橋は架かっている。確かに、いまは朱色の欄干太鼓橋、明治期のはりまや橋、純信・お馬のモニュメント、とはりまや橋の「模型」の橋だけがきわだってあるかのように誤解されてしまいがちだ。

夜も8時を過ぎると仕事帰りのサラリーマンが集まってきた。やはりカツオたたきの看板が多い。そして龍馬の顔が看板になっているのが何と多いことか。高知市は龍馬のおかげで、いなかった場合に比較して何十倍もの得をしているといえよう。

「運転代行業」がやたら目につく。酔客の代わりに運転をして送り届けてやるわけだが、普通のタクシーよりも目立っている。適当な交通機関がなく、自家用車で通勤をするしかないからだろうか。アーケードのある商店街はしまりかけていたが、そのいちばん目立つところにあったのが、2軒の「サンゴ店」だ。店にはサンゴ細工、首飾りなどサンゴを加工した製品がずらりと並べられている。室戸岬方面ではサンゴがとれるのだ。

翌朝は早起きして、まだラッシュアワーの始まる前に路面電車に乗る。駅前からまっすぐ港方面に向かう路線で終点「桟橋通り」で下車(180円)。ここは左手に高知港(浦戸湾)の一番奥の部分にある。ここは路面電車が日本でもまだ営業されている数少ない都市だ。この程度の人口の場合にはきわめて便利な交通機関なのである。

近くのコーヒーショップでモーニング・サービスを食べたのは、桂浜まで歩くつもりだったのだが、その距離と車の多さに躊躇していたところ、「孕橋(はらみばし)」というバス停にちょうど桂浜行きがやってきた。あっというまに桂浜到着(440円)。

観光案内所の親切なおばあさんが声をかけてきて、公園内の詳細な説明をしてくれる。地図にルートを書き入れてくれる。関東から来たといったら驚いていた。やはり龍馬の時代も現代でも江戸は遠いところにあるようだ。桂浜は、大きく北に切れ込んだ浦戸湾の西側、太平洋に面したところに位置するきれいな砂浜だ。ただし砂粒はかなり粗い。

桂浜
観光客が多数集まる桂浜全景。
桂浜
観光客なら誰でも撮影する龍馬像
桂浜
龍馬像のすぐ下にあった古いお地蔵様
桂浜
龍馬記念館の正面。向こう側は海。

龍馬の銅像があり、その横には誰も目もくれない小さなお地蔵さんがあった。見ると石がひび割れている。かなり古いものらしい。そこにさした一輪挿しの花はきっと地元の人があげたものだろう。南は一面太平洋の青さだ。その深い青さは関東地方の浜で見るのとは全然違う。しかも昨日までの雨がきれいに晴れ上がって空気がこの上なく清浄になっている。

龍馬記念館外部リンクはガラスを多用した斬新なデザインだ。かつて司馬遼太郎の「龍馬がゆく」を全巻読破したことがあるので、一つ一つの事件が思い出される。坂本龍馬は全国にファンが多いせいか、書簡などを熱心に読んでいて動かない人が目立つ。記念館屋上からの眺めはすばらしい。この日の天気が快晴だったこともあるが、南へ延びる海岸線がまっすぐ続いている。春休みとあって、荷物をいっぱい積んだ自転車青年が通る。

~高知~奈半利~

同じ路線バスで、はりまや橋に戻る(560円)。ここから今朝は南下した路線と直角に交差する路線を東に向かう路面電車に乗ってゆく。室戸岬への移動の始まりだ。路面電車は最高の観光案内だ。人々の普通の生活が眺められるし、町のだいたいの構造がよくわかる。香港でも2階だて電車から眺める町の様子は最高だった。電車はやがて高知市を出て隣の南国市に入る。そのあたりから路面ではなくなり専用の線路を使って進む。

日本の都市の中には、人口密度が少ないのに、路面電車を廃止して汚染と騒音の自動車交通様々のために道を広げ、地下鉄を作って未来の市民を借金漬けにしている愚かな都市もあるが、賢明にも高知ではいまでも活躍しているのだ。

