(2005年7月) H O M E > 体験編 > 旅行記 > ずっと長崎・ちょっと広島 |
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~長崎市内(5)~丸山町~愛八の墓~
吉永小百合主演の「長崎ぶらぶら節」を見た人は、舞台となった色町周辺を見たくなる。市電路線の中で東へのびるもう一本の路線(正覚寺下ゆき)の一つ手前の思案橋で降りると、路線を挟んで南に丸山町、北に油屋町という互いにライバル同士の色町があったのだ。 長崎の地名は実におもしろい。この「思案橋」にしても、まだ経験のない若い男がここまでやって来て『いこうかな、やめようかな』と思案したからだと言う(ベテランなら迷うことなく直進だろうが)。さらに丸山町に入れば、思切橋(跡)があったという。もちろん今は住宅地になっているが、その迷路のような道はそのままだ。というより道路拡張をするわけにもいかず、相変わらず人々は息を切らしながらかつて男や女たちが通ったであろう、すり減った石段の階段を行き来している。 それでも芸子たちの苦しみをいってに引き受けてくれる「身代わり神社」や江戸時代に作られた休憩所兼日本庭園なども点在している。昔ながらの小さな魚屋、肉屋、果物屋が連なって市場を作っているところもある。 このあたりは前日に行った中華街とも境を接しており、「唐人屋敷通り」に入れば、中国風のお宮も点在する。小さな公園で「ぶらぶら節」のヒロイン、「愛八の墓」という目立たない看板を発見。前日の亀山社中のように、必死で探さないと見つからないところにあるのがいい。これまたせまい道をどんどん登って行くと、長崎女子高の前に出た。建築の際、この建物の材料を運ぶためにどうやってダンプトラックはこんな狭い道を通れたのか不思議でならない。その上に小さな墓地があった。その一角に愛八の墓がある。本名松尾サダ。掲示板がなければ決して気づかないところだ。 墓地の場所はこの住宅地の頂上ちかくにあり、日が傾きかけた中で港全体やほかの丘や山が見える。横には変な名前の坂がある。昔の芸子がある中国人に惚れたのだが、その男が死んでこの坂の脇に埋められた。その音を取ってこの坂は名付けられたのだという。どうもこの地帯には恋の伝説がいっぱいあるらしい。もう日が暮れてきた。思案橋あたりまで降りてきた、また皿うどんを食べる。前日とはまた違った味付けだ。小さな店が連続するちょっとしたアーケード外の中でこの店を見つけたのだが、ほかの地方都市によく見られるシャッターをおろしたまま、あるいは「テナント募集」の札が少ない。 これはおそらくこの地域に駐車場を備えた大規模小売店がない(というより作る敷地がない?)ためであろう。だから昔ながらのパパママ経営タイプの中小店が元気なのだろう。これがこの街を散歩する魅力を増している。 |