これで市民の住宅も勤務地もなるべく路線沿線に集中させ、市街地のスプロール化を防げば、ますます都市生活は快適になる。山の上をブルドーザーで蹂躙して無理矢理団地を作り、渋滞の中を時間を浪費して車やバスで通勤通学をするような愚行を避け、徒歩と路面電車でほとんどの用が済んでしまうようなコンパクトな構造が最も望ましいのである。

やがて「後免町」という名の終点についた(400円)。駅前には閉鎖になった「はらたいらとオルゴール館」という建物が残骸をさらしている。かつてはここから高知空港への直行バスが運行されたが、これも今月限りで休止(廃止とはいわない?)になるとのこと。ここには土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の「後免町」駅もある。いまでは高架になっているが、かつてはさきほどの路面電車がずっと西にある安芸市にまで乗り入れていたのだそうだ。

高知市内
高知市内を走る路面電車。色は他にもさまざまだ。
大山崎
大山崎を車窓からのぞむ
奈波利町内
奈半利町内にある、瓦を重ねた石塀
奈波利町内
奈半利町内にある、昔の商家の蔵
奈波利
奈半利町内にある、石造りの商家全景

できたばかりの新しい駅舎の愛称は「ありがとう駅」という。ゴメンの次はアリガトウという訳か。始発駅は「後免」で、こちらは「後免町」でどうも間違えやすいこともあるのだろう。待ち時間30分ほどの間に昼食をとったのち、ごめん・なはり線に乗り込む。終点は奈半利駅(1040円)。途中は右側に太平洋の大海原を望む海浜路線だ。いくつかの町村を通り抜け、その中で最大なのは安芸市である。

ここを通ったのにはもう一つ理由があった。この路線の伊尾木駅~下山駅間に「大山岬」という岬があり、ここは井伏鱒二の短編で、捨て娘の従業員だけで運営されている宿に泊まった話、「へんろう宿」のモデルとなった岬なのだと言われているからだ。電車から見ると、浜辺にへばりついた国道55号線の「道の駅・大山」が見える。残念ながらその先は列車はトンネルに入ってしまい何も見えない。

終点奈半利駅からは室戸岬はまだまだ先だ。1時間ほどの待ち時間の間、奈半利外部リンク町内をまわってみる。古い造りの家が多い。特に昔からの商家では蔵や塀に見事なものがあった。5分も歩けば右手に小さな漁港を見て海岸に出る。カラー舗装の快適な遊歩道が完備しており、運動のためか次々と中年女性がやってくる。まだ水を入れていない田んぼにはレンゲが一面に咲いていた。観光地とはまったく縁もないところだけれども、散歩には絶好の場所だ。なお、山の方へ行くと、「モネの庭」と呼ばれる睡蓮の見事な池があるという。

~室戸岬~

室戸岬行きのバスがやってきた。だが観光客はわずかでほとんどの人は岬の手前にある地元の停留所で降りてしまった。快適な海岸道路を通った後、室戸外部リンクの市内にはいる。ここは昔は漁村だったところらしく急に道幅が狭くなる。

岬の灯台が見えてきた。灯台の建つ丘を回り込むように道路が走っており、展望台のある山側に中岡慎太郎の銅像の立つ前で下車した(1200円)。展望台からの眺めは180度全開のパノラマである。遠くに貨物船の姿が見える。関西と九州を結ぶ船舶が頻繁に行き交うのだ。

龍馬と共に京都の近江屋で暗殺された中岡慎太郎は、龍馬があまりに人気があるために、その政治的貢献度の割に地味なのがかわいそうだ。その記念館も観光の目玉である桂浜ではなく、この室戸岬の奥にあるのだ。そのせいか銅像だけは多くの人が通るこの岬の突端に置いたものらしい。

海側はすぐに岩浜海岸になっている。柱状節理が美しい。停留所からは東に西に遊歩道が延びていて、非常に距離が長いので、途中で引き返した。水たまりや奇妙な岩には名前がつけられており、暖流性の植物も数多く見られる。

室戸岬
室戸岬に立つ中岡慎太郎の像
室戸岬
南国そのもの、「ソテツ」の木
室戸岬
気根を延ばして岩にからみつく、「あこう」の木
室戸岬
柱状節理が美しい、岬の岩浜
室戸岬
岩に囲まれた波静かな入り江など、変化に富む光景がいっぱい

ここから先に進むバスは一日4,5本しかない。この地域は鉄道がないからバスだけが頼りだ。しばらくの間乗客は二人だけ。その後一人降りると、鉄道駅のある甲浦(かんのうら)まではひとりだ(1470円)。ここは第3セクター、阿佐海岸鉄道(阿波室戸シーサイドライン)の終着駅だ。といっても無人駅であり、駅は全部で3つしかない。隣が宍喰(210円)、さらにそのとなりが海部(かいふ)でJRの牟岐(むぎ)線とつながっている。

かつては奈半利駅までつないで、四国一周鉄道を造る夢があったのだろう。だが不況と過疎化に苦しむ現在、それができるはずもない。ますます進む人口減少の中で周辺自治体は苦渋しているようだ。地方活性化が一日も早く始まらなければならないのに、政府は中央にしか目がいかない。地方の衰退はその国の衰退の象徴でもある。都市の資本を地方に持ち込むことではなく、地方が自立して農漁業を営み、それなりの豊かさを生み出す必要が目の前に迫っている。

~宍喰温泉~

宍喰(ししくい)外部リンクを第2の宿泊地に選んだのは、一日の旅の後、日没がここでやって来るからに過ぎない。一カ所だけ温泉が出る。泊まった宿から徒歩10分で海岸の国道55号線沿いの道の駅の中にある。入ったとたんに肌がすべすべするアルカリ性温泉だ。浴槽は小さいが、勢いよく出る泡は一日の疲れを解消してくれる。帰りに寄った小さなスーパーでは、巨大で見事な地魚が売られている。

宿の近くには愛宕神社がある。立派な階段とステンレスの手すり付き、太陽光による夜間照明と立派な設備なのに、神社そのもの荒れ放題。屋根に青いビニールシートをかけたまま。地域の人は協力して修繕しないのだろうか?

結局地域の衰退は連帯による共同体精神の衰えが原因であることが分かる。お上まかせで道路、鉄道、インフラを作ってもらっても、地域の人々の自治意識がなければ共同体は崩壊するしかないのだ。積極的な住民参加が必要なのだ。このことは翌日の徳島まわりでも痛感した。

宍喰
ヒトダマ?実は昔なつかしい鳥除けお面。
宍喰
愛宕神社入り口。かつて愛宕城があった。
宍喰
八坂神社の楠の大木、根元の周囲約20M、樹齢約500年
宍喰
町指定天然記念物。2本あって夫婦楠と呼ばれる

第3日目の朝、宍喰駅よりJR線にとなりの海部で連絡する列車に乗り込む(240円)。その前に宍喰町内を一巡した。八坂神社というのがある。これは京都と福山の八坂と並んで日本三大祇園なのだそうだ。しかしお宮よりも、それを挟んでそびえる2本の大木に感心した。樹齢500年、その幹の直径は2メートル近い。

本州の人口密集地域ではとっくに姿を消した大木が四国にはまだ数多く残っている。特に神社ではそこに生える木はむやみに伐採しないから現在に至るまで生き延びてきた。上を見上げると、非常に樹勢があり、枝を思い切り伸ばしている。人間の文明より長生きしてもらいたいものだ。

なお、昨日高知はりまや橋を出てからバス、電車を乗り継いで合計4560円もかかっている。これもツァーにでも参加すればはるかに安くついただろうが、それではこんなユニークな旅はできない。特に次の交通機関に乗り継ぐまでの待合いの時間をうまく使うといろいろな体験ができる。これはやはり「各駅停車」の旅ならではだ。

~徳島~鳴門~三宮~帰途

昨日に引き続き美しい海岸が続くが、牟岐(むぎ)を過ぎたあたりからまわりに低い丘陵が続く山間地にはいる。もちろん讃岐山脈のような急峻な地形ではなく、卵形の不定な田んぼが細長く山に囲まれている、典型的な里山の風景である。この不定形の田んぼがよい。

平野部で進んでいる整地事業は「土地改良」などと称しているが、田んぼを長方形の単調な眺めに変えてしまった。山間地ではそうはいかない。それが実におもしろい模様を描き出し、これは道路ではなく列車の車窓からのみ観察できる。心配なのは山間地の農作業をこれからも続ける人がいるかどうかということだ。

徳島に近づくにしたがって乗客の数が増え、そのなまりはだんだん関西弁に近づいてゆく。ほとんど問題なく聞き取れる。向かいの座席に座った地元の女の子が、車ならすぐに徳島に着くのに、列車は時間がかかるとこぼしている(彼女は自分の車を事故で廃車にしてしまったのだ)。それもそのはず、おとといの土讃線ほどではないが、ここも待ち合わせが非常に多いのだ。

午後12時12分に徳島着。徳島市外部リンクには巨大なそごうデパートがあり、全体として高知市に比べるとはるかに近畿地方の影響が大きい。一時間の待ち合わせの間に、町中を流れる新町川の水際公園に行ってみた。

ほんの散歩のつもりだったが、「ひょうたん島めぐり」などという看板があり、無料だというので(無料だからこそ!)、さっそくその船着き場に行ってみた。徳島は2本の川が市街地をはさんで流れており、それぞれ上流と下流でつながっている。そのため市の中心部はひょうたんのような格好をした島だというわけだ。

河辺には14名が乗れるモーターボートがつないであり、13時出発便には母娘と中年婦人が待っていた。なぜこのクルーズが無料かというと、川の汚染を防止し清掃活動をするために立ち上がった「新町川を守る会」外部リンクというNPOが市の助けも借りず、自分たちの負担でこの町のPRを始めたからなのだ。花見時や夏休みには山のような観光客が訪れるという。この日も13時40分の第2便では大勢の人が待っていた。

徳島市内
川沿いの公園入り口で見かけた看板
徳島市内
船着き場。定員14名のふわふわしたボート
徳島市内
NPOメンバーの一人がハンドルを握る
徳島市内
川からの眺め。左手に徳島中央公園をのぞむ。
徳島市内
一見犬小屋風の、(野生)水鳥のためのねぐら

一周すると20個の橋をくぐり抜ける。川から眺める町は陸地から見る町並みとはまるで違う。パリのセーヌ川でのシテ島クルーズと同じくユニークな観光であり、まったく自動車の音が聞こえないのが最高だ。それにしても感心したのは川の水のきれいなことと、浮遊するゴミが少ないことだ。

これも会員たちの努力による。昨日の愛宕神社の荒れようと比較してみよう。世の中をよくするには個人の努力ではどうにもならないが、政府や自治体に寄りかからなくとも一般市民の連帯によって多くのことが成し遂げられる。徳島市といえば吉野川(市のもっと北部を流れる)も有名だが、このような地道でユニークな活動も行われているのだ。

おかげで予定の鳴門行きに乗り遅れ、あわてて乗った列車で、もときた方向へ逆戻りとなったため、鳴門駅にたどり着いたのは午後3時22分。鳴門市外部リンク内は不運続きだ。うずしおが観察できる鳴門公園に行こうと思ったのだが、大した距離ではなさそうなので歩いていこうとした。ところが、「小鳴門橋」というのがひどいくせ者で、橋を通る歩道橋が途中で途切れているのだ。まったくの自動車優先道路。

時間もないので、陶板による複製画で有名な大塚美術館の見学はもちろん、一般バスでの淡路島縦断もあきらめ、近くの高速バスターミナルから神戸三宮行きに乗る(2750円)。ここでも失敗。もし途中の「新舞子」でバスを降りていれば、バス代は300円浮き、すぐそばのJR舞子駅から青春きっぷを使い、ただで行くことができたのだ。

三宮に午後6時20分着。心配した車の渋滞もなく、予定通りについた。うかうかしていると帰りの夜行列車に間に合わなくなるのだ。このように青春18きっぷでの旅はたしかに乗り降り自由だが、行きと帰りの列車はしっかり決めておかないと本数が限られているだけにもう一泊といったトラブルに巻き込まれる。なるべく近い将来に、「西四国周遊」にいってみたい。

2005年4月初稿

H O M E > 体験編 > 旅行記 > 香川・高知・徳島

展望台より室戸岬の180度パノラマ

inserted by FC2 system